敦賀、東京、そして……(2)
※章タイトルを変更しました。
※曜日ミスを修正しました。(2022年10月23日)
1916(明治49)年11月6日月曜日、午後9時10分。
私と栽仁殿下、そして大山さんを乗せた自動車は、皇居の車寄せに入った。ここまで来ると、宮城前広場の騒ぎも流石に届かない。けれど、皇居は、何となく慌ただしい雰囲気に包まれていた。
「お父様、医療棟ではなくて、奥の御座所にいるのね……」
自動車から降りながら私は呟いた。前を走っていた輝仁さまの自動車には、近藤先生の他、中央情報院の総裁で鞍馬宮家の別当でもある金子堅太郎さんが同乗している。彼らが、お父様の居場所を間違えるはずがないから、お父様は奥御座所にいることになる。
(医療棟にも病室は作ったけれど、そっちは使ってくれなかったか……)
私が目を伏せた時、
「章子さん、行こう。診察カバンは持っているね?」
隣に立った栽仁殿下が、私に優しく確認した。
「うん……」
そう言ったきり、私が下を向いて黙っていると、
「大丈夫だよ」
栽仁殿下は私の空いている右手を握った。
「章子さんも、僕も、できることをするんだ。僕は、皇族の一員として。章子さんは、皇族として、そして、医師として……。何も、恐れることは無い」
その言葉は、栽仁殿下が自分に言い聞かせているようにも聞こえた。けれど、彼がこの状況でも、折れてしまいそうな私の心を必死に支えようとしてくれていることには変わりない。私は小さな声で「ありがとう」と夫にお礼を言うと、彼のエスコートに従って、皇居の中に足を踏み入れた。
私たちを案内する侍従さんの表情には、疲労の色が濃く出ている。お父様が倒れてから15日余り、もしかしたら、ほとんど眠れていないのかもしれない。他の侍従さんや女官たち、そして兄やお母様も、同じような状態だろう。そんなことをぼんやり考えていると、表御殿を通り過ぎ、奥御座所に入った。すると、漂う空気が、張りつめたものに変わった。女官たちが慌ただしく動く気配もする。
「こちらでございます」
侍従さんが私たちを案内したのは、お父様が普段、居間として使っている和室だった。結婚するまでは、年に1、2回、この部屋に招き入れられて、お父様の刀剣コレクションを鑑賞させられていた。
「お父様、戻りました!」
侍従さんよりも早く、輝仁さまの手が障子に伸び、障子を勢いよく引き開けた。食堂との間にある襖が取り払われ、お父様の居間はいつもより広々としている。そこに、大勢の人が正座していた。義父の威仁親王殿下をはじめとする各宮家の皇族たち、内閣総理大臣の渋沢さんなどの政府高官、貴族院議長の徳川家達さんや立憲自由党総裁の西園寺さんなど、帝国議会の大物も顔を揃えていた。そして、彼らの前、向かって左側の部屋の上座側には、布団が敷かれている。お父様は、そこに身体を横たえていた。
「輝仁……か……?」
布団の中から、お父様の声が聞こえた。今から3か月ほど前に開かれた私たちとの別離の食事会の時より、その声は小さかった。
「章子も……いるか……?」
「……お父様!」
いてもたってもいられず、私は一歩前に進み出た。お父様のそばには、お母様が緊張した表情で正座している。兄と節子さまも、お母様のそばにいる。そして、昌子さまなど、日本に残っていた私の妹たちが、全員青ざめた顔をして座っていた。もちろん、お父様の治療に当たっている侍医の先生方や東京帝国大学医科大学内科学教授の三浦謹之助先生、宮内大臣の山縣さん、皇孫御学問所総裁の伊藤さん、侍従長兼内大臣の徳大寺実則さんも詰めていた。
「お父様……」
私はその場に平伏した。
「章子……」
兄が私を呼ぶ声がする。それに構わず、私は頭を下げたまま、
「申し訳ございません!」
と絶叫するように謝罪した。
