ノーベル賞と検査室
1915(明治48)年10月2日土曜日午後3時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「この度は、本当におめでとうございます」
応接間の椅子に座った私は、向かい合って座っている東京帝国大学医科大学内科学教授の三浦謹之助先生に、深々と頭を下げた。
「いえ……これも全て、妃殿下の、いや、総裁殿下のおかげでございます」
三浦先生は緊張した表情で応じると、さっと一礼する。彼が私を“総裁殿下”と呼んだのは、去年9月の現役復帰と同時に、医科学研究所の総裁職と大日本医師会の総裁職を義父の威仁親王殿下から引き継いだからである。
「まさか……まさか私が、栄えあるノーベル賞を受賞することになるとは……」
……昨日、三浦先生の元に、1通の電報が届けられた。差出人はスウェーデンのカロリンスカ研究所である。その電報に記されていたのは、血圧計の開発と血圧に関する一連のコホート研究により、三浦先生が今年のノーベル生理学・医学賞を受賞したという知らせだった。
「当然のことですよ」
私は三浦先生に微笑んだ。
「先生のなさったことは、私の時代でも残っている、医学の基礎の1つです。そりゃあ、初めは私が言い出しましたけれど、この時代でも応用できるように研究を進めて、その成果をまとめたのは三浦先生です。だから先生、ノーベル賞、胸を張ってもらってきてください」
「かしこまりました。総裁殿下のおっしゃる通りに致します」
三浦先生は再び私に一礼すると、
「本当は、ベルツ先生にも、ノーベル賞をもらっていただきたかったですが……」
と、少し寂しそうに言った。
「確か、最初に先生が書いた血圧計についての論文、ベルツ先生と共著でしたからね……」
ベルツ先生が亡くなってから、この12月で丸2年になる。軍医として、日々の仕事をこなしていると、ふとした拍子に、“ああ、これはベルツ先生と話したことがある”とか、“あれはベルツ先生に教えてもらったことだ”とか、脳裏にベルツ先生との思い出がよみがえることがある。亡くなったばかりの頃は、涙して立ち止まってしまうこともあったけれど、今は、懐かしく思い出を味わうだけだ。ベルツ先生が私たち弟子に遺言した通り、歩みを止めてはいけないのだから。
「先ほど、ベルツ先生のお墓参りをして、受賞の報告は致しました」
三浦先生はそう言って、遠くを見るような目つきになった。「しかし、やはり、ベルツ先生とともにノーベル賞を受賞したかった。例え、発想の源は総裁殿下であったとしても、血圧の研究はベルツ先生がいらっしゃらなければ成しえませんでしたから」
「そうですね……」
私は軽く頷くと、
「今度、ご命日になったら、私もベルツ先生のお墓参りをしようと思います」
三浦先生にそう告げた。
「本当は、お墓参りをもっとしたいですけれど、私がベルツ先生のお墓参りをすると、奥様が準備で大変になってしまいます。それに……お墓に頻繁に行ってしまうと、“後ろを振り返り過ぎです”とベルツ先生に怒られてしまう気がして」
「そうかもしれません」
三浦先生が静かに微笑む。暖かい春風のような彼の微笑は、初めて出会った時からずっと変わらない。
「授賞式の時は、ベルツ先生と一緒に賞をいただくつもりで臨もうと思います」
そう言った三浦先生に、「それがいいと思います」と私も頷いた。
「ところで、本日私を呼び寄せられたのは、一体どのようなご用件なのでしょうか?」
ノーベル賞受賞についての話題が一通り済むと、三浦先生はお茶を一口飲んでから私に尋ねた。
「ここに参上することは、先週の末から決まっておりました。私がノーベル賞を受賞することが分かっておられたから呼び寄せられた訳ではないと思いますが……」
「そうでした。そちらが本題ですね」
私は三浦先生に倣ってお茶を口にすると、椅子に座り直した。
「実は来年、私は欧米に行くことになりました」
「なっ?!」
私の言葉に、三浦先生の穏やかな顔が驚愕の色に染まってしまった。
「そ、それは本当ですか、総裁殿下?!まさか、若宮殿下のご留学に同行なさって、日本から数年間離れるというのではないでしょうね?!そうなれば、医科学研究所と大日本医師会はどうなるのですか?!」
「お、落ち着いてください、三浦先生」
機関銃のように喋り始めた三浦先生を、私は慌てて制止した。
