大日本医師会の創立
1913(明治46)年5月1日木曜日午後0時30分、東京市麴町区霞ケ関1丁目にある有栖川宮家本邸。
「本日は我々をお招きいただき、まことにありがとうございます」
本邸の食堂で、昼食会に招かれたお客様たちを代表して私の義父・威仁親王殿下に挨拶したのは、東京帝国大学医科大学の学長で、1902年にノーベル生理学・医学賞を受賞した緒方正規先生だ。その他、食堂には、1901年に同じくノーベル生理学・医学賞を受賞した医科学研究所所長の北里柴三郎先生、昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した京都帝国大学医科大学の荒木寅三郎先生がいる。そして、東京帝国大学医科大学内科学教授の三浦謹之助先生、外科学教授の近藤次繁先生、産婦人科学教授の中島襄吉先生、国軍医務局長の高木兼寛軍医中将、私の恩師であるベルツ先生と吉岡弥生先生など、日本を代表する医師たちが顔を揃えていた。更には、厚生大臣の後藤新平さんもいる中、緒方先生がお客様たちを代表してあいさつしたのは、先ほど東京帝国大学で開かれた大日本医師会創立集会で、医師会の会長に選ばれたからだった。
「いえいえ、今日は医師会の、大事な門出の日ですからね」
私の隣に座った義父が、緒方先生に微笑しながらこう返す。義父は大日本医師会から乞われて、総裁に就任したのだ。
と、
「それに皆さま、うちの嫁御寮どのに……いや、次期総裁に会いたいでしょうしね」
義父はどこか楽しそうな口調で、こんなことを言い始めた。
「お、お義父さま?!」
慌てる私を無視して、
「今日の私は、おまけのようなものです。嫁御寮どのが現役軍人に戻れば、私はさっさと総裁職を嫁御寮どのに譲って、孫たちを思う存分可愛がるつもりなのですから」
義父はニヤニヤしながら、更に言葉を続ける。
「ああ、もちろん、嫁御寮どのが予備役になっている時でも、孫たちは心行くまで可愛がるつもりですが」
(お義父さま、反応に困ることを言わないでほしいなぁ……)
孫馬鹿を炸裂させ続ける義父の声を聞きながら、私はため息をついた。
……順を追って説明しよう。昨年度の帝国議会通常会で、医師法・歯科医師法・薬剤師法・看護師法・助産師法……いわゆる“医療五師法”が改正された。勅令で医師会・歯科医師会・薬剤師会・看護師会・助産師会を作るという改正法律案が、昨年3月に公布されたことにより、それぞれの職種で、全国規模の組織を結成する準備が始まった。そして今日、医師免許を持つ人間全てが参加する全国規模の組織・大日本医師会が結成されたのである。
本来なら、義父ではなく、医師免許を持つ私が、大日本医師会の総裁を務めるべきだろう。しかし、現在予備役の軍人である私は、貴族院議長になっている。例えお飾りの総裁であっても、中立であるべき帝国議会の議長が、大日本医師会の総裁に就任するのは、政治的な中立を失う恐れがある。だから私は、大日本医師会の総裁になることは辞退したのだった。
すると、
「張り合おうとなさっても、無駄でございますよ」
私と義父の後ろに控えていた大山さんがニッコリ笑って言った。
「恐れながら、万智子女王殿下は、俺に懐いておられます。謙仁王殿下も、でございます。今日も戻ったら、俺と追いかけっこで遊ぶと約束なさっておいでなのです」
「むむ……閣下、そうはおっしゃいますが、万智子は私と一緒に、いろは歌を書く約束をしているのですよ」
義父が大山さんに対抗すると、
「恐れながら、俺は抱っこをする約束もしております」
大山さんは笑顔で、しかし大真面目に反撃する。
「それならば私も……」
義父が更に張り合おうとしたので、
「お義父さま、大山さん、ありがとうございます。万智子と謙仁を可愛がっていただいて。でも、2人で張り合わないでくださいね」
私は流石に2人の間に割って入った。
「もしこれ以上、2人で争うなら、しばらくお義父さまも大山さんも、子供部屋への出入りをご遠慮いただきます。大人たちが醜い争いをする姿、子供たちには見せたくありませんから」
私がピシャリと告げると、義父と大山さんが揃ってしゅんとなった。緒方先生をはじめとする大半のお客様たちは、笑っていいのかどうか迷っているようで、ものすごく複雑な表情で2人を見つめている。後藤さんですら固まってしまっている中、ただ1人、ベルツ先生だけが、クスクス笑っていた。……我が家に来るたびに、2人のこの手のやり取りを見ているからだろう。
