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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第57章 1914(明治47)年処暑~1915(明治48)年芒種
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拝礼順

 1915(明治48)年6月4日金曜日午前10時、宮内省の大臣室。

「ええと……つまり、まとめるとこうですか?」

 応接用の椅子に座っている宮内大臣の山縣さんと皇孫御学問所総裁の伊藤さんに、私は虚ろな目で尋ねた。当直を終えた後で宮内省に直行したので、今、かなり眠い。あくびをしそうになり、口を慌てて左手で隠すと、私の隣に座る大山さんがクスっと笑った。

「……まず、今回の国葬の葬列は、軍人に対する礼式で行われる。だから私は、軍籍を持つ内親王という立場で葬列に加わる、ということですね?」

「はい」

 山縣さんが頷いた。「御棺も、砲車で運ばれることになっておりますから」

「それで、葬場(そうじょう)での儀式は、被葬者が軍人であるかどうかは関係ない。だから私は、ただの内親王として参列するということでいいでしょうか?」

「さようでございます」

 伊藤さんは軽やかな口調で応じると、「よくお分かりになっていらっしゃいます」と私を褒めた。

(いや、滅茶苦茶ややこしくて、頭がパンクしそうだよ……)

 心の中で文句を言いながら、私はこっそりため息をついた。

 3日前の6月1日の朝、北白川宮(きたしらかわのみや)家のご当主・能久(よしひさ)親王殿下が亡くなった。今年2月に肺炎に罹患してから、能久親王殿下は体調の優れない日々を過ごしていた。そして、繰り返す肺炎による発熱と咳に苦しめられる中、呼吸不全の症状が進行し、5月31日に昏睡状態に陥ると、そのまま回復することなく、68年の生涯を閉じた。彼の病状に、3月に右肺に見つかった肺がんが大きく関わっていたことを、私は亡くなった当日に発表された容態書で知った。

 さて、能久親王殿下は宮家の当主の親王で、しかも軍人としては大将を務めた人物である、ということで、葬儀は国葬として行われることになった。2年前の1913(明治46)年2月に、皇室の葬儀のやり方を規定した“皇室喪儀(そうぎ)令”が制定されているので、亡くなってからの一連の儀式は、そこに記載されている手順通りに始まっていた。

 そして、ご遺体の安置されている自宅から葬場まで移動する葬列に、どのような人々がどのように付き従うかも、皇室喪儀令で規定されている。その中に、“軍籍を持つ内親王・女王”も、葬列に参加するようにと記載された部分があるのだ。女性皇族がお付き武官と一緒に葬列に参加するのは、維新以来、初めてのことである。また、葬場の儀……一般のお葬式に当たるものだけれど、そこで拝礼する順番も、従来の慣習とは異なっている。他にも変更になっているところがあるので、一度詳しく説明する……そう山縣さんに言われたので、私は当直明けに、眠い目をこすりながら、皇室喪儀令の策定に関わった山縣さんと伊藤さんの話を聞きに、宮内省を訪れたのだった。

「た、たぶん、何とか分かった……ということにしたいです」

 山縣さんと伊藤さんの話をまとめたメモを見ながら、私は呟くように言った。

「葬列には、私は軍人として参加するから、正装に勲一等旭日(きょくじつ)桐花(とうか)大綬章(だいじゅしょう)佩用(はいよう)する。付き従う順番は、貴族院や新年宴会の席次と同じ……ということは、稔彦(なるひこ)殿下のすぐ後ろですね」

 軍籍を持つ女性皇族が、軍人の身分で何らかの行事に出席する場合、座る位置は皇族の末席である。だから今回の葬列でも、私の位置は皇族の中では一番後ろだ。

「で、葬場の儀は、ただの内親王として参列するから、私は栽仁殿下の次に拝礼する……あれ?大丈夫なのかな?」

 話しながら首を傾げた私に、「いかがなさいましたか」と山縣さんが問いかける。それに、

「いや、葬場に着いた後、軍服から通常礼服(ローブ・モンタント)に着替える暇があるのか、心配になって……」

私はそう応じた。葬場の儀に、ただの内親王として参列するのであれば、私は女子としての服装をしなければならない。だから、通常礼装(ローブ・モンタント)を着るのだけれど、着替える暇自体が無いのであれば、私はどうすればいいのだろうか。

