9月騒動(3)
1913(明治46)年9月6日土曜日午後0時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「急に呼び出してしまって申し訳ありません、皆さま」
食堂の一番上座にある椅子に座った私は、集まった一同に頭を下げた。群青色の和服を着た私の左隣には大山さんが、右側には枢密院議長の伊藤さんが座っている。私と先ほどまで話していた桂さんだけではなく、立憲改進党党首である大隈さんから後事を託された3人のうちの1人である、貴族院議員の山田さんも座を占めている。もちろん、衆議院議員総選挙の敗北が決定した立憲自由党側からも、総裁の陸奥さん、そして西園寺さんと原さんが出席している。その他、国軍大臣の山本さん、大蔵大臣の高橋さん、農商務大臣の牧野さん、厚生大臣の後藤さん、宮内大臣の山縣さんも顔を揃えていた。もちろん、国軍参謀本部長の斎藤さんもいるし、枢密顧問官を務めている黒田さん、松方さん、西郷さんも席についていた。今は義母と一緒にアメリカを訪問中の私の義父・威仁親王殿下、そしてお父様とお母様と兄は流石に来られなかったけれど、その他の梨花会のメンバーは全員この盛岡町の家に来てくれた。
驚いたのは、普段は所沢の飛行場にいるはずの国軍航空局長の児玉さん、そして航空大尉の高野さんもやって来たことだった。招集をかけてから30分足らずで来てくれたので、「まさか、飛行器で所沢から来たのですか?」と聞いたところ、
――井上閣下の療養に続いて大隈閣下の大けが……立憲改進党が、選挙の結果次第では騒動になるのが分かりましたから、念のため、高野と2人で、青山御殿の別館で待機していたのですよ。
児玉さんがニヤッと笑って答えた。ちなみに、お供して来た高野さんは、梨花会の面々の昼食用に百貨店から届けてもらったお弁当を平らげ、満足そうな笑みを顔に浮かべていた。
「……本日緊急で集まっていただいたのは、立憲改進党の取るべき方針について、皆さまのご意見をまとめるべきと判断したからです」
呼び出してから1時間弱で集合してくれた面々の顔を1人ずつ見つめてから、私は喋り始めた。
「井上さんと大隈さんの離脱により、立憲改進党の内部が動揺しています。しかし、今回の総選挙で立憲改進党は勝利しました。早々にこの動揺を収めないといけませんが、それには皆さまのご協力が必要です」
私はそこで言葉を切ると、「桂さん、皆さまに簡潔に説明をお願いします」と桂さんに声を掛けた。桂さんは黙って椅子から立ち上がって最敬礼をすると、立憲改進党の現在の状況について一同に説明を始めた。
「なるほど、それは渋沢くんが総理になるしかあるまい」
桂さんが簡潔な、それでいて要点を押さえた説明を終えた途端、私の右隣に座っていた伊藤さんが言った。
「その通りですね」
「ああ、俊輔の言う通りだ」
枢密顧問官の黒田さん、宮内大臣の山縣さんも続いて頷く。その他にも、「それしかないな」「渋沢あるのみ」という声があちこちから上がっている。どうやら全員、伊藤さんの言葉に賛成のようだ。
と、
「いかがなさいました、梨花さま?」
大山さんが私に微笑みかけた。
「梨花さまも、渋沢どのを推しておられたでしょう?」
「い、いや、そうだけれど、みんながこうもあっさり、渋沢さんでまとまるとは思っていなくて……」
私は政治的に中立を保つべき貴族院議長である。だから、考えは隠していたつもりだったのだけれど、大山さんにはとっくに見透かされていたようだ。
(やっぱり、大山さんには敵わないなぁ……)
そう思ってため息をついた時、
「では、梨花さまはなぜ渋沢どのがよいと思われたのですか?」
我が臣下は微笑を崩さずに私に質問した。……本当に、この臣下は私に対して容赦しない。
「消去法だけれど……」
私はそう前置きをして、
「まず、2大政党制で政治を行うなら、内閣総理大臣は与党から安定した支持を得ることが必要ね」
と大山さんに回答を始めた。
「その点から考えると、党内を掌握しきれていない尾崎さんは、権力基盤に不安を抱えることになる。自分と意見が合わない人たちが造反して、立憲自由党に同調するようになれば、やろうとしていた政策が議会でことごとく否決されてしまう。そんな状況で内閣総理大臣はできないわ」
「その通りですね」
大山さんが首を縦に振ったのを確認すると、
「それで山田さんの場合は、……やっぱり、健康への不安があるの」
そう言葉を続けた。
「国の中枢にいる人が健康であることは、とても大切なことよ。万が一の急病で倒れたり、亡くなったりしたら、政治が混乱する原因になる。もちろん、山田さんには総理大臣を務める実力はあると思うけれど、総理大臣になったら、山田さんには今以上のストレスが掛かる。そうしたら、高い血圧が更に上がってしまって、倒れるリスクも高くなる……。これは私にも責任があるわ。こんな事態がありうることを予想出来ていれば、医科研の研究資源を降圧薬の開発に更に振り分けられたのだから。もし、降圧薬が私の時代並みに発展していたら、私は自信を持って山田さんを推せた」
