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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第56章 1913(明治46)年冬至~1914(明治47)年大暑
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1914(明治47)年1月の梨花会

 1914(明治47)年1月10日土曜日午後2時、皇居。

「ふう、この部屋も久しぶりだなぁ」

 皇居内の会議室。自分の席に腰かけて、周囲を感慨深げに眺めまわしているのは、第5代内閣総理大臣を務めていた井上さんである。去年の8月末に脳卒中を発症して左足が麻痺してから、初めての梨花会参加となった。

「やはり井上どのは、このような会議の席が一番生き生きされておられますね」

 上座ではお母様(おたたさま)がゆったりと微笑み、お父様(おもうさま)も頷いている。一昨日参内して、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)に回復の報告をした井上さんは、「もう少し速く歩ければ完璧なんですけどね」と笑った。

「ただ、これなら議会には問題なく出席できます。妃殿下の教えてくださったリハビリのおかげです。だから、21日の本会議から、貴族院に復帰します。……という訳で妃殿下、お約束の物を頂戴したいのですが」

「早速おねだりですか……一応、持ってきていますけれど」

 私は軽くため息をつくと、「井上さん、私のところまで来てください」とお願いする。発症前の半分ほどの速度で歩く井上さんが私のそばに到着すると、私は大山さんから受け取った漆塗りの平たい箱を井上さんに渡した。箱の中身は、自作の和歌を散らし書きにした色紙である。文字はお正月に栽仁(たねひと)殿下に見てもらいながら書いたから、まともになっていると思う。……和歌はどうしようもなく下手だけれど。

「ありがたいですねぇ……妃殿下ご直筆の色紙、これを励みにリハビリを頑張って来たんです。妃殿下、今後も粉骨砕身、国家のために尽くす所存でありますので、どうかよろしくお願い申し上げます」

 一瞬目尻を下げた井上さんは、すぐに真面目な表情に戻り、私に恭しく一礼した。

「よかったなぁ、聞多(もんた)……」

「これで一安心、という訳ですな」

 伊藤さんや山縣さんなど、井上さんの昔馴染みが涙ぐみ、他の梨花会の古参メンバーも、井上さんに温かい視線を送っている中、

「なぜ吾輩は、妃殿下の色紙を賜れないんであるか……」

独り、文部大臣の大隈さんだけは、不満そうな目で私を見つめていた。

「吾輩も右腕・右足を骨折したものの、養生の末、見事復活を遂げたんであるが……」

「うーん……だけど、大隈さんが骨折したのは、自損事故のようなものですし……」

 私が両腕を胸の前で組むと、

「妃殿下のおっしゃる通りです」

立憲改進党所属の貴族院議員である山田さんが両肩を落とした。

「衆議院議員総選挙の日に、大隈さんが、今まで乗ったことの無い自転車に乗ってみようという気を起こしたせいで、危うく、妃殿下が貴族院議長の職を投げ打とうとなさったのですよ。大隈さんに少しは反省していただかなければ……」

 山田さんが渋い表情で言う隣から、

「確かに、山田さんの言う通りじゃなぁ」

枢密顧問官の西郷さんがのんびりと言った。

「あの時の妃殿下は、決死のご覚悟で事に当たろうとなさっていたからのう。それに気圧されてしまった(おい)たちも、冷静な判断が出来なくなってしまった。唯一、陸奥さんだけが冷静さを保っておったから、最悪の事態は免れたがのう」

「僕があの場に居合わせて、本当によかったですよ」

 前代の内閣総理大臣である陸奥さんが深く頷いた。「さもなければ今頃、貴族院は太陽を失ったがごとき惨状を呈していたに違いありません」

(言い方、大げさすぎないかな……)

 チラッと思ったけれど、確かに、私が貴族院議長をあの時辞任していれば、政界は少なからず混乱したに違いない。だから、反論はやめておこうと私が考えを進めたその時、

「という訳で、僕には大隈殿の代わりに、妃殿下ご直筆の色紙を賜る権利があります。妃殿下、どんな拙い歌でも構いません。僕に色紙を書いていただけませんか。家宝に致します故」