「せっかく得られた総裁の座、そう簡単に明け渡しはしませんよ。欧米に行くのは、輝仁さまの見学旅行に、お目付け役として同行するからです。だから、数か月で日本に戻ります」
すると、
「そ、そうですか……」
三浦先生の表情から、力が急速に抜けた。
「ですが、総裁殿下、数か月日本から離れる、というのは……」
「ええ、私も不安に思っています」
眉を曇らせた三浦先生に、私はこう応じた。「極東戦争の時にも日本を離れました。確か3か月余りだったと思いますけれど、いたのは日本近海で、自在丸事件から元山陥落までの1か月ほどを除けば、お父様と兄上の体調に万が一のことがあっても、2、3日で東京に戻ってこられました。けれど、もし私が欧米に滞在している時に、お父様と兄上の体調に万が一のことがあって、侵襲的な処置を必要とする場合、私がその処置を行うことはできません。一応、来年の5月にお父様に健康診断を受けていただいて、手術が必要な疾患が見つかれば、私が手術を執刀しようと考えていますけれど、万が一、私が日本を離れた後でお父様と兄上に体調の変化が生じた場合、どうすればいいのか……それを先生に相談したかったのです」
「……皇太子殿下の場合でしたら、総裁殿下がご不在でも何とかなります」
三浦先生は、私の目をしっかり見ながら答え始めた。
「皇太子殿下は、年に1度、帝大病院で健康診断をなさっておられます。その際に、私や近藤先生をはじめとする帝大の医師たちは、恐れ多いことではありますが、皇太子殿下の血管に針を刺し、採血をさせていただいております。しかも、近藤先生は、皇太子殿下のご洋行の折、皇太子殿下の傷を縫合した経験もあります。ですから、万が一、皇太子殿下に全身麻酔を使った手術をお受けいただく場合でも、我々だけで対応は可能です」
そこまで一気に述べた三浦先生は、
「しかし、天皇陛下の場合ですと、なかなか難しいかもしれません……」
そう言って、うつむいてしまった。
「ではやはり、お父様の健康診断は必要ですね。私がいないからお父様に侵襲的な治療ができない事態が発生する確率を減らすために」
私が苦笑いを顔に浮かべながら言うと、
「恐れながら総裁殿下、天皇陛下がお受けになる健康診断の内容は、具体的にはどのようなものになるでしょうか?」
三浦先生は私に尋ねた。
「兄上の健康診断と同じ項目を、帝大病院で受けてもらおうと考えています。胸のエックス線写真と胃のエックス線検査、便の血色素反応検査。採血をして、血液細胞の塗抹像と血糖値をチェックする。それから尿糖の検査と、一般的な診察……こんなものでしょうか」
私が指を折りながら検査項目を挙げていくと、
「て……天皇陛下が、検査をお受けになるために、帝大病院に行幸なさるということですか?!」
三浦先生が目を丸くした。
「そう驚かなくても……。東京帝大の卒業式には、お父様、毎年行幸しているではないですか。だから別にどうということは……」
「恐れながら総裁殿下」
なだめようとした私を、三浦先生はキッと睨みつけるようにして見つめた。
「天皇陛下専用の検査室を建設しなければなりません」
「え……」
「恐れ多くも天皇陛下に、一般患者と同じ検査室を使わせてしまったとなれば、不敬の極みでございます。ですから、天皇陛下専用の検査室を、帝大病院の中に建設しなければなりません」
戸惑う私に、三浦先生は真剣な表情で言う。
「い、いや、ちょっと待ってください!それだったら、兄上の検査はどうなるのですか?!兄上に関しても、同じ理屈が成り立ちそうですけれど、皇族専用の検査室が帝大病院に出来たという話、聞いたことがありませんよ!」
私が困惑しながらも、全力で三浦先生に反論すると、
「毎年、“新しく専用の検査室を建設いたします”と、花御殿には申し入れているのです……」
三浦先生は、なぜか悔しそうに言った。
「ところが、そのたびに、“それには及ばず”ときつくお達しがあるのです。何とかして検査室を作ろうとしても、どこからともなく奥東宮大夫がやって来られて、激しく我々を叱責なさいますので、毎年、検査室の新設を断念しているような状況でして……」
(あー……)
少しだけ、三浦先生をはじめとする帝大病院の先生方が気の毒になった。東宮大夫と東宮武官長を兼任している奥保鞏歩兵大将は、維新以来の古強者だ。しかも、怒らせるとかなり怖い。そんな人の怒鳴り声を聞かされたら、気の弱い人は倒れてしまうかもしれない。
