表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第59章 1916(明治49)年大暑~1916(明治49)年霜降
490/799

フランス

 1916(明治49)年9月30日土曜日午後3時、フランスの首都・パリ。

「ここからだと、エッフェル塔がよく見えるね」

 パリ市内・コンコルド広場に面したホテル。その一室のテラスからパリ市内の風景を眺めていた栽仁(たねひと)殿下は、私の右手を握ったまま呟いた。

「そうね。エッフェル塔をこの目で見ているなんて、本当に信じられないわ」

 夫にこう応じた私は、軽くため息をついた。

 パリには昨日の夕方到着したので、ホテルの部屋に落ち着いた時には、既に日が暮れてしまっていた。今日は、フランス大統領官邸であるエリゼ宮殿で、レイモン・ポアンカレ大統領が主催する昼食会に出席し、つい先ほどホテルに戻るまで、朝から忙しくしていた。だから、このテラスからの景色を楽しんだのは、今が初めてである。

 右前には、1900年のパリ万博の時に建設されたグラン・パレの大きなガラス屋根が見える。その向こうには、1889年に完成した、現在世界で最も高い建物であるエッフェル塔の優美な姿があった。

「エッフェル塔は、梨花さんの時代でも残っているんだっけ?」

「うん。多分、グラン・パレも残っていたと思うけれど……」

 栽仁殿下の質問にこう答えてから、

「第2次世界大戦で、パリはドイツに占領されたのに、エッフェル塔もグラン・パレもよく残っていたと思うわ、今となっては」

私は言葉を付け加えた。

「そうなんだ。……この時の流れでは、どうなるだろうね」

 栽仁殿下は私と目を合わせて頷いてから、眼前の景色に視線を戻して私に尋ねた。

「どうかしらね……。第1次世界大戦は起こらずに済んでいるけれど、ヨーロッパは、国同士の利害関係が色々絡みあって、その微妙なバランスの上に平和が成り立っているから……」

 そう答えた私は、現在のヨーロッパ各国の関係を脳裏に思い浮かべた。

 おそらく、この時の流れのヨーロッパ各国の関係を考えるので一番分かりやすいのは、列強の一角を占めるイギリスとドイツの関係を軸にして考えることだろう。イギリスとドイツは、互いを仮想敵国としている。この両国では、いつか来るかもしれない決戦に備え、新鋭の軍艦が次々と建造されている。そして現在、ドイツはオスマン帝国領であるアラビア半島の石油利権を得ようと水面下で動いていて、イギリスはそれを阻止しようとしていた。


挿絵(By みてみん)


 ドイツは、イタリアとオーストリアを加えた3国で軍事同盟を形成している。しかし、イタリアとオーストリアの間には、いわゆる“未回収のイタリア”の問題が存在していた。イタリアは今から45年前の1871(明治4)年に、長靴型のイタリア半島にあった諸国が統一されてできた国なのだけれど、その時、イタリア人が多く居住する南チロルやイストリア半島などはオーストリア領のままだった。同盟の結成を受け、一応この問題は棚上げされたのだけれど、イタリア国内ではまだ、“未回収のイタリア”問題がくすぶっているそうだ。

 一方、イギリスは極東戦争の後、フランスとの間で英仏協商を、ロシアとの間に英露協商を結んだ。これは“史実”と同様だけれど、英露協商で設定されたロシアの勢力範囲は、ロシアが極東戦争の後、対外政策をほぼ放棄したため、“史実”のものよりかなり小さくなったらしい。

 また、ロシアとフランスの間には露仏同盟が結ばれている。更に言えば、フランスは1870(明治3)年に発生した普仏戦争で、後にドイツ帝国の盟主となるプロイセン王国に敗北した結果、アルザス=ロレーヌを割譲させられた影響もあり、ドイツを仮想敵国としている。ロシアも国境を接するドイツとオーストリアを仮想敵国としている。だから、“対ドイツ”という点では、イギリス・ロシア・フランスの思惑は一致していた。

「……それから、日本とヨーロッパの国との関係が、必ずしも“史実”通りじゃないというのも、またややこしいところでね。“史実”の今頃にはとっくに結ばれていた日露協約と日仏協約、結ばれていないから」