私は椅子に座り直し、山田さんに身体を向けた。
「ごめんなさい、山田さん。私の読みが甘くて、山田さんの折角の機会を奪うことになってしまいました」
机の上面に額が付くくらい深く頭を下げると、
「何をおっしゃいますか、妃殿下!」
ガタっと椅子が動く音が食堂に響いた。山田さんが椅子から立ち上がったのだ。
「私は感謝しているのです。妃殿下に機会を与えていただいたことを……。妃殿下がいらっしゃらなければ、私の命は“史実”と同じく、20年以上前に尽きていたでしょう。しかし、妃殿下が私の高血圧の治療をなさったため、私は時間を与えられ、国のために働くことができました。妃殿下……妃殿下のおかげで、私は生きて、己の使命を果たすことができたのです。これ以上、何を望みましょうや」
「山田さん……」
この人は、自分の“史実”での没年を知っていたのだ。私は伝えなかったけれど……。思わず目が潤んで、私は声を出せなくなってしまった。伊藤さんと山縣さんの目からも、涙がしたたり落ちている。
「となると、あとは渋沢どのをどう説得するか、ということですな」
黒田さんが赤くなった目を私に向けた。「俺が参りましょう。何としてでも、渋沢どのの首、縦に振らせてみせます」
すると、
「黒田さん、わしも行こう」
伊藤さんが、黒いフロックコートの袖口で涙をぬぐいながら立ち上がった。「わしと黒田さん……渋沢が枢密院議長をわしのままにするか、それとも黒田さんに変えるかは分からないが、2人で行って悪いことはあるまい」
「頼む、俊輔、黒田どの」
山縣さんが涙で声を詰まらせながら頭を下げた。「枢密院議長が決まらないことには、皇孫御学問所の総裁も、決まらない。御学問所の開設を、遅れさせたくはないからな」
皇孫御学問所は明後日、9月8日の月曜日に開所式を行い、迪宮さまと、学習院の同級生から選抜された5人の生徒が6年間の教育を受けることになっている。新学年のスタートは、もちろん9月1日なのだけれど、御学問所の総裁候補である伊藤さんと黒田さんのどちらかが、今回の総選挙の結果で枢密院議長に据えられる可能性が高いことを考えると、開所式を1週間遅らせるしかなかった。もし、内閣総理大臣が決まらなければ、皇孫御学問所の総裁も決まらない。そうなれば、御学問所の開所は更に遅れてしまう。それは絶対に避けたい。
「妃殿下!我輩も説得に参りたいのですが、よろしいでしょうか!」
「私も参ります。いささかでも助けになれば……」
厚生大臣の後藤さん、続いて、硬い表情をした農商務大臣の牧野さんが挙手をした。
「もちろんです、後藤さん、牧野さん」
私は2人に向かって頷いた。後藤さんも牧野さんも官僚出身で大臣になっているから、官僚たちのリーダーのような存在である。彼らが渋沢さんの総理大臣就任を望んでいると知れば、渋沢さんの心も動くかもしれない。そして、更に立憲改進党の山田さんと桂さんが加わり、総勢6人が、築地にある立憲改進党本部に急行して、渋沢さんの説得に当たることになった。
「頼みましたよ、皆さま」
「全力を尽くします」
私の言葉に、伊藤さんが6人を代表するような形で答え、頭を下げた。それは、陸奥さんの後任の総理を決める動きが、大きな流れとなった瞬間だった。
1913(明治46)年9月6日土曜日午後2時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「梨花さま」
群青色の和服から寝間着に着替え、ベッドに入って昼寝していた私を、大山さんがそっと起こした。
「ん……」
「禎仁王殿下の授乳のお時間ですよ」
「分かった、起きる……」
あくびをしながら上半身を起こすと、大山さんが禎仁を私に抱っこさせる。私は寝間着の襟をくつろげて授乳を始めた。
「梨花会のみんなは帰ったのかな?」
大山さんに尋ねると、
「皆さま、こちらにいらっしゃいますよ」
思わぬ答えが返ってきた。
「渋沢どのが総理になることを承知したという知らせが入るまでは、女王殿下と謙仁王殿下のお相手をしながら待っているということで……女王殿下と謙仁王殿下が大喜びなさっています」
「大好きなおじちゃまたちが大勢いるからね。じゃあ、授乳が終わったら、私も万智子と謙仁のところに行こうかな」
「かしこまりました。ただ、ご無理はなさいませぬよう。禎仁王殿下をお産みになったばかりなのですから」
「分かっているわ。心配してくれてありがとう、大山さん」
私は禎仁の授乳を終えると、大山さんに禎仁を再び託した。寝間着の上に桃色の羽織をひっかけて、分娩所の中にある和室に向かう。広さ20畳の部屋の中では、万智子と謙仁が、大きなボールを転がして遊んでいる。2人の周りには、山縣さんや松方さんなど、居残った梨花会の面々が座っていて、愛らしい子供たちの姿に相好を崩していた。
