1911(明治44)年6月の梨花会
※章タイトルを変更しました。
1911(明治44)年6月10日土曜日午後2時10分、皇居。
「設立経緯に関しては以上になります。そして、今、配布したのが設立趣意書です。どうぞこちらをご一読いただき、皆様のご支援ご協力を賜りますよう、お願い申し上げます」
私も参加する月に1度の梨花会の冒頭、私は時間をもらって、新しく設立することになった“ベルツ医学育英会”の事業説明をしていた。
「定款やら趣意書やら、なかなかよく出来ておるが……章子、これは全て、そなたが作ったのか?」
出席者全員に配布した資料に目を通していたお父様が、顔を上げると私をじっと見つめる。質問に答えようとした矢先、
「ただ今お配りした文書の作成だけではございません」
私の隣に座っている大山さんが、私の発言機会を奪ってしまった。
「育英会設立のための会議を主催なさっておられますし、定款作成のために、他の育英事業の規定や定款をいくつか取り寄せて精査なさいました。事務局の職員の採用面接に立ち会われ、趣意書を全国の病院や医師会、帝国大学や高等学校などに送付する作業の指揮をされ……」
「大山さん、その辺り、私がしゃべりたかったのだけれど……」
私が軽くため息をつくと、
「梨花さまがお話になられますと、お話が終わらなくなりそうでしたから」
大山さんはそう言って、私に笑顔を向けた。
4月中旬、名古屋から半井君が上京してきて、私に医師になる決意を語った翌日から、私は万智子の育児の傍ら、新しい奨学金事業を立ち上げる作業を始めた。もちろん、誰かにお願いする方が、作業はスムーズに進むのだけれど、
――これも梨花さまのご修業でございます。半井君の決意に応えられるように励まれるのでしょう?
……経験豊富で非常に有能な我が臣下が、こう言いながら笑顔で私に迫るので、私が様々な作業をせざるを得なくなったのだ。育英会の会長はベルツ先生にやってもらうことになったけれど、事務局長が決まった5月末までは、私は実質的な事務局長として、育英会の事務を取り仕切っていた。
「対象者は中学校・女学校の生徒で、主な生計維持者の納税額が一定額以下の者。高等学校の医学部に進学した場合は返還不要、進学しなかった場合は事情に応じて返還してもらう、か。なるほど、これなら、対象者をある程度絞れるな」
前内閣総理大臣の井上さんが両腕を胸の前で組むと、
「応募者多数の場合は、面接と筆記試験で選抜ですか……。いいと思いますよ。妃殿下のおっしゃる通り、中学校と女学校の生徒に対する奨学金制度は手厚くはありません。医学を志す困窮している学生を救う、よい奨学金制度になるでしょう」
文部大臣の西園寺さんが、感心したように頷いた。
「ありがとうございます。現文部大臣にそうおっしゃっていただけて、大変ありがたいです。是非、育英会へのご支援、よろしくお願いします」
すかさず売り込みを掛けると、「ははは、商売上手でいらっしゃいますなぁ」と西園寺さんは苦笑して、
「もちろん、資金は援助させていただきますよ、妃殿下」
としっかり請け負ってくれた。
「この桂も、助力させていただきます。もし、私の胃がんが造影検査で見つかっていなかったら、私は2、3年のうちに命を落としていたでしょう。妃殿下の知識で進んだ医学と、それを学んだ優秀な医師たちが、私の命を救ったのです。その医学に恩返しをするのは、当然のことでございます」
桂さんも立ち上がり、私に向かって大仰に頭を下げた。
「俺も援助させていただきましょう。……しかし、ご縁のあった少年を援助するために奨学金を作るとは、なんとも大きな話になりましたなぁ」
のんびりと言った西郷さんに、
「本当は、何かの口実を作って彼を雇って……例えば、東條さんの家の子供の相手を夕方だけしてもらう、と言って上京させて、私が中学校の学費と下宿代を出してしまえば、それで済む話です。それがなぜ、“奨学金を作る”という話になったのか、私も理解に苦しみます」
私は苦笑いを顔に浮かべながら答えた。東條さんと昨年結婚した私の乳母子・千夏さんは、4月に妊娠していることが発覚した。出産は10月の予定だ。だから、東條さんと千夏さんの子供の相手をする、というのは、来年9月に中学校に入学するであろう半井君を援助する格好の口実になるのに、なぜか話が大きくなってしまった。
すると、
「うむ、これも妃殿下が、貴族院議長としてご成長なさった証であるんである!」
立憲改進党の党首である大隈さんが、満足そうに頷いた。