 一通り、ヨーロッパ諸国の関係を頭の中で復習した私が、こう呟きながらため息をつくと、

「それは仕方がないんじゃないかな」

栽仁殿下は私に微笑みながら答えた。「“史実”の今頃の日本は、朝鮮や中国大陸に勢力を伸ばしていた。だからこそ、朝鮮や中国大陸での権益を、アジアに勢力を伸ばしつつある列強に認めてもらう必要があった。だけど、この時の流れの日本は、中国大陸には手を出していないし、朝鮮半島も清に押し付けている。だから、外国に権益を認めてもらうための協約なんて、結ぶ必要はないのさ」

「そうよね。変な領土欲は出さないで、内政に集中するのが、今の日本の国是だからね。中国大陸には清という立憲君主国があるのだから、ちょっかいを出してはいけないわ」

 憲法を整えた清は、昨年、列強諸国から治外法権撤廃を引き出すことに成功した。まだ関税自主権は取り戻せていないし、併合した朝鮮の統治には手こずっているようだけれど、清は少しずつ、立憲君主国として歩みを進めている。

「ただ、極東戦争で、日本はロシアに勝ったからなぁ……それで、私たち、フランスでは国賓待遇じゃないのかもしれないわね」

 私は顔に苦笑いを浮かべた。実は、今まで訪問したハワイ・アメリカ・イギリスでは、私たちは国賓として扱われていたのだけれど、このフランスでは、国賓としての扱いを受けていない。先ほどのポワンカレ大統領との昼食会も非公式なもので、政治や外交に関する話は一切出なかった。極東戦争では、ヨーロッパ諸国のほとんどは、ロシアに敵対的な態度を取ったのだけど、ロシアの同盟国であるフランスは、ロシア寄りの立場を取っていた。露仏同盟の存在が、フランスでの私たちの待遇に影響を及ぼしているのだろう。

「今までとは違って、ほとんど微行(おしのび)で回るのは気が楽だけれど、フランス側で派手な警備をしてくれるわけではないから、それは注意しないといけないね」

 栽仁殿下が困ったように笑いながら言ったのに、

「そうね。院の人たちが警備してくれているけれど、私たち自身も気を付けないといけないわ」

私はこう応じてから、

「でも(たね)さん、私……実は、ものすごく楽しみなの。パリを出発してドイツに入るまでは、ほとんど微行(おしのび)というのが」

と、ニヤッと笑った。

「ふふ。実は、僕もなんだ。当たり前の話だけれど、日本の人が少ないから、一般人のフリをしていてもバレにくいしね」

 栽仁殿下も悪戯っぽく微笑すると、

「エッフェル塔には絶対上るとして、あとはどこに行こうか?」

と言って、エッフェル塔に視線を固定した。

「ルーヴル美術館は行きたいわ」

 私が指を折り始めると、

「ノートルダム大聖堂に、アンヴァリッドに……」

栽仁殿下も一緒になって指を折る。

「それから、地下鉄に乗らないと。あと、凱旋門も見たいわ」

「オペラも鑑賞したいね。それから、ヴェルサイユ宮殿も見学しないと……」

「公園も散策したいわ。ルクサンブール公園とか、テュイルリー庭園とか……」

「買い物もしないと。百貨店や、シャンゼリゼ通りの店ものぞいてみたいね」

 パリの名物を列挙した私たちは、顔を見合わせて、ふふ、と小さく笑う。私はパスツール研究所を見学させてもらうから、その時は身分を明かさなければならないけれど、それ以外は比較的自由に、数ある観光名所を楽しむことができるのだ。心が浮き立たない方がどうかしている。

「ドイツに行くまで、このパリの街を思い切り楽しもう、梨花さん」

「そうね」

 私たちはそう言って微笑みあうと、互いの身体をより近づけた。


 それからの数日間、私たちはパリでの滞在を楽しんだ。

 パリ発祥の地・シテ島に建つノートルダム大聖堂、ナポレオン・ボナパルトの棺が安置されているアンヴァリッド、凱旋門、ルーヴル美術館、ヴェルサイユ宮殿、エッフェル塔……。私たちはパリの街の観光名所を、身分を隠して見て回った。

