最後の将軍と梨花会の新参者
1913(明治46)年11月27日木曜日、東京市小石川区小日向第六天町にある徳川慶喜さんのお屋敷。
「本日も往診していただき、まことに……まことに、ありがとうございます」
お屋敷の中にある日当たりの良い和室。中央に敷かれた布団のそばで正座をして、私に向かって頭を下げたのは、このお屋敷の主である徳川慶喜さんである。茶色い羽織に薄茶色の袴を付けた慶喜さんの顔色は、少し青白い。けれど、これでもだいぶ回復してきたのだ。
「あの、慶喜公……」
群青色の白襟紋付を着て、右手に診察カバンを提げた私は、ため息をつきながら慶喜さんの前に正座した。
「慶喜公は、身体がまだ万全の状態ではないのです。だからこそ、私は今日も往診に参りました。ですから、診察の時だけは、他の医師と同じように、私にも接していただきたいです」
もう、何度目になるのだろうか。往診をするたびにお願いしていることを、今日も慶喜さんにお願いしてみたけれど、彼は首を左右に振った。
「そういう訳には参りません。恐れ多くも議長殿下は、天皇陛下の御命令にて、私の診療に当たっておられます。ならば、正装して出迎えるのが臣下としての礼儀……」
そこまで言った慶喜さんの口から、咳が漏れる。数日前よりは咳の頻度が減っているから、少し良くなったのだろうとは思うけれど。
「ああ、もう……無理をしたらダメです、慶喜公。ほら、羽織を脱いでください。診察しますから」
診察カバンを開け、聴診器を取り出した時、慶喜さんのそばに控えていたベルツ先生がクスっと笑った。
慶喜さんは今月上旬、風邪を引いた。それをこじらせて肺炎になってしまい、咳と発熱に苦しんでいたのだ。それをベルツ先生から聞いたお父様が私を呼びだし、
――慶喜の具合が悪いらしい。章子、行って診てやれ。
私にそう命じたのだ。それで、私もベルツ先生と一緒に、11月10日から、慶喜さんの治療に当たっている。
「体温も平熱に戻って1週間経ちました。今は右下葉に僅かに残っていた水泡音も消えて、痰がらみもほとんどなくなっています」
慶喜さんの身体を診察し終えた私は、所見をまとめながら、聴診器を耳から外した。
「肺炎の原因が、抗生物質が効く細菌で本当によかったです。……けれど、慶喜公が私を出迎えるたびに無理をしなければ、もう少し早く回復していたと思います」
実際、そうだったのだ。私が初めて診察のためにこのお屋敷を訪れた時、慶喜さんはベルツ先生の監督下で、痰の体位ドレナージをしている最中だった。ところが、私の姿を認めるやいなや、何枚も重ねた座布団の上に両足を置き、仰向けに寝そべっていた慶喜さんは、転げ落ちるようにして床に平伏してしまったのだ。
――ま、まさか、議長殿下……この老人を診察しにおいでになられたのですか?!このような見苦しい姿をお目にかけてしまい、大変、大変、ご無礼を……!
――ちょっと!ドレナージ中に何をしているのですか!痰が気管に戻ってしまいますから、そんな姿勢を取ったらダメです!
