仮議長選挙
1911(明治44)年3月17日金曜日午後5時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「は?!家達公が帝大病院に運ばれた?!」
明日から予備役になるというこの日、我が家の応接間の椅子に腰かけた西園寺文部大臣は、「ええ」と私に返事をするとため息をついた。
「今日の貴族院の議事が終わって、徳川議長が席から立ち上がろうとした瞬間です。徳川議長がうめき声を上げて、机に倒れこんでしまったのですよ。ものすごい形相でうめいているのが、大臣席からよく見えましてね。もう、驚いたのなんの……」
「そうですか……それで、家達公の容態はどうなのです?倒れた原因ははっきりしたのですか?急性心筋梗塞?!大動脈瘤破裂?!急性クモ膜下出血?!急性大動脈解離?!それとも……」
身を乗り出して西園寺さんに尋ねた私に、
「梨花さま」
黒いフロックコートを着た大山さんが、苦笑しながら声を掛けた。
「ちと、詳しすぎますよ。俺は分かりますが、医学の専門的な話を余り聞いたことの無い西園寺どのには、言葉の意味が理解できないでしょう」
「あ、そうか……ごめんなさい、西園寺さん。家達公の容態について、何か聞いていますか?」
私は頭を下げると、改めて西園寺さんに質問した。
すると、
「……単に腰を痛めただけです」
西園寺さんはこう答えた。
「……へ?」
キョトンとした私に、
「ですから、単に腰を痛めただけです。帝大病院で精密検査もしましたが、命に全く別状はありませんでした。ただ、腰だけが猛烈に痛いということでして……」
西園寺さんは真面目な表情で更に続けた。
「腰痛がひどくて動けないということで、徳川議長は自宅で療養されることになりました。会期終了まで、議会は欠席されるとのことです」
「そ、そうですか……」
私は胸を撫で下ろした。ギックリ腰だろうか。なったら滅茶苦茶痛いと前世で聞いたような気がする。幸い、私は前世でも今生でも、ギックリ腰にはなったことがないけれど。
「家達公、本当にお大事にして欲しいですね。……あれ?そうしたら、貴族院の議長はどうなるのでしょうか?」
首を傾げた私に、
「どうなるのでしょうか?」
西園寺さんはオウム返しのように尋ね返した。
「いや、私に“どうなるのか”と聞かれても困りますよ、西園寺さん」
私は抗議したけれど、西園寺さんはどこかとぼけたような表情で、
「どうなるのでしょうか。……お答えください、妃殿下。根拠となるものも一緒にご提示をお願いします」
と、再度私に問うた。
「あ……」
(早速確認テストですか……)
これも、梨花会の面々が毎日私に課す“確認テスト”の一環らしい。私は軽くため息をつくと、
「……副議長が議長の業務をする。確かこれは……議院法で規定されています」
西園寺さんに回答した。
「その通り。議院法の、“各議院に於て議長故障ある時は副議長之を代理す”という条文に拠りますね」
西園寺さんは満足そうに頷いた。どうやら、第1関門はクリアできたようだ。
「ということは、副議長の黒田侯爵が……あれ?黒田侯爵も、病気で議会を欠席していたけれど……」
私は胸の前で両腕を組んだ。今回の帝国議会の貴族院議長は、例年通り、圧倒的な得票数で、徳川宗家第16代当主の徳川家達公爵が選ばれた。そして、同じく圧倒的な得票数で副議長に選ばれたのは、安土桃山時代の名軍師・黒田官兵衛の子孫である黒田長成侯爵である。けれど、この黒田副議長も病気になってしまい、今月の14日から帝国議会を欠席していた。
「では、議長は誰がやることになるのでしょうか?」
考え込んだ私に、西園寺さんがニッコリ笑って再び尋ねる。早速、第2関門が出現してしまったようだ。
「議院法に根拠はあると思いますけれど、流石にどんな条文だったかは覚えていなくて……六法全書を見てもいいでしょうか?」
「もちろん。議院法と分かっただけでも上出来です。ま、僕も、この条文を使う日が来ることになるとは、思ってもいなかったですがね」
西園寺さんがこう言ってくれたので、私は応接間の机の上に置いてある六法全書を開き、議院法のページを探した。目的の条文は、割と簡単に見つかった。
「“各議院に於て議長副議長倶に故障あるときは仮議長を選挙し議長の職務を行わしむべし”……」
私が該当の条文を読み上げると、
「正解です。なので、貴族院は、急遽明日本会議を開いて、仮議長選挙を行うことになりました。貴族院始まって以来のことになりますが」
西園寺さんは私に告げた。
「つまり、私、明日から早速登院しないといけないのですね……」
