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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第52章 1911(明治44)年雨水~1911(明治44)年芒種
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互いの見られぬもの

 1911(明治44)年2月26日日曜日午前11時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮(ありすがわのみや)盛岡町邸の応接間。

嘉仁(よしひと)さまがおっしゃったように、本当に可愛らしい子ですね」

 椅子に座って万智子(まちこ)を抱っこしているのは、和装の節子(さだこ)さまだ。今日は微行(おしのび)でこの盛岡町邸に来てくれた。節子さまの隣にはもちろん兄もいて、万智子と、万智子を抱っこしている節子さまを満足そうに眺めていた。

「こうして万智子を見ていると、裕仁(ひろひと)たちが赤ん坊だったころのことを思い出すな」

「そうですね、嘉仁さま。きっと、万智子さんも、どんどん成長していくのでしょうね」

 兄の言葉に応じた節子さまは、笑顔を私に向けると、

「そうだ、梨花お姉さま。子育てで根を詰め過ぎないようにしないといけませんよ」

と言った。

「……?」

 節子さまが何を言いたいのか上手くくみ取れず、首を傾げた私に、

「梨花お姉さまは真面目な方ですから、誰かが止めないと、万智子さんのお世話にずっとかかりきりになってしまうと思うんです」

彼女はこんなことを言った。

「……」

 つい1週間ほど前に、節子さまの推測通りのことをやらかしたばかりだ。図星を指されて黙り込んだ私の右隣で、栽仁(たねひと)殿下が“その通り”と言いたげに何度も頷いた。

「でもね、お姉さま。時には肩の力を抜くのも必要だと思います。4人子供を育てていると、毎日次から次へと騒ぎが起こって、目まぐるしくて大変なんです。楽しいですけれど、疲れたり、気が滅入ったりすることもあります。そういう時、静子(しずこ)さまや女官たちに助けてもらったり、嘉仁さまに手伝ってもらったりして、休息を取って気分を変えないと、とてもじゃないですけれどやっていけません」

 節子さまはそう言うと、じっと私の目を覗き込んだ。

「梨花お姉さまは、これから貴族院議員のお仕事もなさるでしょ。だから、私よりも疲れてしまうと思います。今から色々な人の助けを借りないと、お姉さまが倒れてしまいます。そんなの、私、嫌ですから、ご忠告申し上げておきますね」

「……わかった。ありがとう、節子さま。節子さまの言った通りにする」

 いつもより強い口調の節子さまに、私は頭を下げた。節子さまは私より1学年下だけれど、子育てに関しては私より経験豊富だ。その節子さまがこう言うのだから、やはり、色々な人の助けを借りなければ、子育てはやっていけないのだろう。

「しかし、梨花が貴族院に登院するのか……うらやましいな」

 兄がそう言って、私に向かって微笑んだ。兄は先日の梨花会の時、伊勢神宮や神武天皇陵に参拝するために、節子さまたちと一緒に関西に行啓して不在だったので、私が貴族院に登院することになったいきさつは、今日初めて聞いたのだ。

「兄上も、栽仁殿下やお義父(とう)さまと同じことを言うのね」

 軽くため息をついた私に、「当たり前だ」と兄は即答した。

「皇族男子は、生涯現役の軍人であるのが大原則。それ故、貴族院の議席を持っていても、登院することは出来ないのだ。俺と帝国議会の接点など、開会式でお父様(おもうさま)に供奉して議場に入るぐらいしかないからな」

「はぁ……でも兄上、今、本当に大変だよ。毎日議事録を読んで、その内容が分かっているかどうか、平日は毎日梨花会の面々にテストされるの。“立法府に携わるのだから、法律のことは分かっていないといけない”と言われて、改正案が話し合われている法律のポイントだけじゃなくて、制定された背景やら、運用の実際まで質問されて……まさか今生で、六法全書のページをめくることになるとは思っていなかった。本当は、最新の医学雑誌や手術書を読んで、医学界のトレンドを押さえておきたいのに」

