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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第8章 1891(明治24)年芒種~1891(明治24)年霜降
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脚気討論会(1)

※地の文のミスを訂正しました。(2019年4月7日)

 1891(明治24)年、9月初めの土曜日。

「増宮殿下、“ドイツ医事週報”が届きましたよ」

 いつもの授業の時間が始まるや否や、ベルツ先生は一冊の雑誌を取り出して、私に見せた。

「森君の、脚気に関する論文が載りました」

「本当ですか、ベルツ先生?」

「ほら、ここをご覧ください」

 ベルツ先生が開いたページには、ドイツ語の文章が並んでいた。森先生とベルツ先生の名前以外、意味は全く分からないけれど、巻頭にあるということは、扱いが大きいと考えていいのだろうか?

「すごい……」 

「この号と一緒に、三浦君から昨日、手紙が届きました。今、ベルリンで、血圧計が大評判になっていて、三浦君はあちこちの講演に引っ張り出されているようです」

「そうなんですね。すごいなあ……」

 2月にドイツに留学に出発した三浦勤之助(きんのすけ)先生。彼は“史実”で帝国大学の医学部教授になった、と原さんに聞いた。血圧計の件で、三浦先生は日本国内での評判を上げている。おそらく、ドイツ留学から帰ってきたら、それなりのポストに就くことになるのだろう。

「そうそう、緒方先生からも連絡がありましてね。滋賀県のハマダラカから、マラリア原虫が見つかったそうです」

 ベルツ先生が、更に私に教えてくれる。

「本当ですか!」

 帝国大学衛生学教授の緒方先生が、マラリア原虫を見つけるために、助手たちと一緒に滋賀県に乗り込んだ、というところまでは4月に聞いていた。それが成功したらしい。

「となると、これでまた論文が書けますね。それが蚊を駆除する証拠として活用できて……」

 そこまで言って、

(蚊の駆除って、どうやるんだろう?)

私はふと思い当たった。殺虫剤を散布するのだろうか?でも、この時代に、殺虫剤なんてないだろう。DDTがシラミ対策で人に散布される写真を、歴史の資料集で見たことがあるけれど、あれは第二次世界大戦の直後だった気がする。蚊取り線香ぐらいだったら、あるかもしれないけれど……。

「あの、大山さん?この時代、蚊取り線香ってあるのかな?」

 横にいる大山さんに聞くと「確か去年、発売されたと聞いたような……」と答えてくれた。

「ああ、あのグルグル、渦を巻いているやつかしら?」

「グルグル……ですか?」

 大山さんが不思議そうな顔をしたので、私は手元にあった紙に、「こういうの」と言いながら、グルグルと渦巻きを書いた。

「この外側の先っぽに火をつけるんです。そうすると、内側に向かって火が進んでいくから……」

 すると、

「これは……」

と大山さんが呟いた。

「未来では、この形なのですか?」

「そうですよ、大山さん。でも、蚊取り線香よりは、殺虫成分を散布したり、電気の熱で放散させたりする方が、未来では主流だと思います」

「この形ですと、今ある棒状の蚊取り線香より、長さが稼げます。増宮さま、この形の線香、一度火をつけると、どの位の時間燃えておりましたか?」

「えー……」

 私は前世での、子供時代の記憶を必死に引っ張り出す。小学生だった頃は、母方の祖父母の家に、兄妹四人で夏休みに泊りがけで遊びに行った。祖父母の家は高台にあったので、海岸の方で打ちあがる、花火大会の花火が良く見えた。夜の縁側で、豚型の容器に蚊取り線香を燃やしながら、祖父母と一緒に兄妹四人でスイカを食べて……。