「私は……私は……」
悲しみと、やるせなさと、申し訳なさと、怒りと……感情が暴風のように身体を襲う。ひれ伏した私の両眼から、涙がまた溢れ出した。お父様が重態であるという第一報を受け取った時から、身体の中の水分が枯れてしまうと思うくらい泣いたはずなのに、まだ、私の涙は尽きないらしい。用意したはずの謝罪の言葉を上手く口から出すことができず、私は黙って泣き続けた。
と、
「章子、輝仁……こちらへ参れ」
お父様の声が響いた。小さいけれど、しっかりした声だった。私は輝仁さまと一緒にお父様のそばに寄ると、正座して頭を下げた。
「……面を上げよ」
私は右手の甲で急いで涙を拭ってから、顔を上げた。お父様は横になったまま、首だけ動かして私と輝仁さまを見つめている。眉間には、皺が深く刻まれていた。
(ああ、やっぱり、痛いのか……)
また溢れ出した涙で視界が滲んだ瞬間、
「章子……泣いているのか?」
お父様が私に尋ねた。
「だ、だって……」
幼い子供のように答えようとした私は、口を動かすのをやめた。お父様は、自分の病名や余命について、知らされているのか……それが分からなかったからだ。もし、お父様に、それらが知らされていなければ、私が素直に自分の思いを吐露してしまうと、お父様に秘密がバレてしまうかもしれない。
すると、
「おおかた……朕の病を治せぬと、自分を、責め抜いているのであろう……」
お父様は私に言った。
「お父様?!」
目を丸くした私に、
「章子の悪い癖だ……朕の命、幾ばくも残っていないことは、そなたらを呼び戻した時から、分かっておる」
お父様はしっかりした口調で告げると、微かに笑って見せる。
「これは、定め……。そなたが医すべきは、朕ではない。国ぞ……」
「お父様……」
この人は……私の今生の父は、耐え難い苦しみを身体に受けているはずなのだ。それなのに、私を案じて、私の心の負担を軽くしようとしている。何と強くて、優しい人なのだろうか。目から溢れそうになった涙を、私はまた、手の甲で拭った。
「章子……」
お父様が、私の名前を呼んだ。
「そなたに、命じる……」
私は左手で、診察カバンの持ち手を握り締めた。侍医の先生方と三浦先生の手伝いをしろとでも言われるのだろうか。身構えた私の耳に届いたのは、まったく予想もしなかった言葉だった。
「徳大寺に預けていた内大臣……章子に渡す。国を医す、上医として……朕の亡き後、嘉仁を助けよ」
(………………え?)
私は、お父様の言葉が理解できなかった。
内大臣……かつて、三条さんが務めた職である。宮中の文書に関する事務を取り扱い、常に天皇のそばにいて補佐をする役目だ。三条さんが肺炎に罹患して内大臣から退いた後は、勝先生が“内大臣府出仕”という資格で、実質的な内大臣を務めていた。勝先生が亡くなった後は、侍従長の徳大寺さんが内大臣を兼任している。
三条さんや勝先生は、内大臣としてお父様を実際に補佐していたけれど、徳大寺さんは政治や宮中のことに口を挟むことは一切無く、侍従長の職務のみをこなしている。だから今は、内大臣という官職そのものが忘れ去られていた。
しかし……いくら忘れ去られている官職だからと言って、それに私が就任することは許されるのだろうか。仮にも、“大臣”と名のつく官職、私の時代ならともかく、この時の流れの日本で、女性が就任した例は無い。そこまで考えて、私はある可能性に思い至り、ため息をついた。
(そうか……お父様、せん妄に……)
お父様の身体は、ガンに急速に蝕まれ、激しいストレスを受けている。そんな状況では、せん妄も発生してしまうだろう。だからこんな、現実味の無いことを言っているのだ。実際、病室に控えている皇族たちや政府の高官たちは騒めいているし、梨花会の面々も……え?