 けれど、このパリでは、日本人は数が少ない分、どうしても街中で目立ってしまう。それに、私たちがパリに滞在していることは、地元の新聞でも報道されていた。街を歩いていると、道行く人たちの半分くらいは私たちに目を留め、私たちとすれ違って数秒経つと、

『日本の皇族たちかね?』

『そうだろうが、そっとしておいてあげようか』

などと、小さな声で言い合っていた。群衆の中には、私たちの正体を知らずに、財布やカバンを盗ろうとして近づいてくる人もいたようだけれど、私たちの知らないところで、どこかに潜んでいた中央情報院の人たちに“処理”され、私が実際に目にすることは無かった。

 そして、パリを出発する前日、1916(明治49)年10月6日金曜日、午後2時。

「はぁ……目移りしちゃうわね……」

 私たちはシャンゼリゼ通りを歩きながら、日本に残っている親しい人たちへのお土産の品定めをしていた。今までの訪問国でも、お土産は購入していたけれど、買い物をする時間が余り取れなかったので、少ししか買えていない。それに、フランス製のもの、特に服飾品は、他の国の製品よりデザイン性に優れていることが多い。なので、日本へのお土産は、今日の買い物で全て揃えることにしていた。

「このサファイア、奇麗だなぁ……。でも、こっちのダイヤの方がいいかなぁ……」

 立ち寄った宝石店で、私はお母様(おたたさま)へのお土産を選んでいた。ペンダントにしよう、というところまでは決めたのだけれど、サファイアを使ったものにするか、ダイヤを使ったものにするかで迷っていたのだ。

(どうしようかなぁ……。私が使うものなら、絶対このサファイアのペンダントを買うのだけれど、お母様(おたたさま)が使うものだからなぁ……。うーん、相談したいけれど、千夏さんや平塚さんに聞いても、恐れ多いと言って答えてくれなさそうだし……)

 2つのペンダントを見比べながら、色々と悩んでいると、

『奥様、これはどなたかへの贈り物になさるのですか?』

初老の男性店員さんが、フランス語で私に話しかけた。

『ええと……母に贈ろうかと考えていまして』

 フランス語は何とか話せるけれど、英語とドイツ語よりは下手になってしまう。私がたどたどしく答えると、

『では、こちらのダイヤのものがよろしいかと』

店員さんは優しい口調で答えてくれた。

『そちらのサファイアのものも美しいですが、こちらのダイヤのペンダントのトップは優美な、気品あるデザインです。奥様のお母上でしたら、きっと奥様のように優美で気品ある方でしょうから、ダイヤのペンダントがお似合いになると思います』

(セールストークが上手いわねぇ)

 そう思ったけれど、私は黙って営業スマイルを顔に浮かべた。ダイヤのペンダントのお値段は、お土産の予算の範囲内である。隣で蝶子(ちょうこ)ちゃんに贈るブローチを輝仁(てるひと)さまと一緒に品定めしていた夫に、私は「(たね)さん」と声を掛けた。

お母様(おたたさま)へのお土産、このダイヤのペンダントにしようと思うけど、どうかな?」

「いいんじゃない?」

 栽仁殿下は答えると、「章子さんは、何か買わなくていいの?」と私に確認した。

「んー……自分が使うものなら、このサファイアのペンダントが欲しいという気持ちはあるけれど、いらないわ。今持っているアクセサリーがあれば十分よ」

 私が苦笑いで栽仁殿下に応じた瞬間、

『では、このダイヤのペンダントは妻の母へ、そして、このサファイアのペンダントは妻が使うものとしていただきます』

栽仁殿下はフランス語で店員さんに言った。

「ちょ、ちょっと、(たね)さん!」

 店員さんがその場を離れると、私は夫に詰め寄った。「私、そんなつもりでサファイアのペンダントのことを言った訳ではないわ!第一、こんなものを買って、お金は大丈夫なの?!」

 すると、

「その程度の値段のお品ならば、予算の範囲内でございます」

お店の隅の方に控えていた大山さんが、私に近づきながら言った。「有栖川宮(ありすがわのみや)家に嫁がれた内親王殿下として威厳を保つためには、御身を飾る宝飾品の数をもう少し増やされる方がよろしゅうございます。それに、有栖川宮殿下からは、このご外遊中、妃殿下ご自身がお使いになる宝飾品を必ず1つは買うようにと命じられております」