「花火大会を見ている間中は燃えていたから……1時間半以上は燃えました。1時間半燃えても、燃え残りはたくさんあった気がします」

 私が答えると、

「そうですか、……ならば、十分使用に耐えうるでしょう」

大山さんはこう言って微笑した。

「大山さん、どういうこと?」

「今の蚊取り線香は、一度火をつけても、30分前後しか燃焼しないのですよ。棒のまま線香を長くしようとしても、倒れてしまうことも多いので、伸ばすのには限界があります。渦巻き型にすれば、一度火をつけて、長時間燃やすことができるでしょう」

「なるほど!」

 ベルツ先生が声をあげた。「それは便利ですね。いちいち線香に火をつける手間が省けます」

「少し、相談してみましょう。きちんと開発させる方がよいでしょう」

 大山さんがそう言って頷く。

「そうね……火を使うのは少し危険だから、将来的には、蚊取り線香から蚊が嫌がる成分を抽出して、それを散布するようにできるといいですね。本当は、水たまりを無くすのが一番なんだろうけれど、この田んぼの多い日本では無理でしょうし……」

 私が腕組みをしながら言うと、

「蚊の嫌がる成分の抽出も、研究の価値があると思いますよ、増宮殿下」

ベルツ先生がニコニコしながら言った。

「まだ全然できてないのに、“医科研”と“産技研”で研究させることが、どんどん増えてきましたね」

 私は苦笑した。まだ、研究所を設置する場所を選定しているところなのだ。それなのに、“医科研”では抗生物質と抗結核薬、ビタミンや血液型の研究をさせることが、既に決まっている。“産技研”ではプラスチックと合成ゴムの開発に、無線の実験に、新しい酸素の発生方法の研究に、蚊の嫌がる成分の抽出に……。この勢いだと、建物ができるまでに、研究テーマが更に増えそうだ。

「そう言えば、“医科研”と“産技研”の場所って、決まったんですか?」

 大山さんに尋ねると、「“産技研”は、芝浜崎(しばはまさき)町の御料地(ごりょうち)に設置することになりそうです」と答えてくれた。

「しかし、“医科研”の方が難航しておりまして……」

「なるほど、国軍医務部の問題も絡んで、ですか」

 ベルツ先生の言葉に、私は首を傾げた。

「どういうことですか?」

「軍医学校を、統合する話が出ているのですよ」

「ええと、陸軍由来の学校と、海軍由来の学校を統合するんですか?」

 国軍合同は、2年前の話だったけれど、軍医の養成機関は、まだ統合されていなかったのか。

「その予定です。そして、今の陸軍軍医学校の跡地に、“医科研”を作ろうという話になっていたのですが……」

 そう言って、ベルツ先生はため息をついた。

「脚気問題も絡んでのことでしょうが、医務部長の石黒(いしぐろ)軍医中将が、軍医学校の合併に猛反対しています」

(おう……)

 私は軽くため息をついた。いわゆる“抵抗勢力”という奴だろうか。

「ちなみに、他の軍医さんたちはどうなの?脚気問題も絡んでってことは、森先生の切り崩しも、大分情勢に影響していそうだけれど……」

「脚気問題に関しては、医務部内では、森君の説に与するのが圧倒的多数です」

 ベルツ先生が答えた。「細菌感染で脚気が発生する説を唱えているのは、石黒軍医中将だけです」

(森先生、すごい……)

 “脚気が細菌で発生するのは間違い”という認識が、森先生のおかげで国軍の中に広まってきたということは聞いていたけれど、とうとうそこまで来たのか。

「森先生は、石黒中将は説得できないのかな?」

 私が聞くと、

「どうやら、石黒中将は、自説に固執しているようです」

大山さんが答えてくれた。「“帝大教授が反対している説を、どうして受け入れなければならないのだ”の一点張りだとか……」

「帝大教授?」

「内科学の青山教授ですね」

(青山教授って……)

 青山胤道(たねみち)さんか。確か、この人の名前も原さんに聞いたのだけれど、

――あれは駄目です!