後ろの様子を窺っていた私は、首筋に強い視線を感じて振り向いた。兄だ。お母様と節子さまと一緒に、お父様のそばに座っている兄は、じっと私を見つめている。その眼の光には、有無を言わせぬ迫力が伴っていた。気が付けば、伊藤さんも山縣さんも、病室の入り口に控えている大山さんも、下座にいる義父も、内閣総理大臣の渋沢さんも、枢密院議長の黒田さんも、立憲改進党の党首で文部大臣の大隈さんも、立憲自由党総裁の西園寺さんも、元内閣総理大臣である井上さんも、陸奥さんも……この病室にいる梨花会の面々は、私に鋭い視線を突き刺している。
「ちょっと……ちょっと待ってください……」
身体に浴びせられる白刃のような視線に必死に耐えながら、私は口を何とか動かした。
「今、お父様が思いついたことでしょう?なら、受けることはできません。仮にも、大臣の職に私を就かせるというのなら、宮内大臣なり、総理大臣なりによく相談して……」
「違う!」
不意に、大声が私の耳朶を打った。お父様が怒鳴ったのだ。倒れる前と同じぐらい……いや、元気だった時よりも更に大きな声に、私は慌てて頭を下げた。
「今、思いついたことではない!そなたが、栽仁に嫁ぐ前から……そなたが、医師となるもっと前から、朕は、嘉仁が即位する折には、そなたを内大臣にして、嘉仁を補佐させるつもりだった!」
広い病室を圧する言葉の直後に、荒い呼吸の音が続く。今の言葉を言うのに、お父様は、相当体力を消耗してしまったのではないだろうか。パッと顔を上げ、お父様に身体を近づけようとした時、
「そうでなければ……そなたを、30年近く、ここまで鍛えることはせん……」
苦しそうな呼吸の切れ間から、お父様が声を絞り出した。そして、縋るように私を見つめる。
「……本当、なの?」
お父様から逃れるようにしながら、私は大山さんの方を振り向く。すると、大山さんは私の目を見つめ、黙って頷いた。
「天皇陛下のおっしゃる通りでございます」
伊藤さんが、眼に涙を浮かべながら私に言った。「妃殿下には、幼い頃より、オーストリアのフランツ皇太子殿下をはじめ、メクレンブルク=シュヴェリーン大公国のフリードリヒ・ヴィルヘルム殿下、イタリアのトリノ伯とアブルッツィ公など、たくさんの皇族・王族とお会いいただきました。……それも全て、今日の日のため、ご経験を積んでいただくためでございます」
「……」
伊藤さんは、私が花御殿に引っ越した1889(明治22)年から、2回目の内閣総理大臣を務めることになった1901(明治34)年まで、ずっと私の輔導主任を務めていた。その人がこう言うのだ。……お父様の言葉は、本当なのだろう。
「今更お逃げになりますか、妃殿下?」
騒めく下座の中から、一際よく通る声がした。前内閣総理大臣の陸奥さんだ。
「兄君を上医としてお助けになりたい……そのお志を知ったからこそ、僕は原君とともに、妃殿下に議論のイロハを叩き込み、政治力と外交力を鍛えさせていただいたつもりだったのですがね」
「さよう。ですから、わしと高橋君も、妃殿下に経済・財政についてご教授申し上げました」
下座の見舞客たちの中央あたりに座っていた前大蔵大臣で枢密顧問官の松方さんが、重々しい声で陸奥さんに同調した。
「その通りであるんである!であればこそ、妃殿下は、貴族院議長を3期、務めることができたんである!それは、議長が大臣に変わっても同じであるんである!」
松方さんに続いて、大隈さんの大声が病室に響き渡る。騒めいていた病室は、静まり返った。
(栽さん……)
夫の姿を求め、私は視線を動かした。栽仁殿下はお父様の足元、輝仁さまから少し離れたところに正座していた。
「章子さん。僕と父上に遠慮はしないでいい。天皇陛下のご命令に従って」
栽仁殿下は、私を真正面から見ながら言った。
「栽仁殿下……」
「前にも言ったことがあるけど、上医は、それにふさわしい職を持っていないといけない。章子さんをそばで守って支えられること、僕は誇りに思うよ」
「……!」
栽仁殿下は、私の目を覗き込むと、力強く頷いた。
……その瞬間、私は覚悟を決めた。
やるしかない。今までに例がないことであっても、後世、逆賊だの大悪人だのと罵られても、私は、この与えられた地位で、兄のために、そして、国のために、最善と思われることを全力でするのだ。
「お父様」
