1912(明治45)年10月の梨花会
1912(明治45)年10月12日土曜日午後2時、皇居。
「おや、本日は妃殿下のご機嫌が、大変によろしいようですね」
兄と私が参加する月に1度の梨花会が始まるやいなや、内閣総理大臣の陸奥さんは微笑しながら私に言った。
「あー……隠していたつもりだったのですけれど……」
私が軽くため息をつきながら答えると、
「本当に隠しているのか、梨花?全身から喜びがあふれ出ているぞ」
私の向かいに座った兄が呆れたように言った。
「なぜ喜んでいるか、当ててみようか。……京都帝国大学医科大学の荒木先生の件だろう」
「当たり前でしょ、兄上!久しぶりに、日本人がノーベル賞を受賞したのよ!」
私は兄に言い返した。さる10月1日、今年のノーベル賞受賞者が発表された。その中の生理学・医学賞を、荒木寅三郎先生が勝ち取ったのだ。授賞理由はもちろん、“インスリンの発見とその糖尿病への臨床応用”である。
「“史実”では、インスリンが発見されて2年後には、発見者がノーベル賞をもらっていたのよ!それが、この時の流れでは、発見から10年経っても、スウェーデンから何の音沙汰もないから、荒木先生がノーベル賞をもらう前に亡くなってしまったらどうしよう、ってやきもきしていたんだからね!」
「分かった、分かった……しかし、本当に梨花は、医学の話になると人が変わるな。その調子で、栽仁にも医学の“まにあ”な話をして困らせているのではないか?」
兄が苦笑しながら言うと、
「ご安心を、皇太子殿下。そのようなことはございません」
私の隣に座った大山さんがニッコリ笑って答えた。
「ただ最近、梨花さまが城郭の模型を眺めていらっしゃることが増えているような……」
大山さんが少しおどけたような声で付け加えると、出席している梨花会の面々が一斉に吹き出した。お母様も口を手で押さえてクスクス笑っているし、お父様に至っては、お腹を抱えて大笑いしている。
「城の方も相変わらずだな、梨花は」
必死に笑いをこらえながら言う兄に、「仕方ないでしょう」と私は唇を尖らせた。
「お城をちゃんと見学できたのは、新婚旅行の時に姫路城に行ったのが最後よ。若松城の跡には去年も今年も行ったけれど、あれは自分が楽しむためではなくて、戊辰の役で亡くなった方の慰霊のためだから、お城巡りとしてはノーカウントなの!」
「“のーかうんと”……ああ、つまり、数には入らない、ということか」
兄はそう言うと、また顔に苦笑いを浮かべた。「これは、相当ストレスが溜まっているな。大山大将、そろそろ梨花がどこかの城跡に行けるように配慮してやってくれ。佐倉でも、八王子でも」
「皇太子殿下のお言葉はありがたいのですが、佐倉城や八王子城では、規模の大きさから考えると、どうしてもご見学に丸一日はかかってしまうでしょう。往復することを考えると、ご見学は難しいかと考えます」
「そうね。万智子と謙仁がもう少し大きくなったら、私の道楽に付き合わせることもできるけれど、今は無理ね。授乳のこともあるから、私が1人で出かけられる時間は半日くらいかな」
大山さんの回答に私が横から付け加えると、彼は私の方を向いて微笑して、
「ですから梨花さま、自動車ですぐに行けるような城跡に、若宮殿下と一緒にお出かけになればよろしいのです。世田谷城や練馬城や葛西城……八王子まで足を延ばさなくても、東京府には城跡がいくつかございますから」
と優しい声で言った。
(……!)