と原さんが断言していた。

――あなたの話を聞いて、やはり脚気は栄養欠乏で起こるのが正しいと分かりましたが、あれが死ぬまで、脚気の細菌発生説に固執していたせいで、栄養欠乏原因説がなかなか広まらなかったのです。しかも、北里先生に嫌がらせまで……。

(でも、原さんの見方だし、実際のところ、どうなんだろう?)

「私も先日、大学で彼に言われましたよ。“森先生の脚気の実験に協力しているようだが、ベルツ先生がついていながらあんな結論になるとは、耄碌(もうろく)されたのですか?”と」

「は?」

 ベルツ先生の言葉に、私は眉をしかめた。

「あの……青山先生って、当然、帝国大学卒ですよね?それなら、ベルツ先生の教え子ですよね?」

「そうですよ。森君より1年下の学年でしたが」

「恩師に面と向かって“耄碌した”って言うの?それ、人としてどうなのよ……」

 百歩譲って、本当は有能なのかもしれないけれど、私の嫌いなタイプの人間であることは間違いない。

「余り好ましくはない人物のようですね」

 大山さんも苦笑する。

「技量はあるのですが、どうも自分の力を過信する所がありまして」

 ベルツ先生はそう言って、ため息をついた。

「ベルツ先生、大丈夫ですか?大学に居づらくなったりしていない?」

 私は心配になってこう尋ねた。医者が内科の教授に睨まれるなんて、前世(へいせい)なら、自分自身の立場によっては、死活問題になりかねない。

「大丈夫ですよ、殿下」

 ベルツ先生は微笑んだ。「外科の佐藤先生やスクリバ先生は、私の味方です。脚気病室に所属する、他の先生方も中立を保ってくれています」

 この時代、脚気に関しては、帝国大学第一医院の中に独立して1つのセクションがある。森先生の弟さんが、今そこに勤めているそうだ。

「それに、この“ドイツ医事週報”と一緒に、コッホ先生から手紙をもらったのですよ」

「コッホ先生って……あのコッホ先生?」

 私でも知っている。“コッホの原則”で有名な細菌学者だ。北里先生の師匠でもある。

「はい」

 ベルツ先生は嬉しそうに頷いた。「“あなたと森君の研究はとても素晴らしい。今回のニワトリでは、心肥大や末梢神経炎など、人の脚気でも起こる現象が生じていて、今回のニワトリの病気と人の脚気が同じであることの証左となる。これで、脚気が細菌で起こるものではないだろうという、私と北里君の予測が正しいと証明されたと思う”……と書かれていました」

「すごいなあ……」

 私は驚いた。コッホ先生って、確か“史実”でノーベル賞を受賞していた気がする。そんな研究者から、お褒めの手紙をいただくなんて……。

(もしかして、この脚気の実験って、すごいことなのかな?)

 首を傾げた私は、ふと、もう一人の論文執筆者が心配になった。

「森先生は大丈夫なんですか?上司の石黒中将と、対立しているんじゃないかな?国軍に居づらくなってるんじゃないかしら……」

 すると、

「森君は意気軒昂ですよ」

ベルツ先生が答えた。「“よろしい、ならば論争だ”と言っておりました」

「論争?」

「再来週の土曜日に、脚気に関して、細菌発生説派と、栄養欠乏説派で分かれて討論会を行うということで、私も森君に呼ばれています。ですから再来週は、殿下の所には伺えません」

「そうですか……ちなみに、どこでやるんですか?」

「東京専門学校です。森君の知り合いがそこに勤めているそうで、ツテで大講堂を借りたそうです」

「東京専門学校って、大隈さんが作った学校ですね」

 “史実”では、後に早稲田大学になる。

「栄養欠乏説は、ベルツ先生と森先生が登壇するんですか?」

「はい。細菌発生説の方は、石黒中将と、青山先生が登壇すると聞いています」

「なるほどねえ……」

 論争で決着をつけるという訳か。剣を交えて雌雄を決するよりは、遥かによい手段ではあるけれど。

「敵方が反論してくるとしたら、“人の脚気と、今回のニワトリで起こった病気が同じかどうか”って所かしらね?」

 私は腕を組んだ。

 人もニワトリも、酸素を使って糖代謝をする。その糖代謝には、米ぬかにも含まれるビタミンB1が必要だ。だから、今回のニワトリの症状は、人の脚気と同じメカニズムで発生していると私には分かる。けれど、糖代謝の仕組みそのものを全く知らないこの時代の人にとっては、それは分からないだろう。

