初めての議事進行
1911(明治44)年3月20日月曜日午前10時、東京市麹町区内幸町2丁目にある帝国議会議事堂。
「開会に先立ちまして、議場の皆様に一言ご挨拶申し上げます」
議事堂1階にある貴族院の議場。演壇に立った私は、議場にいる議員たちに向けて、仮議長就任の挨拶を始めた。
「一昨日、私は皆様より推挙を受けまして、仮議長の職に就くことになりました。経験の少ない私が重責を担うこととなり、身が引き締まる思いでございます」
挨拶文は、大山さんにも見てもらってOKをもらった。だから、卑下をし過ぎていることはないはずだ。静まり返った議場に向かって、私は挨拶文を読み上げ続けた。
「立憲政治の本旨に則り、貴族院の公正円満な運営に全力を尽くす所存でございます。議員の皆様におかれましては、何卒ご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます」
ペコリと頭を下げると、大きな拍手が議場に沸き上がった。その響きを受けながら議長席に座ると、中山孝麿侯爵が進み出てきて、私に最敬礼すると演壇に立った。
「先例によりまして、一同に代わりまして仮議長内親王殿下に祝辞を申し上げます」
中山侯爵の声は、微かに震えている。恐らく緊張しているのだろう。
「一昨日、内親王殿下が仮議長にご当選遊ばされたこと、我々議員一同、心よりお祝い申し上げます。諸君もご承知の通り、内親王殿下は美貌を誇るのみならず、才能のあるお方でもあり、“極東の名花”と世界中で讃えられているお方でもございます。このような素晴らしい内親王殿下を戴いて議事を行えることは、我々の喜びとするところであります」
(ロシアの宮廷だと、私の評判はよくないけれどねぇ)
私は心の中で苦笑した。実際、ロシアのマリア皇太后は、私のことを“極東の魔女”と呼んで忌み嫌っているそうだ。ロシアに戻って小学校を開校したウリヤノフさんからの手紙にそう書いてあったと、しばらく前にヴェーラが教えてくれた。
「ここに、内親王殿下がそのお力を遺憾無く発揮され、貴族院の円満な運営と立憲政治の発展に多大なる成果を上げられることを偏に希望致します。美しく麗しい和装の内親王殿下の、ますますのご活躍をお祈り申し上げて、お祝いの言葉とさせていただきます」
中山侯爵は立派なことを言っているのだ……そう思いたい。けれど、彼の祝辞が進むにつれ、議員たちが目を輝かせ、顔を上気させていっているような気がする。それは何故なのか……考えたら負けのような気がする。
ただ一つ確実なのは、中山侯爵の叔母である一位局が生きていたら、中山侯爵を叱るだろうということだ。“色香に惑ったその祝辞は、侯爵としてふさわしくない!”という一位局の声が天から聞こえた気がして、私はため息をついた。もっとも、祖母のことだから、“これしきのことで動揺してどうするのじゃ!そのように心弱きことでは、上医になるなど夢のまた夢じゃぞ!”と、私にも一緒に雷を落としそうだけれど。
(どちらにしろ、お祖母さま、あの世でブチギレているだろうな……)
祝辞を終え、誇らしげに私に最敬礼する中山侯爵を見て、私は暗澹たる思いを抱いたのだった。
そこからの議事は順調に進み、午前11時35分に散会した。一昨日の打ち合わせで、議題に上った法案に対して、貴族院として賛成するのかどうか、第2読会、第3読会を省略して法律案を成立させるかどうか……細かい進行まで決まっているからだ。読会省略の動議を誰が出すか、それに誰が“異議なし”と応じるかまで決まっているのには、正直驚いてしまった。けれど、これも議会の円滑な運行に必要なのだそうだ。確かに、議会で取り扱わなければいけない議題は多数である。委員会で議論が尽くされた法案は、さっさと議決しなければ、行政が滞る原因になってしまう。イレギュラーな質問が飛び出すこともなく、私は太田書記官長が渡してくれた台本通りに議事を進め、無事に本会議を終わらせることができた。