陸奥さんがこんなことを言い始めた。

「え……?」

 余りのことに、私が対応を決められないでいると、

「待たれよ、陸奥さん!その理屈はおかしい!」

内閣総理大臣の最長在任記録を持つ、枢密院議長の黒田さんが立ち上がった。

「大隈さんが色紙をもらうのならまだ分かる。しかるに陸奥さんは、結核が完治して以来、病気1つ、ケガ1つしていないではないか!」

 そう言って息巻く黒田さんに、

「おや、僕はこの年末に、軽い風邪を引きましたよ。幸い、無事に完治いたしましたが」

陸奥さんは余裕たっぷりに言い返した。「その全快祝いも兼ね、妃殿下ご直筆の色紙を賜りたいと存じます。さぁ、妃殿下、紙も筆も墨も、僕の方でご用意いたしますから」

「待ってください、陸奥さん」

 陸奥さんを、右手を挙げながら止めにかかったのは、立憲自由党の現総裁である西園寺さんだ。「そうおっしゃるならば、僕も先月風邪を引きましたが治りました。その理屈が通るならば、僕にも妃殿下の色紙を賜る資格があるはずです」

「西園寺閣下のおっしゃる通り!」

 厚生大臣の後藤さんも、両の拳を握り締め、猛然と立ち上がった。「不肖、この我輩も、先々月、腰痛で2、3日寝込んでしまいました!幸い、今は何ともございませんが、もし陸奥閣下が妃殿下の色紙を賜れるというのならば、この我輩にも色紙を賜る権利がある!」

「それなら、(おい)も色紙を賜りたい!(おい)は先日めまいが出現したが、元気を取り戻しました!」

「実はわたしも、正月に軽い歯痛がありました。今は良くなっておりますが」

「わしも年末に微熱が……」

「わしも持病の胃痛が……」

 後藤さんに続き、山本さんと原さん、そして伊藤さんと山縣さんが、次々と自らの症状を訴え始める。騒然とする会議室を呆けたように眺める渋沢内閣総理大臣に、参謀本部長の斎藤さんがススっと身を寄せた。

「渋沢閣下、ここは閣下がガツンとおっしゃって、くだらない言い争いを止めなければなりません」

「それは分かっているのですが……」

 真剣な表情の斎藤さんに、渋沢さんは大きなため息をつきながら答えた。

「く、国の最高会議と言っても過言ではないこの梨花会で、このようなくだらない争いが起こるとは信じられず……」

「残念ですが渋沢閣下、このような争いは日常茶飯事。むしろ、閣下が参加されてからの梨花会で、このような醜い争いが起こらなかったのが奇跡なのです。ですから閣下、ご覚悟をお決めになって、このくだらない争いに引導をお渡しください」

「……いえ、渋沢さん。今回は私に言わせてください」

 私は渋沢さんと斎藤さんの会話に割って入った。

「ちょっと……医者として、あの人たちに言ってやらないと気が済まないのです」

「……ならば、妃殿下にお任せしましょう」

「いいのですか、斎藤さん?」

 私の言葉を聞いた斎藤さんと渋沢さんは、何やら話し合っている。けれど、

「妃殿下はご幼少のころから、この手の争いに数えきれないほど巻き込まれていらっしゃるので慣れておられます。それに、万が一、妃殿下のお言葉にあの人たちが従わなくても、大山閣下が殺気で全てを黙らせますから」

……そう斎藤さんが言ったのを考えると、どうやら私に同意はしてくれているようだ。大山さんが最終兵器のような扱いを受けているのが気になるけれど……事実だから仕方がない。私は大きく息を吸い込むと、「あなたたち!」と鋭く叫んだ。途端に、水を打ったように会議室が静まり返る。

