盛岡町での初めてのお正月
1911(明治44)年1月1日日曜日午前11時30分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮盛岡町邸の応接間。
「ねぇ、章子お姉さま」
私と栽仁殿下の前に座っているのは、お正月の挨拶に来てくれた私の末の妹・貞宮多喜子さまと、彼女の輔導主任・楫取素彦男爵である。麻布御殿ですぐ上の姉・泰宮聡子さまと一緒に暮らしている多喜子さまは、去年の9月に華族女学校の初等中等科第3級、私の時代風に言うと中学1年生になった。本当は聡子さまも一緒にこの家に来る予定だったのだけれど、運悪く風邪を引いたので、今回はここに来られなくなってしまったとのことだった。
「お姉さまのお腹の中に、本当に赤ちゃんがいるの?」
多喜子さまはそう言って、私のお腹をじっと見つめる。5人いる私の妹は、みんな鼻筋が通って整った顔立ちだけれど、実はこの妹が一番美人だ。そんな美しい妹が、キラキラ目を輝かせながら、臨月に入った私のお腹を興味深そうに眺めている姿は、世の男性たちをざわつかせるだろうなと私は思った。
「そうだよ。……多喜子さま、私のお腹に触ってみる?」
微笑みながら私が提案すると、
「いいの、お姉さま?赤ちゃん、お腹の中から飛び出してしまわない?」
と、多喜子さまは少し心配そうに尋ねる。
「上からそっと触れば大丈夫よ。ほら、おいで、多喜子さま」
手招きをすると、多喜子さまは椅子から立って、私のそばへとやって来た。外診の仕方を簡単に教えると、多喜子さまは教えられた通りに私のお腹を触る。けれど、しばらくして、
「章子お姉さま、お腹の中に何かいるのは分かりましたが、お姉さまがおっしゃったような、赤ちゃんの頭や背中は、触ってもよく分かりませんでした……」
多喜子さまはしょんぼりした様子で言った。
「あー、初めてだし、仰向けになっていなかったから、分かり辛かったかもしれないね。ごめんね、多喜子さま」
私が苦笑しながら謝罪すると、
「章子お姉さま、エックス線を使えば、赤ちゃんの様子が分かるのでしょうか?」
多喜子さまは首を可愛らしく傾げながら私に尋ねた。
「確かに、赤ちゃんの骨が写るから、赤ちゃんがどんな姿勢で子宮の中にいるかは分かるね。けれど、エックス線は浴びすぎると体に害が出てしまうから、エックス線写真をたくさん撮るわけにはいかないね」
そこで私は言葉を切ると、
「でも、多喜子さま、エックス線のことをよく知っているわね」
と一番下の妹に言った。今生での学生時代、エックス線のことを学校の授業でやったのは、初等高等科を卒業する間際、私の時代風に言うと中学3年の終わりごろだった記憶がある。多喜子さまは、まだ授業で習っていないはずのエックス線のことをどうやって知ったのだろうか。
すると、
「京都帝国大学の村岡先生のご本を読みました。“エックス線の理論と応用”という題の」
多喜子さまは私にこう答えた。
「え、あの本を?!」
その本は、私も読んだことがある。執筆者でもある1901年のノーベル物理学賞を受賞した村岡範為馳先生が、私に献上してくれたからだ。ただ、あの本、この時代の高等学校レベルの物理学の知識がないと、内容は完全には理解できないはずなのだけれど……。
「多喜子さま、あの本を読んで理解できた?中学生には相当難しいわよ?」
慌てて確認した私に、
「はい、全部日本語で書かれていましたし、数式も理解できました。これからは、より低い線量で写真が撮影できるよう、より被ばく量を少なくするよう、工夫をしていかなければならないですね」
多喜子さまはサラっとこんな答えを返した。
(は、はぁ……)
私は反応できなかった。そう言えば、この一番下の妹、理数系の科目がとんでもなくできるのだ。……文系の科目の成績は壊滅的らしいけれど。
度肝を抜かれたままの私に、
「ねぇお姉さま、エックス線が余り使えないとなると、どんな方法を使えば、お腹の中の赤ちゃんの様子が分かるようになりますか?」
