9月騒動(1)
※台詞ミスを修正しました。(2023年3月24日)
1913(明治46)年9月1日月曜日午前11時、麻布区宮村町にある井上さんのお屋敷。
「いやー、参りましたよ」
井上さんが普段寝室として使っている和室。その中央に敷いてある布団の上で、井上さんは上半身を起こし、元気な声で笑っていた。そのそばでは、東京帝国大学医科大学内科学教授で、医科分科会の一員でもある三浦謹之助先生が苦笑している。
「風呂から出ようとしたら、急に足が動かなくなったんですよ。でも何とかすれば歩けるから放っておけと思っていたら、家の者が医科大学病院に電話してしまって」
「電話してしまって、とは何ですか。言い方が悪いですよ」
私は井上さんを叱った。「急に手足のどちらか片方が動かなくなってしまったら、脳卒中の可能性が高いのです。私の時代でも、脳のやられた場所や大きさによっては死ぬこともあるし、処置がうまく行っても後遺症が残ることが多い病気です。左足の麻痺だけで済んだことに感謝してください」
5日前の8月27日、井上さんの左足が急に動かなくなった。駆け付けた三浦先生が診察した結果、“脳卒中が起こった”という診断が下され、井上さんは自宅で療養することになった。そのため、禎仁を生んで20日も経っていない私も、大山さんを連れ、急遽井上さんを見舞うことにしたのである。
「妃殿下のおっしゃる通りだぞ、聞多」
井上さんの枕元に座っていた伊藤さんがため息をついた。
「この時の流れでは起こらなかったからよかったが、お主は“史実”では5年前、尿毒症で意識不明の重態になったのだぞ。今回も同じようなことになってしまうのではないかと、わしは気が気でならなかったのだ。だからこうして大磯から駆け付けたというのに」
私と伊藤さんの言葉に、井上さんも思うところがあったらしい。うつむいて考え込んでいた彼はやがて、
「……分かったよ。ちゃんと三浦先生の言うことは聞く。あと、これから水風呂に入るのは止めて、冷水摩擦に変えることにするよ」
としょげた声で言った。
「聞多、お主、まだ水風呂に入っていたのか?!身体に障るから止めろと言ったではないか!」
「伊藤さんの言う通りですよ!水風呂なんて論外です!それに、冷水摩擦もどうかと思いますよ!」
次々とツッコミを入れる伊藤さんと私に、
「だけど、夏だろうが冬だろうが、毎朝水風呂に入らないと気持ちが悪いんだぜ!仕方ないから冷水摩擦で妥協することにしたんだよ!聞いてくれねぇんだったら、俺、三浦先生の治療を受けるのをやめるからな!」
井上さんは前言を即座に撤回して屁理屈を言い立て、逆に私たちを脅しに掛かる。
「何ですか、その理屈は!いくら井上さんが相手だとは言え……もう許しませんよ!」
私が井上さんを睨みつけた時、
「まぁまぁ、妃殿下、抑えてください」
当の三浦先生が、横から私をなだめた。
「今回の井上閣下の脳卒中、どういう機序で発生したかは分かりません。ですが、脳梗塞にしろ脳出血にしろ、降圧を図ることは再発予防として大事なことです。ですから、井上閣下を余り興奮させたくないのですよ」
「……確かにそうですね」
私は唇を尖らせた。ドクターストップが掛けられてしまっては、矛を収めるしかない。
「三浦先生、左足の麻痺の他に、井上さんに異常な所見はありますか?」
私は三浦先生の方を向くと、井上さんの現状について質問した。
「血圧はさほど上がっている訳ではありません。上が125mmHg、下が75mmHgが平均です。不整脈や心臓弁膜症も明らかではありませんし、頸動脈の狭窄を示唆する頸動脈雑音も聴取できません。尿糖や血糖も、大学の研究室に回して測定してもらいましたが、こちらも正常範囲内ですね」
少しずつ、臨床検査技術も進んできているので、ここ数年は、尿や血液のブドウ糖濃度を測定できるようになった。しかし、私の時代のように1分も経たないうちに検査判定が出来るようなものではなく、測定には少なくとも1時間前後の時間がかかってしまう。けれど、どうやら井上さんがひどい糖尿病に罹患しているということは考えなくてよさそうだ。
「うーん、CTは出来ませんから、脳卒中の機序を推定するのは難しいですね。脳梗塞だと確定診断ができたら、アセチルサリチル酸を少量飲んでもらって、再発予防のために抗血小板療法をすることも考えていいかもしれないですけれど……」
「脂質異常症の制御も必要ですね。まだ血液中のコレステロールは測定できませんから、目標をどこに定めるかを決めることはできませんが、食事療法や運動療法はやっていただくべきでしょう」
「リハビリも必要ですね、三浦先生。身体機能の回復も図っていかないと……」
私と三浦先生が、井上さんの治療方針について話し合っていると、
「しょ、食事療法だと?!」
井上さんが布団の上で目を剥いた。