 すると、

「葬場に到着してから、席に座っていただくまでには、30分弱の時間がありますから、そこで着替えられるでしょう」

伊藤さんが私に答えた。「万が一、故障が生じて時間が無い場合には、勲章を取り替えていただければ問題ありません」

「勲章を……取り替える?」

 キョトンとした私に、伊藤さんは事も無げに、

「勲一等旭日桐花大綬章から勲一等宝冠章に変えるのです」

と告げる。

「え、ええと……それでいいのですか?問題はないのですか?」

 旭日桐花大綬章は軍人として行動している時や、軍籍があることがその場にいる条件である時に佩用する。だから、軍関係の儀式だけではなく、宮中の御神事に参列する時や貴族院の開会式・閉会式に出る時にも出番がある。

 一方、宝冠章は単なる内親王として行動している時に佩用する。主な出番は、年に一度の新年拝賀の時である。その他にも佩用する機会はあるけれど、服装は必ずドレスで、軍服の時に佩用したことはない。

(軍服の時に宝冠章を佩用していいって規定、あったかしら……?いや、そもそも、勲章を交換するだけで解決する問題なのかしら?)

 眠気と戦いながら、記憶を必死にたどっていると、

「勲章の佩用規定と礼式については、妃殿下が軍医学生になられた直後に改訂いたしました。例え軍服をお召しでも、宝冠章を佩用なさっていれば、他の女性皇族の方と同様の礼式を取ると定めております。今回の葬儀のように、短時間でお立場を変えなければならないことを考慮して……」

伊藤さんがとんでもない答えを返してきたので、私は思わず目を見開いた。

「そ、そんなに前からですか?!」

「ええ。女性は着替えに、男性より時間が掛かりがちですからな。大体、閨を共にした女子と同じ時に目を覚ましても、身支度を先に終えるのはわしの方で……」

「……伊藤さん、妙なことを迪宮(みちのみや)さまに吹き込まないようにしてくださいね」

 嘯く伊藤さんに、私は冷たい声で注意した。70歳を過ぎても、このエロ爺、まだまだお盛んなようである。

「まぁ、俊輔(しゅんすけ)の戯言は置いておくとしても……」

 山縣さんは、昔馴染みの友人を軽く睨んでから、

「御着替えには、ギリギリの時間しか取れません。しかも、勅使や親族の方々の控える場所を考えると、妃殿下の御着替えに専用の部屋を準備することができないのです。皇族の控室の一角に屏風を置いて、その陰でお支度をしていただくことになります。しかも、控室は男女別にはなっておりませんので……」

私に向き直り、申し訳なさそうに言った。

「大山さん、もしかしたら、最初から、通常礼装(ローブ・モンタント)に着替えないで、勲章だけ取り換えることにする方がいいかな?着替え用の部屋があるなら着替えたかったけれど、支度をする場所がそういう状況だと、ちょっと……」

 私が隣を振り向きながら眉をひそめると、

「それでは、初めから、勲章を取り換えることといたしましょう」

大山さんは微笑みながら答えた。「お着替えまでしてしまえば、不届き者が様子を覗くかもしれませんし」

「それはないと思うけどね」

 私は苦笑した。流石に、皇族が覗きなどという破廉恥な行為をすることはないだろうし、唯一それを私にやってのけた皇族は、もはや生き返ることはないのだ。

「それで、拝礼順は“親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王”だから、私は王妃として、栽仁(たねひと)殿下の次に拝礼する、ということですね」

「その通りでございます」

 伊藤さんの答えに、私はため息を軽くついた。この拝礼順も、皇室喪儀令で定められた。12年前の小松宮(こまつのみや)彰仁(あきひと)親王殿下の国葬の時は、私はまだ独身だったので、親王の末席・東伏見宮(ひがしふしみのみや)依仁(よりひと)親王殿下の奥様・周子(かねこ)さまの次に拝礼したけれど、今回からは夫の順番に従って拝礼する。

「……規則が色々ややこしそうだけれど、何とか頑張ってやり抜くしかないですね。山縣さん、ご迷惑を掛けますが、当日はよろしくお願いします」

 改めて向き直り、山縣さんに向かって頭を下げると、山縣さんも伊藤さんも、私に向かって最敬礼したのだった。


 1915(明治48)年6月9日水曜日午前9時2分、東京市麴町区紀尾井町にある北白川宮邸。

(うーん、まだ動かないなぁ……)

