閉会式の行幸
「はぁ?!明後日の閉会式にお父様がいらっしゃるのですか?!」
1911(明治44)年3月29日水曜日午前10時、東京市麴町区内幸町2丁目にある帝国議会議事堂。太田書記官長からその知らせを聞いた私は、思わず議長室の自分の椅子から立ち上がった。今日は本会議が午後3時からなので、午前中に議事の打ち合わせをしている。議長室には私と太田さんだけではなく、立憲自由党の大木さんも立憲改進党の渋沢さんも、そして私の叔父の千種有梁さんもいるけれど、3人とも私と同じように驚いたらしい。叔父に至っては顔を青ざめさせ、太田さんから身を遠ざけた。
「……冗談ですよね、太田さん?」
「妃殿下……残念ながら、本当のことです」
私の確認に太田さんが首を横に振ると、
「そんな!俺の覚えてる限りじゃ、閉会式に行幸があったことなんて、ただの一度も無かったのに……」
叔父が両腕で頭を抱えた。
「ええ、千種どののおっしゃる通りです。閉会式の行幸は、おそらく帝国議会始まって以来のことです」
貴族院の生き字引のような存在である太田さんがこう言うのなら、帝国議会の閉会式にお父様が来るのは、本当に初めてのことなのだろう。だからと言って、歓迎すべきことではない。なぜならば……。
「ということは、私、お父様が議事堂にいらしたら便殿に案内して、それから、閉会の勅語をお父様から直接受け取らないといけないのですか?」
念のため、太田さんに確認してみると、
「はい、そうなります……」
太田さんからは、やはり予想通りの答えが返ってきた。
「そんな……」
(勅語は陸奥さんから受け取ると信じていたのに……)
帝国議会では、会期ごとに閉会式が行われている。けれど、閉会式にはお父様は出席せず、閉会の勅語は内閣総理大臣が代読し、貴族院議長がそれを受け取る慣例になっていた。数日前の議事打ち合わせで太田さんに言われていた予定が、前例の無い閉会式への行幸により崩れてしまった。
「太田さん、何とか先例通り、行幸は無しで、陸奥さんから勅語を受け取るように変更できませんか?」
こうなったら、何とか陳情して、予定を変えてもらうしかない。太田さんに尋ねてみると、
「実は、私も、恐れ多いことだと思いましたので、先ほど、宮内省に参りまして、“先例通りに閉会式を行うことにしていただけないでしょうか”と頼んでみたのですが……山縣閣下直々に、“変更はない”と言われてしまいました」
彼はそう言ってうつむいた。
「何でも、陛下が強く今回の行幸を主張なさったそうでして、山縣閣下と伊藤閣下と陸奥閣下、3人がかりでの説得にも頑として応じなかったとのことです。“妃殿下はお気が進まぬことと推察いたしますが、これもご修業とお考えになり、耐えていただきますように”……先ほど宮内省で、山縣閣下から伝言を頂戴致しました」
(はう……)
私は両腕で頭を抱えた。
「これは……陛下が、妃殿下の貴族院でのご様子をご覧になりたいと思し召してのことでしょうか」
「恐らく、そうでしょう。子を心配なさる親心というものですな」
大木さんと渋沢さんは、なぜか納得したように頷き合っている。
「もう嫁いだ身なのですから、心配していただかなくてもいいのですけれど……」
ため息をつきながら2人に応じると、
「たとえ子供が大きくなり、人の親になろうとも、親にとって子供は子供で変わりありませんよ」
渋沢さんが微笑しながら言った。私より40歳以上も年上で、子供も孫もたくさんいる人の言葉には説得力があり、私は反論することが出来なかった。
と、
「しかし、妃殿下が本会議にご出席になられてから、貴族院での不規則な発言は本当に減りました」
太田さんがお茶を一口飲むと、こんなことを言い始めた。