「嫁御寮どのにそう言われては、仕方がないですね……」
「申し訳ございませんでした、妃殿下」
義父と大山さんが頭を下げたのを確認すると、
「……では、昼食会を始めましょう。東條さん、お願いしますね」
私は千夏さんの夫に声を掛けた。
「かしこまりました」
クスっと笑いながら、東條さんは扉の向こうへと消える。他の職員たちに給仕の指示をしに行ったのだろう。東條さんは昨年10月、千夏さんが勤務に復帰したのと同時に、葉山から霞ヶ関の本邸に転勤したのである。
「嫁御寮どの、最近私にも大山閣下にも厳しくなっておりませんか?」
小さな声で話しかける義父に、
「そんなつもりはありませんけれど……議会で鍛えられてしまったからかもしれませんね」
私も囁くように、素っ気なく返した。本当は居並ぶお客様たちと、一刻も早く医学の話をしたいのに、義父と大山さんが大人げない張り合いをするから、時間が無駄に使われてしまった。
「全く……医学の話がしたいのに、万智子と謙仁の話をして邪魔をしないでください」
軽く義父を睨みつけると、
「そんなに医学の話がしたいのですか?」
彼は不思議そうに私を見つめた。
「したいに決まっているでしょう、お義父さま」
私は小さな声で言い返すと、唇を尖らせた。「現場に全然復帰できていませんから、私、医学に飢えているのです」
本当は、帝国議会通常会が終わった後、現役の軍人に戻って、産休に入るまでの3か月ほど働いても良かったのだ。それを選択しなかったのは、弥生先生と中島先生と話し合った結果である。議会の仕事とは違い、軍医の仕事は身体を使うこともそれなりにある。その結果、私の身体に負担が掛かり、早産を引き起こしてしまうのではないか……弥生先生も中島先生も、それを強く懸念したのだった。
「仕方がありませんね」
義父は顔に苦笑いを浮かべた。「それでは、今日は大日本医師会の総裁として、医学の“まにあ”なお話にお付き合いしましょうか」
「では、お義父さまの許可もいただきましたから、思う存分、医学の話をさせていただきますよ」
私はニッコリ微笑むと、前に座っている三浦先生に早速話しかけたのだった。
午後2時30分。
昼食会が終わった後、私は義父と一緒に本邸の応接間に入り、緒方先生や北里先生など、私の前世のことを知る医師たちと懇談していた。昼食会の席で、ある程度医学の話は聞けたけれど、未来の医学知識も交えた話は、私の正体を知らない医師たちも多数出席していた中では出来なかったからだ。
「それにしても、最近の薬剤の発展はすごいですね。抗生物質や抗結核薬も、私の記憶にないものがいくつも出てきて……」
「数か月に1度は、世界のどこかで、新しい抗生物質が発見されていますからね。我々も情報を追うのが大変です」
私のため息交じりの言葉に、北里先生が苦笑いする。最近は日本だけではなく、世界各国で、生物が産生する有用な物質が次々と発見されている。また、ドイツやイギリスなどでは、新しい物質を手当たり次第に化学合成し、その中から有用な物質を見つけ出す手法を取る製薬会社がいくつか現れていた。
「ペニシリンが北里先生の手で単離されてから、20年ほど経過していますからね」
三浦先生が笑顔で指摘した。「それだけ時間が経過すれば、薬剤は次々見つかってまいります。このまま時が流れれば、約100年後、前世の妃殿下が生きていらした頃には、妃殿下が御存じない医療技術や医薬品がたくさん開発されるのではないでしょうか」
「そうなればいいですけれど、乗り越えないといけない壁はたくさんありますよ」
私はそう言うと、またため息をついた。医学の知識だけが進歩していても、それですぐに人を救える訳ではないのだ。もちろん、知識だけで人を救えることもあるから、私が覚えていた前世の医学の知識は、医科分科会の医師たちにほとんど伝えている。けれど、生物学や化学、物理学など、医学の理解や発展に欠かせない学問がまだ進んでいないせいで、未来の医学の知識が使えないケースも多々ある。最近では、そんな壁にぶつかることがしょっちゅうで、私が未来の医学の知識を医師たちに伝え始めた頃より、医学そのものが発展するスピードは落ちていた。
「証明する実験に必要な器具の材料が開発できない、医用機械に必要な材料やメカニズムが開発できない……最近はそんなことばかりで、歯がゆいですね。医学だけの問題なら、壁を乗り越えられる可能性もありますけれど、他の学問や技術も絡んでくると、それが足を引っ張ってしまって、医療が私の時代のレベルに近づけない……」