感涙にむせぶ慶喜さんを、私はベルツ先生と一緒に抱え上げ、慌てて元の姿勢に戻したのだけれど……。
まぁ、慶喜さんがこんな態度を私に取るのは仕方がないということは、私も分かっているつもりだ。慶喜さんは、かつて朝敵とされた身である。時が経ち、伊藤さんをはじめとする梨花会の面々の尽力で公爵の爵位も授けられ、復権が認められたけれど、“かつての朝敵”と慶喜さんを捉える人たちがまだ存在するのも事実だ。そんな状況の中、お父様の子である私が、お父様の命令で慶喜さんの診察に行くのは、慶喜さんがもはや朝敵ではないことを、世間に改めて知らしめる画期的な出来事なのである。
だからと言って、慶喜さんが痰の体位ドレナージ中に動いて、私に平伏してしまえば、出そうとしていた痰が気管の末梢側に逆戻りして無気肺を作ってしまい、治療に支障を来たしてしまう。そこで、ベルツ先生と相談して、翌日からは体位ドレナージをやっていない時間を見計らって慶喜さんの往診に出向くことにした。
「……本当に心配したのですよ。高熱の中で私を出迎えてくださった時は、お身体がふらついていて、立ち上がった時に倒れて頭をぶつけてしまうのではないかとハラハラしました。私が往診するたびに羽織袴に着替えるのも、体力を消耗したはずです」
今までの治療の経過を思い出しながら私が言うと、
「それは申し訳ございませんでした」
羽織の袖に再び腕を通した慶喜さんは頭を下げた。慶喜さんの動作はなめらかで危なげなく、病気の影を感じさせなかった。
「しかし……殿下に私の病気を診ていただけるとは、本当に夢のようでございます」
頭を上げた慶喜さんは、感慨深げに声を漏らした。
「伊藤さんは言っていたのですよ。私が病気に罹った時には、議長殿下が診察してくださるかもしれない、と。公爵を授けられたことだけでもありがたいのに、そんな栄誉までいただいてしまったら身の置き所が無くなる、と言っていたのですが」
慶喜さんはそう言うと、顔に微かに苦笑いを浮かべる。彼が1902(明治35)年6月に公爵となった時、難色を示す旧公家衆を、伊藤さんは三条さんと一緒に説得して回った。それが縁で、伊藤さんは慶喜さんと交流するようになったらしい。それが渋沢さんの総理就任を説得する時に力になった。
「そこまで思っていただけるのは大変ありがたいですけれど、私の医者としての腕はベルツ先生に劣ります」
私は聴診器を診察カバンにしまうと、慶喜さんの前に正座し直した。
「ベルツ先生がいらっしゃるからこそ、慶喜公の病気が快方に向かっているのだと思いますよ」
すると、
「いえいえ、この弟子は相当にやり手ですよ、御前」
ベルツ先生が私の横からニコニコしながら言った。「昔から、様々な形で殿下と接する機会を得ておりますが、この偉大な弟子とともに御前の診療に当たれることを誇りに思います」
「ベルツ先生、そんなことをおっしゃらないでください」
私は恩師に苦笑いを向けた。
「国軍から数年離れていますから、勉強しなければならない医学の事項が山のようにあるのです。ベルツ先生にはもちろん、これからも師事させていただきますから、よろしくお願い申し上げます」
「ははは、それは責任重大ですね」
楽しそうに笑い声を上げていたベルツ先生の顔が、不意に歪んだ。眉間に微かに皺が寄っている。
「ベルツ先生、どうなさったのですか?」
私が声を掛けると、ベルツ先生は一瞬曖昧な表情になったけれど、すぐに穏やかな笑みを顔に浮かべた。
「いえ……最近、背中の筋を痛めたようでしてね。女医学校の附属病院建設のことで、色々と忙しくしていたせいでしょう」
「ああ、そういえば、弥生先生がこの間おっしゃっていましたね」