「妃殿下、まさか俺に料理を作るなとはおっしゃいませんよね?!」
「そ、そうじゃ。聞多のたくあんが食べられなくなったら、わしはどうすればよいのですか」
何かを勘違いしている井上さんと、なぜか井上さんと一緒に血相を変えている伊藤さんに、
「落ち着いてください。料理を作るなとは言っていません」
私はなるべく穏やかな声になるように注意しながら言った。「私と三浦先生が言いたいのは、身体に悪いものを食べる頻度を減らしてください、ということです。そして、身体にいいものを食べる機会を増やして欲しいのです。例えば、食物繊維が多く含まれる野菜の摂取を増やして、コレステロールを多く含む食べ物……例えば、ニワトリの卵や明太子、クルマエビ、ししゃも、うなぎ、それからレバーなどの内臓類は避ける方がいいですね」
「ふむふむ、じゃあ、朝飯に半熟卵を2個食うのはやめる方がいいな」
「野菜料理に切り替えるのをお勧めします。あと、豆腐もいいかもしれませんね」
「なるほど。こりゃ、色々と妃殿下に確かめる方が良さそうだ。……けど、これから大事な話をしないといけない」
私と話していた井上さんは、そう言って両腕を胸の前で組む。
(大事な話……)
おそらく、衆議院議員総選挙と、その後のことだろう。そう見当を付けた時、
「そうおっしゃっておられましたね」
三浦先生が微笑んだ。
「それでは、お話が終わるまで、私は部屋を出ております。それと、妃殿下と伊藤閣下と大山閣下にご注意申し上げますが、くれぐれも、井上閣下の血圧を上げるようなことはなさらぬようお願いいたします」
「はい、なるべく気を付けます」
私が見舞客を代表するような形で返事をすると、三浦先生は「よろしくお願いします」と頭を下げ、井上さんの寝室から静かに立ち去った。
「総理大臣になるのはやめる……」
私の発した言葉に、井上さんは軽く「ええ」と応じた。
「もちろん、身体に何事もなけりゃ、梨花会での取り決め通り、もう一度内閣総理大臣をやるつもりでしたよ」
井上さんが言った“取り決め”というのは、私が禎仁を生む6日前、8月9日に盛岡町の家で行われた梨花会でなされたものだ。明後日、9月3日に投票日が迫った衆議院議員総選挙の結果、今の与党である立憲自由党ではなく、立憲改進党が衆議院で第1党になれば、立憲自由党の総裁でもある現内閣総理大臣の陸奥さんは、総理大臣を辞任する。その場合、立憲改進党は党首の大隈さんではなく、貴族院議員で陸奥さんの前に内閣総理大臣を務めていた井上さんを内閣総理大臣にする……という内容である。もちろん、党首の大隈さんが内閣総理大臣になるべきだと梨花会の全員が思ったのだけれど、
――我が党が衆議院の第1党になった暁には、吾輩は文部大臣として日本のために尽くすんである!
と大隈さんが主張して一歩も退かなかったので、仕方なくこのような取り決めになった。
「……けれど、こんな身体じゃまともに仕事ができない。もちろん、妃殿下がさっきおっしゃった“りはびり”というのをやれば、だんだん身体も動くんでしょうけれど、選挙の日になんて間に合わないでしょう?」
「流石に無理ですよ、明後日に歩けるようになるのは」
井上さんの質問に、私がため息をつきながら答えると、
「ふむ。となると、立憲改進党が衆議院第1党になった場合は、大隈さんを説得して、総理大臣の座に据えるしかないな」
枢密院議長の伊藤さんが頷いた。
「それが一番妥当ですよね」
私が首を縦に振ったその時、
「では、なぜそれが妥当なのか、ご説明をお願いいたします、梨花さま」
私のそばに控えていた大山さんが、笑顔で私に質問した。
「大山さんは、本当に私に対して容赦しないわね……」
そう文句を言ってから、私は大山さんに向き直り、
「もちろん、黒田さんを総理大臣にする手はあるわ。黒田さんは総理大臣をしていた時、立憲改進党を与党にしていたから。けれど、黒田さんは貴族院議員ではない。もし黒田さんが総理大臣になったら、せっかく私たちが確立しようとしていた“帝国議会の議員が内閣総理大臣になる”という流れが途絶えてしまう」
と回答した。
私の時代の感覚だと、内閣総理大臣には国会の第1党のトップが就任するというのが自然な展開だろう。ところが、私が転生したと分かった25年前、1888(明治21)年には、帝国議会というものは無かった。その状態から、2大政党制によって政治の舵取りをしていくように、政治の方向性を梨花会の面々が少しずつ変えていった結果、第5代内閣総理大臣の井上さん、そして第6代、つまり今の内閣総理大臣である陸奥さんは、帝国議会の議員でありながら内閣総理大臣になった。帝国議会に議席を持たない黒田さんが総理大臣になれば、その流れが途絶えるどころか、逆行しているように見えてしまうだろう。