「心肥大や末梢神経炎の所見は、人でもニワトリでも共通しているのよね……私が生きていた未来なら、解剖したニワトリが心肥大を起こしている、という写真を、討論会を聞いている人に見せられるんですけどね。そうすれば、今回のニワトリの症状と人の脚気は同じ、ということが、聴衆により強く印象付けられるのだけれど」

 前世(へいせい)だと、パソコンからプロジェクタにスライドのデータを送って、それをプロジェクタからスクリーンに投影する、というところだ。けれど、まだ映画すらできていないこの明治時代だから、そんな芸当はできない。

 と、

「写真を見せる……つまりそれは、幻灯(げんとう)を使う、ということですか?」

大山さんが私に尋ねた。

「ええと、ごめんなさい大山さん、幻灯って何ですか?」

「おや、ご存じないですか。おそらく、増宮さまが昔お話になられた、活動写真の前段階のものかと思いますが……絵や写真を、機械を使って幕に投影するのですよ。磐梯山の噴火の時も、噴火後の磐梯山の写真を幻灯にして見世物にしていたかと……」

「あ、あるんだ、そんなのがこの時代に……!」

 私は思わず立ち上がった。「幻灯、使いましょう、ベルツ先生。グロ画像……じゃない、解剖に慣れていない人には生理的に受け付けないかもしれないけど……。脚気のニワトリを解剖して、心肥大になっていることを示した写真がありましたよね。あれを幻灯にしましょう。それで、その隣に、正常なニワトリの心臓の写真も並べておけば、脚気のニワトリが心肥大になっていることが、一目瞭然ですよね」

「なるほど、それはよい考えですね、殿下。おそらく会場に入る客は医者が殆どですから、解剖写真を投影しても問題ないでしょう」

 ベルツ先生が微笑して頷いた。

「一応、“苦手な人は見ないでください”って警告は、入れる方がいいと思いますけどね」

 そこまで言って、

「あの、ベルツ先生、私もその討論会に行っていいですか?」

私はベルツ先生に尋ねた。

「え?」

「私の勉強にもなるから、討論を聞いてみたいんです。それに、幻灯もどんなものか、一度見てみたいし……」

「増宮さま、出かけること自体には問題はないでしょうが、増宮さまが公式に御成になると、否応なしに目立ってしまいますよ」

 大山さんが少し眉をしかめながら言う。

「大山さん、もちろん微行(おしのび)で、ですよ。“梨花会”の誰かと一緒に行って、その人の子供か孫のフリをすれば、私だとバレずに、討論会の客席に紛れ込めるかな、と……」

「これはまた、大胆なことを考え付かれますな」

 大山さんが苦笑する。「しかし、よい手段かもしれません」

「よし、じゃあ、それで行きましょう」

 私は笑顔になった。

「あ、でも、陛下の許可が必要ですね。……ベルツ先生、脚気討論会に私が行く件、陛下に話してもらっていいですか?」

「わかりました。それなれば、再来週の土曜日は、外出しての特別授業ということですね。陛下にも話してみましょう」

 ベルツ先生はこう言って、力強く頷いてくれた。


 翌々週の水曜日、何故か天皇(ちち)に呼ばれた。

(何かあったのかな?)

