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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第60章 1916(明治49)年霜降~1916(大正元)年冬至
505/799

改元

※曜日ミスを修正しました。(2022年10月23日)

 1916(明治49)年11月7日火曜日午前9時30分、皇居・表御座所。

「おはようございます」

 奥御座所から表御座所に出た兄と、兄の後ろにくっついて歩く私を出迎えたのは、侍従長の徳大寺(とくだいじ)実則(さねつね)さんだ。私の前任の内大臣でもある。

「おはようございます、徳大寺さん」

 私が頭を下げた隣で、

「おはよう、徳大寺侍従長。早速だが、お母様(おたたさま)に関係した皇室令はもうできているのか?」

兄は徳大寺侍従長にこう尋ねた。

「はい、そちらだけではなく、先ほど、内閣から大喪使(たいそうし)官制の勅令も参りました」

 徳大寺さんの返答に「そうか……」と応じた兄は、

「皆、夜を徹して作業をしてくれたのだろう。……これから、やらなければならないことがたくさんある。よく休養を取って倒れないようにしながら、今後も勤務に励むよう、作成に携わった者たちに伝えて欲しい」

と徳大寺さんに言った。

「お優しきお言葉……責任を持って、伝えさせていただきます。では陛下、早速で恐縮ですが、ご決裁をお願いいたします」

 一礼する徳大寺さんに軽く頷くと、兄は御学問所……天皇の執務室に入り、椅子を引いて、執務机の前に座る。つい最近までお父様(おもうさま)が使っていた机からは、お父様(おもうさま)の息遣いが感じられた。

 と、

「章子」

椅子に座った兄が、私を手招きした。

「俺の左側に来い。俺の手元が見える位置に」

「そんな近くに?いいの?あに……」

 危うく“兄上”と呼びそうになり、私が慌てて「陛下」と言い直すと、

「何だ、その言い方は。今まで通り、“兄上”と呼べ」

兄が不満そうな声を上げた。

「内輪の人しかいないところでは呼ぶけど、今はダメ。徳大寺さんがいるから、格好がつかないわ」

 私が反論すると、兄は「仕方ないな」と答えたけれど、手招きはやめない。私は軽くため息をつくと、言われたように兄の左側に立ち、手元を覗き込んだ。

「これは、お母様(おたたさま)のお世話をする皇太后(ぐう)職の官制を定める皇室令だ」

 兄は手元の冊子に目を通しながら私に言った。「譲位の準備は、お父様(おもうさま)が倒れる前から内々に進んでいたから、お母様(おたたさま)に関係する皇室令の草案はでき上がっていた。だから、お父様(おもうさま)の崩御から半日も経たないうちに出すことができたが……お父様(おもうさま)が譲位を考えていらっしゃらなかったら、宮内省は未だに混乱していただろうな」

 兄はそう言いながら、皇室令の冊子を最後まで読み進め、

「うん、俺はこれでいいと思う。章子はどうだ?」

と私に突然尋ねた。

「いいと思う、としか言えないよ……。お母様(おたたさま)のお世話をする人たちの部署は、あに、じゃない、陛下のお世話をする人たちの部署と別にしないと、現場が回らないだろうし……」

 私が何とか、こんな答えをひねり出すと、

「まぁ、そうだな。譲位に関する準備の諸々は、本当は、年明けにお前に話す予定だったからな」

兄は私に苦笑を投げる。そして、あらかじめ磨られていた墨を筆に含ませると、

「そばで見ているのと、実際に書くのとでは、やはり、緊張の度合いが違うな……」

そう言って、冊子の1ページ目に大きく取られた空白の上方に“嘉仁(よしひと)”と名を書く。確かに、兄の書いた文字は、普段より角張っているように見えた。

「あとは……皇太后宮職を設置することに伴う、他の皇室令の文言の書き換えと、皇太后宮職には、今までの皇后宮職の人間を充てる、という皇室令だな」

 兄は別の冊子に手を伸ばし、中身を確認していく。今、兄が読んでいるのは、宮内省に務める人間の給料を定めた皇室令の改正についての書類だ。新しく、皇太后宮職という組織を作ったから、その組織に属する人たちの給料、採用の仕方、勤務規定……様々なことを定めなければならない。だから、それらを規定している皇室令に、新しい組織のことを書き加える。書き加えるには、天皇である兄の裁可が必要だ。

