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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第7章 1891(明治24)年小満
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未来の主治医

※一人称ミスが多数あったのを訂正しました。(2019年1月7日)

「一つ、確認したいことがある」

 原さんは私にこう言った。

「“史実”で、迪宮殿下がご即位されたのは、……大正の御代が終わったのは、いつだろうか?」

「ええと……昭和64年に亡くなって、昭和64年は1989年だから……」

 私は天井を向いて、暗算した。

「1926年が昭和元年ね。あなたが“史実”で暗殺されてから、5年後。迪宮殿下が摂政になられた時期は、……ごめんなさい、正確には覚えていない。ただ、関東大震災の直後に起こった虎ノ門事件の時には、迪宮殿下は、摂政になられていたはずよ」

「そうですか……前世のわたしが殺されてから、5年……あのまま事が進んでいれば、1921年の末には、迪宮殿下が摂政になられたはず。しかし、そうか、それでも5年……もっと、もっと長生きをしていただきたかった……!そのためにわたしは、山縣とも手を組んだと言うのに!」

 原さんの目から、涙が落ちた。

「あの、もっと長生きを、って……」

「おそれながら……“史実”での、皇太子殿下の寿命です。“史実”では、今のように、皇室典範に譲位についての規定はないはず。すなわち、天皇の代替わりは、陛下が亡くなられた時にしか起こらないことになる」

「……!」

 私は息を飲んだ。

 そう言えば、天皇(ちち)に、“そなたの話を聞いて、皇室典範に譲位の規定を作ることにした”と言われた記憶がある。前世(へいせい)で、譲位が議論になった時、“皇室典範に譲位についての記載がない”とも聞いた。ということは……。

「ちょっと待って……皇太子殿下は今、11歳だから……、“史実”では、50歳にならないうちに……?!」

 私は首を横に振った。

「いやよ、そんなのは!確かに、この時代の平均寿命は40歳代って聞いたけれど……それを割り引いて考えたとしても、受け入れられない。私の生きていた時代の平均寿命は80歳を超えていたから、余計に……」

「それは、わたしも……あなたから聞いた“史実”は、到底受け入れがたい!」

 原さんもうつむいた。「しかし、“史実”とは違って、皇太子殿下は今、お元気でいらっしゃる」

「え……?」

「“史実”での皇太子殿下は、御幼少のころから病気がちでした。病のために、学業も遅れていて……皆、心配していたのです。しかし、ご結婚されてから、妃殿下のご努力で、皇太子殿下は健康になられました」

(マジか……)

 私は、息を飲んだ。

 皇太子殿下は、去年の夏にマラリアにこそかかったものの、元気そのもので、学業の成績もよい。この初春のインフルエンザ騒動の時も、インフルエンザにかからずに済んでいる。

「そして、“史実”での皇太子殿下は、全国津々浦々を行啓され、産業を奨励し、国民を励まされました。天皇の位に就かれる日に備え、政治の勉強もなさっていた。私も御所に呼ばれて、色々なお話をさせていただいたものです。それが、天皇の位を継がれて、第一次世界大戦や、シベリア出兵などでご心労がはなはだしくなり、体調がお悪くなって、わたしが総理大臣になった時には……」

 原さんは、そこまで言うと、また涙を流し始めた。

「原さんは、……皇太子殿下を、慕っていたのね」

「はい……」

 原さんは、ハンカチを取り出すと、涙をぬぐった。

「しかし、この時の流れの中では、皇太子殿下に関しては、もっと良い結果になる、とわたしは思うのです……それは、あなたがいるからだ」

「は?」

 私は眉をひそめた。それに構わず、原さんは喋りだした。

「“史実”で、皇太子殿下がご結婚の後に健康を取り戻されたのは、聡明な妃殿下が、常に側にいらっしゃったから……年の近い兄妹にすべて先立たれ、孤独な幼少時代を過ごされた嘉仁さまに、妃殿下と言う存在が、公私ともに、どれだけ支えになったことか。そして今、あなたは、年の近い妹として、皇太子殿下と同居されている。少なくとも、皇太子殿下は今、孤独ではないはずです」

(ああ……)