私は正座をし直すと、苦しそうに顔をゆがめるお父様と、しっかり目を合わせた。
「……勅命、謹んでお受けします」
すると、
「ああ……!」
お父様の顔から、強張りが消えた。
「よう、言うた。流石は、朕の子よ……」
私を見つめるお父様の目は、とても穏やかだった。
「……徳大寺」
お父様の声に、お母様の後ろに控えていた徳大寺さんが頭を下げた。
「章子の官記に、名を書く。用意せよ」
徳大寺さんは「かしこまりました」と言って一礼すると、病室から出て行く。内大臣の官記……要するに、任命書のことだけれど、それには天皇の署名が必要だ。しかし、今の身体の状態で、お父様は起き上がって署名ができるのだろうか。
「お父様……身体は起こせますか?」
私が恐る恐る尋ねると、
「何とでもなる」
お父様は短く答え、荒い呼吸をした。
「け、けれど、お痛みが出てしまうのでは……」
私の心配を、
「痛くはない!」
お父様は即座にはねつけた。私は慌てて頭を下げた。……そうだ。お父様は、痛くても、“痛い”とは、絶対に言わない人だ。
(少しでも……少しでも、お父様の苦しみを、取り除きたいのに……)
そう思っていると、徳大寺さんが、御璽の収められた箱を奉じて戻ってきた。徳大寺さんの後ろには、大きな書類箱を両手で持った侍従さん、そして、筆記具が入っていると思しき箱を奉じた侍従さんがぴったりついて来ている。彼らは、病室の隅にあるテーブルに、持ってきた品物を慎重に置き、箱の中身を広げ始めた。
「お父様、お身体を起こすのを手伝います」
侍従さんが墨を磨り始めるのを見て、兄がお父様に声を掛ける。お父様が頷いたのを確認した兄は、伊藤さんと山縣さんに目配せする。3人がかりで布団の上に起こされたお父様の上体は、白い寝間着に覆われていたけれど、それでも、私が最後に診察した時より痩せたように思われた。
布団の上、お父様の太ももがある辺りを覆うようにして、文机が置かれる。文机の上に、官記と硯が置かれると、お父様は徳大寺さんから受け取った筆を持ち、官記の中央上方に署名をした。官記はすぐさま侍従さんの手で、テーブルの上へと動かされ、徳大寺さんが御璽を押す。御璽を押し終えた徳大寺さんは、お父様の背を兄と伊藤さんと一緒に支えていた山縣さんに声を掛け、山縣さんと交代してお父様の背中を支える。立ち上がった山縣さんは、テーブルに近づき、筆を執って官記に副署をした。
「……よろしゅうございますか」
山縣さんは官記を両手で捧げ持つと、お父様に文面を示す。お父様が首を縦に振ると、山縣さんは病室にいる臣下一同を見渡し、
「ただいまより、こちらで章子内親王殿下の親任式を執り行います」
と大きな声で宣言した。
「ま、待て……表御殿ではなく、こちらで親任式とは、今までに例がないのでは……」
久邇宮家の当主・邦彦王殿下が、泡を食ったように山縣さんに抗議し始める。すると、
「前例にとらわれ、陛下のご寿命を縮め奉るおつもりか!」
山縣さんが邦彦王殿下を一喝した。維新の元勲の迫力に負けたのか、邦彦王殿下は口を閉ざし、それきり、病室を静寂が支配した。
「章子……そなたを、内大臣に任じる」
兄と伊藤さんと徳大寺さんに身体を支えられたお父様は、私に言った。その表情は苦しそうだったけれど、両眼は異様なくらい輝いている。山縣さんの手から、官記を私が受け取ると、
「疲れた。寝かせろ……」
お父様は荒い呼吸をしながら命じた。布団の上にゆっくり横たえられると、
「嘉仁、章子……」
お父様は兄と私を呼んだ。
「はっ」
「はいっ」
お父様のそばに座り直した兄と、官記を持ったままの私が同時に返事すると、
「そなたらで、力を合わせて、政をせよ。……案ずるな、そなたらであれば、できる」
お父様は息継ぎで言葉を途切れさせながら、言った。
「必ず……!」
「兄上を、力の限り、お助け申し上げます!」
兄と私が叫ぶように答えると、お父様は満足げに頷く。そして、お父様はお母様に視線を移し、「美子」と名を呼んだ。
「そなた、嘉仁の世を見届けて、朕に報告せよ。よいか……逝き急ぐこと、決して、許さんぞ……」
「かしこまりました……」
お母様は深く頭を下げた。お母様の声には、僅かに涙が混じっていた。
「節子……嘉仁を、支えてやってくれ……」
「仰せの通りに……!」
「栽仁、章子を守れ。頼むぞ……」
