育休延長
1911(明治44)年10月28日土曜日午後2時、東京市麴町区飯田町にある東京至誠医院。
「ほ……本当ですか、先生?」
「ええ、可能性は非常に高いですね」
患者用の椅子に座った私に向かって、私の恩師である吉岡弥生先生は頷いた。
「そ、そうですか……」
私は呟くように言うと、右の手のひらを額に当てた。今、弥生先生に告げられたことに、頭がついていっていないのだ。
「ただ問題は、分娩予定日が正確には推定しづらいことですね」
ため息をつきながら言った弥生先生に、私は「はぁ……」としか返せなかった。
今年の1月20日に万智子が生まれ、9か月が過ぎた。けれど、私の月経は、未だに再開していない。一般には、子供の離乳が進んで来ると月経が再開するのだけれど、万智子が離乳食を始め、少しずつ授乳の回数が減ってきているのに、月経が来る気配がない。念のため、悪い病気がないかどうか、弥生先生に診察してもらおうか……と思い、至誠医院を訪れて弥生先生に診察してもらったところ、“妊娠の可能性が非常に高い”と宣告されたのだった。
と、
「ずいぶんと驚いていらっしゃるわね」
弥生先生が苦笑いを私に向けた。
「い、いや、その……恥ずかしながら、月経が再開しないうちに妊娠するとは思っていなかったので……」
正直に告白すると、
「そういうこともあると、授業では話したような気もしますけれど、まさかご自身に起こるとは考えていなかったのかしら」
弥生先生はこう言った。
「でも、妊娠なさっている可能性は、ゼロではないのでしょう?」
弥生先生の質問に、私は黙って頷いた。
「なら、悪性疾患ではなくて、妊娠と考えるのが自然です。子宮の所見から考えると、妊娠3か月目に入っているとは思います」
「え?!もうそんなに?!つわりを全然感じていないのですけれど……」
確か、万智子を妊娠していた時は、妊娠2か月目にだるさや吐き気が出ていた。ところが、今回は体調が悪くなった覚えが一切ないのだ。
「同じ方でも、つわりの重さは妊娠ごとに違うこともありますからね。それに、妃殿下は最近、医師会について研究を重ねていらっしゃるということでしたから、そちらに夢中になって、症状をお忘れになっていたのかもしれませんね」
戸惑う私に、弥生先生は再び苦笑した。
「はぁ……」
“研究”というレベルの話ではない。知識の研鑽のみならず、医療政策の立案、そして将来的には、医療行為ごとの全国統一価格の設定や、次世代の医師たちに対する研修プログラムの設定もできるような医師会を結成するため、勅令の草案まで作っている。そんなことをぼんやり思った時、
「ただ、まだ子宮をお腹側から触れられませんから、5か月目に入っている可能性は低いと思います」
弥生先生はこう言った。
「つ、つまり、今は、妊娠3か月から4か月の間……。だから、仮に今日を4か月目の初日として……」
私はカバンからスケジュール帳を取り出し、分娩予定日の計算を始める。スケジュール帳の余白に今後の主な予定と一緒にして計算結果を書き込むと、こんな形になった。
10月28日 妊娠4か月目初日(妊娠12週目)
11月25日 妊娠5か月目初日(妊娠16週目)
12月23日 妊娠6か月目初日(妊娠20週目)・帝国議会通常会招集日
1912年1月20日 妊娠7か月目初日(妊娠24週目)・万智子の育休終了日
1912年1月21日 予備役から現役に復帰して、国軍での勤務開始
1912年2月17日 妊娠8か月目初日(妊娠28週目)
1912年3月16日 妊娠9か月目初日(妊娠32週目)
1912年3月26日 帝国議会閉会式(予定)
1912年3月30日 妊娠34週・今回の産休開始日
1912年4月13日 妊娠10か月目初日(妊娠36週目)
1912年5月11日 分娩予定日
(こ、このスケジュール……現場に2か月ちょっとしかいられないということ?!)