「それは……とてもいい考えね」
浮き立った心を急いで落ち着けてから我が臣下に答えると、
「なるほど。栽仁と嫁御寮どのが出かけている間に、私と慰子が盛岡町に行き、万智子と謙仁を存分に可愛がる、と……」
兄の隣に座っていた私の義父・威仁親王殿下がとても嬉しそうに言った。
「素晴らしい計画ではないですか、大山閣下。今日の夜には栽仁が“朝日”から盛岡町に戻りますから、早速明日の朝にでも……」
「お義父さま、流石にそれは早過ぎます」
意気込む義父を私は慌てて止めにかかった。「栽仁殿下に、まだ何も話していないのですよ?もう少し、準備に時間をください」
「仕方がないですね。しかし、明日は盛岡町に行きますよ。ここ最近忙しくて、万智子と謙仁の顔を2週間ほど見られていませんからね。もう耐えられないのですよ」
義父は真剣な表情で私に言った。万智子が生まれて以来、義父と義母の慰子妃殿下、そして有栖川宮の先代・熾仁親王の奥様である菫子妃殿下は、何日かおきに私たちの家にやってくる。お目当てはもちろん、万智子と謙仁で、盛岡町邸に来るたびに、彼らは心行くまで子供たちをかわいがるのだ。私の母も赤坂の家から、時折孫たちの顔を見に盛岡町の家にやって来るし、梨花会の面々は、呼んだ覚えがないのに、いつの間にか家に上がり込んでいる。だから、盛岡町の家はいつも賑やかである。
「残念ながら、明日僕らは盛岡町に参上しない方がよいということが分かったところで、梨花会を始めましょうか」
陸奥さんが割って入ったので、私と義父は口を閉じた。確かに、これはプライベートな話題だから、今話すべきことではない。だいぶ話が逸れてしまった。
「では妃殿下、黒板の前にお立ちいただいてよろしいですか?」
そして、陸奥さんは、ニッコリ笑って私にこう言った。
(あ、これ……今日もまた、陸奥さんにこってり絞られそう……)
次にやらなければならないことが、何となく分かった。けれど、私にそれを拒否する権限はない。私は「かしこまりました」と言って椅子から立つと、会議室の壁に設置された黒板に向かった。
10分後。
「ふむ、一応これで合格ということにして差し上げましょう」
ニヤニヤする陸奥さんに、白墨を握った私は黙って頷いた。図を描きながら頭をフル回転させていたので、非常に体力を消耗した。おまけに、陸奥さんのツッコミと戦いながらの作業だったから、疲労があっという間にピークに達したのだ。
「では、お描きになったこの図を使いながら、“史実”の第1次バルカン戦争における各国の思惑や関係を、妃殿下にもう一度ご説明いただきましょうか」
「分かり、ました……」
私は息を整えると白墨を置き、陸奥さんのリクエストに応じるため、今描いた図の横に立った。
「まず、バルカン半島にあるオスマン帝国領は、“史実”では様々な国に狙われていた、というのが前提にあります」
大きく息を吸ってから、私は図を見ながら説明を始めた。
「ロシアとオーストリアも、バルカン半島のオスマン帝国領を奪って領土を増やしたいと思っていました。そして、19世紀にオスマン帝国から独立したギリシャ、セルビア、モンテネグロ、ブルガリアの各国も、オスマン帝国から更に領地を分捕ろうと考えていました」
「僕が麒麟児君から聞いたところによると、他にも様々な理由がありますし、妃殿下がおっしゃった理由にも更に背景がありますが、時間が惜しいですから、ひとまずそれでよろしいでしょう。……それで?」
陸奥さんは視線で続きを話すように私に促す。もし私が間違ったことを言えば、すぐ叩きのめしてやろうという意思が、視線の中に見え隠れしていた。
「……“史実”の1911年9月に、伊土戦争が発生します。海軍力で優位に立つイタリア軍は、オスマン帝国の軍艦を何隻も沈めただけではなく、本土にまで艦砲射撃を加え、地中海の制海権を奪いました。これに刺激されたのがギリシャ・セルビア・モンテネグロ・ブルガリアです。イタリアも19世紀に成立した、この4国と同じような新しい国です。その国が、地中海の制海権を奪ってしまったのですから、4国が“オスマン帝国と戦っても勝てる”という思いを抱くのは自然なことだと思います」
「以前からオスマン帝国は“瀕死の病人”でしたが、その命がいよいよ危ういことが世界に喧伝されてしまったわけですからね。言い方は悪いですが、イタリアが発生させた死臭をかぎつけて、死肉を食らう獣がオスマン帝国に寄ってきてしまったわけです」
陸奥さんが私の答えにこう付け加えたのを聞いて、
(“史実”の日清戦争で負けた後の清みたいね……)
ふと私はそう感じた。“史実”の日清戦争の後、“眠れる獅子”ではなく“張り子の虎”であることが露見してしまった清は、列強に領土を蚕食されてしまったのだ。この時の流れではそんなことはないけれど……。
「……妃殿下。まさか、これでご説明が終わりというわけではありませんよね?」
陸奥さんの厳しい目が、再び私に向けられる。このままだと、陸奥さんの瞳の奥に鬼火がちらついてしまう。私は慌てて課題の続きに集中した。
「この4国は、ロシアに後押しされて1912年にバルカン同盟を結びます。ロシアには、仮想敵国のオーストリアと戦う時に、バルカン同盟を手駒として使いたいという思惑もあったようです。……こうした中、1912年の10月に、バルカン同盟諸国はオスマン帝国に宣戦布告しました。そして発生した戦争が、“史実”で第1次バルカン戦争と呼ばれる戦争です」
