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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第52章 1911(明治44)年雨水~1911(明治44)年芒種
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仮議長の椅子

 1911(明治44)年3月18日土曜日午前11時45分、東京市麴町区内幸町2丁目にある帝国議会議事堂。

「さて、妃殿下。いかがですか、議長の椅子の座り心地は?」

 議事堂1階にある議長室。昨日まで徳川家達(いえさと)公爵が議長の執務をしていた席に座った私は、

「“最悪”以外の答えがあると思ってるんですか?」

質問を投げてきた陸奥さんに、しかめっ面で回答した。

「ふーん、椅子の材質が良くないですかねぇ。やはり、妃殿下にふさわしい高級なものに椅子を交換して……」

「そういう意味じゃありません!椅子をどんなものに変えたって、座り心地が最悪なのは変わらないんです!」

 首をひねりながら呟いた西園寺さんに、私は眉を跳ね上げながら突っ込んだ。

「全く……、まさかこんなことを企んでいただなんて。極東戦争が始まった時と同じぐらい驚きましたよ」

「どうやらそのようですね。ご結婚以来その身にまとわれていた気品が、今は剥がれ落ちておられる」

 文句を言う私に、陸奥さんがニヤリと笑う。

「どうして、私を仮議長にしたんですか?私、出席していた議員の中で最年少に近いのに……」

「それはもちろん、妃殿下に上医になっていただくためなんである!」

 私の問いに、立憲改進党の党首である大隈さんが、大きな声で答えた。

「妃殿下は、政治に関する知識を十分にお持ちであるんである。吾輩たちがビシバシ鍛えたのであるから、当然のことであるんである!」

「だから、あとは経験を積むだけ、なんだよなぁ」

 大隈さんのセリフを引き取るように、前内閣総理大臣の井上さんが言った。「ただ、いきなり大臣や次官になるのは障害が多すぎる。女子の社会進出が進んできたと言っても、官吏になった女子はまだ現れていないからな。いくら妃殿下が相手でも、女に使われるのを良しとしない官僚たちからは不満が出るかもしれねぇ」

「しかし、既に妃殿下が議席を持っていらっしゃる貴族院であれば、話は異なります。貴族院議員のほとんどは、我々のように妃殿下を慕っております。妃殿下が議長になられた暁には、議員一同、全力で妃殿下を支えるというのは分かり切ったことでしたから、こうして根回しをさせていただいたのです。現に今回も、我々が話を持ち掛けましたら、ほとんどの議員はすぐに妃殿下に投票することに賛成いたしましたし」

 前内務大臣で、立憲改進党所属の貴族院議員である山田さんが微笑した時、

「“そっとしておいてあげよう”って言った奴も、結構いましたけどねぇ……」

私の叔父の千種(ちくさ)有梁(ありはる)さんが、議長室の後ろの方でボソッと呟いた。次の瞬間、議長室の中にいた陸奥さん、西園寺さん、大隈さん、井上さん、そして山田さんが叔父を一斉に睨みつける。叔父は「ひっ」と小さな悲鳴を上げ、後ずさって議長室の後ろの壁に背中をぶつけた。それを確認することもなく、陸奥さんは私に向き直ると、

「では妃殿下、早速、来週月曜日以降の議事について打ち合わせを始めましょう。普段はこの打ち合わせ、大木(おおき)どのにお願いしているのですが、今日は総裁のこの僕が、立憲自由党の担当者として打ち合わせに出席します」

と言って再び微笑した。

「我が立憲改進党も、普段は渋沢(しぶさわ)どのに打ち合わせをお願いしているんであるが、今日は党首の吾輩が打ち合わせに出るんである!」

 大隈さんもそう断言すると嬉しそうに胸を張った。

「千種どのも、いつもの通りお願いしますよ。いいですね?」

「アッハイ」

 陸奥さんに念を押された叔父が、壁に背中を付けたまま、機械人形のようにぎこちなく首を縦に振る。こうして、書記官長の太田さんも加え、来週月曜日以降の議事の打ち合わせが始まった。