「ですが、天皇陛下が健康診断をお受けになるということならば、何としてでも、検査室を新しく作らなければなりません!」
「……って、予算はどうするのですか」
熱くなっている三浦先生に、私は冷静に尋ねた。「検査室の建設や新設にどのくらいの費用が掛かるかは分かりませんけれど、東京帝国大学の予備費で足りる金額なのですか?」
「何とかなるでしょう。いえ、大学一丸となって何とか致します」
そう答えた三浦先生の目は、若干血走っていた。
「それから、仮に検査室を作るとして、帝大病院の中に場所はあるのですか?」
「そ、それは……」
三浦先生の顔が引きつった。帝大病院の敷地には、入院病棟や外来棟、そして各診療科の研究室が、ぎゅうぎゅう詰めに建設されているのだ。そんなところに、お父様専用の検査室を建てる余裕はあるのだろうか。
「ふ、古い建物を取り壊せば……」
何とか回答した三浦先生に、
「それから、検査室ができたとしても、検査中のお父様の姿を、他の患者さんたちに見られないようにする必要があると思います。だから、検査室は、他の建物から十分離れたところに建てなければなりませんけれど、その条件を満たす土地は、帝大病院にありますか?」
私は更に疑問をぶつける。三浦先生の口の動きが完全に止まった。
(んー……困ったなぁ……)
私は両腕を胸の前で組んだ。お父様の健康診断は帝大病院でやりたかったけれど、それは難しいようだ。
(東京市内で大きな病院と言えば、永楽病院か慈恵病院だけれど、どちらも敷地が広いわけじゃない。築地の国軍病院も、そんなに広いわけではないし……。東京市外なら、渋谷町の赤十字社病院という手はあるけれど、青山がいるから論外ね。私もお父様の健康診断に立ち会いたいし)
色々考えると、東京市内の大病院でも、帝大病院と同じように敷地の制約がある。東京市内はどんどん発展しているので、遊んでいる土地が少なくなってきているのだ。
(いっそ、病院の敷地でなくていいから、土地があるところ……可能なら、東京市内で……あ)
「もしかしたら……行ける?」
私が呟くと、
「行ける?一体、どういうことですか?」
三浦先生が顔を上げた。
「あ、いや、検査室を建設する場所があるかもしれない、ということですけれど」
「総裁殿下……残念ながらご指摘の通り、我が帝大病院には、検査室を建てるのに適した用地がございません。既存の建物を全て取り壊せば、何とかなるかもしれませんが……」
「そんな乱暴なことはできませんよ、三浦先生。配置にもよりますけれど、たぶん、取り壊しはしなくて済みます」
「は?建物を取り壊すことなく、検査室を建設する?総裁殿下、そんなことが本当に出来るのですか?」
首を傾げた三浦先生に、私は今思いついたことを説明し始めた。
「……という訳で、お父様の健康診断に使う、エックス線検査室と診察室、その他、更衣室等を備えた建物を、皇居の敷地に建設することを提案いたします」
1915(明治48)年10月9日土曜日午後2時20分。私と兄が参加して皇居で開かれる月に1度の梨花会で、私は出席者一同に説明していた。
先週、三浦先生とお父様の健康診断について話し合っていた時に私が思いついたのは、健康診断に使う検査室は、皇居に建設すればいい、ということだった。ベストなのは、帝大病院の敷地に検査室を建設することだけれど、それは難しい。けれど、皇居なら、遊んでいる土地がそれなりにある。検査を受けている最中のお父様の姿が、不用意に不特定多数の人々にさらされることもない。帝大の先生方には迷惑を掛けてしまうけれど、皇居に出張してもらい、お父様の検査をすればいい。そう考えた私は、大山さんと山縣さんと相談しながら、今日のプレゼンの資料を作成したのだった。
「いい考えかもしれませんな」
「ええ。我々も良く知った場所ですから、陛下と鬼ごっこをすることになっても、陛下を捕まえやすくなります」
伊藤さんと西園寺さんが口々に賛同を示すと、
「徳大寺侍従長の心労が減りますから、良いのではないですかなぁ」
西郷さんがのんびりと同調する。他の出席者たちも「賛成」「異議なし」と口にする中、1人だけ、唇を引き結んで黙っている人がいた。お父様である。
「いかがなさいましたか、陛下?」
大山さんがうっすら笑いながらお父様に声を掛ける。