私のもう一人の恩師・吉岡弥生先生が創立した東京女医学校は、医術開業試験が実施されるたびに、毎回数人、時には10人以上の合格者を輩出するまでに成長した。創立当初は私を含め、10人ほどだった生徒も、今では100人以上在籍している。そのため、後期試験の受験生が増えすぎて、東京至誠医院だけでは生徒たちの臨床実習が満足に出来ない、という問題が生じた。そこで、東京至誠医院の規模を拡大して東京女医学校の附属病院にして、生徒たちに臨床実習の場を提供しようという計画がこの秋に立てられた。ベルツ先生は弥生先生と一緒に、病院の設計や建設資金集めに日夜奔走しているのだ。
「議長殿下、ベルツ先生、私の治療に当たって下さり、まことにありがとうございます」
慶喜さんが再び私に向かって頭を下げた。「この皇恩、かたじけなし……。殿下に与えられたこの命、引き続き天皇陛下のために捧げたいと思います」
「あの……慶喜公、まだ治療は終わっていませんよ」
私は首を横に振った。「来年の2月には、兄上と一緒に猟に出られるように、体力を取り戻す……それが出来たら完治ですからね」
「ありがたき幸せでございます」
頭を上げた慶喜さんと私の目が合った。私がニッコリ笑うと、慶喜さんは嬉しそうに頷いてくれたのだった。
1913(明治46)年12月13日土曜日午後3時45分、麴町区永田町にある総理大臣官邸。
「……という訳で、慶喜公の肺炎はほぼ治りましたから、その旨、報告しておきますね」
皇居での梨花会が終わった後、私は内閣総理大臣の渋沢栄一さん、そして大山さんと一緒に総理大臣官邸に移動して、先月から治療に当たっていた徳川慶喜さんの病状について報告していた。
「ただ、床に伏していた期間が長かったので、慶喜公の体力はかなり落ちました。ですから、今はリハビリ……つまり、身体の機能を戻す訓練をしてもらっています。昨日、お屋敷の廊下を休まずに1往復できたという報告をもらいました。でも、猟に出れば、もっと長い距離を、銃を担いで歩くことになりますから、引き続きリハビリをしてもらいますね」
すると、
「おお……」
渋沢さんが応接間の椅子から立ち上がった。彼は絨毯が敷いてある床の上に土下座して、私に向かってガバっと頭を下げる。
「御前のために、本来はこの時代には無かった抗生物質を使って治療をしていただき……まことに、まことにありがとうございます、殿下!」
「ちょっと……渋沢さん、落ち着いてください」
私は慌てて渋沢さんのそばに屈むと、彼を助け起こした。
「私はお父様のご命令に従って、医者の務めを果たしただけです。お気持ちは分かりますけれど、内閣総理大臣が貴族院議長に対して取っていい態度とは思えません。さ、立ってください、渋沢さん。渋沢さんには、内閣総理大臣として、梨花会の一員として、やっていただかなければいけないことがたくさんあるのです」
「かしこまりました……大変、失礼を致しました」
渋沢さんはハンカチーフで涙をぬぐうと、座っていた椅子に再び腰かけた。表情は、いつもの穏やかなものに戻っていた。
今から3か月ほど前の9月10日、渋沢さんは第7代内閣総理大臣に就任した。その際問題になったのは、彼を梨花会に入れるかどうかということだった。今までの内閣総理大臣は、全員梨花会に所属している。政治問題も外交も、そして政党の意見も梨花会が調整している。更には、日本の非公式諜報機関・中央情報院の動きも、梨花会が操っている。国家が抱える諜報機関のことを、政治のトップにいる人間が知らないのは、諜報活動を行う上で非常に大きな障害になる。
――力量も十分にある。渋沢君は、これを機に梨花会に入れなければならない。
伊藤さんの意見に、梨花会の全員が、そしてお父様もお母様も兄も賛成した。その結果、内閣総理大臣就任と同時に、渋沢さんは梨花会に迎え入れられたのだった。
「実は、議長殿下に1つご相談がございまして……よろしいでしょうか?」
「私に分かることでしたら」
私が渋沢さんに微笑むと、
「三島君のことなのですが……」
彼は穏やかな声で話し始めた。
「昨日、本人が私に、“議長殿下と打ち合わせをするのは非常に恐れ多いので、貴族院のまとめ役を下りたい”と申し出てきたのです。恐らく、例の一件が尾を引いているのでしょうが……」