(ああ、やっぱりうれしそうね、万智子と謙仁……)
廊下から、子供たちの様子を見守っていると、
「これは妃殿下」
小さなお盆を持った高野さんに声を掛けられた。お盆の上には、羊羹が乗ったお皿がある。
「もうご体調はよろしいのですか?」
「ありがとうございます、高野さん。おかげさまで、だいぶいいです」
私は軽く頭を下げると、
「あの、高野さん、もしかして千夏さんたちを手伝ってくれていますか?」
そう高野さんに尋ねた。
「はぁ、俺は一番下っ端ですから」
高野さんは和室の中にちらりと視線を向けると苦笑する。確かに、高野さんはまだ大尉、それに対して、あの和室の中の面々は、大臣や元総理、枢密顧問官など、気が遠くなるような肩書を持つ人間ばかりだ。
「そんなこと、気にしなくていいのですよ、高野さん」
私は高野さんに微笑んだ。「役職が何であろうと、みんな同じ仲間なのですから」
すると、
「もちろん、議論の席なら、俺だって堂々と言い返しますよ」
高野さんは、小さいけれど力強い声で言った。
「ですがまぁ、たまには下っ端らしいことをやっていないと、他の人間がいる席でも、あの方々に大きな態度を取ってしまいそうで」
わざとらしく大真面目な顔を作った高野さんの様子がおかしくて、私が思わず吹き出した時、大山さんの気配がした。振り返ると、大山さんがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。珍しく、表情が険しい。
「大山さん、どうしたの?」
「……桂さんから電話がございました」
私のそばで立ち止まると、大山さんは一礼した。
「立憲改進党の本部で、先ほどの6人に加え、更に尾崎どのも加わって説得を続けているそうですが、渋沢どのが頑として説得に応じないと……」
大山さんの報告に、
「何……?!」
「何ですって?!」
山縣さんや高橋さんなど、万智子と謙仁が遊ぶ様子を見守っていた梨花会の面々が、一斉にこちらに集まった。
「困りましたな。確か、渋沢どのを農商務大臣に据える時も、説得に難儀したと聞きましたが、その時以上ですか……」
顔をしかめた児玉さんに、
「いや、あの時は苦労しなかった。“もしこの話を受けなければ、聞多がお前に毎日手製の料理を食べさせると言っている”と俊輔が囁いたら、すぐに観念したな」
山縣さんが真面目な顔で答えた。
(うわぁ……)
どうやら井上さんの劇物……ではなかった、手製の料理は、梨花会の中だけではなく、政界でも有名なようだ。そんなものを毎日食べさせられると言われたら、降参するしかないだろう。私は思わず渋沢さんに同情した。しかし、今回、井上さんは療養中なので、この手は使えない。
「ふむ、これが我が党のことであれば、僕らも加勢できるのだけどね、原君」
「ええ」
万智子の相手をしていた陸奥さんと原さんがため息をつく。確かに、議論に長けたこの2人なら、渋沢さんも説き伏せられるかもしれない。けれど、陸奥さんは立憲自由党の総裁で、原さんも立憲自由党の実力者だ。立憲改進党のことに首を突っ込むわけにはいかない。
(それでも、現役大臣が2人、党内の有力者が3人、総理大臣経験者が2人……この7人がかりの説得でも折れないって、一体、渋沢さんはどれだけ頑固なのよ)
貴族院の議長室で行われる、議事打ち合わせの席での渋沢さんの様子を私は思い出した。穏やかで落ち着いた、包容力を感じさせる風貌……けれど、彼の瞳は、ごくまれにではあるけれど、意志の強さを感じさせるようにキラリと光る。そんな渋沢さんの強い心を支えているのが、“自分は徳川の家来である”という思いであるならば……。
「……大山さん、大至急、家達公をここに呼んで」
私は、大山さんにこう命じた。
「梨花さま……」
大山さんは、軽く目を瞠った。「まさか、家達公に渋沢どのを説得させようなどとは考えていらっしゃらないでしょうね?」
「安心して、それは無理だって分かっているわ」
顔をしかめた大山さんに、私は苦笑しながら答えた。貴族院議長と同様、貴族院の副議長も、中立であることが求められる。もし家達さんが、徳川宗家第16代当主として、渋沢さんに内閣総理大臣に就任するように説得すれば、家達さんは中立の立場ではなくなってしまうのだ。
「でも、せめて、ヒントになるようなことがつかめたら……と思ってね。そうしたら、伊藤さんたちの助けになるかも。渋沢さんを説得できる可能性につながるなら、出来ることは少しでもやっておきたい」
「……ならば、呼び出しましょう」
大山さんが頷いた。
「今日は、千駄ヶ谷の本邸にいらっしゃるはずです。連絡すれば、すぐ駆け付けてくださるでしょう」
「じゃあ、よろしくね。私、着物に着替えておくわ」
私の言葉に一礼すると、大山さんは家達さんに連絡を取るべく、本館へと去って行った。




