沈むのは嫌なのでステータスは装甲に振りたいと思います
※セリフミスを修正しました。(2022年1月24日)
1912(明治45)年6月8日土曜日午後2時15分、皇居。
「……以上が、私が提案する規定改正案です」
皇居で開かれた梨花会に久々に出席した私は、冒頭に時間をもらい、謙仁が生まれてから考えていた国軍の産休・育休に関する規定の改正案について、出席者一同に話していた。
(何か、ミスがあったのかしら?)
私の話が終わっても、話の内容を吟味しているのか、全員、私が配った資料に視線を落としたままだ。先月、兄と節子さまに骨子を話してから、改めて文章にまとめ直して練った改正案だから、抜け落ちているところは最初より少なくなっていると思うけれど……。
すると、
「いや、感服いたしました」
頭を上げた山田さんが、満足げな表情で頷いた。
「今日は妃殿下からお話があるということでしたから、ベルツ育英会の事業についてのことだろうと見当をつけていたのですが……ご自身が遭った奇禍から、まさかこんなことをお考えになっていたとは……」
「しかし、確かに妃殿下がご指摘になった通り、もし、皇族以外の女性議員が妃殿下と同じような目に遭えば、世間から糾弾を受ける可能性が高い。今からその防止策を立てることは、非常に理に適っていることです」
枢密院議長の伊藤さんもこう言って、しきりに首を縦に振っている。
(ああ、よかった。大体、正しい方向の改正案が作れたみたい)
私がホッとしたその時、
「……これは、規定の名称を変える必要がありますな」
文部大臣の西園寺さんが、顎を撫でながら指摘した。
「妃殿下がおっしゃったことをまとめると、産休・育休の期間については変更なし、ただし、産休に入る前、医師の指示があれば、休憩の導入や勤務の削減、それから、常時激しい運動や全身の振動を伴う作業の制限をして、妊婦の健康管理をする……このような内容です。現行の規定に、妊娠中の勤務についての条項が新たに加わる形になりますから、規定の名称を妊娠中の勤務も包括するようなものに変える方がよろしいかと思います」
「ああ、やっぱり穴がありましたね。確かに、西園寺さんの言う通りです。どんな名称が適当でしょうか……?」
私がそう言って考え込むと、「恐れながら」と厚生大臣の後藤さんが手を挙げながら発言した。
「今回の改正で、妊産婦の健康管理全体にわたる規定になるわけです。ですから現行の“産前・育児休暇に関する規定”から、“妊産婦健康管理規定”に名称を変えるのはいかがでしょうか。安直ではありますが……」
「ああ、それはいいですね。……それでは、陸奥総理大臣閣下、規定の内容拡充と名称変更につき、以上のように提案させていただきます」
私がサッと頭を下げると、
「よく分かりました。……山本国軍大臣はこの規定改正案、いかがお考えでしょうか?」
陸奥さんはゆったりと頷いて、山本さんに視線を投げた。
「現状で考えられるすべての可能性を簡潔に網羅しているこの文章……非常によろしいと思います」
配布した資料を手にした山本さんは、私に向かって一礼する。
「直ちに国軍省内で検討し、規定を改正したいと考えます。……それでよろしいですか、陸奥閣下?」
「もちろんです」
陸奥さんは山本さんに短く答えると、
「医師会令の草案を拝見した時にも思いましたが、勅令や法律の独特の形式にも、難なく適応していらっしゃる。貴族院議長としてのご経験は、確実に妃殿下の血肉となっているようですね」
そう言いながら、私に笑顔を向けた。次には間違いなく、何か厳しい言葉を私に掛けるだろう。そこで私は、
「あ、それから、今回のような事態を防ぐために、進めて欲しい技術開発がありまして」
と、わざと明るい声で言った。
「ほう?」
余裕たっぷりの表情で応じた陸奥さんは無視して、私は更に、
「確か、産技研と国軍省が共同で、電気音響学の研究を進めていたと思いますけれど」
と続けた。
「はい、ソナーですね。今度、2等巡洋艦の“筑摩”に積んで試験をする予定ですが……妃殿下、それが今回の事態と関係あるのですか?」
不思議そうな顔をする山本さんに、「あるのです」と私は力強く言った。
「電気音響学が発展すれば、超音波を使った医療検査機器が作れます。私の時代では、それが妊婦検診で使われていました。胎児の計測が精密にできるので、妊娠週数がより正確に分かります。妊婦検診だけではありません。超音波の検査は心臓や甲状腺、腹部臓器の異常検知にも使えます。それに、頸動脈の超音波検査では、プラークの検知や、血管壁の厚さを計測することによって、動脈硬化の……」
「章子、そのぐらいにしておけ」
上座から呆れたような声が降って来て、私は慌てて口を閉じた。そっと様子を窺うと、お父様の顔には苦笑いが浮かんでいた。
「あの出来事を、ただ嘆くのではなく、将来の糧にする……よく出来た。最後の超音波とやらは余計だったが」
「申し訳ございません、お父様」
「まぁ、よい。これからも励めよ、章子」
「ありがとうございます」
私が改めてお父様に最敬礼をすると、
「僕のお小言から、上手く逃げられましたねぇ」
陸奥さんがニヤリと笑った。
「ですが、この場を逃れられたとしても、僕たちの妃殿下に対する態度は変わりません。今後も引き続き、議会が始まればより一層、妃殿下を鍛えて参りますから、そのつもりでいてください」