「今までにかかった病気は、勲章ではありません。医者にとっては、単なる既往歴にしか過ぎないのです。それを殊更に言い立てて色紙をもぎ取ろうとするなど、医師である私には通用しませんから、そのようにお考え下さい。今後、(よこしま)な心で既往歴を言い立てた場合、令旨で静養を命じて、盛岡町邸(うち)への出入りを禁止します」

 一同を睨みつけると、騒いでいた人の大半は顔を青ざめさせていた。ただ、陸奥さんだけは口元に微笑を湛え、

「いいですねぇ……妃殿下のそのようなお顔、久々に拝見いたしました」

などと嘯いている。

「元はと言えば、陸奥さん、あなたが妙なことを言い出したのが原因です。今すぐあなたを出入り禁止にして、万智子(まちこ)たちに“陸奥には近づくな”と教え込んでもいいのですよ」

「これは大変にお怒りでいらっしゃる。仕方がありません、この件については前言を撤回致しましょう。妃殿下にはともかく、女王殿下方にまで鬼のようだと思われてしまうのは本意ではありませんからね」

 陸奥さんは負け惜しみのような言葉を吐くと、微笑を閃かせて椅子に座り直す。そんな陸奥さんと私とを見比べながら、

「そ、そんな……このような、程度の低い争いが、両陛下と皇太子殿下の御前で……これが、この梨花会では日常茶飯事だというのか……」

渋沢さんは苦虫を嚙み潰したような表情で呟いている。

「残念ながら、これが現実です、渋沢さん。それでいて、鋭い政策や世界規模の謀略が、機関銃の弾のようにポンポン飛び出してくるのが梨花会なのです。本当に恐ろしいところですよ、ここは」

 私は大きな大きなため息をつきながら、渋沢さんに教えた。こんなくだらない争いばかりしているのに、仕事は非常に出来るのが梨花会の面々なのである。

「渋沢さん、一刻も早く、この雰囲気に慣れることをお勧めします。そうでないと、胃袋がいくつあっても足りなくなります」

 私のアドバイスに、顔を引きつらせた渋沢さんは、首を縦に振った。けれど、彼の顔を見た私は、

(渋沢さん……“史実”より寿命が縮まるんじゃないかしら……)

ちょっぴり彼のことが心配になったのだった。


 いつものくだらない騒ぎの後、梨花会の議事は順調に進んでいった。そしていよいよ、議題は明後日12日に発生が迫った桜島の噴火のことに移った。“史実”では“大正大噴火”と呼ばれ、溶岩流出によって桜島と大隅半島が地続きになったという噴火である。

「桜島では、昨年秋から井戸水の水位低下や渇水など、噴火の前兆を疑う現象が確認されております。そして、昨日朝から、桜島に臨時に設置した地震計に地震が記録され始めました」

 内務大臣の桂さんが、資料を手に説明している。気象や地震観測に関する業務は、内務省が担っているからだ。

「地震の揺れはだんだん強くなってきております。鹿児島県知事は、桜島の観測のため鹿児島を訪れていた東京帝国大学の大森教授とも相談し、本日朝、桜島の住民全員と鹿児島湾沿岸部の住民に対して避難命令を出しました」

 大森教授が鹿児島にいるのは、もちろん、桜島の噴火を事前に知らされているからである。彼はお弟子さんたちを引き連れて鹿児島に入り、桜島の観測体制を整えていた。彼らだけではなく、高野さんが率いる国軍の航空隊も鹿児島入りしており、上空から桜島の観測や被害状況の把握を行うことになっていた。

「当座、一番問題になるのは、12日の午後6時半ごろに起こるという桜島地震だな」

 私の前に座った兄が沈鬱な表情で言った。「桜島の噴火で人心が動揺しているところに大きな地震が起これば、住民は混乱に陥る。その状況で、治安を維持するのは難しいぞ」

「まさに、皇太子殿下のおっしゃる通りです」

 山本さんが恭しく頭を下げた。「避難命令の発出から、国軍も治安維持に協力しております。鹿児島市近辺には、元々歩兵連隊の駐屯地がございますが、更に熊本からの歩兵・工兵部隊が明日、鹿児島市に到着します。合わせて3500名ほどの兵が避難の誘導、治安維持、負傷者の救護や初期の復旧活動に当たります。これには青山が率いる赤十字社の医師団も含まれております。また、佐世保からも軍艦を5隻出し、物資の運搬を行う予定です」

