この狂った世界で
※読み仮名ミスを訂正しました。(2022年6月2日)
1914(明治47)年9月12日土曜日午前11時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「ええと……」
本館2階にある私の書斎。机に向かった私は、皇孫御学問所総裁の伊藤さん、立憲自由党副総裁の原さん、そして国軍参謀本部長の斎藤さんに立て続けに与えられた情報を、ノートに書いて整理していた。ノートの横には、私があらかじめ用意しておいたメモがある。そのメモには、“史実”の日本で女性の参政権が認められた過程について、私が覚えていたことを書き出してあった。
「1900年、つまり明治33年に、治安警察法が制定されて、女性の政党への参加、そして政治集会への参加や主催が禁止された。『青鞜』が発刊したのが1911年。更に、1920年、和暦で言うと大正9年に、新婦人協会が結成されて、女性の参政権獲得運動が活発になった……という認識で、“史実”での流れは合っていますよね?」
「ああ」
来客用に用意してある椅子に腰かけた原さんが、偉そうな態度で頷いた。久しぶりに、自分が“史実”の記憶を持っていることを知っている人間だけで話しているせいか、原さんはとても生き生きとしていた。
「それで、1922年、関東大震災の1年前に治安警察法が改正されて、女性の政治集会への参加と主催が認められた。けれど、女性の政党への参加、そして、参政権が認められたのは、第2次世界大戦が終わってからだった……」
「治安警察法の改正は、わたしが“史実”で生きていたころにも何度か試みられたがな。審議未了になったり、貴族院で否決されたりしてうまく行かなかった」
「なるほど、それが“史実”での大まかな経過……」
原さんの言葉に応えてから、私はノートに視線を落とした。
「それを踏まえて、この時の流れのことを考えてみると……まず、治安警察法という法律がないですよね」
「その前身の“集会及び政社法”のままですな」
原さんと同じように椅子に座っている伊藤さんが微笑して言った。「その法律でも、女性が政治集会に参加することや、政党を作ることは規制しておりません」
「ええと、それはなぜでしょうか……?」
私が恐る恐る尋ねると、
「妃殿下から、未来の話を伺ったからでございますが」
伊藤さんはさも当然と言わんばかりに即答した。
「初めて聞いた時は驚きましたな。パリのコミューンで短期間のみあったという女性の参政権が、妃殿下の時代では当然のように認められているということでしたから。本当なのかと疑いもしましたが、前世でも女性であった妃殿下ご自身が、相応の学識をお持ちでございました。そのような女性が当たり前のように存在する世の中ならば、女性も参政権を持って当然だと結論を出したのです。しかし、この時代の女性にいきなり参政権を与えるのは、枢密院の反対もあり果たせず、帝国議会開設当初は、“史実”と同じように、直接国税を15円以上納める男子にのみ選挙権を与えたのですが」
「はぁ……」
伊藤さんの言葉に私は曖昧に頷く。私の話を聞いた梨花会の面々により、帝国憲法の改良が進められていたころ、枢密院で何が話されていたかはよく知らない。あの頃、私は5歳だったのだ。
「……で、選挙権が与えられる対象が、男子だけではなく、軍人として国軍に在籍したことのある満25歳以上の女子にも広がったのは、端的に言えば私のせいですよね?」
「その通りだ。正確に言えば、直接国税を8円50銭以上納める者、という条件が、男子女子ともに付くが」
私の確認に、原さんが細かいツッコミを入れる。“それは分かっています”と言い返そうかとも思ったけれど、“内閣総理大臣在任中に直接国税の要件を10円から8円50銭に引き下げたのは、陸奥前総裁の功績なのだぞ!”などと、原さんが陸奥さんを褒め称える展開になるのが予想できたので、私は黙っていることにした。