 おかげで、最近は万智子の世話をしながら、自分の書斎で一生懸命勉強している。もちろん、オーバーワークにならないように、適度に休憩しながらやっているつもりだ。

 と、

「なるほどな。そうやって梨花は、上医になるべく修業を積んでいる、ということか」

兄が呟くように言った。

「へ?」

 間抜けな返答をした私に、

「立法府の動きをその中で見ることは、現役軍人の俺にはできない。しかし、予備役に一時的に回る梨花ならできる。梨花が立法府の動き方を体験しておけば、その経験が梨花の糧になり、将来、俺をより的確に助けることができる。……うん、恵まれているな、俺は。俺が見られないものを、梨花が見てくれるのだから」

兄は感慨深げに言い、微笑を向けた。

(あ……)

 不意に、私の頭の中を、遠い思い出が過ぎった。今から20年近く前、兄と一緒に御料牧場に行った時のことだ。

――殿下を、……私の持つ全てを使って守りたい。今はまだ、医学しかないけれど、そのうち、もっといろんなことをできるようになって、あらゆる苦難から、殿下を守りたい。

 兄と相乗りした馬の上、私は兄に……大切な兄にそう語った。兄を“殿下”と呼ぶことは、もう絶対にないけれど、私があの時抱いた思いは、今も変わらない。

(そうか……兄上が見られないものを私が見て、私が体験して、私にできることが増えていくんだ。そうすれば、兄上をもっと助けて、もっと守ることができる。上医として……)

「……うん、分かった、兄上。今まで、うだうだ悩んでいたけれど、折角の機会、上医を目指すために活用する。教育勅語にもある“社会と世界に通用する女子”が、日本にちゃんと育ってきているということをアピールできる場にもなるし」

 私は首を縦に振ると、兄に微笑み返した。

「その意気だ。……しかし、無理はするなよ、梨花。お前が過労で倒れたら、元も子もないからな」

 兄はそう言いながら胸の前で腕を組み、「栽仁」と夫を呼んだ。

「はい」

「大山大将にも言っておくが、梨花が過労で倒れないように、しっかり手綱を取れ。もし梨花が倒れたら、俺は渡欧を止めて日本に引き返さなければならん」

「ちょ……それ、マズいでしょう。たかが宮家の妃が倒れた程度で日本に戻ったら、折角の洋行の機会が……」

 とんでもないことを言い出した兄を止めようとすると、

「たかが宮家の妃だと?!」

兄が私をキッと睨みつけた。

「いいか、お前は俺の誇りの愛しい妹なのだぞ。お前の身にもし万が一のことがあれば、俺は……」

「分かった、分かった、兄上。落ち着いてちょうだい」

 興奮気味になった兄を、私は必死に落ち着かせようとした。「健康には十分に注意する。体調を万が一崩したら、ベルツ先生や三浦先生の指示に従ってちゃんと療養する。それから、“たかが宮家の妃”というのは私の失言だった。自分を傷付けたように聞こえる発言をしてしまってごめんなさい。でもね、お父様(おもうさま)に万が一のことがあったならともかく、私の身に何かあったからと言って兄上が日本に引き返したら、イギリスの国王陛下に失礼になってしまう。私、ちゃんと栽仁殿下と大山さんの言うことを聞いて、健康には十分に注意して過ごすから、どうか安心してイギリスでの務めを果たしてきて」

「皇太子殿下、梨花さん……じゃない、章子さんのことは、僕が絶対に守り抜きます。ですから、どうかご安心を!」

 栽仁殿下と一緒に深く頭を下げると、

「……うん、栽仁にそこまで言われたら、矛を収めるしかないな」

兄は不承不承と言った感じで頷いた。

「梨花、身体には重々気を付けろ。栽仁、梨花は絶対に守り抜くのだぞ」

 いつもよりも厳しい兄の声に、私と栽仁殿下は「かしこまりました」と同時に一礼した。


「……いよいよ3日後だね、兄上と節子さまがヨーロッパに行くの」

 しばらく、お互いの近況を交換していたけれど、話題はどうしても、兄と節子さまの渡欧に戻る。私がしんみりとした口調で言うと、

「ああ」

「そうですね。もう、そんなに近づいたんですね」

兄と節子さまも、そろって寂しそうな表情になった。

「ヨーロッパに行くこと自体は楽しみだが、裕仁たちと長いこと会えないことになるから、それが寂しいな。もちろん、手紙はまめに出すつもりだが」

「梨花お姉さま、議会がある間は無理でしょうけれど、時々、万智子さんと一緒に、皇孫御殿にも来てください。乃木閣下がいらっしゃいますから、裕仁たちもお留守番はちゃんとできると思いますけれど、寂しがるといけませんし……」