一旦皇族控室に戻り、万智子の世話と昼食を終えてから、午後1時30分に議長室に入ると、既に太田書記官長がスタンバイしてくれていた。これから明日以降の議事の打ち合わせをするのだ。太田書記官長の他に、私の叔父の千種有梁さん、立憲自由党の貴族院議員である大木遠吉伯爵、そして立憲改進党の貴族院議員で、前農商務大臣でもある渋沢栄一男爵がいる。その4人と打ち合わせをするはずなのに、議長室には何故か陸奥さんと大隈さんがいて、
「さあ妃殿下、打ち合わせを始めましょう」
「ドシドシ決めていくんである!」
などと言っている。
「総裁と党首のお二人に、わざわざ出張っていただかなくてもいい打ち合わせなのですけれどねぇ」
ため息をつきながら言ってみたけれど、陸奥さんも大隈さんも、一向に部屋を出ていく様子がない。
「どうしましょう、渋沢さん。あんな総理を見たことがなくて」
「私も、井上さんならともかく、大隈さんにこんなに振り回されることになるとは考えてもいませんでした」
大木さんと渋沢さんが小声で言葉を交わした次の瞬間、ドアの向こうでドタドタ足音が響いて、
「大隈さん、ここにいらっしゃいましたか!」
「党務委員会に遅刻してしまいますよ!」
立憲改進党の衆議院議員、尾崎行雄さんと犬養毅さんが現れ、議長室に入ると大隈さんの手を左右から掴んだ。
「何をするんであるか!吾輩はここで、貴族院の議事の打ち合わせをするという崇高な義務があるんであ……」
「小泉君、頼みます!」
ごちゃごちゃと何かを言っている大隈さんを無視して、尾崎さんが後ろに向かって叫ぶ。すると、眼光が鋭く、ガタイのいい男性が議長室に飛び込んで来て、
「親分、じゃねぇ、党首!さぁ、行きますぜ!」
と言いながら大隈さんを羽交い締めにした。
「ぬおー、放すんである、小泉君!君は衆議院議員であって、暴徒ではないはずなんである!」
「往生際が悪いですぜ。妃殿下にご迷惑を掛けちゃいけねぇでしょうが。小学校しか出てねぇおれでも分かることなのに、どうして天下の東京専門学校の創立者先生が分かんねぇんですかい!」
抵抗むなしく、大隈さんは、尾崎さん、犬養さん、そして小泉さんの3人がかりで廊下へと引きずり出されたのだった。
「おや、大隈殿は帰ってしまいましたか。ふふふ、これで妃殿下とゆっくり打ち合わせができると言うもの……」
意味不明なことを呟きながらニヤリと笑った陸奥さんにも、ドアの外から鋭い視線が突き刺さった。
「総理……一体何をなさっておいでか?」
扉の向こうに、内務大臣の原さんが立っている。見事な白髪の下にある両眼は、明らかに激しい怒りの色に染まっていた。
「もう総理大臣官邸にお戻りいただかなければ、閣議に間に合いませんよ。行政を遅滞させてもよろしいのか?」
「……仕方がないね。原君のご指示に従うとしようか」
陸奥さんは私に向かって優雅に一礼すると、原さんに右手を掴まれながら議長室を出ていった。
(ふう、助かった。後で原さんにお返しを請求されそうだけれど、それはちゃんと支払うか)
私は胸を撫で下ろすと、「では、打ち合わせを始めましょうか」と一同に呼びかけた。
「……今日は、議員からの質問が全くありませんでしたね」
各委員会の議事の進捗を確認し、新しく貴族院に回ってくる法案の特別委員を決めた後、太田書記官長が言った。
「確かに」
「そうですね。無所属の議員から、質問が出るかと思っていましたが……」
大木さんと渋沢さんが口々に言うと、
「当たり前じゃないですか」
叔父がため息をつきながらツッコミを入れた。
「こんなに威厳に溢れる妃殿下が議事を進めているんです。公家どもが逆らえる訳がないじゃないですか……」
「……それはちょっと良くないかもしれないですね」
私は両腕を胸の前で組んだ。「議事の進行という点ではとてもありがたいですけれど、必要な議論がなされるのかという点では不安になります。もちろん、私のいない委員会の席で活発な質疑応答がされているのならいいですけれど、必要な質問なら、私に萎縮せずしてほしいです。……自分の不勉強からの質問だとか、別の話題を出して議論を引き延ばすようなことだとかはご遠慮いただきたいですけれど」
「「はっ……」」
大木さんと渋沢さんが頭を下げると、