「そんなこと、私は許しませんよ。彌太郎さんにはまとめ役をやっていただきます」
軽く顔をしかめた渋沢さんに、私は即座に答えた。「大体、あれは輝仁さまが悪いのです。いえ、もっと言えば、輝仁さまを変装させて園遊会に参加させた兄上と節子さまとお母様、そして、その3人を止められなかった私に責任があります。彌太郎さんが気に病む必要は全くありません。どうか安心して、堂々とまとめ役を務めてください……そう彌太郎さんに伝えてください」
「かしこまりました。そのお言葉があれば、三島君も観念するでしょう。もう一度説得いたします」
渋沢さんは軽く頭を下げると、
「ところで、三島君の元気の良い御令嬢は、華族女学校を退学したそうで……」
苦笑いしながら私に言った。
「私は、そんなことまでする必要はないのでは……と言ったのですけれどね」
私がため息をつきながら言った後ろから、
「それはいけません。鞍馬宮殿下に無礼を働いてお咎めなしでは、示しがつきません」
大山さんが固い声で言った。ちなみに、“鞍馬宮”というのは、先月30日に成人した輝仁さまが創設した新しい宮家の名前である。
「……あれは事故で、彌太郎さんのお嬢さんは悪くない。大山さんにはそう言っているのですけれど、どうしても聞いてくれなくて」
「そう言えば、大山閣下はあの御令嬢の祖父君でしたな」
「身内であるからこそ、より厳しく罰しなければならないと考えております」
渋沢さんに、大山さんは強張った顔で答えた。
渋沢さんの言った通り、10月に我が家で開催した園遊会の後、三島蝶子ちゃんは華族女学校を退学した。花嫁修業をするため……学校側にはそう説明し、みんなその理由を信じている。この時代、女学校の学生が結婚や花嫁修業のために退学するのは珍しいことではない。けれど、蝶子ちゃんの退学にあの一件が影響しているのは、事情を知る人間には容易に察することができた。
「大山さん」
私は我が臣下に身体を向けた。「これ以上、蝶子ちゃんの将来を奪ったらダメよ。私も昔はもっとお転婆で、帝国大学の教授をみんなの前で叱りつけたことだってあったわ。私と比べたら、蝶子ちゃんのお転婆なんて可愛いものよ」
すると、
「帝大の教授を叱られた……東京専門学校での脚気討論会ですか。私は出席しておりませんでしたが、後で噂を聞きました」
渋沢さんが遠くを見るかのように目を細めた。「あの時は、議長殿下がベルツ先生を“医学の師”とおっしゃったと聞きましたから、なぜ内親王殿下が医学を学ばれるのだろうと、不思議でなりませんでした。しかし、議長殿下の前世のことを伺って、ようやく納得いたしました」
「……まぁ、今生でそう決心するまでには、色々ありましたけれど」
再び渋沢さんの方を向きながらこう言うと、今生でも医師になると決心した20年以上前の出来事が、脳裏に鮮やかに蘇った。兄が熱を出して、兄の身体を検査のために傷つけることをベルツ先生と三浦先生がためらったその時に、私は初めて、医師になりたいと心から願ったのだ。
「医師になるまで大変でしたし、なってからも大変でした。気が付いたら、前世ではできなかった結婚と出産も経験して、おまけに貴族院の議長までやらされて……普通に医師としての仕事が出来るのはいつになるのか、そんなことを考えてしまいます」
今までの出来事を思い出しながら、渋沢さんに呟くように言った時、
「恐れながら、その機会には、将来余り恵まれないのではないかと思います」
彼は穏やかな声で言った。
「何せ、議長殿下が将来診られる患者は、国そのものでございますから」
「ああ、そうか……そうでしたね」
上医は国を医す……医師になりたいとお父様に告げた時、お父様はその言葉を私に示した。当時は何のことやら分からず、戸惑うばかりだったけれど、今なら、おぼろげながら、意味が分かるような気がする。
「議長殿下、ぜひとも将来、上医におなりくださいませ。それが梨花会の新参者である、この渋沢の願いでございます」
渋沢さんの言葉に、私は黙って頷いた。