「衆議院の諸君のお行儀も良くなりましたね。議論が白熱すると、口だけではなく手も出てしまいそうになる、血の気の多い者たちが、すっかりおとなしくなっています」
立憲自由党の大木伯爵も太田さんに答える。すると、やっと生気を取り戻した叔父が、
「……そりゃあ、妃殿下の御発言があったからですよ」
と言い始めた。
「あの、叔父さま?私、仮議長就任のあいさつ以外は、台本以外のことは喋っていないですけれど……」
首を傾げた私に、
「あー、本会議の御発言じゃなくてですね」
叔父はそう言うと、湯飲み茶碗の中身を一気に飲み干し、更に続ける。
「何日か前の打ち合わせの時に、“自分の不勉強からの質問や、別の話題を出して議論を引き延ばすようなことはやめて欲しい”っておっしゃったじゃないですか。こりゃあ使えると思って、議員連中に触れ回ったんです。そうしたらまぁ、効果てきめんで、目立つために質問していた奴らの口が、まったく動かなくなりましたよ」
「はぁ……でも、なぜそんなことをしたのですか?」
私が尋ねると、
「こう言っちゃ身も蓋もないですが、公家どもが嫌いだからですよ」
と叔父は吐き捨てるように答えた。
「7月には伯子男爵議員と多額納税者議員の改選がある。改選直前の貴族院は、改選対象の議員たちが、選挙活動のつもりか、本会議で少しでも目立とうとして、的外れな質問を連発するんですよ。以前は、質問だけじゃなくて、仲間と語らって妙な法律案を出してたこともあったらしいが、それは亡くなられた三条公がやめさせた。でも、質問は止められなかったから、7年前の改選直前の貴族院本会議は、公家どもが間抜けな質問を連発して、本会議を無駄に長くしていたんです。……それが嫌だったから、殿下の御発言を触れ回りました。だって、時間を使うなら、公家の馬鹿な質問を苦痛に耐えながら聞いているより、芸者の踊りでも見ながら酒を飲んでいる方がいいじゃないですか」
少しおどけた叔父の口調に、太田さんも大木さんも渋沢さんもクスクスと笑う。当然、私もニッコリと笑った。
「……叔父さまのおっしゃる通りですね。そんな無駄なことをしているより、家で医学書を読んでいる方がいいに決まっています」
そう叔父に言うと、
「なるほど、身は議会にあっても、医師であることは忘れない、ということですか。……俺も、議会にいるより、とっとと一介の医者に戻りたいんだけどなぁ」
叔父はため息をつきながらぼやく。すかさず大木さんと渋沢さんが、「無理ですよ」と同時にツッコミを入れ、叔父は唇を尖らせた。
「まぁ、叔父さまの望み通り、本会議を無駄な時間なしで終わらせるためにも、打ち合わせはしっかりやらないといけませんね」
私は顔に苦笑いを浮かべながら言った。
「本会議は、今日と明日、あと2回で終わりです。明後日の閉会式で、気持ちよくお父様を迎えられるように、気を引き締めていきましょう」
私の声に、議長室にいる一同は一斉に頭を下げた。
1911(明治44)年3月31日金曜日午前10時53分、東京市麴町区内幸町2丁目にある帝国議会議事堂。
(うう……ギリギリ入ったけれど、布が破けたらどうしよう……)
行幸がある時だけに使われる議事堂の正玄関の前で、桃色の小礼服を着て勲章を佩用した私は、お父様の到着を待っていた。万智子を出産した後、体型が少し崩れてしまったので、小礼服を着るのは大変だった。元々、ゆったりしたデザインで作ってあったので何とか着られたけれど、これが出産直後のことだったら、ウエストが絶対入らなかっただろう。
(でも、変なきっかけで布が破けそうだから、本当に気を付けないと。ああ、勲章を佩用する必要が無かったら、和服でよかったのに……)