(……って、前世では、全然興味が無かったな。梨花会の面々に質問攻めにされて、自分でも勉強して、貴族院議長もやって、ようやく興味が湧いて、分かるようにもなったけれど……)

 そんなことを考えていると、兄は次々と冊子を開き、中身に目を通して署名をしていく。単純作業に近いから、確認作業もすぐに済むようだ。

 と、

「内府殿下」

今まで兄の前に書類を置いていた徳大寺さんが私を呼んだ。

「内閣からの書類は、勉強のために、内府殿下に陛下の御前に置いていただきましょう。普段は、侍従や内大臣秘書官がやることがほとんどなのですが、仕事の流れを覚えていただくという意味で……」

「かしこまりました」

 私は先ほどまで徳大寺さんが立っていた位置に移動した。内閣から送られてきた黒い漆塗りの文箱から、冊子を取り出して兄の前に置く。

「大喪使官制の勅令だな」

 兄が冊子のページをめくっていく。内閣総理大臣の渋沢さん以下、閣僚たちの署名に続き、お父様(おもうさま)大喪儀(たいそうぎ)の一切を取り仕切る大喪使の組織や権限、構成などを定めた法規の内容が続いていた。

「皇太后宮職関連の皇室令の準備は出来ていたが、大喪に関することは、お父様(おもうさま)の余命が分かってから準備を始めたのだ。流石に、大っぴらに準備はできなかったから、荒削りではあるが……」

「なるほどね。祭事を担当する部署と、事務を担当する部署ぐらいしか定めていない。事務の担当部署は、もう少し細かく役割を分けないと、業務に支障が出そうね……」

 兄の手元の文章を読みながら、私が兄に応じると、

「確かに、お前の言う通りだ。だが、大喪使総裁は皇族の誰かになるが、その下で実際に業務を統括する副総裁は、山縣大臣を充てることになる。山縣大臣なら、この状態からでも、完璧に業務をこなせるだろう」

兄は顔に微笑みを浮かべながら言った。

「うん、山縣さんなら大丈夫だと思う」

 私が頷くと、兄は冊子の最初のページを開き直し、大きな空白に署名をした。

「よし、ここからは章子の仕事だ。侍従長にやり方を習ってこい」

 兄はそう言うと、署名をした冊子を私に渡す。「では、内府殿下はこちらへ」と案内する徳大寺さんに従い、私は御学問所の隣の二の間に入った。

「この部屋、こんな風になっていたのですね……」

 御学問所には数えきれないくらい入ったことがあるけれど、二の間に入るのは初めてだ。私は海老色のテーブルクロスが掛かった大きなテーブルを物珍しげに眺めた。

「この部屋で、御璽と国璽を押しております。昨日、内府殿下が受け取られた官記は、場合が場合でしたので、奥御座所で押印をして、宮内大臣の副署もその場でいただきましたが」

 徳大寺さんはそう言いながら、テーブルの上にある、御璽の入った箱を開けた。10cm四方くらいの大きさの、金色に輝く印章が姿を現す。徳大寺さんは御璽を持つと、朱肉の上にそれを置いた。

「陛下のご署名より、ほんの少し下に印影が出るように、印矩(いんく)を使って押す位置を決めます」

 徳大寺さんは左手にL字型の木枠……印矩を持ち、それを冊子の紙面に当てた。

「位置を決めましたら、印影が均等に出るように、まんべんなく力を掛けて御璽を押します」

 印矩のL字の角に、御璽の角を押し当てるようにしてから、徳大寺さんは御璽の真上から力を掛ける。数秒して、御璽が紙面から離されると、兄の署名の下に、御璽の印影がくっきり現れた。

