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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第7章 1891(明治24)年小満
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内務次官

 1891(明治24)年、6月5日。

 私が華族女学校(がっこう)から帰ると、山縣さんがすでに、花御殿の応接間にスタンバイしていた。山縣さんの傍らにいる、フロックコート姿の紳士は、原敬さんだろう。35歳と聞いたのだけれど、大分白髪が目立つ。応接間の隅には、東宮武官長の大山さんも控えていた。

「お初にお目にかかります。増宮殿下。内務次官の原と申します」

 山縣さんに紹介された原さんは、私に一礼した。

(これ、髪の毛を全部真っ白にしたら、完璧に、前世の資料集の写真で見た原敬だ……)

 今の状態でも白髪が多いので、想像がしやすい。まあ、名古屋で会った桂さんの顔も、資料集の写真そのままだったけれど……。

「章子と申します。あの、原さま、どうぞ楽になさってください」

「ありがとうございます」

 私に促されて、椅子に座った原さんは、

「……なるほど、山縣閣下のおっしゃる通り、本当に、お美しくていらっしゃる」

開口一番、こんなことを言った。

「お世辞はよしてください」

(こいつも、美意識が狂ってるのか……)

 私は内心、ため息をつきたくてたまらなかった。

「お世辞ではありません。世上では殿下のことを、“(おんな)牛若(うしわか)”と呼んでいるようですが……いや、このお美しさならば納得できます」

 そう、最近、私のことをそんな風に呼ぶ新聞が現れたのだ。“男子に負けず劣らずご活発”は事実だけれど、“美少女の誉れ高い増宮殿下”とか書きやがって……。ちゃんと、この“呪いの市松人形”の実物を見て書いたのかと、記事を書いた新聞記者を問い詰めたい。小一時間問い詰めたい。

「そのあだ名、嫌いです」

 私は首を横に振った。

「なぜでしょうか?」

 問い返す原さんに、

「だって……牛若は、源義経(みなもとのよしつね)のことでしょう?」

私はこう言った。

「はい、よくご存じですね」

「源義経は……兄の源頼朝(みなもとのよりとも)と最後は争ってしまうでしょう?私は皇太子殿下と、絶対に争いたくありません。だから、“牛若”と言われるのは嫌いです。私の役目は、兄の皇太子殿下を助けることです。もちろん、陛下も助けなければなりません」

 あと、一般的には「美しい」と言われている源義経に例えられる、ということ自体も嫌なのだけれど、実際の義経は、美貌だったかよく分からないと前世で聞いたことがあるし、そこに突っ込むと、山縣さんに猛反論されそうな気もしたので、それについては触れないことにした。

「なるほど……」

 目を軽く瞠った原さんは、しきりに首を縦に振った。「いや、本当に素晴らしい。御年8歳とは思われぬ、まことに大人びた……しかも、皇太子殿下と陛下を思われるそのお心、感服いたしました」

「だろう?原君」

 山縣さんが、本当に嬉しそうに頷いている。

「あの、山縣さま、原さまには、何をどの程度話してありますか?」

 私は山縣さんに尋ねた。その回答の内容によっては、原さんに話す内容が変わってしまう。

「増宮さまの反応を見てからの方が、よろしいかと思いまして……何か、原を見て、思い出されたことがありますか?」

 さすがに、原さんに惚れ込んでいるとはいえ、山縣さんは慎重さを忘れていなかったらしい。確かに、これで“平民宰相”と別人だったら、大変だからなあ。

「同じ顔ですよ。教科書に出ていた写真と同じ顔だったから、本当にびっくりしました。まあ、もっと白髪が多かったですけれど」

「は……?」

 原さんが、きょとんとしている。

「ということは、この御仁は……」

「ええ、間違いないです、大山さん。私の“史実”の原敬さん、本人です」

「そうか……」

 大山さんと山縣さんと私の会話を聞いている原さんは、全く反応できないでいる。

「あー、原君」

「……は、山縣閣下」

 直属の上司に呼ばれて、原さんがようやく返事をした。

「君を、将来の大人物、秘密を守れる男と見込んで、話しておきたいことがある。今日はそのために、君をここに呼んだ」

 山縣さんは、こほん、と咳払いをした。

「は……?」

「今から話すことは、陛下をはじめ、ごく少数の高官しか知らない、国家の重大機密だ。無論、漏らした場合は、即刻、この山縣が斬る。心するように」

 山縣さんの全身から、私でもわかるような、すさまじい殺気が立ち上った。

「や、山縣さん、落ち着いて、落ち着いて。原さん、怯えているじゃないですか」

「いや、このぐらい、言っておいた方がよいかと……」

「いつからこの会合は、そんな血なまぐさい集まりになったんですか……とにかく、今は武士の世ではないのですし、落ちついてください。あの、私も、今の山縣さんが、ちょっと怖くて……」