「まず、議事開始の際、簡単で結構ですので、仮議長就任の御挨拶をお願いいたします。毎会期、議長選出直後の本会議での通例となっておりますので」

「あの、太田さん」

 最初からとんでもないお願いを始めた太田書記官長の言葉を、私は右手を挙げて止めた。

「その通例は、あくまで、議長が選出された時のことですよね。私は“仮議長”です。議長とは違うんですから、その通例に従う必要はないと思います」

 ところが、

「あー、妃殿下。それなんですが、ね……」

意外にも、私の抗議を止めたのは叔父だった。

「もう、やるしかない状況なんですよ。中山侯爵が、“仮議長ご就任のあいさつの際、自分に就任の祝辞を言わせてくれるなら、妃殿下の仮議長就任に賛成する”って主張してて……。その方向で、立憲自由党(よとう)とも立憲改進党(やとう)とも話が付いてるんです」

「はぁ?!」

 私は思わず、椅子から立ち上がった。「な、中山侯爵が、そんなことを言う訳がないでしょう。大体、あの人、私のことは嫌いなんじゃ……」

「嫌い……ということではなく、“軍服をお召しになっている妃殿下を見たくない”と言う方が正確ですね」

 陸奥さんの隣に座っていた西園寺さんが、苦笑しながらこんなことを言い始めた。

「中山侯爵は、どうも、凛々しさを強調する軍服より、美しさや優雅さを強調するドレスや和服をお召しになる方が、妃殿下は美しくなるという信念をお持ちのようでしてね。今日は妃殿下が白襟紋付をお召しになっているのを見て、“やはり妃殿下は和服に限る。妃殿下が予備役に回られてよかった。これで心置きなく、妃殿下に票を投じることができる”と言いながら、僕の隣で涙を流していましたよ」

 西園寺さんの言葉を聞いた私はよろめいた。中山孝麿(たかまろ)侯爵と言えば、お父様(おもうさま)のいとこであり、4年前に亡くなった私の祖母・一位局(いちいのつぼね)の甥でもある。そんな立派であるべき人が、私の和服姿が見たいという理由で、私の仮議長就任に賛成するなんて……。

「もうやだ、この国……。衆愚政治、ここに極まれり……日本滅亡の足音が聞こえる……」

 私は両腕で頭を抱えた。

「何をおっしゃっておられるのですか。そうならぬように、僕たちも妃殿下も努力しなければならないのです」

 絶望した私に、陸奥さんは容赦なく指摘を入れると、

「ほら、サンドイッチを食べながら話を続けましょう。つい先ほど、大山殿が届けてくれたそうです」

と私に言った。見ると、議長室のドアの向こうに、小使さんが3人立っている。それぞれが大きなバスケットを抱えていた。彼らは議長室に入ると、キビキビした動作で食器を机に並べ、サンドイッチを盛りつける。サンドイッチは、7、8人分の量があるのだろうか。私が仮議長に選出されてから、慌てて作って……いや、私が仮議長に選出されることは、梨花会が前々から裏で動いた結果だから、大山さんも当然知っていただろう。だからこうして、打ち合わせに備えて昼食を届けたという訳だ。仕掛けられていた罠に気付けなかった自分を罵りながら、私はサンドイッチに手を伸ばした。……流石、我が家の料理人さんだ。悔しいけれど、サンドイッチは美味しい。

「さて、本題に戻りますが……」

 サンドイッチを一切れ食べた太田書記官長は、そう言うと咳払いをして続けた。

「月曜日の本会議では、第1読会が3つあります。帝国大学特別会計法中改正法律案、官営鉄道会計法中改正法律案、帝国学士院学術奨励金特別会計法ですな。それから、市制改正法律案、町村制改正法律案、明治23年法律第103号廃止法律案、明治33年法律第85号改正案の4つの委員会報告があります。こちらは全て同日中に第2読会、第3読会を開いて可決する見込みです。更に、請願28個に関する会議がありますから、日程は合計で35個です」

「さ……35個?!」

 私は目を丸くした。“日程”というのは、議題のことである。今まで、貴族院本会議の議事録は読まされていたけれど、こんなに議題があったことは無かった。

「ふむ、いよいよ会期末が近づいてきたんである」

 サンドイッチを手にした大隈さんが頷いた。「請願委員会での精査が終わった請願が、次々と“本会議に付すべし”と議決され、本会議に送られてくるんである。会期末に向かうにつれ、その量はどうしても多くなる故、会期末には請願が多数本会議に掛けられる……帝国議会通常会の風物詩なんである」