「1人の少年の窮乏から、社会全体において必要とされる制度を構築し、すぐに具現化できる。貴族院議長としてのご経験が生きているんである!」
「は、はぁ……」
(議長ではなくて、“仮”議長、だけどねぇ……)
大隈さんの大声に気圧されて、首を縦に振った私に、
「自信をお持ちいただかないと、僕たちが困るのですがね」
内閣総理大臣で立憲自由党の総裁でもある陸奥さんがニヤリと笑った。
「手強い旧公家衆や旧大名家がひしめく貴族院に号令を下すには、最も適しておられるお方でありますのに。そして、妃殿下ご自身も、それを認めておいでのはずです」
「……実績のある家達公が、議長に一番ふさわしいと思いますよ」
まさか、議長は、“中立でありたい”と願う自分には適しているポジションだと思ったことを認める訳にはいかない。内心を陸奥さんから覆い隠すべく、私は優雅に、けれど必死に微笑を続けた。
「巧みにご本心を隠しておられるが、僕の眼は誤魔化せませんよ、妃殿下」
陸奥さんの両眼に鬼火がちらつきかかった時、
「それぐらいでよいじゃろう、陸奥君」
枢密院議長の伊藤さんが、苦笑しながら陸奥さんを止めた。
「いずれにしろ、立派にご成長なさっているのは、我が国にとって喜ばしいこと。外遊を終えて一段とご成長された皇太子殿下と並んで立たれる日が待ち遠しいよ」
「……そうだ、兄上ですよ」
私は伊藤さんの言葉をすかさずとらえた。「兄上の情報が、ちっとも届かないのです。予定だと、今頃パリにいるはずだと思いましたけれど……。“史実”では、ヨーロッパがそろそろキナ臭くなってくるころだと斎藤さんに聞きましたし、私、心配です」
「目下、フランスの高官とご交流されておいでです。昨日は大統領の招待で、劇場でオペラをご覧になられたとか」
宮内大臣の山縣さんはこう言うと、首を傾げた。「しかし、おかしいですな。御一行から電報が届くたびに、その内容は盛岡町邸にも回していたのですが……」
「はい?」
(情報は回していた……?)
山縣さんが私にウソをつく理由はない。となると、盛岡町邸に届いた情報が、私の手元に届けられるまでのどこかの過程で、事故があった……いや、事故が起こされたことになる。
「……大山さん?」
隣に座っている大山さんを、私が軽く睨みつけると、
「育英会のお仕事の妨げになると思いまして、必要最低限の情報を伝えさせていただきました」
大山さんは悪びれずに私に答えた。
「育英会の事務は私の手を離れたわよ。そろそろ、兄上の情報を、私にくれてもいいと思うわ」
「確かにおっしゃる通りです。では、ただいまから、宮内省から回ってまいりました皇太子殿下と皇太子妃殿下の御動静は、全て妃殿下にお伝えするように致します」
大山さんが私に頭を下げると、
「何かはぐらかされたような気も致しますが……本題を始めましょうか」
陸奥さんが少し不満そうな表情で一同に提案した。
(これは……今日は質問攻めにされそうね)
そう思いながら、私は他の出席者たちと一緒に頷いた。
「さて、海外の事項についてのご報告をする前に、ついでですから妃殿下にお尋ねしましょう」
早速、陸奥さんは私に鋭い視線を投げた。
「妃殿下が先ほどおっしゃった、“キナ臭くなってくる”というのは、“史実”のどの事項を指しておっしゃったことでしょうか?」
「……イタリアとオスマン帝国の間で発生する、伊土戦争です」
私は記憶を頭から引っ張り出しながら回答した。「イタリアもトルコも、兄上と節子さまが船で通る地中海に面しています。もし、両国の海軍の活動が活発になって、兄上たちの帰り道に影響が出たり、万が一、兄上たちが乗っている船が、海戦に巻き込まれたりしたら……」
「なるほど」
陸奥さんは軽く頷くと、
「ではその伊土戦争、なぜ発生したかはご存じですか?」
と再び私に問うた。
「ええと……」
斎藤さんと原さんから聞いた話を、必死に思い出す。確かあれは……。
「イタリアが、地中海を挟んでイタリアの対岸にある、オスマン帝国のアフリカ領を占領しようとしたのが動機だったはず。つまりは、侵略戦争……」
「そこまでに様々な事件がありましたが、結論から言えばそうなります。“史実”ではこの時期、アフリカ大陸にあるモロッコの権益をめぐり、フランスとドイツが対立していました。その対立に関する対応に追われ、各国がイタリアの動きを牽制できないことを見越して、イタリアは侵略戦争を仕掛けた訳ですが……おや、妃殿下。“腑に落ちない”という表情をなさっていますね」