私はまたため息をついた。明日は土曜日で、官庁は午後から休みだ。だから、本会議も無いかもしれないという淡い期待を抱いていたけれど、そうは問屋が卸さないようだ。
「そういうことになります。明日の議案は仮議長選挙だけですから、正午までには本会議は終わるでしょう」
「そうですか。うーん、そうしたら、明日、万智子はどうしよう。貴族院に連れて行くか、それとも、お留守番してもらうか……」
右手を顎の下に当てて、私が考え込んだ時、
「女王殿下も連れて行かれる方がよろしいかと」
大山さんが優しい声で言った。
「そうですね、それがいいでしょう」
西園寺さんも軽く首を縦に振る。「会期末が近いですから、来週からの本会議は、各委員会の報告が相次いで、時間が掛かることになるでしょう。女王殿下にいきなり長時間の外出を強いるよりは、本会議の時間が短い明日も一緒にご登院なさって、徐々に女王殿下に貴族院に慣れていただくのがよいのではないでしょうか」
「確かに、西園寺さんの言う通りですね。来年度の予算も、本会議での議決はこれからですものね」
来年度、明治44年度の予算案は、数日前に衆議院で可決され、貴族院の予算委員会で審議に入ったばかりである。これが委員会での審議を終え、貴族院の本会議で可決されないと、4月からの行政の仕事が動かなくなってしまう。今も昔も、政府の予算案が可決されるか否かは、とても大事なことなのである。
「仕方がない、明日から早速仕事ね。……大山さん、申し訳ないけれど、そのつもりで準備をして。万智子に誰がついて行くかの人選は、あなたに任せるわ」
隣を振り向いて私がお願いすると、
「かしこまりました。それでは、そのように」
とても頼りになる別当さんは、そう答えて微笑したのだった。
1911(明治44)年3月18日土曜日午前9時15分、東京市麴町区内幸町2丁目にある、帝国議会議事堂の貴族院議員昇降口。
「初めてお目に掛かります。貴族院書記官長の太田峰三郎と申します」
自動車から降りた私を出迎えたのは、貴族院の事務方トップ・書記官長である太田峰三郎さんだった。1890(明治23)年に帝国議会が開設されてから、ずっと貴族院で働いてきた彼は、貴族院の生き字引のような存在だと陸奥さんに聞いた。
「章子と申します。わざわざのお出迎え、ありがとうございます」
万智子を抱っこした私が一礼すると、
「これはご丁寧なお言葉を……全職員で妃殿下を出迎えることもせず、礼を失しているのではないかと恐れておりましたのに……恐懼の至りでございます」
太田書記官長はそう言って、私に最敬礼した。
(あー……)
ため息をつきたくてしょうがなかったけれど、私はそれをぐっと我慢した。元々、“出迎えはしなくていい”と私は言っていたのだ。けれど、貴族院側から再三、“出迎えさせて欲しい”という要望があり、更に、“1人ぐらい案内役がいなければ、控室の場所も分からなくなってしまいますよ”という大山さんの進言もあったので、
――それならば、出迎えの職員は1人だけでお願いします。
と貴族院に伝えた。そうしたら、事務方のトップが来てしまった。これから彼は、本会議の議事進行役を務めなければならないのに、仕事を増やして申し訳ないことをした。……まぁ、仕方がない。さっさと仕事を終わらせてもらって、議事進行役の仕事に集中してもらうことにしよう。そう考えた私は、
「では、議事堂内の案内、よろしくお願いいたします」
と、書記官長さんに微笑を向けた。
議員の控室や、委員会が開かれる会議室の場所などを一通り書記官長さんに案内してもらうと、私はついて来てくれた捨松さんと乳母さんと一緒に、2階にある皇族控室に入った。万智子に授乳をして、有栖川宮家の紋の入った群青色の和服を着付け直したら、時計の針は10時5分前になっていた。貴族院規則では、本会議は通常は午前10時に始まることが定められている。私は捨松さんたちに万智子を預けると、急いで議場に向かった。
議場の席は、7割ほどが埋まっていた。席数に余裕があるのは、現役軍人で議席を持つ人が出席していないからである。私が議場に入るのを見つけた議員の1人が深々とお辞儀をすると、最敬礼の波が議場全体に広がっていく。
(私も議員の1人だから、特別扱いしないでほしいけれど……)
そう思ったけれど、仕方がないのだろう。私は定められた席……皇族議員の座るエリアの一番末席に座った。
「ただいまより、仮議長選挙を行います。なお、議院法の定めるところにより、本日は本職が議長の職務を行います」
午前10時、議長席に座った太田書記官長が、緊張した表情で議員一同に呼びかけた。
「投票用紙を配布いたします。席次順に点呼を致しますので、呼ばれましたら、木札の名刺をお持ちになり、投票をお願いいたします」
