初めての微行(おしのび)(1)
1914(明治47)年4月11日土曜日午後1時20分、東京市麴町区霞ケ関1丁目にある有栖川宮家本邸。
「なるほど……」
2階にある義父・威仁親王殿下の書斎。来客用の椅子に座った私の前で、義父は微笑を閃かせた。
「……単なる気のせいなら、いいのです」
私は先月の末、帝国議会閉会式での出来事を、大山さんと一緒に義父に話していた。本当は、閉会式の終わった直後にでも義父に話したかったけれど、義父は兄と迪宮さまにお供して8日まで沼津に行っていたので、話をするのが今日になってしまったのだ。
「でも、段を下りきった後、華頂宮さまと目が合ったのは間違いありません。明らかな敵意は感じませんでしたけれど、どこか冷たくて、それでいて妙にねっとりしていて……。あんな目、見たことがなくて……」
「……で、お得意の蹴りを博恭どのの脛にお見舞いすることはできなかった、と」
閉会式の情景を思い出し、再び背筋を寒くした私に、義父はおどけた調子で言った。
「お義父さま!」
私は義父を睨みつけた。「大津事件の直前に、私が皇居でお義父さまを蹴り飛ばしたこと、まだ根に持っていらっしゃるのですか?!」
「あの蹴りは痛かったですね。あのお転婆なお姫さまが、まさか我が家に嫁いで来られるとは、あの頃は夢にも思っていませんでした」
義父は私に向かってニヤニヤと笑っている。20年以上の歳月は、義父に皇族の重鎮にふさわしい落ち着きと威厳とを与えたけれど、彼の悪戯っぽい笑みは、昔とちっとも変わらない。
「……それはともかく、博恭どののことです。嫁御寮どのは、博恭どのに嫌われたり、攻撃を受けたりするような心当たりはありませんか?」
「全然ありませんね……」
真面目な表情に戻った義父に、私は首を傾げながら答えた。華頂宮博恭王殿下と私には、個人的な接点は全くない。新年拝賀や宴会やご神事など、宮中の行事で顔を合わせる程度だ。
「ただ、栽仁殿下のことまで考えると分かりません。あんな風に栽仁殿下を罵ったのだから、きっと華頂宮さまは、栽仁殿下のことをよくは思っていないと思うのです」
――この青二才め……自らが章子どのの傍らに立つ資格も実力も無いことを、素直に認めたらどうだ?
5年前のお正月、博恭王殿下が栽仁殿下に投げつけた刺々しい声が、記憶の中から蘇る。あんな険のある声は、相手のことを嫌っていないと出せないだろう。
「けれど……もし、彼が栽仁殿下のことを嫌っているとしたら、一体何が原因なのでしょうか?」
私がこう言った横から、
「梨花さまから閉会式でのことを伺いまして、俺も少し調べてみたのですが……」
大山さんが低い声で義父に言った。「若宮殿下と華頂宮殿下の間で、何らかの事件が起こった形跡はございませんでした。もちろん、若宮殿下の幼いころまで遡って、でございます」
左の手のひらを顎に当てて考え込んだ義父は、
「やっかみ、ですかね。栽仁に対する……」
呟くように言うと、眉をひそめた。
「やっかみ、ですか?」
義父の言うことが、私にはよく分からなかった。博恭王殿下は海兵少将……海兵中尉の栽仁殿下より、階級ははるかに上だ。それに、博恭王殿下は偉ぶらず、実務も出来て、常に自己の研鑽を怠らないので、国軍での評判も高い。そんな彼が、なぜ栽仁殿下をやっかむのだろうか。
すると、
「栽仁は王の中で、席次が一番上ですからね」
義父はつまらなそうに私に言った。「王の席次は、天皇陛下にどれだけ血筋が近いかで決まります。直宮の鞍馬宮さまを除けば、天皇陛下に血筋が一番近い宮家は我が有栖川宮……」
確かに、義父の言う通りだ。有栖川宮の系図をさかのぼると、江戸時代の天皇・霊元天皇に行きつく。一方、他の宮家の王たちは、南北朝時代まで系図をさかのぼらないと天皇にたどり着かないのだ。
「博恭どのと栽仁は、国軍では同じ海兵に所属しています。そして、かく言う私も、海兵大将を拝命しています。博恭どのの目には、栽仁が私の権力を使って国軍で出世しているように見えているのかもしれません。実際には、同期の輝久どのと進級の速度は同じですし、私も国軍の人事に口を出したことはありませんが」
「しかし、それを華頂宮殿下が信じるかどうかは分かりませんな」