 すると、山縣さんが、急に私に最敬礼した。

「も、申し訳ありません、増宮さま!ご容赦を!」

「わかりました。あの、“史実”とは違うのだから、原さんと仲良く、ね?」

「それはもう……原と一緒に仕事をしたくてしょうがないのに、増宮さまは、まだ、わしのことをお疑いですか?」

「疑っていませんよ。ただ、“史実”と違うから、少し戸惑っているだけです。未熟者で本当にごめんなさい」

「あの……すみません、山縣閣下、増宮殿下」

 山縣さんの殺気から解放された原さんは、ようやく場の状況を掴んだらしい。

「一体、史実……というのは、どういうことなのですか?あと、わたしが、教科書に載っている、というのは……?」

「原さん……輪廻転生って概念、ご存知ですか?もしくは、タイムスリップ、とか」

 私は、原さんの方を向いた。

「は……?幼いときに、輪廻転生というものがあるとは、聞いたことがありますが……」

「私、前世の記憶があるんです。それも、今から130年ぐらい未来の日本に生きていた、という記憶がね」

「な、なんですと……?!」

 原さんは、そう言ったなり、絶句した。


 私は、自分が前世で送った人生のことを簡単に伝えた後、“史実”のことを、原さんに話した。ただし、原さんが“史実”で、山縣さんと政争を繰り広げたことと、東京駅で暗殺されることは伏せておいた。

「そうですか……」

 原さんは、私の話を聞き終わると、ふう、と息をついた。

「大隈大臣の襲撃や、それに伴う黒田内閣の崩壊、大津事件に伴う政府内部の混乱など、様々な事情で条約改正が伸びた。そして、我が国は清国と、次いでロシアと戦い、それぞれ勝利を収めるが、帝国憲法の条文の隙をついて、軍部が暴走して戦争が拡大し、ついに我が国が焦土と化してしまう、と……」

 私の話を、原さんは見事にまとめた。

「しかし、我々は、その“史実”を参考に、一致団結して事に当たり、条約改正をすでに一部成し得た。大津事件も、“史実”では、ニコライ皇太子が負傷するはずだったのだが、何とか、外交問題にならずに済んだ。我が国の全体的な外交方針も転換している」

 山縣さんの言葉に、原さんは心底驚いているようだった。

「この先の歴史は、どうなるかわかりません。ただ、自然災害は、私の“史実”と同じように起こっています。ですから、今年の10月28日の朝に、濃尾地方で大地震が起こります。“史実”通りなら、岐阜市内が火災でほぼ壊滅します」

「熊本地震の時より、日付が具体的ですな、増宮さま」

「だって山縣さん、私、前世の祖母に、“自分の祖母が濃尾地震に遭った話”を、散々聞かされましたから。逆算すれば、前世の私の祖母の祖母が、今この時代に生きていることになりますけれど……」

「電信線だとか、鉄橋だとか、他の建築物も、地震そのものでやられてしまいそうですな……場所によっては、山崩れや堤防崩壊なども起こりうる……」

 原さんが言った。

「そうね……できることは限られているでしょうが、何とか、被害を減らす対策を考えなくては。原さん、山縣さんと一緒に、よろしくお願いします」

「はい、殿下。この原、山縣閣下とともに、全力を尽くします」

 原さんは頭を下げた。

(“平民宰相”の口から、“山縣閣下と全力を尽くします”ってセリフが出てくるとはね……)

 “史実”で、政党政治への嫌悪感を抱き続けていた山縣さんのことと、政党政治の申し子のような原さんのことを思うと、どうも、“山縣に忠誠を誓う原”という図が、しっくりこない。まあ、今の状態で、仕事が円滑に進んでいるのなら、それでいいのだろう。

「お……そろそろ、皇太子殿下が、ご帰宅される時間だな。我々はお暇しよう。では原君、行こうか」

「はい、閣下。……殿下、またいずれ」

「原さん。これから、よろしくお願いします。玄関までお送りしますね」

 置時計の時刻を見て、席を立った山縣さんに、原さんが続いた。皇太子殿下に不審を抱かせないように、私が高官と会っていることは、極力、伏せなければならない。

 しかし、今回の努力は、無駄に終わってしまった。私たちが廊下に出て、玄関に向かって歩いていたところに、ちょうど、皇太子殿下とばったり出くわしてしまったのだ。

「あ、兄上……お帰りなさいませ」

 私は、慌てて皇太子殿下に一礼した。

(ちょっと……わざわざ馬術競技会まで開催して、皇太子殿下を花御殿(じたく)から遠ざけたんじゃなかったの?!)