「貴族院令の改正により、国軍に任官した皇族女子には貴族院の議席が与えられることになった。すると、女性に選挙権が与えられていないことが、皇族の女性が貴族院議員に就任していることと矛盾してしまうのだな。そこで、男子より厳しい条件ではあるが、女子にも選挙権を与えるよう、関連する法律や勅令が改正されたのが1903年……明治36年の3月のことだ」
そんな私の思いを知ってか知らずか、原さんは滔々と語る。
「それらの改正により、進んだ考えを持つ女性たちの中に、大きな流れが生まれたのだ。医療関係の資格を取った後、国軍に奉職し、選挙権を得ようという……」
「はぁ?!」
思わず目を見開いた私に、
「何が“はぁ?!”だ!」
原さんが反射的に言い返した。
「いいか、主治医どの!日本でのあなたの人気はすさまじいのだぞ!貴族院議長を3期務めたから、教育勅語にある、社会、そして世界に通用する女子の模範と称えられている!主治医どのに憧れて、髪型をポニーテールやシニヨンにする女学生も多い!いわゆる“新しい女”の間では、主治医どのを神のごとく崇める者もいるのだ!」
(迷惑な……)
頭を抱えたくて仕方が無かったけれど、原さんのツッコミが更に激しくなる気がしたので、ぐっとこらえた。その代わり私は、
「すると、平塚さんは、私に憧れて……国軍の看護士官になったということでしょうか?」
原さんの隣に座っている斎藤さんに聞いた。
「そういうことになります」
斎藤さんは渋い表情で答えてくれた。「彼女は看護師免許を取り、更に薙刀の段位を取った後、1905年の9月、新島どのの2年後に、国軍看護学校に入学し、その翌年に兵曹となりました。浮いた噂もなく真面目に勤務し、3年前に少尉に昇級しています」
斎藤さんの答えにも頭を抱えたくなったけれど、私は辛うじてこらえた。“元始、女性は太陽であった”……『青鞜』発刊の辞として、“史実”では有名な言葉だ。そんな言葉を発した、日本の女性解放運動の重要人物が、この時の流れでは、看護士官として私の護衛になるなんて……にわかには信じがたい。
「在籍している女性看護兵や看護士官の名簿を見ると、“史実”で女性解放運動家として活動していた人間の名前がいくつかあるな」
斎藤さんから見せられた資料を覗き込んでいる原さんに、
「それ……国軍で変な思想が広まるきっかけになる、なんてことはないですよね?」
私は恐る恐る尋ねた。
すると、
「それは大丈夫でしょう。新島どのがいらっしゃいますから」
私の後ろに控えていた大山さんが微笑しながら答えた。
「どういうこと?」
「新島どのは、女性看護兵や士官たちを集めて、教育をしておりましてね」
首を傾げた私に、大山さんが優しい声で説明し始める。
「一朝事あらば、迷わず妃殿下に命を捧げよと、新島どのは彼女たちに叩き込んでおります。ですから、彼女たちが危険思想に染まることはありませんし、少なくとも梨花さまには忠実でしょう。国軍の中では“女傑軍団”と呼ばれて恐れられておりますが」
「別の意味で危険思想に染まっている気がする……」
私は大きなため息をついた。「どうなっているのよ、この時の流れは……何で、“史実”の女性解放運動家たちが、国軍で女傑軍団を作ることになるの……」
「あなたのせいだろう!」
原さんが目を怒らせた。
「主治医どのは、自分が時の流れを変えているという自覚を持て!」
「ご、ごめんなさい……」
原さんの剣幕に気圧されて、私は頭を下げた。
「全く……貴族院議長がこんな有様とは情けない。伊藤さんは皇孫御学問所のお仕事がおありですし、大山閣下もお妃教育でお忙しいでしょうし、はなはだ不本意ではあるが、ここはわたしが主治医どのを鍛え直すしかないな」
椅子の上でふんぞり返った原さんに、
「意気込みは大変結構だが、君の尊敬する前総裁が黙っておらんじゃろう」
伊藤さんが苦笑いしながら指摘する。
(原さんが相手でも、陸奥さんが相手でも、本当に迷惑なんですけれど)