「最終的に被害がどこまで広がるかは分かりませんが、港と鉄道、主要な道路は最優先で復旧させなければ、被害地域の復興に遅れが生じます。そこはなにとぞ、ご配慮をお願いします」

 滔々と述べた山本さんに渋沢さんが指示すると、山本さんは「かしこまりました」と一礼する。渋沢さんは災害対策の指揮は初めてだろうけれど、要所を押さえているのは、今までの閣僚としての経験が生きているのだろう。

「問題は復興……特に農地や河川、山林ですね。鹿児島湾の漁業への影響も心配です」

 農商務大臣の牧野さんが心配そうな表情になる。斎藤さんによると、“史実”の大正大噴火では、火山灰と溶岩による被害が大きかったそうだ。噴火は事前に分かっているから、人的被害は抑えられるけれど、火山灰と溶岩は、人間の力ではどうすることもできない。

「復旧に、どのくらいの費用が掛かるでしょうか?」

 私は牧野さんに尋ねた。余りに金額が大きければ、鹿児島県だけでの復興は難しい。場合によっては、国でお金を出さなければならない。

 すると、

「確か“史実”では、農地の被害額だけで、2000万円弱あったと記憶しています」

牧野さんの横から斎藤さんが付け加えた。「農作物の被害総額は、100万円を超えていたはずです。その他、畜産や漁業にも影響が出ましたから……」

「県だけで対処できる額ではないな。この時の流れと“史実”とで、貨幣価値が多少違っているから、見かけの被害額は“史実”より減るだろうが……」

 兄が苦り切った表情になり、胸の前で両腕を組む。「避難民にも幾ばくかの現金を給付しなければ生活が成り立たない。それに梨花、噴火の後で土石流が発生するのは、お前の時代でもあったことだろう?」

「うん、雲仙岳の噴火だね。前世で私が生まれる何年か前から起こったやつ。それに、雲仙岳だけじゃない。磐梯山の噴火の後も、ふもとでは大雨が降るたびに洪水が起こるようになった。主要な河川だけでも防災工事をしておかないと、梅雨や台風の時期に大変なことになる」

 私が兄に答えると、

「ふむ。では、追加予算案を議会に出されますかな、渋沢閣下?事態が事態ですから、我が立憲自由党は賛成いたしますが……」

西園寺さんが珍しく真面目な表情で言った。

「もちろんそのつもりです。素案は作っておりますが、流石に今の時点で大蔵省の官房に流すと不審に思われますので、噴火の数日後に作成を指示しようと考えています」

 渋沢さんがそれに応じると、兄の横から、

「来年度予算にも今回の噴火の復興費を盛り込むのは……流石に無理か」

伊藤さんが小首を傾げながら言った。

「無理だと思います、伊藤さん」

 私は伊藤さんにツッコミを入れた。「もうすぐ衆議院の予算委員会も始まります。それに間に合わないと思いますよ」

「しかし妃殿下、もうすぐと言っても、予算委員会が始まるのは20日過ぎでしょう。予算修正と言っても、内務省と農商務省分だけで済みますから、発生して数日後から修正を開始しても間に合うのでは……」

「それだと本当にギリギリですよ、伊藤さん?予算委員会の答弁も準備しないといけませんから、大蔵省、徹夜仕事になるんじゃ……」

「大丈夫でしょう、妃殿下。浜口ならやってくれます。奴の修業にもなりますし」

「いや、浜口さんが死んじゃいます!ダメです、ドクターストップです!」

 伊藤さんと言い争いを繰り広げている中、私は違和感を覚えた。どうも、話がスムーズに進み過ぎている気がする。いつもなら、大山さんが私に何かしら質問を浴びせるだろう。しかも、財政関係の話も出ているから、松方さんから厳しい指摘が飛んできてもおかしくないのだけれど、その気配が全くない。どうも妙だ、と思いながら、我が臣下の方を窺うと、彼は手元の資料に、少し寂しげな様子で目を落としていた。