 私たちの先頭を歩いていた山縣さんの様子をうかがうと、彼も若干戸惑っているようだった。どうやら、彼にとっても予想外のことだったらしい。

「章子、今戻ったが……」

 軍装の皇太子殿下は、私と山縣さんを交互に見て、心配そうな表情を作った。

「山縣大臣、……あまり、章子を叱らないでおくれ」

「い、いえ、殿下、決して、そのようなことは!」

 山縣さんが、慌てて殿下に頭を下げた。

「そ、そうです、兄上。山縣さまを責めないでください。私にも、落ち度がありますので」

「む、そうか……」

 皇太子殿下はそう言うと、私のすぐ後ろにいる原さんに目をとめた。

「そちらに居るのは、どなたか?」

「ああ、兄上、内務次官の原敬さまです……原さま?」

 皇太子殿下に、原さんを紹介しようとして、私は動きを止めた。

 原さんが、泣いている。

「ちょ、ちょっと、原さま?どうしたの?」

 私は原さんの側に、すっと寄った。

「陛下……」

 微かな声でつぶやいた原さんは、大粒の涙を、ぽろぽろとこぼしていた。

「は、原さま、皇太子殿下に自己紹介を」

 私は原さんの上着の裾を、そっと引っ張った。

「あ、はい。内務次官の……原と申します……、申し訳ありません。お会いできて、感激してしまい、つい……」

 原さんは、泣きながら殿下に頭を下げた。

「そうか……これからも、国家と、お父様(おもうさま)のために、励んでほしい」

「は、はい!この原、全力を尽くす所存です!」

(そうか……この時代の、皇室に対する忠誠心って、やっぱりすごいのね……)

 皇太子殿下を前にして、感激で泣き出すなんて……前世では、私の周囲で、そういう話をあまり聞いたことがなかった。やはり、皇室に対する忠誠心が、前世(へいせい)今生(めいじ)では違う、ということなのだろうか。

「じゃあ、私、山縣さまと原さまを送ってまいります、兄上」

「うむ、では頼んだぞ」

 そう言って、皇太子殿下は自室へと引き上げて行った。

 そして、大山さんと一緒に、山縣さんと原さんを玄関まで送り、私が別れの挨拶をしようとした、その時だった。

「原どの、少しよいかな」

 原さんとの話の間、殆ど黙っていた大山さんが、口を開いた。

「はい、何でしょうか、大山閣下……」

「実は、増宮さまが、“史実”のことを原どのにもう少し教えたい、と仰せでな……」

(え?)

 そんなことは一言も言っていない、と言おうとしたら、大山さんが、何かを訴えるような目で私を見た。

「……え、ええ、そうね。山縣さんにはもう話しているけれど、原さんにまだ話せていないこともあるんです。大変申し訳ないのですけれど、山縣さん、原さんを今しばらく、貸していただけますか?」

 とりあえず、大山さんのセリフに乗っかってみる。

「もちろんでございます。では、原君、増宮さまのお相手をするように」

「はい……かしこまりました、山縣閣下」

「では増宮さま、また伺いますぞ」

 山縣さんだけが、馬車に乗り込んで去っていき、原さんが残された。

(大山さんのことだから、何か考えがあるんだろうけれど……、一体なに?)

「あ、じゃあ私、花松さんに新しいお茶を頼んできます。大山さん、応接間に原さんをご案内して、それからお茶を取りに来て」

 こう言っておけば、原さんに怪しまれることなく、大山さんは、一度応接間を抜けだせる。その時に大山さんと合流すれば、大山さんの真意を、原さんと話す前に問いただせるだろう。

「承知しました。では、原どの、こちらへ」

 花松さんに、三人分のお茶を淹れるように頼み、それを載せたお盆を、私が受け取って、応接間に持っていこうとしたところで、大山さんがやって来た。

「梨花さま。茶は、(おい)が持ちましょう」

 大山さんがそう言って、少し身を屈めた。

「その方がいいですね。大山さんの話の内容によっては、お盆を落としそうですから」

 私は、素直に大山さんにお盆を渡した。

「梨花さま、お願いがあります。応接間に入ったら、原に、こう言っていただけますか?」

 大山さんは、私の耳元で囁いた。

「大山さん……?どういうことですか、それって?」

「疑いが、いくつかあります。それに……梨花さまのような方が、他にいないという保証は、ないのでしょう?」

「わかりました、大山さん。……実は私も、少しおかしいと思ったことがあって。だから、あなたの言う通りにやってみます」

「御意に」

 私と大山さんは、応接間に戻った。原さんが一人、椅子に腰かけている。

 私は、新しいお茶を出すと、応接間の上座に座って、

「原さん……あなた、ご自分が、東京駅で暗殺された記憶がおありですか?」

大山さんに囁かれた言葉を、そのまま口にした。

 すると、原さんが微笑した。

「私も、聞きたいことがあるのですよ……“史実”にはもういないはずのあなたが、どうして今、この場に生きているのか?」

 私は、原さんを、――私の“史実”の“平民宰相”・原敬、その人を、睨みつけた。

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