私は心の中で吐き捨てた。大体、原さんも陸奥さんも、私に政治や外交に関する質問を投げる時、容赦というものが本当に欠片も無いのだ。その一方、私の子供たちに会う時には満面の笑みを見せ、とても優しく相手をしている。せめて、その優しさを1000分の1、いや、1万分の1でいいから、母親の私にも向けて欲しい。
と、
「宮さま、失礼いたします!」
書斎のドアがノックされ、千夏さんの元気な声がした。室内にいる全員が頷いたのを確認してから「どうぞ」と返事をすると、千夏さんが書斎に入ってきた。桃色の和服を着た彼女のお腹はふっくらしていた。
「ご昼食の準備が整いました」
「ありがとう。書斎を片付けたら食堂に行くね」
私がそう言いながら椅子から立ち上がると、
「宮さま、片付けは千夏が致しますから、宮さまは早く食堂へ……」
千夏さんは空いている来客用の椅子を持ち上げようとした。
「千夏さん、待って」
私は慌てて乳母子を止めた。「ここは私たちで片づけるわ。千夏さんは食堂の準備をしてちょうだい」
「で、ですが……」
「だって、来月には産休に入るでしょう。この椅子、見た目より重いから、身体に負担が掛かり過ぎるわ」
「妃殿下のおっしゃる通りでございますよ、千夏どの」
大山さんが、千夏さんが持ち上げようとした椅子に手を掛けながら言った。「もし、千夏どのに負担を掛け過ぎて早産になってしまったら、俺たちは東條くんに申し開きができません。さ、ここは俺たちに任せてください」
「……それでは、大変恐縮ですが、大山閣下にこの場をお任せしてもよろしいでしょうか?」
千夏さんがおずおずと大山さんに尋ねた。
「快く任されましょう。大変な時には、お互いに助け合いましょう、千夏どの。そうすれば、このお屋敷の仕事も、上手く進めることができます」
大山さんが言い聞かせるように答えると、
「ありがとうございます、大山閣下。よろしくお願いいたします」
千夏さんはそう言って一礼し、書斎から立ち去った。
「ほう。東條君の2人目の子供ですか」
千夏さんの背中を見送りながら、伊藤さんが小さな声で言う。
「ええ。東條さんも張り切っているみたいです。事務仕事の処理速度が更に上がったとお義父さまが言っていました」
私は伊藤さんに答えると微笑んだ。東條さんも、宮内省に入職して12年目になった。私に全く怯えなくなった東條さんは、霞ヶ関の有栖川宮本邸で仕事を真面目にこなしつつ、千夏さんと一緒に幸せな家庭を築いている。
「“史実”の陸軍軍人が宮内省の職員。立場は大きく変わりましたが、幸せをつかんでいるようで何よりです。是非、将来の有栖川宮を、いや、皇室を支える良き人材となって欲しいですな」
斎藤さんはそう言って大きく頷くと、
「さて、椅子を片付けて、食堂へ参りましょう。腹が減って仕方がないのですよ」
と言いながら、椅子から立ち上がった。
それから約3時間後、1914(明治47)年9月12日土曜日午後2時45分、皇居内の会議室。
「うーん……」
私と兄が参加する月に1度の梨花会。バルカン半島の情勢について大山さんから説明があった直後、私は彼の隣で頭を抱えていた。
「いかがなさいましたか、梨花さま」
説明を終えた大山さんが、私に優しく微笑みかける。
「やっぱり、納得がいかなくてね……」
私は資料に目を通しながら我が臣下に答えた。すると、
「恐れながら、それだけではないように思われますが」
大山さんは微笑みを崩さず、私にこんなことを言う。
「……それと、6月の梨花会で、あなたほどうまく説明できなかったのが悔しくて」
やはり、大山さんに隠し事はできない。意識の半分ほどを占めていた思いを吐き出すと、大山さんが私の頭を優しく撫でる。それを見た大蔵省主計局長・浜口雄幸さんが、身体を一瞬震わせた。
「おや、いかがなさいましたか、浜口どの?」
浜口さんの様子を察知した大山さんが、わざと丁寧な口調で浜口さんに話しかける。浜口さんの顔は真っ青になってしまった。
「お、落ち着け、浜口。伊藤閣下からも言われていただろう」
浜口さんの横から、外務省取調局長・幣原喜重郎さんが小さな声で話しかける。「大山閣下は、妃殿下の臣下ではあるが、妃殿下の育ての親のような存在であると……」