 一緒に遊んだり、勉強のお相手をしたり……。そんなときの皇太子殿下は、本当に楽しそうで、私に優しく接してくれる。

(前世の兄貴たちも、皇太子殿下みたいな人だったらよかったのになあ……)

 そう思うこともしばしばだ。

「立太子礼の時のお写真を、先日拝見しました。写真の中の皇太子殿下は、あなたに、優しく、慈愛に満ちたまなざしを向けておられた。先ほど、廊下で拝謁したときも、皇太子殿下は同じ眼であなたを見ておられた。あれは、“史実”の皇太子殿下が、妃殿下や親王方に向けられていたものと寸分も違わぬ……」

 原さんは、私を見据えた。

「それを見て、わたしは確信しました。“史実”で妃殿下が果たされた役割を、あなたが今、“史実”より何年も早く、担っているのだと」

「?!」

「そして、“史実”では、伊藤さんや大山元帥、威仁親王殿下が、皇太子殿下のご教育に関わるのも、もっと先の話なのです。伊藤さんや大山元帥が殿下のご教育に関わり、威仁親王殿下が東宮賓友になられたのも、皇太子殿下の健康が回復される大きな力となったのですが……ですから、皇太子殿下は、“史実”より、もっと健康で、もっと素晴らしいお方になると、わたしはそう信じています」

 原さんは、私に向き直った。

「更に、あなたは医者として、三条公を救ったという……皇太子殿下が万が一、“史実”のように健康を害されたときも、あなたのような名医ならば、助けられるかもしれない」

「つまり……私に、皇太子殿下の主治医になれと?」

「あなたの存在自体でも、皇太子殿下の大きな支えになっていると思いますが、主治医に……確かにそうなれば、更に心強い」

 私は目を閉じて、少し考えた。

 原さんの行動の根底には、戊辰戦争で、故郷ごと逆賊の汚名を着せられたという思いがある。この時代の“逆賊”という言葉の重みは、私が想像するよりも、遥かに重いものだろう。

 その思いを抱いたまま、彼は“史実”での宿敵・山縣さんの下で働いている。

――山縣のやりたいことを、原が的確に助けている。

 勝先生はそう言ったけれど、原さんに前世の記憶があるのなら、山縣さんの性格や考え方も知り抜いているだろう。それを利用して、山縣さんの仕事を――原さんの宿願を果たすことにもなる仕事を、的確に助けられたのではないか。山縣さんを、それと悟られずに操っていた可能性まである。

 原さんを“梨花会”に入れることは、難しいのかもしれない。彼の心に強く刻み込まれた“藩閥に復讐する”という思いを、消すことはできないだろう。人の心は、そう簡単に変えることはできないものだ。“史実”の大山さんが、西郷隆盛の逆賊の汚名が消されても、“逆賊の身内だから”と、総理大臣になることを断り続けたように。

(従わせるのは無理にしても、せめて、原さんを、私たちに協力させることは……)

 私に、そんなことができるのだろうか。

 “史実”の知識は中途半端な上に、一方的で表面的な理解にとどまっている。

 医学の知識は、今地上にいるどんな医者よりもあるかもしれないけれど、それを実現できる環境は全く整えられていない。

 前世で読んだ漫画に出てくるような凄腕の無免許医だったら、皇太子殿下の主治医になるのと引き換えに、高額の報酬を原さんに要求出来るのかもしれない。けれど、私には、そんな報酬を要求するような技量はないし、しかもその報酬って、あくまで金銭的な……ん?

(金銭的なものでなくても……別にいいのかな?)

 しかも、原さん、医者としての私の力量を、過大にとらえてしまっているようだし……。

「……皇太子殿下の主治医になるからには、私に報酬はもらえるんでしょうね?」

 私は口を開いた。

「ん?」

「私は聖人君子ではない。仕事をするからには、報酬はいただきたい。けれど、大事な肉親からは、診療の報酬は取れませんから……そうなると、ご依頼いただいたあなたから、お代を頂戴しないとね」

「ほう……」

 原さんは、薄く笑った。

「何が望みか?金か?しかし、今のあなたなら、金には不自由しないだろう」

「まあ、元ネタでは、そういうことも多かったけれど、私は自分で使う金銭には興味はない。私が欲しいのは、もっと別のもの」

「もと……ねた?」

 不思議そうな顔をする原さんの様子を敢えて無視して、私は、椅子に座り直し、背筋を伸ばした。多分ここは、精いっぱい、上級医(オーベン)っぽく、……いや、教授や病院長クラスのお歴々の医者のように、堂々とした態度を取らなければいけないところだ。