 宮邸の敷地内に止めている馬車の中、軍医大尉の真っ白い正装を着た私は、馬車の窓から外の様子をそっと覗いた。朝から雨が降り続き、視界は余り良くない。ただ、この馬車の前後にも、馬車がたくさん並んでいるというのは分かった。

(たね)さんの馬車は……この天気じゃ、よく分からないわね。7、8台前にいるはずだから、あのあたりにいてもおかしくはないけれど……)

 もっとよく外が見えるようにと、身体を少し傾けた時、

「もう少しで、列も動き始めるでしょう」

私のお付き武官役を務めてくれる新島八重看護大尉が、落ち着いた声で私に言った。

「しかし、葬列の人数も多いですし、妃殿下は皇族中、最後尾でいらっしゃいますから……」

「そうですね。仕方がないですけれど……」

 新島さんに答えた時、馬車が僅かに前に動く。そして、一度停止した後、またゆっくりと前へ、今度は滑らかに進み始めた。北白川宮邸の門を私の乗った馬車がくぐったのは、午前9時7分のことだった。

 この時代の皇族の葬列は長い。警備も兼ねて、儀仗兵が多数加わるからだ。しかも今回の能久親王殿下の葬儀は国葬なので、葬儀委員たちや国務大臣、華族などの馬車も葬列にたくさん入って来る。葬列の総延長は2km前後になるかもしれない……山縣さんがそう言っていた。

 そのとても長い葬列は、降りしきる雨の中、小石川区の豊島岡まで6km余りの道のりを、粛々と進んでいく。雨の中、各学校の生徒たちや沿道の住民たちが、道端に整列して葬列を見送っている。天候のせいだろうか、葬列の物悲しさが、一層際立っているように感じられた。

(そういえば……能久親王殿下も、戊辰の役に関わった人なのよねぇ……)

 馬車の中で行儀よく座りながら、ふと、私は考えてしまった。

 鳥羽伏見の戦いが起こった頃、能久親王殿下は仏門に入っており、上野の寛永寺にいた。彰義隊が上野で新政府軍と戦って敗北した上野戦争の後、彼は寛永寺を脱出して東北に逃げた。そして、奥羽越列藩同盟の盟主として担がれることになった。最終的には、仙台藩が新政府軍に降伏した時に、彼も新政府軍に降伏した。

 能久親王殿下がその当時、何を思って行動していたのかを私は知らない。話を聞こうにも、彼は私に怯えていたから、正直な気持ちを私に漏らすことはなかっただろう。ただ1つ言えることは、戊辰の役で、彼も心に傷を負ったのだろう、ということだ。その傷が癒えたのかどうか、もはや知る術は誰にもないけれど……。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、列の進みが遅くなり始めた。恐らく、葬列の先頭が、豊島岡の葬場に入り始めたのだろう。葬場の正門前で馬車から降りると、私は皇族の控室がある参集所に急いで入った。

 皇族控室に指定されているのは、参集所の2階にある広い部屋だ。その部屋の入口に、大山さんが待機してくれていた。私より前の位置で葬列に加わっていた栽仁(たねひと)殿下も、既に控室に入っている。

「変な奴が入らないか、屏風のそばで見張っておくよ」

 海兵中尉の正装の左腕に喪章を付け、私と同じ勲一等旭日桐花大綬章を佩用した栽仁殿下は、私にニッコリ笑って言った。

「勲章を交換するだけだよ。着替えるのは諦めたから、覗かれても余りダメージはないわ」

 小声でこう返すと、

「そういうことじゃないんだよ、章子さん」

栽仁殿下は少し怒ったような表情になった。

「愛している人が無防備になっているところは、誰にも見せたくないんだよ。しっかり守らないと」

 栽仁殿下の囁きに、思わず顔を紅くした時、「妃殿下、こちらへ……」と屏風のそばに立った大山さんが私を呼んだ。「じゃあ、よろしく」とだけ言うと、私は屏風の裏側に入り、大山さんに手伝ってもらいながら、勲章の交換作業を始めた。白い双線に縁どられた赤い大綬を、橙色の大綬に掛け替え、胸の副章を交換する。作業を終えて屏風の外に出ると、すぐに栽仁殿下が私の右手を取り、廊下へと連れて行った。