「幣原さんのおっしゃる通りで、私は大山さんに頭が上がらないのです」
私は梨花会の新人2人に苦笑を向けた。
「大山さんを臣下にしたとき、お父様に、“朕の師を譲るのだから、大山を粗略に扱うな”と言われました。その言葉の重みを、最近ひしひしと感じます」
私がそう答えると、幣原さんの顔も青くなってしまった。
「梨花さまも、順調に“トラウマ”とやらを植え付けておられるようで何よりです」
大山さんは私に再び微笑むと、
「さて梨花さま、俺の説明のどのあたりが納得できなかったのでしょうか?」
と私に問うた。
「ブルガリア公国が独立を目指しているのは分かる。しかも、今の領土よりも更に大きい、1878年のサン・ステファノ条約で定められた領土を、オスマン帝国から分捕ろうとしているのも分かる」
ブルガリア公国は、オスマン帝国内の自治公国で、オスマン帝国の宗主権下にある。1877年、ロシアとオスマン帝国の間で戦争が発生し、1878年3月にサン・ステファノ条約という講和条約が結ばれた。その条約で誕生したのがブルガリア公国だ。ブルガリア公国を自国の影響下に置くことで、自らの勢力をバルカン半島に伸ばそうというロシアの思惑もあり、サン・ステファノ条約で決められたブルガリア公国の領土は、今の領土の約3倍の広さだった。
ところが、ロシアの影響が強いブルガリア公国が、広大な領土でバルカン半島内に出来たことに、イギリスとオーストリアが反発した。その結果、同年7月にサン・ステファノ条約は修正され、ブルガリアの領土は現在の大きさに縮小された。
「ブルガリアは自国の独立を助けてくれる国を探す。けれど、ブルガリアができた経緯から関係が深いはずのロシアは、対外的な興味を完全に失って相手にしてくれない。オーストリアも院の宣伝工作が効いて、バルカン半島に深く介入する意思がない。そこで、ブルガリアはドイツに接近した……これも分かる」
私が宙を睨んで大山さんの説明を思い出しながら言うと、
「6月に、僕が金子殿と一緒に、妃殿下にしっかり教え込みましたからね」
前内閣総理大臣の陸奥さんがニヤニヤ笑った。あの時は、本当にひどい目に遭った。
「……ドイツはブルガリアに密かに資金を援助し、ブルガリアはそれを使って様々な国から武器を買い集めている。オスマン帝国に派遣されているドイツの軍事顧問団が“ブルガリアが軍備を増強している”と騒ぎ立て、オスマン帝国の銃火器への投資を増やさせる。オスマン債務管理局が“これ以上の投資は無理”と結論を出した場合は、ブルガリアをオスマン帝国の領土に侵攻させ、戦争を起こしてでも、オスマン帝国が抱えている借金を増やす。そして、オスマン帝国が借金を返せなくなったら、アラビア半島からコンスタンティノープルまでの鉄道や、アラビア半島で採掘された石油の利権を借金の抵当として手に入れる。もしかしたら、領土の割譲も要求するかもしれない。けれど……何か、皇帝らしくないというか……」
私が顔をしかめると、
「石原君も似たようなことを言っておりましたね。自分が皇帝ならば、さっさとこの油田地帯を武力で攻め取る、と」
大山さんはこう言った。
「しかしそれは、戦闘だけに特化しすぎた考え方です。現在、ドイツとオスマン帝国の間には、表面上、何の問題も起こっておりません。そんな状態で、もし、ドイツがオスマン帝国に攻め込めば、イギリスやフランスが黙っておりますまい」
「下手に立ち回れば、反ドイツの動きが全ヨーロッパに広がりかねない。兵力の移動や物資の輸送にも支障が出る恐れがある。だから皇帝はブルガリアを使い、オスマン帝国の解体を目論んでいる……まぁ、その理屈は分かるよ」
私は不承不承頷いた。「でも、皇帝なら、反ドイツの動きがヨーロッパに広まろうが、無視してオスマン帝国を分捕りそうな気がするのだけれど……」
と、
「大山大将、いいか?」
私の向かい側に座った兄が、軽く右手を挙げた。
「はっ」