今度の帝国議会通常会は、12月23日に召集される予定だ。その日から、来年1月20日までは、予備役である私は帝国議会に出席する。……考えてみると、予備役の期間、つまり育児休暇の最中に、帝国議会に出席して議事に参加するというのも、私の時代の日本だとおかしな話になるかもしれないけれど、梨花会の面々は議会への出席を私に迫るから仕方がない。それに、前世の母は育児休暇を取らず、産休が終わったらすぐに仕事に復帰していたので、私自身、育児休暇の期間中に働くということに余り抵抗がなかったのだ。ただ、本来は育児休暇はしっかり取れる方がいいだろうから、私が生きているうちに、もっときちんと制度を構築しておきたい。
話が少し横に逸れたけれど、育児休暇が終わると、私は予備役から現役に復帰する。帝国議会には現役の軍人は出席できないから、私は国軍で勤務することになる。けれど、その勤務も2か月余りで終わり、3月末には産休に入るのだ。
(そんな……現場に復帰するのを楽しみにしていたのに、2か月ぐらいしか働けないなんて……。2か月の勤務だと大きな仕事は出来ないから、いっそ、育児休暇を短縮する申請をして、今すぐ現場に復帰する方がいいのかしら。でも、分娩予定日も前後する可能性は高いし……ああ、私がもっと自分の体調に気を遣っていれば、おかしいと思った時にすぐに妊娠検査薬……って、この時代の技術だとまだそんなものは作れないわよ!ええと、ええと、私、どうしたら……)
やはり、突然告げられた事実に混乱しているのか、思考が全くまとまらない。そんな私の様子を見た弥生先生が、
「妃殿下、混乱させてしまい、大変申し訳ございませんでした」
私に向かって頭を下げた。
「あ、いえ、それは……混乱しているのは、私の修業が足りないからですし……。それに、妊娠していること自体は、私、とても嬉しくて……」
慌てて首を左右に振ると、
「ですが妃殿下、これは妃殿下ご自身だけの問題ではございません。妃殿下は若宮殿下にとっては大事な奥様、女王殿下にとっては大事な母親でいらっしゃいます。それに、妃殿下は前回の帝国議会で、貴族院の仮議長を務められたお方。ですから、国にとっても大切な方でございます。ですからどうぞ、信頼していらっしゃる方にご相談になって、今後のことをお決めになってくださいませ」
弥生先生は一気に言って、再び私に頭を下げた。
「そ、そうですね……そう、します……」
まずは、今廊下で待ってもらっている大山さんに相談するところからだ。栽仁殿下も、今夜には横須賀から帰宅する。これからの予定を考えるのは、大切な臣下と大切な夫に相談して、心を落ち着けて頭をクリアにしてからだ。ようやくそこまで考えを進められた私は、弥生先生に深々と頭を下げたのだった。
1911(明治44)年10月29日日曜日午前10時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮盛岡町邸。
「陸奥さんも大隈さんも、なぜもう私のお見舞いに来るのですか……」
応接間の椅子に腰かけている内閣総理大臣の陸奥さんと野党・立憲改進党党首の大隈さんを見つめながら、私が呆れたように言うと、
「これでも人数は絞ったのですよ」
陸奥さんは得意げな様子でこんなことを言った。
「梨花会のほとんどの面々が、妃殿下を今すぐ見舞いたいと願ったのです。しかし、大山閣下から“皇族以外の見舞客は2人まで”というお達しがありましたから、与党と野党を代表して、僕と大隈殿が参上しました」
「陸奥どのの言う通りであるんである!伊藤さんが“ついて行く”と言ったのを抑えるのが大変だったのである!」
陸奥さんと一緒に胸を張った大隈さんに、「さようでございますか……」と私は返すしかなかった。
「それに……お義父さまは身内ですから、ここにいて当然なのですけれど……なぜ兄上までいるの……」
私がため息をつくと、
「俺もお前の身内だろう!」
応接間の一番上座、義父と栽仁殿下に挟まれるようにして座っている兄が、軽く私を睨んだ。
「俺の大切な妹が身ごもったのだぞ!すぐに見舞って、体調を確認しなければならないだろう!」
「気持ちはとてもありがたいのだけれど……兄上は節子さまについていてあげてよ……」
「心配するな。お前の見舞いが終わったら、すぐに花御殿に戻る」
両肩を落とした私に、兄はなぜか力強く答えた。節子さまは兄と一緒に伊勢神宮や神武天皇陵などに帰国報告の参拝を終えた直後、9月の初めに妊娠していることが判明した。現在は妊娠4か月目に入ったところである。
「はぁ……妊娠したのはとても嬉しいのですけれど、これからどうすればいいのか、本当に困ってしまいます」
「それは、今後の育休をどうするか……ということだよね」
私の右隣に座っている栽仁殿下が、私の右手を取りながら私に確認した。
「うん。2か月だけ現場に復帰するのだと、私の直属の上司も、私の扱いに困ってしまうと思うから……」
今からでも育休を返上して、現場に復帰しようと思う……そう言葉を続けようとした時、
「何、簡単なことですよ、妃殿下」
陸奥さんがいつもと変わらない調子で言った。
「妃殿下が、産休に入られるまで、ずっと帝国議会に出席なさればよいのです」
「い、いや、ちょっと待ってください、陸奥さん」
私は思わず左手を前に突き出した。「それ、私の育児休暇を延長するということですよね?無理ですよ、それは。だって、育児休暇の延長は、親の不在中に子供を世話する人が見つからない場合に限られるから、今の万智子の状況には当てはまりませんし……」
「……実は、我が党の貴族院議員の中で、妃殿下の予備役期間延長を求める建議を、来たる帝国議会に提出しようという動きがあるのですよ」
私の反論には答えず、陸奥さんはこんなことを私に言った。
(はい?)