「は?!そんなこと、聞いてないわよ!」

 気色ばんだ私に、

「このサファイアの色、とても奇麗だよ」

栽仁殿下は優しく語りかけた。

「広い海のような、高い空のような青だ。章子さんに、すごくよく似合うよ」

 そう言うと、夫は私の目を覗き込む。澄んだ美しい瞳に捉えられ、私の身体が自然と熱くなった。

「お、……お義父(とう)さまのご命令があるなら、しかたないわ。このサファイアのペンダント、いただきます」

 私が小さな声で言ってうつむくと、

「章子さん、素直になっていいんだよ」

栽仁殿下は微笑しながら私に言う。「大山閣下もおっしゃったように、予定の買い物なんだからね。予算内にも収まっている。僕の愛する妻なんだから、章子さんには、章子さんにふさわしい美しいもので、身を飾ってもらいたいんだ」

 情熱の籠った言葉に、脳が甘く(とろ)かされ、私は顔を真っ赤にした。「相変わらず、栽仁兄さまと(ふみ)姉上は仲がいいよなあ」と、ブローチを選んでいた弟が呆れたような声を上げたけれど、私はそれに言い返すことができなかった。

「……目的の買い物、全部できたわね」

 午後4時。お土産を買い終えた私たちは、ホテルの近くにあるテュイルリー庭園をそぞろ歩いていた。ここには元々、フランス王室が建設した宮殿があったのだけれど、45年前、パリ・コミューンが鎮圧された時に焼失した。残された庭園は、今はパリ市民の憩いの場となっている。

「そうだね。無事に買い物が終わって良かったよ」

 私と手をつないでいる栽仁殿下が微笑する。公園のあちこちに、私たちと同じように手をつないだカップルの姿が散見された。

お父様(おもうさま)にはステッキ、お母様(おたたさま)にはペンダント、兄上には懐中時計、節子(さだこ)さまには帽子、母上には絹の扇子、お義父(とう)さまにはカバンでお義母(かあ)さまには化粧水、子供たちにもおもちゃを買ったし……これでフランスに思い残すことはないわね」

 私がそう言って栽仁殿下に微笑み返すと、

「……俺は、思い残すことがたくさんあるんだけど」

私たちの後ろから不満げな声が聞こえた。私の弟の輝仁さまである。

「だって、シュナイダー・トロフィー・レースが見られないんだぜ?めちゃくちゃ面白そうなのに……」

 輝仁さまが言ったシュナイダー・トロフィー・レースというのは、フランスの富豪・シュナイダーさんの呼びかけで開催されることになった水上飛行器の大会である。“史実”では1913年に第1回大会が開催されたそうだけれど、この時の流れでは、来月下旬、フランスのマルセイユで第1回大会が行われることになっていた。

「やはり、二宮(にのみや)さんの飛行器が飛ぶのをご覧になりたいのですか?」

 栽仁殿下が振り返って尋ねると、

「当然でしょう、栽仁兄さま!何といっても、二宮さんは、世界で最初に飛行器で空を飛んだ人なんですから!」

輝仁さまは鼻息荒く答えた。二宮忠八(ちゅうはち)さん……丸亀の歩兵連隊に在籍中、“カラス型飛行器”を作ったところを中央情報院に見出され、国軍の航空研究プロジェクトに従事することになった彼は、一昨年、国軍を退役し、“二宮飛行器株式会社”という飛行器製造会社を設立した。そして、今回のシュナイダー・トロフィー・レースに、新作の水上飛行器で参戦することになったのだ。この時の流れの日本では、“ひこうき”という漢字は、最初に模型を作った二宮さんの表記法と同じく“飛行器”と書く。航空分野の先駆者となった二宮さんに敬意を表してのことだけれど、そんな彼が新しい水上飛行器で世界の飛行器に挑むことは、世界の航空界の話題になっているそうだ。

「二宮飛行器はもちろんですけれど、フランスやイギリス、それからアメリカ、イタリア、ドイツの飛行器会社も参戦するんです。昨日、栽仁兄さまも俺と一緒に、ファルマン社を見学したでしょ。あそこもレースに出るし、ニューポールとかリオレ・エ・オリビエとか、他のフランスの飛行器会社も参戦するんだって!」