「あ、あの……モロッコが荒れているという話、聞いたことがないので……」
確かモロッコは、この時の流れでは、フランスの保護領になっているはずだ。保護領になったのは、極東戦争の最中のことだったと思うけれど……。
と、
「“史実”で、モロッコがフランスの保護領になったのは、1912年のことです」
参謀本部長で、現在国軍次官も兼務している斎藤さんが、こんなことを言い始めた。
「え?」
首を傾げた私に、
「“史実”では1905年、フランスのモロッコへの進出を快く思わなかったドイツが、皇帝のモロッコ電撃訪問という手段で、フランスを牽制したのです」
斎藤さんは説明を始めると、大きなため息をついた。
「ところが、この時の流れでは、皇帝はポーランド独立を支援し、ロシアのヨーロッパ方面軍をポーランドとの国境地帯に釘付けにするのに夢中で、アフリカのことを全く顧みませんでした。その結果、妨害を受けなかったフランスは、6年前にあっさりモロッコを手にしました」
「は、はぁ……」
私は何とか首を縦に振った。確か、あの時皇帝は、“騎士として増宮を守る”と叫び、同盟を組んでいるオーストリア・イタリアだけではなく、オスマン帝国にも呼び掛けて、ポーランドの独立を支援したり、ロシアとの国境地帯で大規模な“訓練”を行ったりして、ヨーロッパ方面に展開しているロシア陸軍が極東方面に移動するのを防いだ。日本にとって、とてもありがたいことだったのだけれど、それが遠くアフリカの情勢にまで影響を及ぼすとは……。本当に、世界は広く見なければならない。
「ということは、今、モロッコ領有をめぐるフランス・ドイツの対立は、“史実”のこの時点よりは先鋭化していないということになるから、イタリアが兵力を動かすスキはない。だから、伊土戦争は起こらない……」
「現在、ヨーロッパやアメリカで、“植民地を持つことは、莫大な経済的損失を抱えることと同じである”という論が、盛んに唱えられていることも影響しています」
考えを巡らせていた私の横から、大山さんが付け加えた。「あの論で、列強各国の領土への執着が、相当薄らいでいます。イタリア国内においても、植民地の拡大論は下火になりました」
「……その論、あなたたちが広めたの?」
尋ねたけれど、我が臣下から答えは返ってこない。その通り、ということだろう。私はため息をついた。一体、中央情報院の手は、世界のどこまで伸びているのだろうか。
「皇太子殿下のご渡欧の最中に、欧州で戦争が発生すれば、御身に万が一のことが生じるやもしれません。そのような事態、絶対に発生させてはなりませんから、念には念を入れました」
「……本当に、あなたたちは怖いですね」
顔に不気味な笑みをたたえた伊藤さんに素直な感想を伝えた私は、
「でも、イタリアが手を出さなくても、オスマン帝国が弱いままなら、他の国にやられてしまいますよね?それはどう対応するのですか?」
と一同に問いかけた。
「オスマン帝国の財務状況は改善してきているようですね」
大蔵大臣の高橋さんが言った。「最近は、ドイツ資本の流入が著しいです。大規模な灌漑・発電用のダムの建設が計画されているとかで」
すると、
「それは……」
前大蔵大臣の松方さんが眉をひそめた。
「ん?どうした?」
井上さんの問いに、松方さんは表情を曇らせたまま、
「今年に入ってから、オスマン帝国で動いている公共事業の数が多すぎる気がしまして……。財政破綻するのではないかという考えが、一瞬頭を過ぎったのです」
と重々しい声で答えた。……そう言えば、30年以上前、オスマン帝国は一度財政破綻しているのだ。度重なる戦争と、国内改革に掛かった経費とが、財政を圧迫させ、それに経済構造の変化が追い打ちを掛けた結果だと聞いたことがある。
「ふむ……」
宮内大臣の山縣さんが難しい顔になった。「ドイツがオスマン帝国に投資をして、その国力増強を助ける。一見、美談ではあります。しかし、あの皇帝が、それだけで終わるとは思えませんな」
「狂介は相変わらず慎重だな。だが、確かにお主の言う通り。裏に何かないか、調べる方がよいかもしれぬ」
伊藤さんの苦笑交じりの声に、
「俺から、金子さんに話しておきましょう」
大山さんがしっかりと頷いた。
「頼みます、大山どの。わしの取り越し苦労であればよいのだが……」
けれど、山縣さんの眉間の皺は消えなかった。そして、山縣さんの懸念を深くする話が、後に梨花会にもたらされることになるのだけれど、この時の私たちには、それを知る術はなかったのだった。