「では、内府殿下。続きの押印をお願いします」

 御璽を朱肉の上に戻した徳大寺さんは、私に恭しく一礼する。私は「はい」と返事をすると、徳大寺さんと位置を代わった。

「お気を付けください。御璽はかなりの重さがありますから」

 テーブルの上に別の皇室令の冊子を置いた時、徳大寺さんが私に注意した。確か、重さが3.5kgぐらいあると、前に聞いたことがある。印矩の角と御璽の角を慎重に合わせ、御璽を兄の署名の下に押した時、私の感覚に、優しい気配が引っかかった。

「兄上、じゃない、陛下!なんで私を見ているのですか!」

 御璽を朱肉の上に置いてから、私が廊下に面した障子の方を睨みつけると、

「決まっているだろう。お前がちゃんと仕事ができるか心配で」

細く開けた障子のすき間からこちらを覗きながら兄が言った。

「気が散るから、御学問所に戻ってください!10時からの枢密院会議に出るのでしょう!」

「仕方がないな。では、時間まで、おばば様の大喪儀の資料に目を通しているよ。あの時より、今回の大喪儀の規模は大きいから、当てはまらない部分もあるだろうが」

 私の叫びに、兄は残念そうに呟くと、障子から離れて御学問所へ戻っていく。どうやら、19年前に行われたお父様(おもうさま)の養母・英照(えいしょう)皇太后陛下の大喪儀の資料を読むらしい。兄が御学問所に戻ったのを気配でも確認すると、私は中断していた押印作業を再開した。

「……よろしゅうございます」

 全ての書類に御璽が押され、片付けが終わったのを確認した徳大寺さんは、小さく頷いて言った。

「では、御璽が押されたこと、宮内省と内閣の使いの者に伝えましょう。普段は、それぞれの役所に電話して、書類を取りに来るよう伝えるのですが、今日の書類は全て火急の案件ですので、使いが待機しております。侍従に呼びに行ってもらいましょう」

 徳大寺さんは廊下に出ると、そこにいた侍従に二言三言話しかける。侍従さんが離れていくと、徳大寺さんは私の方に戻ってきた。

「さて、御璽・国璽を保管し、必要な書類に陛下のご署名をいただいて璽を押すこと。そして、国民から天皇に奉呈する請願を取り次ぎ、処理すること。これが内大臣の基本的な職務となります」

 徳大寺さんは私に向き直ると、このように総括をして、

「侍従長の職務の引継ぎが終わるまで、あと10数日はこのあたりにおりますから、分からないことがありましたらお尋ねください。ただ、内府殿下の場合、私よりは、亡くなられた三条公や勝伯の事例をお調べになられる方がよいかもしれません。それが、陛下の求められていることでしょうから」

と付け加えた。

(なるほどね……)

 三条さんと勝先生も、徳大寺さんと同じように内大臣を拝命していた。けれど、徳大寺さんがただ黙々と事務をこなしていたのに対し、三条さんと勝先生は、お父様(おもうさま)を政治的にも補佐していた。兄が私に求めているのは、事務を処理するだけではなく、政治上のことでも天皇を補佐する内大臣だ……徳大寺さんはそう言いたいのだろう。

「ご厚情、感謝いたします。精一杯、務めさせていただきます」

 私はお父様(おもうさま)の忠実な臣下であった徳大寺さんに、深々と頭を下げたのだった。


 1916(明治49)年11月7日火曜日午前10時25分、皇居・表御座所。

「戻ってくるの、早かったね」

 処理が終わった書類を使いに渡し、徳大寺さんから業務の引継ぎを受けた後、私は再び御学問所に入っていた。皇居の表御殿で臨時に開かれた枢密院会議から、兄が戻ってきたのだ。

「会議の結論は、初めから決まっていたからな」

 兄は私に言うと、私に執務机のそばの椅子を勧める。兄妹2人しかいないので、私は遠慮なく椅子に腰かけた。

「枢密院会議の議題は、元号決めだったよね。元号、何になるの?」

 枢密院は、重要国務について天皇が諮問する機関である。構成員は、数名の枢密顧問官と内閣総理大臣以下の国務大臣なので、内大臣の私は出席できない。だから、枢密院会議がどのように進んだかは、兄に聞くしかないのだ。