(あ、そうか……)

 1877(明治10)年の西南戦争で、大山さんは官軍として従兄の西郷隆盛さんを討った。西南戦争の最後の決戦が行われたのは、鹿児島県の県庁所在地・鹿児島市である。大山さんが生まれ育った故郷であり、そして、大山さんが兄とも師とも慕っていた従兄を討たざるを得なかった地……その鹿児島に、大山さんは西南戦争の終結以来、足を踏み入れていない。きっと、大山さんの中では、故郷に対する懐かしさ、故郷に対する後ろめたさ、今回の噴火で被害を受けるであろう故郷を案じる気持ち……様々な想いが湧き上がっているのだろう。気が付けば、西郷隆盛さんの実弟である西郷さんも黙り込んでいたし、山縣さんや黒田さん、山田さんなど、西南戦争で官軍を指揮していた人たちも口数が少なくなっていた。

「……残念だわ。あの時、貴族院議長を辞められていたらよかったのに」

 私は大きなため息をつきながらわざと言った。

「な……?!」

 やはり、聞き捨てならない言葉だったようだ。資料を見ていた大山さんの目が見開かれ、私の顔に釘付けになった。それを確かめた私は、

「そうしたら、さっさと現役に復帰して、鹿児島に向かう救援隊に志願できたのになぁ」

と、更に続けた。

「……梨花さま、現地には青山もいるのですよ。もし奴が、梨花さまに執拗に迫ってきたらどうなさるのですか」

 いつもより余裕のない表情になっている大山さんに、

「分かっているわ。青山のこともあるけれど、私がしないといけないのは、貴族院議長として、現地の人たちを助けるための政府の策の審議を、粛々と進めることだ」

私は微笑して応じる。

「お分かりになっていらっしゃるのであれば、よろしゅうございます」

 大山さんはホッと胸を撫で下ろしている。そんな彼をしっかり見つめながら、

「だから、桜島の噴火から鹿児島が立ち直ったら、鹿児島に行くよ。噴火の被害とそこからの復興ぶりを確かめて、西南戦争で亡くなった人たちのご冥福を、敵味方問わずに祈る」

私は言い切り、ニッコリ笑ってみた。

「梨花さま……」

「ついてくるわよね?私の臣下なのだから」

「もちろん……もちろんでございます……」

 大山さんが目を伏せた。不自然に宙に浮いた彼の左手を、私はとっさに両手でつかんだ。幼いころから変わらない、優しくて、暖かくて、大きな手。その手の上に、ポトリと滴が落ちた。

「これは……鹿児島の復興を確かめに行くのは、梨花にやらせる方がよさそうだ」

 兄が大きな声で言った。「鹿児島には、まだ行ったことがない。俺も梨花と同じことがしたかったのだが……」

 すると、

「それならば、朕も行きたかったぞ」

上座からお父様(おもうさま)が不満げな声を上げた。「朕が鹿児島を訪れたのは、もう40年以上も前のことだ。朕も章子と同じことがしたいが……大山を鹿児島に連れて行けるのは、章子しかおらぬ」

「恐れ入ります」

 私はお父様(おもうさま)に向かって深く頭を下げた。

 いつ鹿児島に行けるかは、分からない。少なくとも、桜島の噴火活動が落ち着いていないといけない。それに、鹿児島の人たちが私の訪問を受け入れられる余裕を取り戻してから訪問しないと、彼らに余計な負担を掛けてしまう。それから、栽仁殿下と一緒に行くのか、国軍勤務中なら勤務はどうするのか……考えなければならないことは山のようにある。

(でも、行きたい……いつかは、大山さんと一緒に鹿児島に行きたい)

 その日、梨花会が終わるまで、私は大山さんの手を握ったまま、ずっと離さなかった。

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