 不思議に思いながら、学校帰り、馬車に乗って皇居に参内すると、

「章子、朕に厄介ごとを押し付けるな」

挨拶を交わした後、すぐに天皇(ちち)が苦笑した。

「ええと……どういうことでしょうか?」

 天皇(ちち)の言っていることの意味が分からなくて聞き返すと、「とぼけるな、東京専門学校の脚気討論会のことだ」と言われてしまった。

「あの……行くのは、だめ、でしょうか?」

 恐る恐る、お伺いを立てる。すると、

「そうは言っておらん。だが、そなたについていく者を、選ぶのがな……」

そう言って、天皇(ちち)がため息をついた。

「?」

「実はですね、増宮さま」

 側に控えていた爺が、事情を説明してくれた。

 ベルツ先生が、天皇(ちち)に私の微行(おしのび)のことを話したところ、それを内大臣の控室にいる勝先生と、たまたまそこに来ていた伊藤さんが聞きつけた。

――増宮さまを東京専門学校にお連れ申し上げる……それは、増宮さまの輔導主任たる、わしの役目ですな。

――なに言ってやがんでぇ!“梨花会”最長老の、おれの役目だろうがよ!

 二人でもめだしたところに、内閣総理大臣の黒田さんと、閣僚の面々が参内しにやってきてしまい、

――俊輔、抜け駆けは許さんぞ!増宮さまをお連れ申し上げるのは、この山縣だ!

――ふざけるな!総理大臣の、この(おい)を差し置くとは!

――吾輩の創設した学校で行う事なれば、この吾輩がご案内を!

などと、更に状況が悪化してしまった。

 結局、その場にいた“梨花会”のメンバー全員が、私と一緒に脚気討論会に行くことを希望したらしい。

(なんで、そんな騒動になるのよ……)

 顛末を聞いた私は、頭を抱えた。おそらく、その場に居合わせたであろう文部大臣の榎本さんと、逓信大臣の後藤さんは、大の大人が何を揉めているのだと、あきれ果てたに違いない。

「あの、陛下、“梨花会”のほぼ全員がついていくことになったら、いくら私が微行(おしのび)のつもりでも、警備が大変になってしまいますけれど……」

 すると、

「大山と行け」

天皇(ちち)は、当然とばかりに命じた。

「え?確かに、土曜日の午後なら、ベルツ先生の講義がなければ、大山さんの体も空くはずですけれど……でもそれで、みんな納得したんですか?」

 私の疑問に、

「そなたは、不思議なことを言うな」

天皇(ちち)はこう返した。

「へ?」

「大山は、そなたの臣下であろう。それ以上の理由があるか?」

 きょとんとする私に、「皆、それで納得したぞ」と天皇(ちち)は更に付け加えた。

「あ、はあ……」

 私は戸惑いながら頷いた。

 大山さんと結んでしまった君臣の契り……そんなに強い意味を持つものなのか。

(明らかに、臣下の方が、主君よりはるかに有能なんだよなあ……)

 ため息をそっとつくと、

「章子」

天皇(ちち)が私を呼んだ。

「は、はい」

 反射的に、背筋をまっすぐに伸ばす。

「脚気の件は、黒田や従道の進言を受けて、朕がそなたに実験を命じたこと。そこから種が蒔かれて、今日に至ったと聞く。よって、そなたには朕の代わりに、この行く末を見届ける義務がある」

「!」

 私は目を見開いた。

「討論では、正しい(ことわり)が、詭弁に負けることも往々にしてあると聞く。もちろん、そなたが唱える正しい理が勝るに越したことはないが、例え負けたとしても、正しい理を曲げることのないようにせよ」

 私は頭を下げた。天皇(ちち)が私を今日呼んだのは、これを伝えるためであったのか。

「かしこまりました、陛下」

 最敬礼すると、天皇(ちち)が頷いたような気がした。

※DDT、実はこの時代にも、もう発見はされているんですよね……。ただ、作中に登場させるかどうかは考え中です。

※そして、森先生の弟、森篤次郎(三木竹二)さん。歌舞伎の劇評家としても活躍しています。さて、この世界線ではどうなるか……。

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[一言] ベルツ先生とだけ行くかと思いました。
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