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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第1章 1888(明治21)年小満~1888(明治21)年大暑
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磐梯山

 明治時代は、災害が多発した時代だ――というのは言い過ぎかもしれない。

 けれど、平成の時代まで語り継がれる災害が、いくつか起こった時代である、というのは事実である。

 1891(明治24)年10月に発生した、濃尾地震。

 岐阜県にある根尾谷(ねおだに)断層、という断層が起こした地震だ。

 発生時間が、ちょうど朝食の時間帯に重なったため、火災が発生して、被害が大きくなった。

 根尾谷断層は、中学の時に社会科見学で見に行ったし、祖母が“自分の祖母が濃尾地震に遭遇した時の話”をよく聞かせてくれたので、私には印象が強い。

 1896(明治29)年の、明治三陸地震。

 平成の東日本大震災と同じように、大きな津波が三陸海岸を襲い、死者は2万人以上になった。津波は太平洋を越え、ハワイやアメリカ本土にも達し、そちらでも被害を出している。数か月後に陸羽地震という、内陸型の地震も誘発したと言われていて、こちらも死者が出る大きなものだった。

 1889(明治22)年7月に起こった、熊本地震。

 平成では2016年の地震が有名だけれど、明治時代にも起こっている。この地震でも熊本城の石垣が崩れたという話があったから、前々から知っていて、平成の地震が起こった時に、「明治時代にも、熊本で大きな地震があったよ」と周りに言ったら、驚かれてしまった。平成の地震で、熊本城はかなり損傷してしまったけれど、直るのかなあ……心配だ。

 それはともかく、これらと並ぶ、明治時代最初の大きな自然災害と言うべきものが、1888(明治21)年7月の、磐梯山噴火だ。

 噴火により、山の一部が崩壊し、裏磐梯と呼ばれる地域にある集落のいくつかが埋没した。河川が火山からの土砂や噴出物で埋め立てられ、せき止められた水で、桧原(ひばら)湖や五色沼(ごしきぬま)などが形成された。平成時代では、裏磐梯はリゾート地として知られているけれど、その裏には、悲しい歴史がある。

 そしてこの明治21年7月というのは、今月なのだ。

 正確に何日に噴火するか、というのは、私も覚えていない。

 そもそも、磐梯山噴火を知っているのも、前世(へいせい)で、桧原城(ひばらじょう)猪苗代城(いなわしろじょう)の跡を見て回ったからだ。桧原城のすぐそばに、桧原湖があって、その成り立ちを調べたら、磐梯山噴火に行きついた。だから、“城跡巡りのついで”という感じで、覚えていた程度なので、正確な日付までは記憶にない。

 今日は7月4日だから、徐々に噴火する確率は高くなっているだろう。もちろん、私がこの時代にいることで、歴史が変わって、噴火が起こらないなら、それに越したことはないのだけど。

「ふむ……」

 私の話を聞いた天皇(ちち)は、信じられない、といった表情をした。

「堀河、その、磐梯山、という山は、噴火を起こすような山なのか?」

「調べましたが、噴火した、という記録はないようですな」

 堀河さんが返答した。

「あれ?爺、先ほど、わからない、というようなことをおっしゃっていましたけれど……」

「陛下が増宮さまにお話しされている間に、調べておりました。ずいぶん長く、話し込まれておりましたので」

 堀河さんの言葉に、天皇(ちち)が、すまぬ、と小さくつぶやく。

(どんだけ長いこと話してたんだ、この刀剣オタク……)

 足のしびれに耐えながら、私は心の中で突っ込みを入れた。

「章子、堀河はこう申しておるが、本当に、磐梯山が噴火するのか?」

 気を取り直して、という感じで、天皇(ちち)が私に尋ねた。

「……火山と思われていなかった山が、突然噴火する例もあります。それに、噴火をしていなくても、硫黄が取れたり、温泉が湧いたりしている山では、過去に火山だった可能性もあります。磐梯山やその周りに、温泉が湧いているところや、硫黄が採掘できる場所はありますか、爺?」

 堀河さんに確認すると、磐梯山の中腹に、温泉場がある、ということだった。中腹にある温泉場なんて、噴石が直撃したら、思いっきり被害が出るじゃないか……。

「噴火が起こらなければ、それはそれで喜ばしいことです。私がここにいることで、私の知る歴史が変わった可能性もありますので。けれど、磐梯山が、私の知る規模で噴火すれば、大惨事になります。ですから、住民の方か、その温泉場の人だけでも、避難をしてもらえたら……」

 天皇(ちち)は、心底困ったような顔をした。

 そりゃあそうだろうな。初めて会った5歳の娘が、いきなりとんでもないことを言い出したのだから。

「歴史が変わる、か。朕にはようわからぬが、……あまり他人には、かようなことを、言わぬがよかろう」

 天皇(ちち)は、そう言うと、“小竜景光”を左手に持ち、書庫を去った。

「あ……」

 立ち上がって追いかけようとしたけれど、足がしびれて、まともに立つことができなかった。

「増宮さま、大丈夫ですか?」

 堀河さんが、私を助け起こした。

「あ、ありがとうございます」

 ようやく立ち上がれたけれど、足は思うように動かない。

「ごめんなさい、爺、変なことを、陛下に申し上げてしまって」

 頭を下げると、堀河さんは、「いえいえ」と、首を横に振った。

「人が生まれ変わるということ、ない話ではありませんからな。昔、僧侶によく聞かされたものです。まあ、実際に、生まれ変わったというお方に会ったのは、初めてですが」

 あれ?意外と普通に受け入れている。

「しかし、陛下がおっしゃった通り、あまり人には言いふらさぬ方がよいでしょう」

「あ、はい」

 私は反射的に頷いた。

 磐梯山の噴火の件を、天皇(ちち)が信じてくれたかどうかは、確信が持てなかった。

 一日一日が過ぎていく中、私は、“官報”と“東京日日新聞”を読み続けていた。磐梯山の記事があるかどうか、必死に探していたのだ。

 実際に磐梯山が噴火するとして、東京の新聞に、記事がいつ掲載されるかは、見当がつかなかった。明治時代の初期から、遠隔地間の通信手段として、電報はあったはずだ。福島から東京に一報があったとして、翌日に簡単な記事になるぐらいのスピードだろうか。

 7月16日は、新聞が休刊日で、手元には“官報”しかなかった。堀河さんに聞くと、“東京日日新聞”だけではなく、他の新聞も休刊しているらしい。前世(へいせい)にも休刊日はあったけれど、もうこの時代でもあるんだな、と思っていると、一度外に出かけて行った堀河さんが、急に戻ってきて、「増宮さま、急ぎ参内を」と、私の前に(ひざまず)いた。

「どうしたんですか、爺?」

 急に子供を呼び出すとは、一体何が起こったのだろうか。

 すると、堀河さんは、私の傍ににじり寄り、耳元で囁いた。

「……磐梯山が、噴火しました」

(なんてこった……)

 私は、天を仰いだ。

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