私が再び大きなため息をついた時、
「それでも、歩みを止めるべきではないでしょう」
ベルツ先生が穏やかな声で言った。
「前に進むことを止めてしまえば、目的地にたどり着くことはできませんよ」
「はい……申し訳ありません、ベルツ先生。確かにその通りです」
私だけではなく、三浦先生や近藤先生など、応接間にいた医師一同、ベルツ先生に向かって頭を下げた。何しろ、ベルツ先生は、日本の医学生を30年以上にわたって指導し、日本の医学の発展に尽くした人である。そんな大先輩の言葉には、とてつもない重みがあった。
と、
「……そうだ、嫁御寮どの。ここにいる一同で写真を撮りませんか?」
義父が上座から私たちに声を掛けた。
「お、お義父さま……まさかこの写真も、皇帝に献上するのですか?もうさんざん撮ったのに……」
「もちろんです。それに、今日は大日本医師会が生まれた良き日ですからね。記念に写真を残しておきたいのですよ」
呆れながら抗議した私に言い返すと、義父は下座に控えていた大山さんにカメラを持ってくるように言いつけた。大山さんが一礼して応接間を去ると、
「そういえば、有栖川宮殿下は、この度、欧米を回られるそうで……」
近藤先生が義父に話しかけた。
「ええ、これまた、嫁御寮どのの代理ですよ。ドイツの皇帝陛下の在位25周年記念式典に出席するのですが、ドイツ側は最初、嫁御寮どのと栽仁の出席を強く望んでいましたからね」
義父は近藤先生に少し楽しそうに答えると、私の方にちらりと視線を向けた。
あのよく分からない皇帝、……いや、一応、皇帝と言っておくけれど、今年の6月で即位25周年を迎える。そのため、ドイツでは記念式典が執り行われることとなり、
――是非、有栖川宮家の若宮と若宮妃殿下にご出席いただきたい。
ドイツ大使館から、外務省と宮内省にこんな要請がなされた。けれど、私は妊娠中で、海外旅行などもってのほかだ。それに、兄とお父様の体調に万が一のことがあれば、私は医者として2人の治療に当たらなければならないのである。日本を離れるなど絶対に考えられない。という訳で、記念式典には義父と、義母の慰子妃殿下が参列することになった。
「あと10日ほどで日本を発ちます。ウラジオストックからシベリア鉄道に乗る予定でしてね。ドイツに行った後は、のんびりと欧米諸国を巡りますから、日本に戻るのは秋になります。いや、私としても、孫たちと離れるのがとても辛いのですが、お役目ですから仕方ありません」
義父は私を見ながら、ニヤニヤ笑っている。かつて梨花会に建設を妨害されていたシベリア鉄道は昨年の秋に完成した。これを使えば、ドイツの首都・ベルリンまでは、遅くとも20日弱で行くことができる。義父と義母は更にそこからヨーロッパ諸国を巡って各国の王室や高官たちと交流し、アメリカに移動してウィルソン新大統領を表敬訪問することになっていた。
「ドイツと言うと、森先生はお元気ですかね?」
「元気みたいですよ」
三浦先生の質問に、私は微笑して答えた。「マリーの息子さんの診察にも行っているようで、“とても感謝している”とマリーが手紙に書いていました」
「そういえば、マリー妃殿下のお子様が、糖尿病にかかられたのでしたか」
「昔なら発症すれば死を待つのみ……しかし最近は治療が出来るようになったのは、荒木先生のご研究のおかげですな」
「妃殿下の時代のように、血糖測定やインスリンの自動注入などの技術が確立すれば、患者にとっては更なる福音になりますが……」
近藤先生や三浦先生、そして荒木先生が盛り上がっていると、応接間の扉が開き、
「カメラを持って参りました」
カメラの箱を持った大山さんが姿を現した。
「どのような構図で撮影を……おや、ベルツ先生、いかがなさいましたか?」
ひょいと眼を向けた大山さんに、
「……ああ、なんでもございませんよ、大山閣下」
ベルツ先生は微笑した。
「久しぶりにドイツの話を聞いたので、少し懐かしくなっただけです。……しかし、私は日本に帰化しています。今更、ドイツを恋い慕うつもりはありません。私はこの日本に骨を埋めます」
そう言ったベルツ先生は、
「さぁ、皆さん、写真を撮りましょう!総裁宮殿下と若宮妃殿下に中央に来ていただきますから、椅子を並べてください!」
かつての教え子である医師たちに、明るい声で命じた。そして、整列した私たちの写真を、大山さんが撮ってくれたのだけれど、私の心には、ベルツ先生の少し寂しげな微笑が残って、いつまでも消えなかったのだった。