(いやな風物詩だなぁ……)

 暗澹とした気分に陥った私に、

「ああ、そんなに時間は掛かりませんよ、妃殿下。請願は大体、読み上げも省略して、“異議なし”という結論で終わります。そうなるように、委員会の段階で議論を終わらせるように調整するのが、渋沢と大木と千種どのの役目ですからね」

井上さんが陽気に言う。私は「はぁ……」とあいまいな相槌を打つしかなかった。

「各法律案に対する特別委員に、議長が誰を指名するかも決まっています。しかし、今後衆議院や政府から送付されるであろう法律案に関する委員会の委員は、これから考えなければなりません。月曜日の日程の段取りの確認が終わったら、そちらも考えましょう。私たちも手伝いますから」

 山田さんが優しい声で言ったけれど、その内容は全く優しくなかった。法律案はまず、第1読会で、9人、もしくは15人の特別委員に今後の協議を付託する手続きを取る。その委員が誰になるかは、その法律案が本会議で成立するか否かに大きくかかわって来るのだ。

「そんな重大なことを、もう考えないといけないんですか……」

 大きなため息をついた私に、

「大丈夫でしょう。仮議長選挙に白票を投じられた妃殿下ならば、きっと公正な議会運営ができます」

陸奥さんはまたニヤリと笑って首を縦に振った。彼の両の瞳の奥には、鬼火がちらついていた。

――逃がしませんよ、妃殿下。

 陸奥さんが目でそう言った気がして、私の背筋が寒くなった。

 こうして私は、途中万智子(まちこ)に授乳をしながら、午後5時ごろまで議事堂に拘束されたのだった。


 1911(明治44)年3月18日土曜日午後7時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)家盛岡町邸。

「えーと、“私は諸君らの推挙を受けまして、仮議長の職に就くことになりました”で最初はいいとして……」

 ようやく帝国議会議事堂から戻った私は、少しだけ万智子の世話をすると、自分の書斎に籠った。月曜日の本会議冒頭で言う、仮議長就任のあいさつを考えようと思ったのだ。最初の文は、鉛筆で便箋に書き付けたけれど、その後が上手く続かなかった。

「“浅学(せんがく)菲才(ひさい)なる私に相応しからぬ重責”なんて言うと、へりくだり過ぎてるって大山さんに言われちゃうかな。でも、私、女学校を中退してるから、高等学校や大学に進学した人より、学歴という点では劣るし……」

 辞書をめくりながら文章を考えてみるけれど、言葉が浮かんでこない。単に“これからよろしくお願いします”で済ませてしまうのは良くないだろうから、カッコいい四字熟語などを使ってみたい。兄に相談すればすぐに思いついてくれるだろうけれど、兄は今、ヨーロッパに向かう船の中だ。私の時代ならこういう時、スマホを使ってすぐに相談できるのだろうけれど、無いものねだりをしてもしょうがない。

「うーん、“無知無学な私がこのような重責を担うこととなり”だと、やっぱりへりくだり過ぎかな。でも、多少は謙譲の姿勢を見せておかないと、礼儀がなっていないという話にな……」

「梨花さん」

 突然、右肩が優しく叩かれ、私は「ひゃうっ?!」と悲鳴を上げた。振り向くと、すぐそばに夫の笑顔がある。今日は土曜日だから、横須賀港の“日進”から戻って来てくれたのだろう。

「た、(たね)さん、お帰り、なさい……。ごめん、出迎えられなくて……」

 胸に手を当て、呼吸を整えながら謝罪すると、

「ううん、気にしないで。勉強してたんでしょ?」

栽仁(たねひと)殿下は私に尋ねた。

「いや、勉強してたんじゃなくて、あいさつを考えてて……」

「あいさつ?」

「うん、月曜日の本会議で言う……」

 普通に答えようとして、私は肝心なことを栽仁殿下に報告していないことに気が付いた。

「あ、あのね、(たね)さん。今日、貴族院の本会議があって、私、仮議長に選ばれてしまったの」

「そうなんだ」

 相槌を打った栽仁殿下に、

「議長も副議長も、急病で本会議に出られなくなったという触れ込みで、今日の本会議で仮議長選挙があったんだけれど、それで選ばれてしまったの。どうも、前々から仕組まれていたみたい。じゃなきゃ、私以外の議員が全員私に票を入れるなんてことはあり得ない。本会議が終わった後、何時間も来週以降の議事の打ち合わせをしたわ。各委員会の議論の進捗を見ながら議事日程の順番を決めたり、衆議院と政府から回って来る議案の特別委員を決めたり……もう大変だった」