 廊下では既に、葬場の儀に参列する皇族たちが、拝礼する順番に並び始めていた。ここで列を作ってから、葬場に向かうのだ。先頭にいるのは喪主の成久(なるひさ)王殿下、その後ろに、3月に長男を生んだばかりの成久王殿下の妻・房子(ふさこ)さまが立っている。そして、能久親王殿下の正室・富子(とみこ)妃殿下、能久親王殿下の庶長子の竹田宮(たけだのみや)恒久(つねひさ)王殿下、その妻の昌子(まさこ)さま。佐世保から上京した東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)王殿下。ここまでが、能久親王殿下の近親である。

 その後ろには、他の皇族たちが、宮中の席次に従って並んでいた。皇室喪儀令が出される前は、参列者と亡くなった人の関係の深さを重視して拝礼順を決めることも多かったので、皇族の前に既に臣籍降下している人間が拝礼することもあったそうだけれど、現在では近親以外の皇族が宮中席次順に拝礼してから、皇族でない親族が拝礼することになっている。なので、一番に拝礼をするのは、筆頭宮家の当主である私の弟・鞍馬宮(くらまのみや)輝仁(てるひと)さまである。彼の次には、他の親王殿下方が並ぶ。その妃たちは、夫のすぐ後ろに並ぶことになっているので、男性の間に、黒い通常礼装(ローブ・モンタント)に身を包んだ妃殿下方が交じった。

 そして、王とその妃たちが席次に従って並ぶ。王の中で席次が一番高いのは栽仁殿下だ。だから、栽仁殿下は、親王の中で一番席次が低い東伏見宮依仁親王殿下の後ろに並んだ。私が栽仁殿下の後ろの位置に入ろうとしたその時、

「お待ちを」

と声を上げた人物がいた。華頂宮(かちょうのみや)家の当主・博恭(ひろやす)王殿下である。

(何?!)

 まさか、私がこの場にいるのがおかしいとでも言うのだろうか。身構えた私の前で、

「章子どのは、依仁叔父上のすぐ後ろではないでしょうか。今日は周子どのがいらっしゃいませんから」

博恭王殿下は思いもかけないことを言い始めた。

「博恭どの、どういうことですか?」

 落ち着いた声で尋ねる山階宮(やましなのみや)家の当主・菊麿(きくまろ)王殿下に、

「章子どのは現役の軍医大尉でいらっしゃる。ならば、軍籍を持つ内親王として葬儀に参加すべきでしょう。皇室喪儀令にも、拝礼順は“親王・親王妃”の次に内親王と記されています。それに、12年前の彰仁叔父上の葬儀の際も、章子どのは依仁叔父上と周子どのの次に拝礼なさっていた」

博恭王殿下は冷静な口調で答える。途端に、「確かにそうだ……」「軍人だからな……」などという低いざわめきが廊下に流れた。義父の威仁(たけひと)親王殿下を含め、皇族たちも、周りにいる宮内省の職員たちも戸惑っているようだった。

(え、ええと……)

 私は先日の打ち合わせで説明された皇室喪儀令を思い出した。確かに、近親以外の拝礼順については、「親王・親王妃・内親王・王・王妃・女王」と定められている。私が軍人の資格で拝礼するとするなら、親王と親王妃の次に拝礼する、という解釈になるかもしれない。そうなると、拝礼する順番は、栽仁殿下のすぐ前になる。

