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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第8章 1891(明治24)年芒種~1891(明治24)年霜降
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脚気討論会(2)

 1891(明治24)年9月19日土曜日、脚気討論会の日である。

 討論会は午後2時半からだったので、私は華族女学校(がっこう)が終わった後、花御殿に戻って昼食をとり、そこから馬車に乗って大隈さんの家に向かった。大隈さんの家の隣が、東京専門学校の敷地なのだ。

 本当は、東京専門学校に直接行こうと思っていたのだ。ところが、

「東京専門学校への御成は、非常にありがたいですが、流石に増宮さまが直接馬車で乗り付けられれば、微行(おしのび)の主旨を達成することが難しくなります。ですから、一度我が家にお立ち寄りを!」

と大隈さんが強く主張した。確かに理には適っているので、大隈さんの家に立ち寄って、そこで大山さんと落ち合い、歩いて専門学校の講堂に向かうことにした。

――大隈さん、この間、山縣さんの家に行った時もそうだったんだけど、微行(おしのび)だから、余計な気遣いは無用です。私、派手にもてなされるのは嫌いなんです。

 水曜日に参内した帰り、たまたま皇居で大隈さんに会ったので、こう念を押すと、

――その点はご心配ならさずに。吾輩の家には常に客が大勢おります故、あくまでその客のお一人として、増宮さまをもてなします。妻にも、そう言っておきましょう。

大隈さんは胸を張った。

――あの、“常に客が大勢いる”って、一体どのくらい?

――築地に住んでいたころは、毎日2,30人は客がおりましたか。日に100人ぐらい来るときもありましたな。伊藤さんや井上さんや山縣さんも、毎日のように吾輩の家にやって参りまして……吾輩の家は“築地梁山泊”とも呼ばれておりましたな。

 とんでもない答えが返ってきて、私は目を丸くした。お正月だと、花御殿にもたくさんお客さんがやって来るけれど、それ以外は、皇太子殿下がいない時を見計らって、“梨花会”のメンバーが来るぐらいで、人の出入りはそんなに多くない。

――しかし、あれから色々とありましたが、今の内閣は、その梁山泊の昔に帰ったようで、吾輩は本当に楽しい。そして、増宮さまがいらっしゃる。かように素晴らしいことはありませんな。

 遠い目をする大隈さんに、私は曖昧に頷くことしかできなかった。

 大隈さんの家に着くと、奥様の綾子(あやこ)さんが私を出迎えてくれた。

「主人から話は聞いております。“派手なことは好まれぬゆえ、あくまで我が家の客の一人として、特別扱いせずにもてなせ”と……」

 綾子さんは、和装の、一見控えめな印象の女性だった。けれど、話し方はテキパキして、なおかつ落ち着いている。

「はい、私のわがままで寄らせていただいただけですので、本当にお構いなく……」

 私が頭を下げると、「内親王殿下に頭を下げられると、こちらの調子が狂います」と綾子さんは苦笑した。

「さ、こちらへ。いつもですと、お客様はみんないっぺんに応接室にお通しするのですが、殿下のような小さなお客様はめったにいらっしゃらないので、そちらにお通しすると、かえってお心に背く結果になるかと思います。奥の洋室にご案内します」

 綾子さんは先に立って、私を案内してくれた。

 出された緑茶を啜っていると、

「軍服でなくて、良かったですかな?」

大山さんがこう言いながら現れた。“軍服でない”と本人が言うその服装は、フロックコートだ。

「和服で、よかったんじゃないかな?」

 私は言った。道行く人のほとんどは和服の中、洋装は目立つ。私も、海老茶の袴に、紫の矢羽根模様の着物で、洋装ではないし……。

「申し訳ありません。(おい)は、洋装が性に合っておりまして」

「まあ、それなら……」

 軍服は、階級によって意匠が若干異なっていて、見る人が見れば、着ている人の階級が分かってしまうそうだ。だから、フロックコートの方が、軍服よりは身元バレの危険は少ないだろう。なんせ、今の国軍で、皇族以外での大将は、大山さん、山縣さん、黒田さん、西郷さんの4人しかいないのだから。