やはり、どれだけもがいても、私は梨花会の面々を完全には出し抜けないようだ。陸奥さんの目には私の小細工など、児戯に等しいもののように見えたに違いない。私はおとなしく、「わかりました」と陸奥さんに一礼したのだった。
午後2時45分。
「そう言えば山本、“金剛”は無事に進水したな」
一通り、国内と海外の話題が終わった後、お父様が最後に1枚だけ残った資料に目を通しながら言った。
「はい。日本に回航されるのは来年になりますが」
山本さんは嬉しそうに答える。“三笠”以来、数年ぶりの大型艦の建造である。海兵中将でもある山本さんが浮き立つのも無理はないだろう。
「ずいぶんと大きな軍艦ですね。排水量は敷島型戦艦の倍近くですか」
第3艦隊の司令官を務めたこともある義父は、こう言って苦笑する。私も手元の資料に視線を落とした。そこには、今月5日にイギリスで進水した新型の装甲巡洋艦“金剛”の主要性能諸元が掲げられていた。
●装甲巡洋艦“金剛”主要性能諸元
排水量:27450t
全長:216.41m
全幅:28.04m
主缶:ヤーロー式重油専焼缶32基
主機:パーソンズ式直結タービン2基4軸
最大出力:88000shp
最大速力:27ノット
航続距離:8200海里(16ノット)
主砲: 1912年型 Mark V 34.3cm(45口径)連装砲 4基8門(背負い式配置)
副砲:Mark XVI 15.2cm(50口径)砲 10基
7.62cm(45口径)高角砲 8基
装甲:舷側 152.4mm-330mm
甲板 76.2mm-152.4mm
主砲塔 254mm-304.8mm
司令塔 254mm-304.8mm
(スペックだけ並べられても、よく分からないデース……)
資料に一通り目を通した私は顔をしかめた。私がよく知っている軍艦は、極東戦争の時にお世話になった“日進”だけれど、あれは主砲が20.3cmだったと思う。栽仁殿下が今配属されている戦艦“朝日”の主砲は、確か30.5cmと聞いた気がするけれど……。
「では、妃殿下に質問いたしましょうか」
枢密顧問官の西郷さんがゆったりと手を挙げた。
「“史実”でも、この時期に“金剛”が進水しております。しかし、この時の流れの“金剛”は、斎藤と高野の意見を取り入れたので、設計は“史実”のものと異なっております。さて妃殿下、その主な変更点とは何でしょうかのう?」
(斎藤さんと高野さんの意見……)
軍医学校の講義で斎藤さんに聞いた、“史実”での海戦の話を思い出してみる。確かあれは……。
「ユトランド沖海戦の戦訓を取り入れたのでしょうか?つまり、軍艦の装甲はより厚くするけれど、速度は落とさない……」
私が何とか答えをひねり出すと、
「ああ、覚えていてくださってよかった」
参謀本部長の斎藤さんの表情がやわらかくなった。
ユトランド沖海戦というのは、“史実”の第1次世界大戦で行われた、イギリス海軍とドイツ海軍の主力艦隊同士の海戦である。海戦の後は、イギリスもドイツも自軍の勝利を主張したけれど、イギリス艦隊の損失は大きく、また、ドイツ海軍の作戦も失敗に終わったから、勝敗を機械的に判定するのは難しい。そして、その海戦の戦訓が、“装甲による防御は大切である”、“しかし、軍艦は、海戦に参加できる速度も持ちあわせていなければ意味がない”だった。
「“金剛”を、あのユトランド沖海戦の戦訓を完全に取り入れた軍艦にするためには、まず、装甲を厚くしなければなりません。ですから、“史実”の金剛と比べると、水上・水中防御、そして水線部付近の防御はもちろんですが、あらゆる場所の装甲が強化されています」
「なるほど。でも斎藤さん、そうなると、速度が低下しそうですけれど、この資料に記載されている速度、結構速くないですか?27ノットなら、第一艦隊の主力艦より速いですし……」
第一艦隊の主力艦・“三笠”や“朝日”の最大速度は、確か18ノット前後だったはずだ。極東戦争の時に頭に叩き込んだ知識を引っ張り出しながら斎藤さんに答えると、
「おお、非常にいい質問です」
斎藤さんがとても嬉しそうに応じた。
「“史実”の“金剛”は、建造当初、石炭と重油、双方を燃料として使っていましたが、この時の流れの“金剛”は重油だけを燃料に使うことにしたのです。“利根”“筑摩”の重油専焼缶の航行に関する資料をイギリスに渡し、新しい重油専焼缶を共同で開発しました。イギリスでは重油専焼缶は駆逐艦でしか使われておりませんから、資料は非常に喜ばれましたね」
「“史実”で“金剛”が搭載していた主砲は35.6cm砲です。しかし、“史実”より若干遅くなったとはいえ、この時の流れの“金剛”は、イギリスの最新の巡洋戦艦とほぼ同じ速度で走ることが出来ます。余り目立たない方がいいですから、主砲はこの時代のイギリス戦艦と同じ34.3cm砲にしました。イギリス側には“もっと装甲を薄くして速度を上げろ”とか、“これだけの馬力があるのだから、主砲はもっと大きくしろ”とか、色々言われましたが、防御力を増すことを優先させました」
斎藤さん、そして、航空大尉の高野さんが次々に加えてくれる説明を聞きながら、
(要するに、沈むのは嫌だから、ステータスを装甲に振ったってことなのかな?)