 けれど、私はこの葬場の儀に、単なる内親王として、栽仁殿下の妻として参列するのだ。山縣さんも伊藤さんもそう言っていたではないか。

「恐れながら……」

 私がとても不愉快な相手に呼びかけた時、

「章子さん、僕が言うよ」

隣から、栽仁殿下が私を制した。

「栽仁殿下、でも……」

「章子さんが言いたいのは、章子さんの順番は僕の次で合っている、ということでしょ?」

 小声で言った栽仁殿下に、私は黙って頷く。すると、

「なら、僕が言う」

栽仁殿下は囁いて、博恭王殿下に向き直る。そして、

「妻は、葬列は軍人として参列致しました。しかし、葬場の儀は単なる内親王として参列致します。ですから、妻の拝礼順は僕の次になります」

ハッキリとした声で、堂々と博恭王殿下に言った。

「ほう……」

 博恭王殿下は一瞬目を細め、栽仁殿下に強い視線を浴びせた。

「しかし、章子どのがお召しになっているのは軍服のようだが?ならば、葬儀にも、軍籍を持つ内親王として、ご参列になるべきではないのかね」

「……妻が今佩用している勲章は、宝冠章です」

 栽仁殿下は冷静な声で答える。その言葉に応じて、私はほとんど無い胸を張り、橙色の宝冠章の大綬を博恭王殿下に見せつけるようにした。

「軍服を着用していても、佩用している勲章が宝冠章ならば、他の内親王と同様の礼式を取ると定められております。ですから、妻の位置はここで合っています」

「ふむ。妻は夫に従うべき、か。しかし、その夫は、章子どのが従うに……」

 博恭王殿下が、栽仁殿下に向かって何かを言いかける。その声に、「恐れながら、列を作っていただきませんと、もう時がありませぬ!」という、宮内省の係員の慌てた大声が重なった。博恭王殿下は口を閉じ、自分の位置に並んだ。それを見届けると、栽仁殿下も口を引き結んで前を向いた。

 葬場の儀は、何のトラブルもなく進行し、午後1時頃、奥にある北白川宮家の墓所へ、能久親王殿下の棺を載せた輿が出発した。降りしきる雨の中、墓所に向かう葬列が小さくなっていくのを見送り、ほっと息をついたその時、

「ごめんね、章子さん……」

隣に立った栽仁殿下が、私に向かって頭を下げた。

「僕が不甲斐ないせいで、章子さんを不快にさせてしまった」

「栽仁殿下……」

「僕が章子さんと同じぐらい立派だったら、あんな風に、華頂宮さまに軽んじられることもないんだ……」

 夫は絞り出すように言うと、顔を下に向ける。あの時、博恭王殿下が続けようとした言葉は、私にも容易に想像できた。“夫は、章子どのが従うに値する人物なのかね?”……博恭王殿下は、栽仁殿下にそう言おうとしたのだ。

「栽仁殿下……」

 私はうつむいた夫の右手を取った。

「私には、あなたしかいないわ」

「章子さん……」

「栽仁殿下がいるから、栽仁殿下が私を支えて、守ってくれるから、私は頑張れるの。それに、愛している人を守るのは、それだけで、とても立派なことだよ。私、栽仁殿下の奥さんで……栽仁殿下の愛してくれる人でいられて、本当に良かったと思っているよ」

 そこまで言って、今度は私もうつむいてしまった。柄にもないことを言ってしまったからか、妙に身体が熱い。恥ずかしくなって、差し出していた手を引っ込めようとした時、その手を逆に、栽仁殿下にしっかりつかまれてしまった。

「ありがとう」

 顔を上げると、栽仁殿下と視線がぶつかった。澄んだ美しい瞳から目を逸らせなくなり、私は自分の心拍数がどんどん上がっていくのを感じた。

「でも、僕も頑張るよ。あなただけじゃなくて、他の人にも、あなたにふさわしい夫だと認められるように……日本一の海兵大将になれるように、頑張るからね」

 栽仁殿下はそう言うと、私に向かって微笑した。恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、私も彼の目をしっかり見つめ、微笑みを返したのだった。

※皇族の葬儀の式次第については、1926年10月21日制定の「皇室喪儀令」を、また、拝礼順については、「皇室喪儀令」やアジ歴、国立公文書館デジタルアーカイブにある「国葬に関する書類」のうち、能久親王、彰仁親王、威仁親王、貞愛親王、載仁親王の葬儀の拝礼順を参考にして書いたものです。実際とは異なっていると思いますのでご了承のほどをお願いします。

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[気になる点] 小説には、悪役が必要なんですよ。 この小説には悪役はいない。あ、バカイザーは悪役ではなくて笑いものの愚者ですな。ニコライ陛下も悪役にはなりきれない愚者でした。ですがお母さんの英断で、自…
[良い点] こいつら葬儀の席でいちゃついてるゾ(歓喜 [気になる点] 話を聞いていて思ったのですが、もしかして皇族の葬儀には生前お世話になった華族とかは参列できなかったりします……?
[一言] 現代の私たちがよく知る皇室と違い陛下との関係だけでなく宮家ごとの格など上下関係がややこしそうですね。 重鎮としての存在などもあったり親王と王の違いなどいろいろ勉強になります。
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