 すると、

「“大正(たいしょう)”だ。引き続いて閣議もあったから、詔書案も裁可してきた」

兄の口から、思いがけない答えが返ってきた。

「は?!なんで“大正”なのよ!ダメという話だったじゃない!」

 私がそう叫んだのには訳がある。実は、“大正”という元号、既に使用実績があるのだ。

 話は私が5歳の時に遡る。お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)、そして後に梨花会の中核メンバーとなる黒田内閣の閣僚たちに私が“授業”をした時、明治の次の元号が大正、という私の説明に、お父様(おもうさま)が首を傾げたのだ。

――その“大正”という元号、どこかで見た覚えがあるが……。

 疑問を抱いたお父様(おもうさま)は、“授業”の後、歴史書を調べさせた。すると、日本の戦国時代から江戸時代初期にかけてベトナム北部にあった莫朝(ばくちょう)という王朝で、“大正”という元号が使われていたのが分かったのだ。

――他の国で使ったことのある元号を、我が国で使う訳にはいかないだろう。

 お父様(おもうさま)がそう言ったので、兄の天皇在位中に使われる元号は、“大正”とは違うものになるだろうと、私は考えていたのだけれど……。

「俺は、“史実”のことを聞いた時、“大正”という元号が気に入ってな」

 私が不満そうなのを見て取ったのだろう。兄は微笑みながら、なだめるように私に言った。「それで、元号選定に関わる学者たちに調べさせたのだ。今まで、日本で使われた元号のうち、日本で使われる前に他の国で元号として使われたものはあるか、とな」

「はぁ……」

 なぜそれを確かめなくてはならないのか、理由がよく分からなかったけれど、私はとりあえず相槌を打った。すると、

「“宝暦(ほうれき)”という年号は覚えているか?」

兄は私にこう尋ねた。

「ええと……確か、江戸時代の元号よね。江戸時代の木曾三川の分流工事は、“宝暦治水”と呼んだわ」

 私が歴史の知識を思い出して答えると、

「唐で使われている。日本だと天長(てんちょう)年間……淳和(じゅんな)天皇の御代だな」

兄は得意げに答えた。

「ええ?!」

 淳和天皇ということは、平安時代初期だろうか。とっさに言葉を返せないでいると、

「これだけではないぞ。“天正(てんしょう)”は知っているか?」

兄は更に私に聞いた。

「もちろん」

 織田信長や豊臣秀吉が活躍したころの元号だ。私が力強く頷くと、

「中国の南北朝時代に使われている。こちらは欽明(きんめい)天皇の御代というから……つまり、約1000年前に別の国で使われた元号を、我が国で再び使ったということになるな」

兄はそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。

「まだあるぞ。江戸時代の“天保(てんぽう)”“天明(てんめい)”も、我が国で使う前に他の国で使われているし、室町時代だと“明応(めいおう)”“文安(ぶんあん)”などがある。他にも、“元徳(げんとく)”、“元亨(げんこう)”、“正治(しょうじ)”、“文治(ぶんじ)”……」

「ま……待って、兄上!一気に言われると分からない!」

 次々と年号を挙げていく兄を慌てて止めた私は、

「つ、つまり……過去に他の国で使われた元号を、日本で元号として使った例、たくさんあるということね……」

と、兄の言いたいことを何とかまとめた。

「うん。なら、ここで、同じ例が1つ増えたとしても構わないだろう?」

「……まぁ、そうなるわね」

 渋々首を縦に振った私は、

「でも、……兄上はそれでいいの?」

と尋ねた。兄には教えていないけれど、“史実”では、大正は1926年……15年で終わってしまう。もし、元号を大正にして、大正が1926年で、あるいは、15年間で終わってしまったら……そう思うと、とても恐ろしいのだ。