「あなたが私に……“梨花会”に協力すること」

「何っ……?!」

 原さんが眼を見開いた。

「主治医としては、皇太子殿下を病から守るために、あらゆる情報が欲しい。あなたの“史実”の記憶、“史実”で積み重ねた経験……。それを私に教えて欲しい。その代わり、あなたに“史実”の記憶があることは、私と大山さんの秘密にしておく。あなたに“史実”の記憶と経験があると他の人間に知れたら、あなたに操られていたと知った山縣さんは、あなたを排除するでしょう。この世から消すことも考えるかもしれない。あなたのような優秀な人材を失えば、“梨花会”は力を発揮出来なくなり、国力の低下に繋がる。それは、将来的に政治的な懸案の発生につながり、皇太子殿下のご心労が増すことになりかねません。主治医として、それは避けたいわ」

 私の言葉を、原さんは黙って聞いていた。何やら考え込んでいるようだ。チラチラと私を見る視線は、どこか怯えているような影もあるけれど……。

(山縣さんを操っている、という部分に反論してくるかと思ったけれど、反論してこないということは、……本当に操っていたわね)

 疑いが、事実に変わってしまった。しかし、それを検討するのは、話にケリをつけてからだ。

「この世界は、“史実”と変わってきていて、“史実”の記憶が通用しなくなってきている。あなたが一人、自分の持っている“史実”の記憶だけでその状況を乗り切ろうとしても、破綻するのは目に見えているわ。私とあなたで協力して、みんなで知恵を出し合って、皇太子殿下にご心労を掛ける状況を少しでも減らすことは、皇太子殿下をお守りしたいあなたにとっても、悪い話ではないと思うけれど?」

「考えようによっては、多額の金銭よりも重い要求だな、わがままな姫君さま」

 原さんが絞り出すように言った。

「私のことなど、なんとでも言えばいい。本当は私に従えと言うつもりだった。けれど、あなたの心はそう簡単に変えられない。だから従え、とは言わない。でも、たとえ心が違っても、私とあなたが協力することはできる」

「ふん、従えとは言わぬ、協力せよ、か……」

「私とあなたが協力すること、それがお互いにとって最善と思うから、そう提案している。たとえ後世に“狂っている”とか、“大悪人”とか“逆賊”とか言われたって、私は誠心誠意、西暦2018年の医療知識を持つ医者として、今の最善と思われることをするだけ」

「ふふ……」

 原さんの右の口角が吊り上がった。口から洩れた笑い声は、次第に大きくなって、私の鼓膜を乱打する。

「面白い!」

 原さんは右手で膝頭を打った。「面白い娘だ、あなたは……よかろう。わたしの“史実”の記憶と“梨花会”への協力。それが皇太子殿下にとって大事なお方であり、皇太子殿下の主治医になる、あなたに対する報酬だ」

「取引成立ね」

 私は微笑した。

「ただ、契約はきちんと履行していただくぞ。万が一、契約が履行されずに、増宮さまが危機に陥るならば、増宮さまの臣下として、(おい)はあなたを斬らねばならん」

 大山さんが言う。彼の全身からは、明らかに殺気が放たれていた。

「心得ておりますよ、元帥閣下」

 原さんが大山さんに、うやうやしく一礼する。「“史実”より力量を増したあなたに、逆らう気など毛頭ない」

(“史実”より力量を増した?)

 さっき、“史実では、知恵者の顔を覆い隠していた”と、原さんが大山さんのことを評していたけれど……。

(それを隠さなくなったから、ということ……?)

「ふふふ……さてさて、主君が医者で、臣下が元帥とは、面白い主従だ。“史実”と明らかに違うこの状況、付き合うのも悪くはないだろう。わたしの“史実”の記憶と経験、皇太子殿下をお守りするために、存分に使うがいい、主治医どの」

 原さんはニヤリと笑った。なぜか、その表情は、どこか強がっているようだった。

※史実では、原さんも摂政設置に動いているのですが、このような解釈をしてみました。

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