私は一気に言うと、大きなため息をついた。

「そうか。……お疲れさまでした、議長閣下」

 栽仁殿下は少しおどけた調子で言うと、私の頭を優しく撫でる。

「もうっ、ふざけないでよ、(たね)さん。上医になるために必要なことだとは思うけど、いきなりだったから、本当にビックリしたのよ」

 そう言って両頬を膨らませると、「ごめんね」と栽仁殿下は頭を軽く下げ、

「当選おめでとう、梨花さん」

と言いながら、私の左手を後ろから握った。握られた手から栽仁殿下の温もりが伝わって来て、私の心が跳ねた。

「そ、その……(たね)さん、怒らないの?」

 恐る恐る質問すると、

「どうして?」

栽仁殿下が首を傾げる気配がした。

「だ、だって、世の中には、女が男より立場が上なのはけしからんという風潮もあるから……仮とは言え、議長になっちゃったから、貴族院議員の(たね)さんより、立場が上になっちゃったし……」

 小さな声で私が理由を言うと、

「そんなこと、全然気にしないよ」

栽仁殿下はそう答えて微笑した。

「たとえ梨花さんがどんなに偉くなっても、僕が梨花さんを愛していることは変わらないもの。上医は、それにふさわしい職を持っていないとね。重責を担う梨花さんを、そばで支えて守れることを、僕は誇りに思うよ、愛しい梨花さん」

「た、(たね)さん……愛しい、なんて言われちゃうと、私……」

 顔を真っ赤にした私はうつむいた。心拍数は明らかに増え、心臓の鼓動が身体中に響いている。その鼓動に煽られるように、身体の中で熱が膨れ上がった。

(な、なんかもう、ダメ……頭が、動かない……)

 私の思考が停止する寸前、

「梨花さん」

夫が私を呼んだ。

「ひゃ、ひゃいい?!」

 素っ頓狂な声で返事をすると、

「もしかして梨花さん……おまじないの効き目が切れちゃった?」

栽仁殿下はこんなことを言った。

「い、いや、その、効き目が切れたとか、よく、分からないけど……」

 溢れそうになる熱に必死に耐えながら答えると、

「うん、やっぱり切れてるね、これは。でも、こっちの梨花さんも可愛いから、もうしばらく、このままがいいかな」

栽仁殿下は意味ありげな微笑を顔に浮かべた。

(か、可愛いって、そんな……恥ずかしいよ……)

 うつむいたままの私に、

「梨花さん、まず、一緒に晩御飯を食べようか。……おまじないは後で、ベッドの上で掛け直すから」

そう声を掛けると、栽仁殿下は左手を優しく私に差し伸べた。

「ベ、ベッドの……」

 おまじない、というのは、日曜日の朝に栽仁殿下が掛ける“もっと素敵になるおまじない”のことだろうか。それをベッドの上で掛けるということは……。今夜の結末を予測してしまった私は、栽仁殿下が優しく私を立ち上がらせるまで、まったく動くことが出来なかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] >アッハイ やはり日本にはニンジャが居るのでは? ……そうか、中央情報院というのはニンジャ武力組織の姿を隠すごまかしだな!ぼくはだまされないぞ! ボブはすっかり思い込んでしまいました…
[一言] 仮議長 本当に、梨花様に上医に成っていただくためだけですかねえ。何か、貴族院の議員連中を丸め込まなきゃいけない案件が在りそうな気が… 栽さん まあ、これくらい出来た人じゃなきゃ、梨花様の旦那…
[一言] とりあえず、現実のように予算委員会でまるで関係の無い議案で無駄な時間を潰すような事が起こらなければ良いんじゃないですかね?根回し政治も。
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