一礼した大山さんに、
「少し、思い当たることがある」
兄はこう前置きして話し始めた。
「確かに、世界の論調を気にしているという面もあるだろう。しかし、皇帝の中には別な思いもあるのではないかと俺は思うのだ」
「ほう、その思いとは一体なんでしょうか?」
陸奥さんが尋ねると、
「自らの手を血で汚せば、梨花に嫌われてしまうのではないかという恐れだ」
兄は力強く答えた。内閣総理大臣の渋沢栄一さんと、それから、浜口さんと幣原さんの目が、満月のように丸くなった。
「なるほどのう」
「確かに皇太子殿下のおっしゃる通りです」
納得したように頷いている西郷さんや山縣さんなど、梨花会の古参の面々に向かって、
「い、いや、その論理はおかしいでしょう!」
渋沢さんがものすごい勢いでツッコミを入れ始めた。
「自分の手を血で汚せば、妃殿下に嫌われる……その恐れは百歩譲って理解するとしても、その恐れが、なぜ、ドイツがオスマン帝国に対して直接の武力行使をしないという理由になるのですか!」
「一昨年、皇帝と会う機会があったが、皇帝は俺にそんなことを言ったのだ」
憤る渋沢さんに、兄はなだめるように言った。「“もし朕の手が血で汚れれば、あなたの妹君に嫌われてしまう。だから朕は戦争は起こさない”……あの言葉には、嘘偽りはないように見えたが」
「し、しかし、皇帝の周囲が諌言するでしょう!」
「渋沢閣下、お気持ちは大変よく分かるのですが……」
斎藤さんが、顔を真っ赤にした渋沢さんに向かって、沈鬱な表情で話し始めた。
「あの皇帝は、既に多数の前例がありまして……。15年以上前に、妃殿下のお姿に似た天照大神が描かれた『世界の諸国民よ、美しい日本の女神を守れ!』という題の絵を宮廷画家に制作させ、その複製画を世界各国の元首に贈りました。極東戦争の際は、騎士として妃殿下を助けるという動機で、ポーランド独立を支援するよう命じています。最近でも、院の流した“金剛に妃殿下が赴任する”という偽情報に引っかかり、“金剛”建造に対する対抗措置を取りやめました。……残念ながら、これが世界の真実なのです、渋沢閣下」
「そ、そんな……」
渋沢さんはそう言ったきり絶句する。浜口さんと幣原さんは、語る言葉を失ったのか、それとも皇帝の実態にあきれ果てたのか、口をあんぐり開けたままだった。
「日本にとって良い結果になったとは思うのです。……皇帝が変なことをするたびに、私の心は重傷を負いましたけれど」
今までの皇帝の所業を思い出した私は、がっくりと両肩を落とした。
「だけど、血を流さない方法を使えば、独立国家から領土を奪い取っていい……なんて道理はありませんよ。この狂った世界でも」
「狂った世界とおっしゃいますか」
隣に座っている大山さんが苦笑した。
「私さ、もう結婚して子供もいるのよ……。それなのに、私に心を乱されて、判断を誤るって……あの皇帝、皇帝としての資質を本当に疑うわ」
すると、
「なるほど、皇帝は人妻が好み、と……」
立憲自由党総裁の西園寺さんが何度か頷いた。「妃殿下、皇帝の誕生日にお花でもお贈りになるのはいかがですか?確か、妃殿下と1日違いの1月27日が誕生日だそうですし」
「お断りします。不倫なんてまっぴらごめんです」
私は西園寺さんに冷たく答えた。
(はぁ、もうやだ、こんな世界……)
今日何度目になったか分からないため息が、また口から吐き出される。私が存在することで生じた、この時の流れ……けれど、私や梨花会の面々が積極的に変えたことと、それ以外の変化とは、何かが根本的に異なる気がするのだ。
と、鋭い視線が私を捕らえた。視線の主は、西園寺さんの隣に座る原さんだ。浜口さんと幣原さんのように茫然自失の態に陥ることもなく、斎藤さんや牧野さんのように深いため息をつくわけでもなく、原さんはジッと私を見つめていた。
――だから言っているだろう。自分が時の流れを変えているという自覚を持て、と。
そう雄弁に語りかけてくる原さんの眼光に、私は首を垂れるしかなかったのだった。