「梨花さまも、すっかり和装にお慣れになったようで。前世では、常に洋装であったと聞きましたが」

「慣れないとしょうがないわ。それに、洋服にしても、今の時代は私の好みに合うものがないしね」

 前世では大学に入って以来、パンツスタイルで通していたけれど、最近では、前世(へいせい)の卒業式での定番スタイルである、和服に女袴という格好にもすっかり慣れた。自分一人で着られるようにもなっている。身体が大人になるまでには、前世(へいせい)と同じようなショーツとブラジャーを、何とかして作りたいのだけれど……。

 と、

「やあ、大山どの、昼餉がまだなら、食べていくかな?」

洋室のドアが開いて、フロックコートをまとった大隈さんが現れた。

「お気遣いありがとうございます、大隈さん。実は、もう済ませて参りました」

「そうですか、それは残念。では、温室を案内させていただいてもよろしいか。それとも、増宮さまから先ほどいただいた菓子を……」

 すると、大隈さんの後ろから、軽やかな足音が響いて、

「あなた、何をしているのですか」

綾子さんが姿を現した。

「これから、討論会の打ち合わせがあるのでしょう。お客様に、無理強いをなさる暇があるなら、早く専門学校(がっこう)の方に……」

 すると、いつも堂々としている大隈さんが、途端に小さくなって、

「う、うむ、そうだな……」

綾子さんに小さな声で返した。

「それでは吾輩は、これにて失礼します」

「はい、大隈さん、後ほど会場で」

 私はにっこり笑って、大隈さんに手を振った。

 ドアが再び閉ざされると、「何もお前が、ついてこんでもいいだろう」という大隈さんの声が向こうから聞こえた。それに、「いいえ、ついていきます。あなたを一人にすると失敗しますから」と、綾子さんがきりっとした声で返している。どうやら大隈家は、いわゆる“かかあ天下”らしい。思わず私はくすっと笑った。と、大山さんが私を見つめているのに気が付く。

(あ……今、大山さんと二人きりなのか……)

 ちょっと困ったなあ、という思いが、頭をよぎった。


「……あ、あの、大山さん」

「なんでしょう、梨花さま」

「あ……」

(また、それか……)

 私はため息をつきたくなった。

 大山さんと二人きりになると、彼は必ず私のことを“梨花さま”と呼ぶ。そう呼ばれてしまうと、やっぱり調子が狂ってしまう。だけど、それは顔に出さないように頑張って、私は別のことを言った。

「ベルツ先生たち、論争に勝つと思う?」

「ご心配なのですか」

「うん……」

 私は頷いた。「ベルツ先生と青山先生は、帝国大学で同僚でしょう?石黒中将は、森先生の上司でしょう?討論をするにしても、ベルツ先生も森先生もやりにくいんじゃないかな、って……」

 すると、

(おい)は心配しておりませんよ」

と大山さんは微笑した。

「森は、論争に慣れていると聞いています」

「はあ……」

 私は曖昧な返事をした。

(論争に慣れているってことは……)

「そうか、それで西郷さん、“森を切り崩せ”と……」

 私はそう言いながら頷いた。森先生が、いったん脚気が細菌で発生する説を否定すれば、脚気の細菌発生説を信じている他の軍医に論争を仕掛けて、彼らの考え方を変えてしまう、ということまで、西郷さんは予測していたのだろう。

「改めて、西郷さんの言葉の意味が、よく分かりました」

 私はため息をついた。全く、“梨花会”の面々は本当に恐ろしい。

「それと、有利な材料がもう一つあります」

 大山さんはなおも微笑したまま、こう言った。

「コッホ先生の研究室に所属するドイツ人が、今回の実験に対して追試を行いまして、その論文が“ドイツ医事週報”の最新号に掲載されたのですよ」

(!)