「誓って……!」
「輝仁……兄を助けて、蝶子を、守ってやれ……」
「はいっ、必ず!」
時々、呼吸を整えながら、お父様は、自分の病床に侍る者たちに、次々に声を掛けていく。……遺言だというのは、この病室にいる誰もが理解していた。
「昌子、房子、允子、聡子……」
次にお父様が呼んだのは、既婚の妹たちの名前だった。
「「「「はいっ」」」」
「それぞれの、夫に尽くし、嘉仁と、章子を助けよ……」
「仰せの通りに、致します……」
既婚の妹たちを代表する形で、昌子さまが涙声でお父様に答えた。房子さまと允子さまと聡子さまは、泣きはらした目でお父様を見つめていた。
「多喜子……朕の亡き後は、嘉仁を父と思い、嫁いだら、輝久に尽くせよ……」
お父様の視線は、私の妹の中で唯一結婚していない、貞宮多喜子さまに向けられた。
「そして、章子のように、勉学に励め……朕が死んだからと言って、勉学を止めるな……」
多喜子さまは、第一高等学校の入学試験に実力で合格し、9月から二部に通学している。皇族の女子が高等学校に進学したのは、もちろん初めてのことだ。そんな未知の世界に挑戦している末っ子のことが、お父様も特別心配なのだろう。
「はい……かしこまりました……」
多喜子さまは、涙の溜まった目でお父様を見つめている。私も一番上の姉として、多喜子さまのことは、今まで以上に気にかけていかなければならない。
「うん……」
多喜子さまの答えを聞いたお父様は、顔に微笑を浮かべる。こんなに穏やかなお父様の微笑みを、私は初めて見た。
と、
「徳大寺……ここに、皇族や、政府の高官たちは、どのくらい来ている?」
お父様は傍らに侍る徳大寺侍従長に尋ねた。
「成人されている皇族方は全て……政府高官も、主だった者は揃っています」
徳大寺さんの答えを聞いたお父様は微かに頷くと、
「では、この場にいる、皆に告ぐ……」
と、途切れ途切れになりそうな声で言った。下座に正座していた者が一斉に頭を下げると、
「朕亡き後も、国に、嘉仁に……忠義を尽くせ」
お父様は下座にいる者たちにこう告げた。再び、病室にいた全員が、お父様に向かって深く頭を下げた。それをチラリと見たお父様は、しばらく呼吸を整えると、
「美子……」
お母様を再び呼んだ。
「何でございましょうか、お上」
お母様が、お父様のそばににじり寄った。
「嘉仁も、章子も……朕の子は、皆、頼もしく、育った……なぁ、天狗、さん……」
そう言い終わった瞬間、左を向いたお父様の頭から、不自然に力が抜けた。唇の左端が枕に押し付けられ、両目は閉じられている。
「お父様?!」
私、そして三浦先生と侍医の先生方が、同時にお父様の身体に飛びつく。お父様の左手首をつかんだ私は、指を滑らせて、動脈の拍動を必死に探した。けれど、いくら探しても、橈骨動脈の拍動は触れなかった。
「三浦先生!血圧、測れました?!」
お父様の右側で血圧を測定している三浦先生に尋ねると、彼は力無く首を横に振った。
「音が聞こえません。触診でも測定を試みましたが、動脈の拍動が触れず……」
(そんな……)
無言でお父様の頭側に回ろうとした私を、
「妃殿下……いや、内府殿下、おさがりください。ここは、我々で致します」
三浦先生が冷静に押しとどめた。私がお父様の手首から手を離し、輝仁さまの隣の位置に戻ると、侍医の先生方や近藤先生、そして三浦先生がお父様の身体を取り囲む。先生方は、お父様の身体を念入りに診察した。
……どのくらいの時間が経ったのだろうか。やがて、三浦先生と近藤先生、そして侍医の先生方は、お父様の身体に布団を丁寧に掛けると、お母様の方を向いて正座した。
「……午後10時3分、崩御、あらせられました」
聞きたくなかった言葉が、広い病室に響いた。集まった人々の中から、すすり泣きの声が漏れる。私の今生の父が亡くなった……いや、それだけではない。この瞬間、1つの時代が、確かに終わりを告げた。
けれど、1つの時代が終わったならば、その次の瞬間から、また新たな時代が始まる。そしてその時代の始まりに、天皇になる兄と、内大臣になったばかりの私は立ち会わなければならない。……悲しみたいけれど、今は、涙をこらえて、前に進まなければならない。
「これから、どうしよう……」
これが、お父様が亡くなった直後、私が初めて口にした言葉だった――。