「もちろん、そうさせてもらうよ。私もいい気分転換ができそうだからね」

 私は兄夫婦にしっかりと請け負った。結婚して以来、迪宮(みちのみや)さまたちには全然会えていない。“叔母さま”と私を慕ってくれていた甥っ子姪っ子たちがどれだけ成長したか、一度会って確かめておきたい。

 と、

「それにしても、ご渡欧の随伴員は、錚々たる顔ぶれですね。東郷閣下に黒田閣下に……」

栽仁殿下が指を折って数え始めた。

(おく)大夫ももちろんいるし、曾禰(そね)顧問官もいるからな」

 兄は苦笑しながら栽仁殿下に応じた。

 兄夫婦の渡欧に付き添う人間については、桂さんが年明けに胃がんの手術をしてメンバーから外れてしまったため、多少の混乱を来たしたらしい。しかし、最終的には、桂さんの代わりに、総理大臣を長く務め、極東戦争の終戦処理にも多大な貢献をした黒田さんが起用されることで決着した。もちろん、黒田さんには改めて、禁酒と禁煙を命じる令旨を私から出している。

 そして、東宮大夫兼東宮武官長である奥保鞏(やすかた)歩兵中将と一緒に、元逓信次官で、現在枢密顧問官の一員である曾禰荒助(あらすけ)さんが、東宮職御用掛という肩書で参加することになった。曾禰さんは3年前、私と栽仁殿下の婚約が決まった頃に胃がんを患っていることが発覚し、胃の摘出手術を受けた。その後療養していたけれど、ようやく体調が元に戻ったので、奥東宮大夫のサポート役として兄夫婦の渡欧に付き従うことになったのだ。

甘露寺(かんろじ)さんも八郎さんもいらっしゃるから、嘉仁さまも心安く過ごせるのではないかと思います。微行(おしのび)でパリやロンドンの街を3人で歩き回るのではないのかしら」

「そういう訳にもいかないぞ。日本国内ならともかく、外国だと流石に奥大夫に止められてしまう」

 節子さまの言葉に、兄が苦笑いを顔に浮かべたまま反論する。甘露寺さんも八郎さんも、兄とは東宮御学問所で共に勉学に励んだ学友であり、気の置けない親友同士でもある。2人とも、今は東宮侍従として花御殿で勤務していて、今回の兄夫婦の渡欧に同行することになった。

「私としては、幣原(しではら)さんに期待だね。今回の渡欧で、いい経験を積んでほしいな」

 幣原喜重郎(きじゅうろう)さん。東京帝大を出て農商務省に入った後、外交官試験に合格して外務省に移った。ヨーロッパ各国の大使館や領事館で勤務を続け、現在は本省にいるけれど、彼も今回の渡欧に随行することになった。彼がいれば、万が一、兄一行が外交的なトラブルに巻き込まれても、上手く切り抜けることができるだろう。……もちろん、幣原さんの手腕が発揮される機会が訪れないことを祈るけれど。

 と、

「そうそう、俺は石原(いしわら)という奴を、一発殴っておきたいと思っている」

兄が物騒なことを言い始めた。

「梨花に無礼を働いたと聞いたぞ。到底許せるものではない」

「……兄上、お願いだから、石原さんとは仲良くしてちょうだい。彼も反省しているみたいだし、近藤先生と中島先生の手を煩わせるような状況は作って欲しくないわ」

 私は再び、兄を必死に止めた。

 兄夫婦の渡欧には、花御殿の職員の他、10数名の宮内省職員が同行する。もちろん、その全員が中央情報院の人間である。その中の1人に、石原莞爾(かんじ)さんが含まれているのだ。去年の年末には、“妃殿下は、どうして大山閣下の気配が分かるのですか……”とぼやいていた彼だけれど、今月の初め、大山さんの気配が分かるようになり、大山さんの言う卒業試験に合格した。そして今回、大仕事に抜擢されたのだ。ちなみに、中央情報院のメンバーの統括は福島(ふくしま)安正(やすまさ)さんが行い、一行の警護や、各国の王室・政府などの調査をするそうだ。