 私は目を見開いた。こんなに早く、追試の結果が出るとは。

「当然、上司のコッホ先生と連名での論文だよね?」

「もちろんです。そして、コッホ先生の脚気論文に対する短評も、同じ号に掲載されています。“森論文は素晴らしい。これで、脚気が細菌で発生しないことは証明されただろう”と」

「最高の援護射撃が、最高のタイミングで来たわね……」

 私は微笑した。追試でも、同じ結果が出た……しかも脚気が発生しないドイツでの追試で同じ結果が出たということは、脚気が細菌で発生するという説では説明が難しい。

「だけど、大山さんが、そこまで脚気論文の動向に詳しいとは思わなかった」

「昨日、ベルツ先生に聞いたのですよ」

 大山さんがニヤリとする。「それに毎週、先生(ドクトル)と梨花さまのお話を聞いていれば、多少は知識がついて参ります」

 そう言えばそうだ。だけど……。

「梨花さま」

 大山さんにその名で呼ばれて、私はギクリとした。

「この御名が、お嫌いですか?」

 ああ、この人は、なぜ私の思うことを、こんなにも見抜いてしまうのだろう。

「……正直、好きではない」

 私は答えた。「この名前を付けたのは、私の曾祖父だけど、何故その名前を付けたのか聞く前に死んでしまった。高校生の頃、漢文の授業で“長恨歌”をやった時に出て来て……」

「白居易ですね。“梨花一枝、春、雨を帯ぶ”と……」

「そう。当時の中国では、“梨花”というものを、美しいものの例えとして使ったって習って……」

 私はため息をついた。

「“なぜ、曾祖父は、私にこんな名前を付けたのか”と思ったの。前世も美人ではなかったし、お化粧やおしゃれとか、そういう女の子らしいことには、今も興味が無いし……なんで、こんなに女の子らしい名前を付けられてしまったのかと……」

 でも、“唐代の美人の基準は、今のものとは大分異なります”と漢文の先生に言われたので、「実際の所は、“梨花”は美しくないのだ」と自分に言い聞かせて、心を落ち着かせたのだけれど。

 すると、

「そうですか」

大山さんは一つ頷くと、また微笑した。

(おい)は、あなた様の前世のひいおじい様に、感謝しなければなりません。あなた様を、梨花さまと呼べることを」

「へ?」

「申し上げましたでしょう。梨花さまを、ご性質を過度に矯めることなく、その御名の通りに美しくお育て申し上げる、と……ひいおじい様は、その目標を我々に与えて下さいました」

「あの、大山さん、だから“梨花さま”って呼ぶの、やめて欲しい……」

 私は殆ど消えそうな声で、大山さんに抗議した。けれど、大山さんは首を横に振った。

「あの時、京都で(おい)に、お命じになったではありませんか。“我が傍らで、そなたなりのやり方で、陛下と皇太子殿下に仕え、おのれの職責を全うせよ。そして、死のうなどとは、二度と考えるな。この梨花に誓え”と……お忘れになりましたか?」

「!」

 私は目を見開いた。

(なんで……前世の名前を名乗っちゃったかなあ……)

 頭を抱えたくて仕方なかった。けれど、今さら「章子と呼べ」と言ったら、話が確実にこじれる。

(また大山さんに“自分を斬れ”なんて言われたら、困るしなあ……)

「しょうがない、諦める……」

 私は深いため息とともに言った。

「でも、“梨花”と呼ぶのは、二人きりの時だけにしてよ?他の人が聞いたら、びっくりするでしょうし」

「心得ておりますよ」

 大山さんが微笑する。そして、私に左手を差し出した。

「?」

 首を傾げると、

「美しい淑女(レディ)を守る者として、エスコートさせていただいてもよろしいでしょうか、梨花さま」

大山さんが私に恭しく頭を下げる。

(れ、レディ?)

「冗談はやめて、大山さん。私の身体はまだ8歳だし、それに“女牛若”の私は、レディなんてガラじゃ……」

「“上医”の仕事を成すためには、様々な方とのお付き合いも必要です。淑女(レディ)として振る舞わなければならない場面も出て参ります。少しでも早く、淑女(レディ)として扱われることにも、慣れていただかなければ」