多喜子さまは目を輝かせながら尋ねる。
「あとはそうねぇ……音、かしらね?」
私の時代で普通に行われていた超音波検査のことを思い出しながら答えると、
「音……ということは、音の伝導速度が物質によって違うことを利用するのですか?」
多喜子さまは即座にこう言った。
「……まぁ、そういうことかしらね」
「でも、お姉さま、それはとても大変かもしれませんよ。赤ちゃんの様子を細かく知るために、一回一回お腹に音を当てて反射速度を計算していたら、日が暮れてしまいます。どうしたらいいでしょうか……」
両腕を胸の前で組んで考え込んだ多喜子さまに、私はとっさに、
「が、……外国語の物理の本を読めば、書いてあるかもしれないよ!」
と言った。これ以上突っ込んだ内容を話してしまうと、私の時代の知識をうっかり口にしてしまう。
「そうですね。やはり物理学の研究は、欧米の方が進んでいますから」
私の言葉に、隣に座っている栽仁殿下が乗っかってくれる。
「そうね!だから、最新知識を得るためには、外国語も勉強しないといけないわね」
すかさず私が付け加えると、
「えー、余りやりたくないんだけどなぁ……」
多喜子さまは一瞬不満そうな表情になったけれど、すぐに、
「でも、章子お姉さまがおっしゃるなら、きっとそうなんですね。仕方ない、外国語も少し頑張ります。輝久兄さまに教わろうかな」
と機嫌よく言った。ちなみに、“輝久兄さま”というのは、東小松宮輝久王殿下のことで、多喜子さまの婚約者である。
「輝久に教わるのは、とてもいい方法だと思いますよ、貞宮さま。士官学校の卒業の席次は、僕より上でしたからね」
輝久殿下とは海兵士官学校の同期だった栽仁殿下が、微笑しながら頷いた時、
「貞宮さま、そろそろ退出のお時間です」
輔導主任の楫取さんが多喜子さまに声を掛けた。
「ん、わかった、爺。……じゃあ栽仁兄さま、章子お姉さま、ごきげんよう。赤ちゃんが生まれたら、またお見舞いに参ります」
「本日はありがとうございました、貞宮さま」
「今日は来てくれてありがとう、多喜子さま」
私たちの声に送られて、多喜子さまが応接間の扉を出て行く。その後ろについて歩こうとした楫取さんが、立ち止まってこちらを振り返り、
「本日は、御勉学に関するご助言までいただき、誠にありがとうございました……」
と言って、私と栽仁殿下に深々とお辞儀した。
「理数系の科目は、高等学校どころか、大学生が学ぶ内容まで理解されておいでなのですが、いかんせん、他の科目が……。これでは、折角の御才能が発揮できません。このまま、落第を座して待つしかないのかと……」
「楫取さん、諦めるのは早いですよ。私も学生時代、国語は苦手でしたから」
「そうです。それに、輝久もいるではないですか。輝久は、きっと貞宮さまを助けてくれます。だから、貞宮さまの御成績も良くなっていきますよ」
頭を下げたまま愚痴をこぼす楫取さんを、私と夫は必死に慰めた。
「うう……温かいお言葉、感謝いたします。そうですね、確かに諦めてはいけません。新年早々、見苦しいところをお目にかけてしまい、誠に申し訳ございませんでした。それでは、失礼いたします」
楫取さんはハンカチーフで涙をぬぐうと、私たちにもう一度頭を下げ、応接間から去って行った。
「大丈夫かしら、婚約者を家庭教師代わりに使うって……」
呆然としながら呟いた私に、
「大丈夫じゃないかな。……というか、年齢が年齢だし、今は貞宮さまにそうやって接するしかないって、輝久本人が言ってたよ」
夫は優しく返答した。ちなみに、輝久殿下は現在22歳。多喜子さまより9つ年上である。
「まぁ、輝久殿下本人がそう言うなら、それでいいのかしらね。よく考えたら、大山さんのところも、叔父さまのところも、夫が妻より18歳も年上だし……何とかなるのかしらね」
私がこう言うと、
「うん、きっと何とかなるんだよ」
栽仁殿下は私の目を見つめながら応じた。夫の澄んだ美しい瞳を見て、