「うーん、梨花がそう言うなら仕方ない。石原を殴ったり叱責したりするのは勘弁してやる」

 兄が両腕を組んでうなった時、

「あれ、梨花さん?今回、ご渡欧に付き従うお医者さんは、近藤先生と中島先生だけなの?」

栽仁殿下が私に尋ねた。

「そうね。万が一、大手術が必要ということになって、全身麻酔が要ることになったら、客船の船医さんに協力を要請することになった。それとね、新島さんが、節子さまの護衛も兼ねてついて行くことになったから、医療体制は完璧すぎるぐらい完璧に整ったわね」

「なるほど、新島さんは、近藤先生への脅し役も兼ねて、かな?」

「そんなこと言わないの」

 私が苦笑しながら夫を嗜めると、兄も節子さまもプッと吹き出した。

「……私、新島さんにお会いするの、楽しみにしているんです」

 ひとしきり笑った後、節子さまは私に言った。

「道中、色々なお話を聞いてみたくて。国軍病院での梨花お姉さまの仕事ぶりとか、戊辰の役の時の会津のこととか」

「そうだね、それはとてもいいな。新島さん、喜ぶと思うよ」

 私は静かに頷いた。

「3年前、嘉仁さまと一緒に東北を視察した時、戊辰の役の戦跡も色々と訪れて、敵味方、官軍賊軍の区別なく慰霊をしました。でも、それで終わりではないと思うんです。かつて、天皇陛下を思い、意見の違いから争わざるを得ず、命を散らした人たちのご冥福を祈ること。そして、身体や心に傷を負った人たちの、傷の回復を祈り、心を寄せること……それは、皇族としての義務だと思いますから」

「そうだな、俺もそう思うよ、節子」

 熱っぽく語る節子さまを、兄が優しい瞳で見つめた。

「戊辰の戦以来、この国で流れた血は、皆、意見の相違はあれど、お父様(おもうさま)を大切に思ってくれていた者たちのものだ。今を築くために犠牲になった者たちのことは忘れてはならない。敵味方、官軍賊軍の区別なく、犠牲者の冥福を祈り、傷ついた者たちの回復を祈ること……一度墓参をしたからと言って、それで終わりではない。俺たちの命ある限り、続けなければならないことだ」

 兄の言葉に、私はじっと聞き入っていた。本当に、兄の言う通りだと思う。戊辰の役以来、西南の役まで国内で続いた争い、そして、ニコライとアレクセーエフの薄汚い欲望で始まってしまった極東戦争……その犠牲者たちの冥福を祈り、傷ついた人たちの支援をすることは、私が一生しなければならないことだ。

「梨花」

 不意に、兄が私を呼んだ。

お父様(おもうさま)のことを頼むぞ。お父様(おもうさま)の身に何かあれば、侵襲的な治療が出来るのはお前しかいないのだ。その代わり、俺はお前の見られないものを、この渡欧でたくさん見ようと思う。……俺もお前も、互いが見られぬものを見よう。そして、互いに一回り大きくなろう」

 そう言うと、兄はニッコリと笑った。瞳の奥で、真っすぐで頼もしい光が揺れている。私の幼いころから変わらない、優しい瞳を見つめながら、私は深く頷いた。そして、節子さまに視線を移し、

「……節子さま、渡欧の間、兄上のことを頼むね」

と心からお願いした。

「任せてください!」

 節子さまはしっかりと請け負うと微笑する。私もそれに微笑みを返した。


 ……1911(明治44)年3月1日、兄と節子さまは、東郷平八郎海兵大将・黒田清隆歩兵大将などの随行員数十名を引き連れ、横浜港から9520トンの客船“吉野丸(よしのまる)”に乗って、ヨーロッパに向かって出航した。兄夫婦一行の欧州訪問の様子は、同行した宮内省写真班によって活動写真に収められ、後に日本各地の活動写真館で上映され、一大ブームを巻き起こすことになったのだけれど、それはまた別の話である。

※“吉野丸”は架空の船舶です。念のため。

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