「大変よろしいですね」
陸奥さんは満足げな表情で私に拍手を送った。そして、ニヤリと笑うと、
「ところで妃殿下、このバルカン戦争、“第1次”とついているからには、当然“第2次”があるのでしょうが、第2次バルカン戦争は、“史実”ではいつ、どのように起こったのですか?」
鋭い質問を私に投げた。
「第1次バルカン戦争が終わった数か月後、バルカン同盟の中で、オスマン帝国から取り上げた領土分配でもめた挙句に開戦しました。……全く、外敵がいる時は一致団結するけれど、外敵がいなくなった途端に自分の欲望むき出しで争うなんて、本当に愚かです」
私は顔をしかめるとこう吐き捨てた。
「ご指摘の通り、人間とは愚かな特性を持つ生き物です。しかし、その愚かさに引きずられて堕落しないよう、僕らは歴史を多角的に学び、そこから得た教訓を現在と未来に生かさなければならないのですよ、妃殿下」
私の言葉に対して、陸奥さんは歌うように答えると、
「話が逸れましたが、“史実”ではちょうど今頃発生した第1次バルカン戦争、妃殿下は発生するとお考えですか?」
更に問いを私に浴びせる。私はもう一度、黒板に描いた図を見直すと、「可能性は低いです」と回答した。
「まず、伊土戦争が起こっていません。ですから、バルカン半島の新興国が領土欲を刺激されることもないでしょう」
「なるほど。その他には?」
「ロシアは皇帝がミハイル2世になってから、積極的な対外政策を完全に放棄して、内政に集中しています。“史実”のように、バルカン半島の諸国に同盟を組むよう後押しするということはありえません。それに、細かいところですが、セルビアはアレクサンダル1世の暗殺を院が阻止した結果、オーストリア寄りの立場を取っていますから、ロシアの後ろ盾を得たいとは考えないでしょう」
私が挙げられる根拠はこのくらいだ。大きなため息をついて口を閉じると、
「しかし、ご結論は出したものの、1つ不安材料がある……ということですか」
私の顔を一瞥した陸奥さんは言った。
「毎度毎度、表情のちょっとした変化でそこまで読み取って……本当に怖いですね、陸奥さんは」
「これでも今回は苦労したのですがね。年々、妃殿下のお心の隠し方が巧妙になっておられるので」
再びため息をついた私に、陸奥さんは苦笑いを向ける。そして、
「さて、その不安材料とは一体なんでしょうか?おそらく、僕たちが考えているものと一致していると思いますが」
と、私に発言するよう促した。
「……オスマン帝国が、ドイツに借金漬けにされていることです」
私は言葉を選びながら答えた。「このままだと、オスマン帝国はまた財政破綻してしまいます。オスマン債務管理局は、まだ事態を見守っているようですけれど、この流れを何とかして止めないと……」
“オスマン債務管理局”とは、1881(明治14)年に設置された、オスマン帝国の外債返却を促す機関である。その委員会は、イギリス・フランス・ドイツ・イタリアなど、オスマン帝国の債権国から代表が派遣されて組織されている。もし、オスマン帝国が借金を作り過ぎれば、オスマン債務管理局がその動きを止めようとしてもいいはずだけれど、その気配がない……それは、昨年12月の梨花会で話題になっていたことだ。
すると、
「……どうも、故意に見逃しているようなのです」
大山さんがポツリと言った。
「え?」
眉をひそめた私に大山さんは向き直ると、
「今朝、オスマン帝国の山田君から院に連絡が入りました。オスマン債務管理局のイギリス・フランス代表が、オスマン帝国に派遣されているドイツ軍事顧問団に買収されて、ドイツに有利な運営に賛成している、と……」
衝撃的な情報を報告した。梨花会の出席者一同がざわつく中、
「……やはりか。どうもおかしいと思っていた」
宮内大臣の山縣さんだけは、納得したように頷いていた。
「ちなみに、イギリスもオスマン債務管理局の動きに不審を抱き始めたようでして、オスマン帝国内部に諜報員を派遣したとのこと」
「……それも良くない情報だな」
大山さんの言葉を聞いた兄がため息をついた。
「だよね。とうとうMI6ができてしまった」
兄に答えた私もため息をついた。今まで、世界各国の諜報組織については、日本と清が抱えているものしか確認できていなかった。それが、他の国にもついに登場したのである。
「イギリスの諜報部は、今回の事案を機に設立されたもので、まだ梨花さまがお話下さったような“史実”の活動写真で活躍するような規模のものではございません。ですが、動向には注意を払うべきでしょう」
大山さんは更に言った。「院でも、オスマン帝国、そしてドイツに人員を増派しています。引き続き、ドイツが何をオスマン帝国に仕掛けるつもりなのか、全容の把握に努めます」
(何か本当に、スパイアクション映画みたいな話になってきたなぁ……)
一礼する大山さんの横で、私は今日何度目かのため息をついた。オスマン帝国にドイツが張り巡らせようとしている罠……その全貌を私たちが知ることになるのは、もう少し後のことだった。
※第1次バルカン戦争に関する背景は本当に大雑把なものです。ご了承ください。