「妃殿下のおっしゃる通りです。だから、犬養・尾崎・渋沢・桂、それから市之允とも相談して、大隈さんに昨日手紙を送りました。俺はこんな状態だから、大隈さんもわがままを言わないで、選挙に勝ったら総理大臣をやれ、って」
布団の上に座っている井上さんは、そう言うと胸を少し反らした。
「相変わらずやることが素早いのう、聞多は」
伊藤さんが旧友に苦笑いを向ける。「で、大隈さんから返事はあったのか?」
「おう、さっき尾崎が来てな。大隈さんも観念したと伝えてきたよ」
「それはよかった。それなら、お主がしばらく療養していても安心じゃな」
「なーに、さっさと歩けるようになって、また議会に復帰するさ。もし立憲改進党が与党になったら、渋沢がまた農商務大臣になるだろうから、貴族院のまとめ役がいなくなる。そうしたら、俺が貴族院のまとめ役になって、妃殿下をお助け申し上げるんだ」
言って明るく笑った井上さんに、
「そう簡単にはいかんだろう。市之允もおるのだぞ」
伊藤さんが呆れ顔になった。
「それに、人材育成という観点から見たら、三島彌太郎さんの方が適任だと思いますよ」
私もこう指摘すると、
「わかってますよ、妃殿下。ちょっと冗談で言ってみただけですって」
井上さんはつまらなそうに言った。「ただ、何か励みになるような目標を作っておかないと、“りはびり”ってのもやりたくなくなるかもしれない。妃殿下と議会でお会いするという楽しみも出来れば頑張れそうなんですが……」
「うーん……では、12月に通常会が始まったら、議事堂の私の控室で、お昼の休憩の時に、一緒にご飯を食べるのはどうでしょうか?」
リハビリに対する意欲が無くなってしまったら大変だ。井上さんは梨花会の一員であり、立憲改進党の重鎮でもあるのだ。私が慌てて井上さんに提案した時、背筋を嫌なものが襲った。伊藤さんが恨めしげな視線を井上さんに送っている。そして、我が臣下も、刃のような鋭い目で、井上さんをじっと見つめていた。
「聞多……病にかこつけて、妃殿下に陪食を賜ろうとするとは、いい度胸をしているではないか……」
「井上さん、梨花さまの議会でのご休憩時間は、禎仁王殿下に授乳される大事な時間でもあります。その時間を邪魔するとは……覚悟はできているのでしょうね?」
全身から怒りを発している伊藤さんと大山さんから逃れるように、井上さんは上半身を少し後ろに引いた。
「わ、わかったよ……俊輔も大山さんも、そんなに怒らなくてもいいだろうが……」
「そうです。とても元気そうに見えますけれど、井上さんは病人なのですよ」
私も横から井上さんを庇うと、
「妃殿下は病人に甘すぎます」
伊藤さんが冷たい声で言った。
「甘すぎるって……私は井上さんのリハビリ意欲を引き出そうと思って、医師として色々考えてですね……」
「だからと言って、議事堂でご陪食を仰せつけるのは少しやり過ぎでございますよ、梨花さま。今までにそのような例はございませんし」
伊藤さんに反論する私に、大山さんが穏やかな声で割って入る。彼の目は、口調の穏やかさとは裏腹に、氷のような冷たさを伴っていた。
「わかったわよ……じゃあ、井上さんが議会に出席できるようになったら、私が歌を詠んで、それを短冊に書いて井上さんに渡すのはどう?」
「仕方がありません。それで妥協しましょう」
「じゃな」
代替案に頷いた大山さんと伊藤さんに、
「お前らなぁ……」
井上さんはため息をついた。「でもいいや。妃殿下の短冊、俺はどんな短冊よりも欲しい。それを励みに、“りはびり”とやらを頑張って、動けるようになりましょう」
「なら、よかったです」
私は井上さんに微笑んだ。
「今度の衆議院議員総選挙も接戦になると思います。立憲自由党と立憲改進党、どちらが勝利するかは分かりませんけれど、結果がどうなろうと、井上さんの実力と経験は、今の立憲改進党にも、梨花会にも必要ですから」
「そう妃殿下におっしゃられたら、頑張るしかないですね」
井上さんも私に笑顔を向けた。「身体を治して、大隈さんを助けないといけない。陛下も皇太子殿下もお助け申し上げなきゃいけない。まだまだ、やることはたくさんあるんです。こんなことでくたばる訳にはいかねぇんだ!」
「お大事にしてくださいね、井上さん。井上さんが議事堂に来る日を、私、待っていますからね」
これで、立憲改進党に問題はないだろう。私もそう思ったし、伊藤さんも大山さんも、そして梨花会の他の面々全員がそう思った。しかし、私たちは忘れてしまっていたのだ。予測は、外れることもあるということを。そして、完璧に立てた推論でも、思わぬ方向から崩されていく場合があるということを。
立憲改進党の党首である大隈さんが、右腕と右足……正確に言うと、右橈骨と右脛骨を骨折した。
それは衆議院議員総選挙の投票日、9月3日のことだった。