書記官たちが通路を動き、投票用紙を渡してくれた。議場のそこかしこで、ペンや万年筆を動かす音が響いた。けれど、私は自分の名前が呼ばれるまで、とうとう筆記具を手にしなかった。白票を投じることにしたのである。それは、私なりに、私の置かれている立場を考えて出した結論だった。
私はこの貴族院の議席に座っている、たった1人の皇族である。貴族院の議員たちは、所属政党に従い、あるいは梨花会の意を受けた鷹司煕通公爵の指示に従い、あるいは自分自身の信念に従い、議論をし、そして議案に対する賛成・反対を決める。もちろん私は、梨花会で決めた通りに議事が進行し、法案が成立することを望むけれど、もし私の意見が明らかになった場合、政党や鷹司さんの指示を無視して、“妃殿下の賛成されたものに賛成する”という流れが議員たちの中に発生してしまうかもしれない。それは、議論を戦わせる場である議会にふさわしいことではないと私は考えた。
だから私は、議場においては、可能な限り中立な立場にいることを決めた。今回の仮議長選挙も、誰かの名前を書いても良かったのだけれど、中立な立場にいるという決意表明も兼ね、私は投票箱に白票を投じたのである。私の後から、公爵議員、侯爵議員の順に議員が点呼され、演壇に上って投票をする。全員が投票し終えると、太田書記官長は投票箱の閉鎖を宣告し、他の書記官たちに開票を命じた。
「投票数は252、名刺の数もこれと符合しております」
開票作業が終わり、太田書記官長が結果の発表を始める。議場に流れていたざわめきが途端に消え去った。
「本投票の過半数は126であります。選挙の結果をご報告いたします……章子内親王殿下、251票、他に白票1票」
(ん……?)
私は眉をひそめた。私の名前が聞こえたような気がするけれど……気のせいだよね?
ところが、
「故に、章子内親王殿下が当選でございます」
太田さんはよく響く声でこう宣告した。
「ちょ……ちょ待てよ!」
軽く手を挙げて制止しようとした私の声は、議場に鳴り響き出した万雷のような拍手にかき消されてしまった。大量の視線が突き刺さったのを感じ、後ろを振り返ると、議席に座った議員たちが、私を満足げに見つめながら拍手を続けているのが見えた。伯爵議員がいるエリアに座った立憲改進党党首の大隈さんは「めでたいんである!」と叫び、大隈さんの近くにいる前内閣総理大臣の井上さんも、ものすごい勢いで両手を叩き合わせ続けている。
(ど、どういうことなのよ……)
戸惑う私に、鋭い視線が浴びせられる。男爵議員の席の方からだ。議員席に視線を走らせると、視線の主はすぐに分かった。立憲自由党総裁で、現内閣総理大臣でもある陸奥さんだ。私と目が合うと、陸奥さんは無言のままニッコリと笑った。……その笑顔を最近、どこかで見た覚えがある。記憶を探ると、日時の特定はすぐに出来た。先月、盛岡町の家で、梨花会の面々が私に貴族院への登院を要請した時だ。
(まさか……!)
……考えてみよう。この貴族院の議員の3分の1は立憲自由党、3分の1は立憲改進党に属している。そして、残りの3分の1の議員は、梨花会の意を受けた鷹司公爵のコントロール下にある。つまり、この貴族院は、梨花会の支配下にあるのだ。
(白票を入れたのは私だけだ。他の人は全員、私に票を入れたことになるけれど……まさか、梨花会の面々が、貴族院議員を操って、私を仮議長にしようと……)
更に議員席に目を走らせ続けると、子爵議員の席にいる叔父の千種有梁さんと目が合った。私に見られていると分かった次の瞬間、叔父はすまなそうな顔になり、私に向かってガバっと頭を下げた。多分、叔父も鷹司さんの……いや、梨花会の意を受け、旧公家衆の票の取りまとめに奔走したのだろう。徳川議長が議会を休むと決まってから今まで、1日しか経っていない。その1日で旧公家衆の議員たちが、態度を決められるとは思えない。恐らく、相当前から……もしかしたら、私に貴族院への登院を要請した時点から、仮議長に私を就任させるべく、梨花会の面々は根回しを進めていたのだろう。こうなると、徳川議長のギックリ腰も、黒田副議長の病気も、本当なのかどうか怪しくなってくる。
(て、てめぇら……、仮議長選挙はなぁ、アイドルやキャラクターの人気投票とは違うんだよ!私を仮議長にして、後で後悔しても知らねぇからな!)
傍聴席からは、“万歳!”“妃殿下万歳!”の声が投げられている。鳴りやまぬ拍手の中、仁王立ちになった私は、両の拳を握り締めながら、啖呵を切りたいのを必死に我慢していた。
……こうして私は、帝国議会始まって以来の貴族院仮議長に、就任することになってしまったのだった。