「やはり、梨花さまのとっさの思い付きは素晴らしい。しかも、様々なご修業を重ねられた結果、その思い付きを実現可能な形に昇華できるようになられた……。臣下としては、非常に喜ばしく思っておりますが」
大山さんの穏やかな声は、人をからかっているような調子で紡がれる。お父様の額に刻まれた皺の本数が、徐々に増えていくのが分かった。
「大変素晴らしいご提案と考えております」
宮内大臣の山縣さんが口を開いた。「宮中の女官の中には、“帝大病院で陛下が検査をお受けになられたら、不特定多数の人間に陛下のお身体がさらされてしまう”と懸念を抱く者もおります。妃殿下のこのご提案は、そのような懸念を一掃できるものです」
「し、しかしだな、山縣……」
しかめ面をしたお父様は、わざと厳めしい声を出した。「検査室を作っても、朕の健康診断は、多くても2年に1回ほどだろう。それだけのために検査室を建てるのはもったいないのではないか?維持するにも金がかかるだろうし……」
すると、
「ああ、皇太子殿下にも使っていただこうと考えております」
山縣さんはお父様に冷静に反論した。
「皇太子殿下は1年に1回、帝大病院で健康診断をなさっておいでです。それを今後、新しく作る検査室で行えばよいでしょう。それに月に1度、妃殿下が皇太子殿下のお身体を診察なさっています。その診察の際、新しく建設する建物を使われると聞いております」
「せっかく、このような施設が出来るのです。それに、この建物で梨花に診察をしてもらえば、何か所見があった場合にすぐ精密検査ができます」
山縣さんの横から援護射撃をする兄の言葉に、
「維持費の方はご心配なく。ここ数年の皇室財産の運用で、院が使う分の他に、装甲巡洋艦が2、3隻建造できるだけの金額は確保できております」
枢密顧問官の松方さんが、重々しく付け加えた。
「それに、皇居内に施設を作ってしまえば……」
大山さんがこう言ったと同時に、私の全身をものすごく嫌な感覚が襲う。大山さんが殺気を全力で放ったのだ。
「一般の臣民の前で、このように俺たちが怒る必要もなくなるわけです」
「その通りだな、大山どの」
いつの間にか、山縣さんの全身からも、冷たい殺気が漏れ出ている。
「今年も、ご避暑のために葉山に赴かれる際、わしたちの手から逃れようと逃げ回られ……いい加減にしていただかなければ、こちらも本気を出さなければなりませんぞ、陛下」
山縣さんは微笑している。けれど、その微笑みの裏側からは、殺気がどんどん溢れている。大山さんと山縣さんの殺気に気圧されてしまったのか、末席にいる浜口主計局長と幣原取調局長の顔が真っ青になっていた。
「分かった!検査室の建設を、許可すればいいのだろう、許可すれば!」
お父様が苦り切った顔で叫んだ。「全く……健康診断は怖くないと、前にも言うたであろう!それなのになぜ、このように朕を脅すのだ!」
「おや、脅すなどとは滅相もない。俺たちはただ、真剣にお願いしているだけでございます」
大山さんは全身にまとっていた殺気を素早く消すと、涼しい顔でお父様に一礼した。
「大山どのの言う通り……わしらはただ、陛下の御健康が保たれることを願っているだけです」
山縣さんもこう言って、お父様に最敬礼する。
「“お願い”も殺気を伴えば、“脅迫”に変わりますよ……とにかく、お父様の許可は得られたのだから、検査室の建設のこと、進めてくださいね、山縣さん」
軽くツッコミを入れてから、私は山縣さんに明るい声でお願いした。
「かしこまりました。来年の4月には完成できるよう、帝大病院の医師たちとともに仕事を進めます。恐れながら、設計などに関しまして、妃殿下にもご協力いただきたいので、よろしくお願いいたします」
山縣さんはホッとした表情を見せると、私に頭を下げる。その様子を見て、お父様が、
「章子に物を頼むなら、もっと真剣に頼んだらどうなのだ」
と小さく呟いた声が私の耳に入った。明らかに不機嫌そうなお父様に、隣に座っているお母様が「あらあら」と微笑みかけると、お父様は唇を尖らせ、顔を横に背けてしまったのだった。
※「大学病院受診便覧 : 帝国大学医科大学附属病院」(帝国医事通信社.1913)の構内図を見ると、検査室を建てるスペースはありそうなのですが、お話の都合上、「敷地は余りない」ということにして話を進めています。ご了承ください。