私はぼんやり思った。なるほど、ユトランド沖海戦の戦訓を取り入れることを考えると、1つの妥協点はここになるのだろう。
「設計思想はよく分かった。しかし、イギリスに“利根”と“筑摩”の缶の資料を提供するとは、思い切ったことをしたな……」
斎藤さんと高野さんの言葉を聞いた兄が、こう言って両腕を胸の前で組んだ。“利根”は5年前の12月に呉で進水した2等巡洋艦で、“筑摩”はその後に建造された、“利根”と同型の軍艦だ。巡洋艦クラスの軍艦で重油専焼缶を採用した世界初のケースだから、その資料は貴重なもののはずだ。兄が“思い切ったことをした”と評価したのも当然である。
「我が国で建造する軍艦の数、とりわけ大型艦の数は、“史実”より減っております。当然、我が国の大型艦建造に関する技術は、“史実”より劣っております。今回の“金剛”、そして同型艦の建造には、我が国から技術将校や職工が派遣され、イギリスの大型艦建造技術を吸収しております。重油専焼缶の航行に関する資料をイギリスに渡しても、十分に元が取れると考えます」
斎藤さんは淀みなく兄に回答した。
「そのような考えだったか。しかし、あのチャーチル海軍大臣が、よく缶の共同開発を許可したな」
兄の言う“チャーチル海軍大臣”とは、ウィンストン・チャーチル、“史実”では後にイギリスの首相になる人物である。今37歳の彼は、既にいくつもの大臣職を歴任し、少壮気鋭の政治家として名声を得ている。
「チャーチルは、今回の話、相当乗り気だったようです」
陸奥さんが微笑みながら兄に答えた。「最新技術は日本の軍艦や、輸出用の軍艦に搭載して実地試験をさせ、自国の軍艦には、その試験の結果が良好だった技術を取り入れる……若いのに、なかなかしたたかです。“史実”で後に首相になるというのも納得ですね」
「あの……一つ、確認したいことがあるのですけれど」
私はこう言いながら右手を軽く挙げた。「贈収賄事件は起こっていないですよね?ほら、“史実”のジーメンス事件は、確か“金剛”発注にも絡んでいましたから……」
すると、
「ご安心を、梨花さま」
私の隣で大山さんがニッコリ笑った。
「院で厳重に監視しております。他の兵器の発注、そしてもちろん、他の省庁においてもそうですが、不正を働いた者たちは地獄の底までも追いかけて、必ず罪を償わせる。それは院の総裁が誰であっても変わりません」
(相変わらず怖いなぁ……)
口元に笑みを浮かべながら淡々と言う我が臣下に、私の背筋が寒くなった。中央情報院の総裁を退いたと言っても、この人の不正を憎む心、そして仕事に対する情熱は衰えないのである。だから、時々彼の表情は、温厚な爺やのものから獰猛な肉食獣のものに変わる。その変化には、未だに慣れることが出来ない。
(せめて、万智子と謙仁の前では、鬼の顔にならないで欲しいなぁ……)
大山さんの横顔を盗み見ながらため息をついた時、ひょいと大山さんが私に顔を向けた。その視線にまともに捕まってしまった私は、蛇に睨まれた蛙のように、身動きが全く取れなくなったのだった。
※実際にはこの時期の“利根”と“筑摩”は同型艦ではありません。
※金剛のスペックですが、実際にこれで航行できるのかとか考えておりませんので、悪しからず。