心の中で文句を言っていると、正門から、お父様の馬車を先導する騎馬警官が入って来るのが見えた。慌てて最敬礼をすると、馬の蹄の音が近づき、馬車の車輪が軋みながら私の前で止まった。
「出迎えご苦労」
馬車から降りたお父様の厳めしい声が、頭上から聞こえた。
「……便殿にご案内いたします」
今は大事な仕事中である。私は無駄口を叩かず、こう言って再び頭を下げた。お父様を皇族控室の隣にある便殿に案内すると、私は大急ぎで貴族院の議場に向かい、定められた位置に立った。閉会式では、衆議院議員たちも貴族院に召集され、貴族院議員たちと一緒に整列することになる。貴衆両院の議員たち、そして、前に並んでいる陸奥さん以下の閣僚たちの視線が私に集まっているのを感じながら待っていると、議場の前方左側にある扉が開き、宮内省の職員に先導されたお父様が議場の中に入ってきた。議場の前方中央にある玉座にお父様が着席すると、私も含め、議場内の全員が一斉に最敬礼した。
内閣総理大臣の陸奥さんが前に進み出て、お父様に勅語書を差し出す。玉座から立ち上がったお父様は勅語書を受け取るとそれを開き、
「朕、貴族院及び衆議院の各員に告ぐ。朕、本日を以て帝国議会の閉会を命じ、併せて卿ら励精克く協賛の任を竭せるの労を嘉奨す」
と、朗々と勅語を読み上げた。
勅語が終わると、私はお父様の前に進み出た。お父様が立っている高さの1段下まで階段を上がると、お父様が私に巻いた勅語書を渡す。それを受け取ると、私は後ろ向きに一段ずつ階段を下りた。小礼服の裾を踏んで転んでしまわないかが心配だったけれど、何とか事故無く下りることができた。
閉会式が終わると、私は便殿に、衆議院議長の長谷場純孝さんと一緒に招き入れられた。
「2人とも、議長の役目ご苦労だった」
大元帥の正装をまとったお父様は、相変わらずの厳めしい声で言った。長谷場さんと一緒にお父様に改めて最敬礼すると、
「章子」
お父様が私の名前を呼んだ。
「はい」
「いかがであった、仮議長の仕事は」
「……皆様に助けられ、ようやく任を果たすことができました」
強がっても仕方がないので、私は思うところを正直に述べた。議事の打ち合わせをしているメンバーにも助けられたのはもちろんだけれど、梨花会の面々が、私が登院を始めるまでの議事の内容や、関連する法律についての確認テストをしてくれていなければ、私は議事の打ち合わせについて行けなかっただろう。
「なるほど……未だ、上医には程遠いか」
「はい、己の未熟さを痛感いたしました。お父様を助けるなど、私には、まだとても……」
「そうか」
そう言うと、お父様は黙ったまま、頭を下げたままの私に、じっと視線を送っていたけれど、やがて、
「……では励め。なお一層、な」
と言って、私たちに退出を命じた。
再び正玄関に立ち、還幸するお父様を見送りながら、ふと思った。
仮に私が上医になれた時、私が貴族院の議長であったとしても、兄とお父様を助けられる量は限られてしまう。もちろん、参内して自分の意見を述べる機会はあるだろう。しかし、余りに頻繁に参内すれば、他の人たちに不審がられてしまう。大臣になる手もあるかもしれないけれど、昔ならともかく、憲法が制定されてからは、皇族が大臣になった例はない。“史実”なら、終戦直後に稔彦殿下が内閣総理大臣を務めたことがあったけれど、あれは、超異例の状況下での就任だから、今の状況で私が内閣総理大臣になることは100%あり得ない。
(上医に……私が上医になれたとして……私はどの立場で、どうやって兄上とお父様を助けるのかしら?)
皇居へと走り去っていくお父様の馬車を見送りながら抱いた疑問は、私の心の中でいつまでも消えなかった――。