 興奮気味に語る輝仁さまに、

「へぇ……じゃあ、そのレース、水上飛行器の見本市みたいなものねぇ……」

そう応じた私は、

(それなら、シュナイダー・トロフィー・レースだけでも、児玉さんがフランスに行く理由になりそうね)

と気が付いた。日本を出発する前、国軍航空局長で梨花会の一員でもある児玉さんが、シュナイダー・トロフィー・レースに合わせてヨーロッパに行くとはちらっと聞いていたのだけれど、二宮さんの応援にかこつけて、ヨーロッパの政情を院の職員と一緒に詳しく探りに行くのが真の目的ではないかと私は考えていたのだ。けれど、シュナイダー・トロフィー・レースがそんなに大規模なものなら、児玉さんがヨーロッパに行くのは、ヨーロッパの政情を探るためではなく、世界各国の飛行器の発展を確かめるためと見ていいのかもしれない。……児玉さんなら、両方の目的を同時に達成しそうではあるけれど。

「二宮さんは、もう日本を出発したのでしたか?」

 栽仁殿下が確認すると、

「はい、もう出発しているはずです。飛行器は船で持って行かないといけないし、現地で飛行器を調整する時間も必要だから。今頃、児玉閣下も一緒に香港あたりにいるんじゃないかと思います」

輝仁さまは詳しく答えてくれた。

「でも、俺たちは来月の中旬にはヨーロッパを離れなきゃいけない。レースが始まるのは来月の下旬……。うーん、やっぱり、シュナイダー・トロフィー・レースが見たいなぁ……俺だけでもヨーロッパに残れないかなぁ?」

「そんなことを言っていると、大山さんに怒られちゃうわよ」

 愚痴るように呟く弟に私が言うと、彼は顔を青ざめさせ、慌てて口をつぐんだ。イギリスで大山さんに怒られた記憶が脳裏に蘇ったようだ。

(まぁ、私も……ドイツに行くのは、ちょっとだけ気が進まないけどね)

 ドイツには、行きたい場所もたくさんあるし、会いたい人も大勢いる。けれど、現在の皇帝・ヴィルヘルム2世だけには、正直言って顔を合わせたくないのだ。

 と、

「章子さん、大丈夫?」

栽仁殿下が、私の目を見ながら尋ねた。「何か、心配なことがあるの?」

「……ドイツで皇帝(バカイザー)と会わないといけないと思ったら、気が重くなってね」

 私は夫に苦笑いを向けた。「ウィルソン大統領みたいに変なことをしようとしたり、アスキス首相みたいに私を試そうとしたりしたらどうしよう、と思って……」

 すると、

「大丈夫だよ、僕が守るから」

私とつないだ手に力を込めながら、夫は真剣な表情で私に言った。

「相手が大統領だろうが皇帝だろうが関係ない。あなたに危害を加えようとする奴が現れたら、僕はこの身を犠牲にしてもあなたを守り抜く」

(たね)さん……」

 私は足を止め、栽仁殿下に身体を向けると、彼の左手を両手で握った。

「ありがとう。その気持ちはとても嬉しいけれど……私を守って(たね)さんが死んだら、残された私は、その後どうやって生きればいいの?」

「梨花さん……」

 小さな声で言って目を瞠った夫に、

「だから、さ……私に危害を加えようとする奴が出てこないように、2人で賢く立ち回りましょう。だって、私……もう(たね)さんの手術は執刀したくないもの」

私は思いを吐き出すと、微笑んだ。

「……そうだね」

 私に微笑み返した栽仁殿下は、私の耳に口を近づけると、

「僕、梨花さんのいいところ、また見つけられた気がする」

そっと囁いてくれたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 三菱を応援してご自身でシュナイダートロフィーに出ましょう、輝仁様。 [気になる点] カイザーはまともそうだけど、取り巻きが不穏なんだよなあ…… [一言] シュナイダートロフィーに使われる燃…
[気になる点] 日露協商および日仏協商も成立しないとなると、日本の仮想敵国にならない努力も必要なんだよね。 次の訪問先がドイツ帝国だとすると、バカイザーことヴィルヘルム2世はイギリス訪問時の歓迎より…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