建議というのは、議員からの意見を政府に伝えることだ。帝国議会の議題でもしばしば取り上げられ、成立した建議は政府に送られる。“専門学校を設立しろ”“鉄道網を整備せよ”など、その内容は様々だけれど、1人の人間の予備役を延長するように求める建議なんて、聞いたことがない。
「これが少数の人間の動きなら、僕にも止められるのですが、この動きは我が党の貴族院議員全体に広まっていまして、多くの議員が“建議が提出されたら賛成する”と言っています」
「立憲改進党も同じような状況であるんである。井上さんや渋沢どのにも、勢いが止められないんである……」
陸奥さんの言葉に続けてこう言った大隈さんが両肩を落とす。
「ああ、鷹司公爵もそう言っていたな。昨日参内したところにたまたま居合わせたが、掌握している貴族院議員たちがその建議に賛成しそうで困っている、とこぼしていた」
兄までこんなことを言い始め、うなだれた私は左手を額に当てた。
「さて、いかがいたしましょう、妃殿下。こんな建議が提出されてしまえば、我が国の体面に関わる事態に発展するかもしれません」
「……というか、建議の提出を止める気が無いでしょう、陸奥さんも大隈さんも」
少し楽しそうに言った陸奥さんを私は睨みつけた。「私にお願いさせたいのでしょう?産休期間に入るまで、現役に復帰はしないで、予備役にとどまって貴族院に登院することにしたい。そうすれば、妙な建議が提出されるのも止められるでしょう、と……」
「ご聡明な方とお話しするのは、やはり楽しいですね」
陸奥さんはニヤリと笑った。
「……確かに、慌ただしいスケジュールだとは思いました。けれど、その予定で国軍に復帰しろと言われたら、私はちゃんと働くつもりでした。私は臨床現場に復帰したいのです。帝国議会の議事堂には行きたくありません。たとえ2か月しか働けなくても、産休と育休で臨床現場から離れて鈍ってしまった手術の腕、少しでも取り戻さないといけないのですから」
「……医師法の改正を、見届けたくはありませんか?」
きつく睨みつけたつもりだけれど、陸奥さんの態度は少しも揺るがなかった。
「“医師は勅令の定めるところにより医師会を設立すること”……この一文が、次の通常会に提出される改正で、医師法に加えられなければ、妃殿下が手塩にかけられた医師会令の公布はできません。妃殿下が思い描いた医療制度構築への第1歩、ご自身の目で見届けたくはありませんか?」
「……っ!」
私は歯を食いしばった。それは……確かに見届けたい。
「……私の育児休暇を延長するとして、理由はどう説明するのですか?」
「僕が妃殿下に、現役への復帰を待つように命令すればいいことです。国軍の人事権は、総理大臣が持っていますからね。もしそれでご不満ならば、産休・育休に関する国軍の規則を改定して、“その他、やむを得ないと認められた場合には育児休暇の延長を申請できる”と変えてもいいのです。国軍の規則の改定なら、議会に諮る必要はありませんからね」
私の最後の反論に、陸奥さんはこう答えると、
「さて、妃殿下、育児休暇を延長いたしますか?なさいませんか?」
ニヤニヤしながら私に尋ねた。
「イヤだと言っても、延長以外の選択肢を選ばせてはくれないですよね」
「ほかに?」
義父がそう言って、ニコニコ笑っている。兄も栽仁殿下も大山さんも、励ますように私を見つめている。もう逃れる道が残されていないのは明らかだった。
「……胎児の心音が聴診器で聴こえたり、胎動が感じられたりすれば、分娩予定日はもう少し正確に分かると思います。もし、さっき言った来年の3月30日より、産休に入る日が早まった場合は、議会の会期中であっても産休に入りますからね」
「それはもちろんであるんである。そうなれば、議長の職務は副議長に引き継げばいいんであるから、妃殿下は何の心配もなさらなくていいんである」
私の言葉を聞いた大隈さんは満足そうに頷く。
(私が議長をすることも確定なのか……)
大隈さんのセリフを吟味した私は、暗澹たる気分に陥った。
……こうして、私は12月下旬から始まる帝国議会の通常会に、議長として、最初から会期末まで、通しで参加することになったのだった。