 大山さんは、私に言い聞かせるように言った。そして、私のことを、あの優しく暖かい眼差しで、じっと見つめる。

「……敵わないな、陛下に“我が師”と思われた人には」

 私は苦笑いすると、右手を前に差し出した。大山さんが、その手をそっと握ってくれた。


 東京専門学校の講堂周辺には、思ったより、洋装や軍服姿の男性が多かった。

「国軍の将官や医師が多いのでしょう。医師には、洋装の者もかなりおりますから」

とは、大山さんの推測だ。

「なるほど……この時代の脚気への関心は、やはり高いのね」

「国軍で流行しているとなれば、なおのこと、ですよ」

 ひそひそと、大山さんと話しながら講堂に向かう。大山さんと手をつないだ私は、大山さんの陰に隠れるように歩いた。

「梨花さま、なぜ(おい)の陰に隠れるようになさっているのですか?」

 小声で私に尋ねる大山さんに、「ん、ちょっと、身分を隠すために演技をね」と、私も小声で返した。

「ほう、どんな演技をなさっているのですか」

「やっぱり、私はレディなんてガラじゃないから、とてもそんな演技は出来ない。そうね、父親に頑張ってついてきたけど、余りの人の多さにビビっている、恥ずかしがり屋の幼い娘、かな?」

 そう伝えると、大山さんはクスッと笑った。

「幼い娘でも、淑女(レディ)であることには変わりありませんよ」

「むう……」

「それでは、こうしましょう。恥ずかしがり屋の幼い淑女(レディ)と」

(そこは譲らないのか……)

「しょうがない、それで妥協しますわ、お父様」

 私は冗談めかして答えた。

「これは畏れ多い……(おい)のことを、お父様、とは」

「“父親と娘”の設定なんだから、しょうがないでしょう」

 大山さんを軽く睨みつけると、大山さんはまたクスクスと笑った。

 大山さんには、確か私より一つか二つ年上の娘さんがいるはずだ。大山さんを知っている人が私を見ても、私のことを、大山さんの娘さんだと思ってくれるだろう。

 入り口で二人分の入場料を大山さんに支払ってもらい、大講堂の中に入ると、かなりの客の入りだった。けれど、すぐに大山さんが二つ並んだ空席を見つけてくれて、そこに彼と並んで座った。ランドセルからノートと鉛筆を取り出しながら、周囲の会話に聞き耳を立てると、やはりコッホ先生と、コッホ先生のお弟子さんの論文のことが話題になっているようだった。

「あのコッホ先生が言うのだ、間違いなかろう」

「ああ、森先生の論文の正しさが証明されたな」

 医者らしい男性の二人連れの会話が、私の耳に飛び込んでくる。

(聴衆がこちらの味方になりつつあるのは、ありがたいけれど……日本人って、権威に弱いのかな?でも、その追試、何かちょっと引っかかるような……)

 そう思った時、「えー、静粛に、静粛に!」という、大きな声が聞こえた。

(あれ?この声、大隈さん?)

 前にある舞台を見ると、真ん中に、フロックコート姿の大隈さんが立っている。

「会場の諸君!大変長らく、お待たせ申し上げた。では、只今より、脚気に関する討論会を開会する。司会はこの不肖、外務大臣大隈重信が担当するんである!」

 わあっ、と会場が歓声に包まれる中、

「大隈さんが司会をすることになっていたの?」

「さあ……そこまでは知りませんが……」

私と大山さんは囁き合った。

 大講堂の舞台の上には、脚気が細菌感染で起こる、という立場で論じる、帝国大学内科学教授の青山胤通先生と、国軍軍医中将の石黒先生が登場した。

 一方、脚気が栄養欠乏で起こる、という立場で論じるのは、森先生とベルツ先生だ。

「これ……森先生は、自分の上司と論戦することになるのよねえ……」

「そうなりますな」

「この論戦、勝っても負けても、森さんの国軍での立場が危ない気がする……森さんも、覚悟していると思うけど、左遷されるんじゃないかしら……」

「梨花さま、そうならぬよう、(おい)も、信吾どんや山縣さんと、尽力いたします」

「そうね、お願いします。……万が一、職を追われるようなことになったら、東宮侍医の一人として迎えましょう」

「御意に」

 私は、論戦を自分で整理するために、ノートと鉛筆を構えた。

※大隈邸……有名な温室はこの時代にはまだないと思っていたら、検索の結果、実はあったことが判明し(第3回内国勧業博覧会審査報告第3部より)、投稿直前に急遽付け加えました。ただ、ラン栽培にはまったきっかけは、襲撃事件のお見舞いで、ランをもらったことによるものとのことなので、この物語の世界では、温室で栽培されている植物は多少変わっているものと思います。


※そして、いよいよ討論会ですが……筆力がないので、「異議あり!」みたいにはできないとあらかじめ断っておきます。

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