(そんなの、やだ……兄上には、もっともっと、元気で長生きしてほしいのに……)

 私が左手を握り締めた時、

「元号は、誰にでも書きやすいものがいいと思うのだ。“大正”なら、小学校の1年生にも書ける」

兄は私に言い聞かせるように、優しい口調で言った。確かに、小学校に上がっていない万智子(まちこ)も、“大正”ならすぐに覚えて漢字で書けるだろう。

「それに……お前が俺を、あらゆる苦難から守ってくれるのだろう?」

「!」

 軽く眼を瞠った私に、

「ならば、大丈夫だ」

と兄は微笑んだ。

「お前がいれば、俺は大丈夫だ」

 兄はもう一度繰り返しながら、私の目を覗き込む。兄の瞳の奥の、真っすぐで頼もしい光は、昔とちっとも変わっていなかった。

「……分かった、兄上。弱気になっちゃって、ごめん」

 兄の目をしっかり見返すと、私は兄に謝罪した。

「そう……私は上医になるの。兄上を助けて、国を(いや)す上医に」

「……そうだな」

 兄が頷いた時、廊下から、「陛下、渋沢総理大臣が詔書を持っていらっしゃいました」と侍従さんの声が掛かった。「通してくれ」と返答した兄は、

「改元の詔書を持ってきてくれたのだろう。梨花、御璽をこちらで押して、渋沢総理にお前の仕事ぶりを見せてやれ」

と私に優しく命じた。

「何で見せないといけないのよ。授業参観じゃないんだから」

 兄に反論すると、

「そんなことを言うと、梨花会の皆が心配になって二の間に押し寄せるぞ。いいのか?見学者多数で仕事ができなくなっても」

兄はからかうように私に言う。私は更なる反論を諦め、二の間に仕事の道具を取りに行った。

「おお……これは凛々しい」

 御璽や朱肉などを入れた書類箱を持って御学問所に戻ると、兄の前に立っていた渋沢さんが私に一礼した。

「一度、渋沢総理に、梨花の仕事ぶりを見せる方がいいと思ってな。渋沢総理から、梨花の様子を伝えてもらえれば、梨花会の皆の騒ぎも多少収まるだろう」

「確かに、先ほどの枢密院会議も、閣議も、内府殿下のご様子はいかに、と騒ぎになっておりましたからな。いつものこととは言え、大行天皇が身罷られたばかりのこの大事な時に、騒がしいことでございます」

 兄の言葉に、渋沢さんはこう応じるとため息をついた。どうやら、天皇が代替わりしても、梨花会の面々は相変わらずのようだ。私は渋沢さんから文箱を受け取ると、中身の冊子を取り出し、兄の前に置いた。

「見てみろ、梨花」

 冊子を開いた兄は、中身を私に示した。改元詔書の文面が、1ページ目に踊っている。“史実”では、この詔書が公布された瞬間に、元号が明治から大正に変わったけれど、この時の流れでは、詔書公布の翌日の午前0時に元号が変わることになっている。つまり、明日、1916年11月8日午前0時から、日本の元号は大正になる。

「この時代……良い時代にしなければならないな」

 詔書末尾に記された、渋沢さん以下、閣僚たちの署名を確認すると、兄は詔書に署名をした。

「よし、梨花、御璽を押せ」

「はい」

 詔書を兄から受け取った私は、袖机にそれを置く。“明治四十九年十一月八日午前〇時以後を改めて大正元年と為す。主者施行せよ”……そう書かれた文章の次のページ、兄の署名の下に、私は慎重に御璽を押したのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 外国とはいえ元号の被りがあるとは存じませんでした。
[一言] とりあえず俗なことを。 暦制作者と印刷所が悲鳴あげてるな……(来年の暦、全部作り直しだもんね、11月に入ってから)。
[一言] 史実通り、大正に元号が落ち着きました。兄上も天皇となり、いよいよ、上医としての妹殿下が試されることになります。 はたして、兄上は無事に大正の時代を走り抜けることができるのか、そして、史実で兄…
感想一覧
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