大山さんはやはり低い声で義父に言った。「疑心暗鬼になれば、人間の判断力は鈍ってしまいがちですから」
「……ということは、華頂宮さまが閉会式の時に私を見ていたのは、私がヘマをするかどうか見張っていた、ということでしょうか。妻の私が何か失敗をすれば、栽仁殿下を追い落とす材料になるかと考えて……」
推論を述べているうちに気分がとても滅入ってしまい、私は大きなため息をついた。他人に嫉妬して、その相手を陥れる暇があるならば、自己を研鑽したり、別の建設的な仕事をしたりする方がはるかにいいと思うけれど、それは甘い考え方なのだろうか。
「できれば、争いはしたくないのですよね……。有力者同士の争いは、その周辺の人たちも巻き込んで大きくなりがち。華頂宮さまと栽仁殿下との争いが海兵、いや、国軍全体に広がってしまったら、国軍が上手く機能しなくなる可能性もある……」
ため息とともに私が吐き出すと、
「お優しいですね、嫁御寮どのは」
義父がニヤッと笑った。「私は博恭どのを完膚なきまでに叩きのめしてもよいと思ったのですよ。栽仁を陥れようとするとは……」
「有栖川宮殿下、まだそうと決まったわけではありません。証拠は全くないのです」
大山さんの厳しい声に、「分かっておりますよ」と義父は苛立ったように応じた。
「しかし、誰かが華頂宮殿下に、若宮殿下と争うよう焚きつければ……非常に厄介なことになります」
「そうね。その“誰か”が、日本に敵意を持っていたら大変ね。私たちも華頂宮さまも、外国の謀略に踊らされてしまうわ」
私は大山さんに答えると顔をしかめた。梨花会の面々のおかげで、日本は諜報分野に関しては、他の国のずっと先を行っている。しかし、イギリスにもMI6のようなものが出来たし、この先、同じような諜報機関がドイツやアメリカなどにできないという保証は全くない。日本に仕掛けられる謀略を看破して、他国の思惑に乗せられないようにすることも非常に大事なのだ。
「いずれにしろ、華頂宮殿下は厳重に監視致します。妙な人間が近づかぬように、そして、華頂宮殿下ご自身が妙な気を起こさぬように……」
頭を下げた大山さんに、
「……有栖川宮家も厳重に監視してちょうだい、大山さん」
私はお願いすると、再びため息をついた。「華頂宮さまとの争いを焚きつける人間が、こちら側に現れる可能性もあるから」
「……梨花さまも、先々の手が良く見えるようになりました。ご修業の成果でしょうか」
「こんなことで、修業の成果を発揮したくないけどね……」
机の上に置かれた時計を見ると、午後1時30分になっていた。そろそろここを出発しなければ、梨花会の開始時刻に間に合わない。私は大山さんと義父を促すと、玄関へと向かった。
1914(明治47)年4月11日土曜日、午後3時。
「うーん……」
「これは……」
皇居内の会議室。兄と私も加わって開かれる、月に1度の梨花会は、重い空気に包まれていた。ただ、私と大山さんと義父が先ほど霞ヶ関の本邸で繰り広げていたような、息が詰まって窒息しそうな重苦しさはない。しかし、今話し合われている問題も、場合によっては深刻な事態に発展しかねないのだ。兄の長男で、もうすぐ13歳になる迪宮裕仁さまが、今まで一度も微行に出たことがないというのは。
「私、迪宮さまは、とっくに微行をしたことがあると思っていたよ。だって、兄上も節子さまも、よく微行に出るじゃない?」
私が両腕を胸の前で組みながら兄に話しかけると、
「俺もそう思っていたのだ……」
兄が眉間に皺を寄せ、深刻な表情で答えた。
「しかし、先日裕仁と一緒に沼津に行った時に聞いてみたら、微行で街に出たことがないと言うのだ。東京に戻ってから伊藤総裁に確かめたら、裕仁の言うことが本当だと分かって……」
「原因はおそらく乃木ですな」
皇孫御学問所総裁の伊藤さんが、兄の言葉を引き取るように言った。「皇孫殿下方から、“微行で街に出たい”というご要望があっても、乃木は全てはねつけてしまうのです。特に淳宮さまはそれがご不満のようで、学習院からの下校の時に、付き添っている職員を走って振り切り、一人歩きをなさろうとするのですが、すぐに乃木に捕まり、こっぴどく叱られています」
「皇族としての体面を重んじたいのだろうな、乃木は」