「なるほどな。そうなると、無所属の公家どもが質問出来ないのは変わりないですね」
叔父がまたため息をついた。
「自分が偉ぶりたいから議員になった、って奴ばっかりで、ロクに政治のことを勉強していない。質問するのも、“目立ちたいから”って理由がほとんどだ。本当に虫酸が走るぜ」
「そうはおっしゃいますが、千種どの。千種どのは旧公家のご出身ですが、政治に精通されていらっしゃるではありませんか」
「太田さん、必要に迫られて仕方なく、ですよ。本当は一介の医者に戻りたくてしょうがないんですから。まぁ、7月の伯子男爵議員の改選で落選できれば、俺もめでたく医者に戻れるんですが……」
太田書記官長に軽い調子で答える叔父に、
「それは無理でしょう。我が党では“何が何でも千種どのを当選させろ”という指示が出ておりますから」
「立憲改進党の方もです。“千種どのが議会にいなければ、貴族院の円滑な運営は望めない。本人は嫌がるだろうが絶対に当選させろ!”と、大隈さんが檄を飛ばしています」
大木さんも渋沢さんも、無情な答えを突きつける。
「諦める方がいいですね、叔父さま」
私が指摘すると、叔父は「ちくしょうめ……」と力無く呟いた。
と、
「そう言えば、特別委員会の委員も、従来通り、9人ないし15人を与党・野党・無所属で3分割する形としましたが、それでよろしかったですか、妃殿下?」
太田書記官長が私に問うた。
「妃殿下が円滑な議事進行をお望みでしたら、委員を全て与党の議員から選出することもできますが……」
「太田さん、それは公平ではありません」
私は即座に答えた。「議会はあくまで、議論によって戦う場であるべきです。私が権力を振るう場ではありません。私が必要以上に操作を加えれば、公平な議会運営とは言えません。議長は可能な限り、中立であるべきです。ですから従来通り、委員は与党・野党・無所属の議員から、各々の会派に所属する議員の人数に比例した人数を選ぶようにしてください」
法律案が貴族院に送られ、本会議の第1読会で提出者からの説明が終わると、法律案は貴族院の委員から構成される特別委員会に付託され、更なる審査を受ける。特別委員会の委員は、議会の選挙で選ばれるか、議長が指名するかのどちらかで選ばれるけれど、審議される法律案が多いこともあり、近年はもっぱら議長が委員を指名している。だから、仮議長の私がやろうと思えば、委員に全員与党議員を選んだり、逆に野党や無所属の議員だけで委員会を作らせたりすることもできる。やり方によっては、絶大な権力を振るって、思い通りに議会の結論を操作することもできるけれど、それは私がやりたいことではない。
「なるほど、妃殿下は、家達公と同じようなお考えをなさっておいでのようです」
私の答えを聞いていた渋沢さんが頷いた。「本当のところは、家達公は陸奥総理に心を寄せておいでなのです。しかし、“私が態度を明らかにして、立憲自由党を贔屓してしまうのは、議長として推挙されている身としてふさわしくない。あくまで私は中立の立場にいなければならないのだ”とおっしゃって議会運営をなさっておいででした。徳川宗家当主、というお立場もあってのことでしょうが」
「なるほど……」
徳川宗家の当主……世が世なら、徳川家第16代の征夷大将軍として、天下に号令を下していた立場である。私が“妃殿下の賛成されたものに賛成する”という流れを作らないように、出来る限り中立な立場でいようと決めたように、徳川家達さんも、“徳川宗家当主が賛成されたものに賛成する”という流れを議員たちの中に作らないように、中立な立場でいようと決めたのかもしれない。
(そう考えると、議長でいるというのは、私や家達公のように、“中立でありたい”と思っている人には適しているのかもしれないな)
私はこう思った。けれど、それを口に出してしまったら最後、梨花会の面々は喜んで、私を貴族院議長にしようと画策し続けるだろう。この思いは絶対に口にしないことにしよう。私はそう決心したのだった。
※気になる方がいると思いますので一応断っておきますが、今回出てきた小泉さんは野人と呼ばれた小泉さんです。