渋い表情になった宮内大臣の山縣さんに、
「それは大いに結構なことですが、迪宮殿下は将来為政者となられるお方。だからこそ、庶民に混じって街中を歩いて、市井の様子を知っていただくことが必要です。勝先生もかつておっしゃっていたことですが」
枢密院議長の黒田さんが力のこもった声で言った。
「生きた経済というものも、知っていただかなければなりません。それには街に出て、自らの手で貨幣を使うことがまず必要です」
松方さんの重々しい言葉に、大蔵大臣の高橋さん、そして内閣総理大臣の渋沢さんが頻りに頷いている。確かに、彼の言う通りだ。兄と一緒に微行で街に出て、自分で買い物をすることで、私はようやくこの時代におけるまっとうな金銭感覚を身につけることができたのだ。
「お父様、お母様、裕仁を微行で街に出してもよろしいですね?」
兄が上座に身体を向け、強い口調で確認すると、
「それはもちろんだ。朕も嘉仁もやっていることを、裕仁にさせないという訳にはいかないだろう」
お父様はゆったりと答えた。そんなお父様を見てクスっと笑ったお母様は
「上手く群衆に紛れるようにしなければなりませんね。お上のように、微行に出るたびに周りをびっくりさせてはいけませんから」
と穏やかに言う。
「何を言う、美子。朕は微行に出て、周りを驚かせたことなどないぞ」
「あら、葉山で増宮さんのお見舞いに行かれた時、皆さんを驚かせてしまったではありませんか。商人のふりをして、高野どのを魂消させたこともありましたし、谷保天満宮でも長岡どのを……」
楽しそうなお母様を、「皇后陛下、その辺りで……本筋からズレておりますから」と山縣さんが小さな声で止める。山縣さんの顔は、少し強張っていた。
「では、お父様の許可もいただいたことであるし、裕仁を微行で街に出すように、乃木に話してみるか」
(ん?)
兄の声も、不自然に明るいような気がする。けれど、その理由を考えようとした瞬間、
「皇太子殿下、乃木を説得する役、私がやってもよろしいでしょうか?」
国軍航空局長の児玉さんが手を挙げて発言したので、集中力が切れてしまった。
「そう言えば、航空局長は乃木と仲が良かったな。では、任せようか」
兄が上機嫌で頷くと、
「行先はいかがいたしましょうか?」
立憲自由党総裁の西園寺さんが、楽しそうに問いかける。
「上野はどうでしょうか?ちょうど今、博覧会をしておりますし」
「ああ、僕も小次郎と麟太郎を連れて見に行きましたよ。2人とも大喜びでしたから、2人の写真を撮るのが大変でしたね」
山田さんの提案に、陸奥さんが目を細めながら答えた。博覧会、というのは、先月の20日から上野公園で開催されている第7回内国勧業博覧会のことだ。各道府県からの出品物を並べた展示館や売店は連日盛況だという話を、私も新聞で読んだ。更には日本で初めてのエスカレーターや、不忍池の上を通るロープウェイも建設されていて、老若男女問わず人気を博しているそうである。
「うむ。元々、博覧会には御成いただく予定でしたが、博覧会の催し物は多いですから、1日では到底回り切れない。微行の行先には、ちょうどよいかもしれませんな」
宮内大臣の山縣さんが頷くと、
「お、宮内大臣のお墨付きが出たな。じゃあ早速、計画を練ろうや。面白くなってきたぜ」
井上さんがニヤッと笑った。
「皇太子殿下の時のように、院の者に陰から護衛をさせるとして……」
「最初から全部お1人で歩かれるのは難しいだろう。誰か付き添いが必要だが……」
「それより、お立ち寄り先は一応決めておく方がよいか?」
「大まかでよかろう。正式な御成の時には、微行で回った場所を外すように、こちらから博覧会側に指定すればよいのだから」
話し合う梨花会の面々の表情は真剣だった。ただ、重い空気はいつの間にかどこかに行ってしまい、会議室は明るい雰囲気になっていた。多分、全員が悪戯を仕掛けるのを楽しむような気持ちで、迪宮さまの微行の計画を練っているからだろう。
……こうして、約2週間後の4月26日日曜日、迪宮さまは、初めて微行で街に出ることになったのだった。
※第7回内国博……としておりますが、実際に1914年に行われた「東京大正博覧会」をモチーフにしています。