(確かに、そうかもしれないな……)
私はぼんやり思った。
1911(明治44)年1月1日日曜日、午後1時30分。
「あ、あの、お義父さま……」
盛岡町の家の食堂の椅子に、栽仁殿下と並んで腰かけた私は、有栖川宮家の当主・威仁親王殿下が持っている風呂敷包みを、恐る恐る指さした。
「それは一体、なんでしょうか?」
「古今和歌集ですよ」
義父はそう言うと、風呂敷包みを解いて、1冊の本を取り出す。そして、最初の方のページを開くと、本を私の前に置いた。
「仮名序を、書き初めとして書いていただこうと思いましてね。ほとんどひらがなですから、お腹の中にいる我が孫にも分かるでしょう」
「おおっ、それは胎教として、非常によろしいですな」
なぜか義父に付き従っている枢密院議長の伊藤さんが、明るい声を上げた。そして、義父と一緒に食堂に入ってきた松方さんと児玉さん、それから陸奥さんと西園寺さんが、伊藤さんの言葉に一斉に頷いた。……どうやら、梨花会の面々が正月のたびに私に挨拶に来るのは、結婚してからも変わらないようだ。私はため息をついた。
「お正月から“胎教”ですか……。お正月ぐらい、ゆっくり休ませてあげないと、赤ちゃんが疲れてしまいますよ」
「それは問題ありません。大山閣下が妃殿下のご体調を考慮されて、一日の面会人数を制限されておられますから。今日は書き初めをなさっていただく代わりに、“読み聞かせ”は無し、と条件がついております」
児玉さんの言葉を聞いた私は、扉の横に控えている大山さんをじっと見つめてみた。助け舟を出してほしかったのだけれど、大山さんは優しく暖かい瞳で、私を見つめ返すばかりだ。どうやら、私を助ける気は一切ないらしい。私は仕方なく、筆を使う準備をするように大山さんに言いつけた。
去年9月、陸奥さんと原さんがやって来てから、葉山別邸には週に1回、梨花会の面々が代わる代わる訪れるようになった。全員、大山さんの許可を取ってやって来るので、梨花会の全員が一斉に押し掛けるようなことはないけれど、彼らのほとんどは“胎教をしたいから”と言って、漢籍やら戦術書やら法律の本やらを持ち込み、私のお腹にいる赤ちゃんに読み聞かせる。当然、赤ちゃんの母親である私も聞いていなければならないので、私は毎回“読み聞かせ”に耐えていなければならなかった。私が産前休暇で東京に戻ってからは、その“読み聞かせ”が毎日になっている。
――これで、お腹の中のお子様は、非常に賢い子に成長されるでしょう。
梨花会の面々は口を揃えてこう言うけれど、ハッキリ言って、母親の私には苦痛でしかない。
大山さんが準備をしてくれたので、私は椅子に座り直して筆を持った。古今和歌集の仮名序を、有栖川流になるように、と心がけながら写していくと、
「ほう……日頃の練習の成果が出ていますね。とても整った字だ」
義父が満足そうに首を縦に振った。
「東京に戻ってから、“子供が生まれるまで、毎日3時間は書道の練習をなさい”とおっしゃったのは、お義父さまではないですか……」
私は筆を一度置くとため息をついた。“胎教の一環”と義父に押し切られ、東京に戻ってからは、私は“読み聞かせ”だけではなく、書道の練習にも苦しめられていた。
「そう言えば、陸奥さん、兄上の渡欧の準備は順調ですか?」
少し気分を変えたい。そう思って、こんな話題を陸奥さんに振ると、
「ええ、ほぼ順調に進んでおりますよ」
陸奥さんは軽く頷いた。
「来月の中旬には、皇太子殿下と皇太子妃殿下に、伊勢神宮・神武天皇陵・橿原神宮・孝明天皇陵・英照皇太后陵をご参拝いただきます。その後宮中三殿をご参拝、そして3月1日に日本を発たれる予定です。訪問国はイギリスの他、イタリア・オーストリア・ドイツ・フランス・ベルギー・オランダ。先にヨーロッパ大陸の諸国をご巡遊いただき、6月22日にロンドンのウェストミンスター寺院でジョージ5世の戴冠式にご出席いただいた後、帰国の途につかれる予定です。しかし……」
陸奥さんは一度言葉を切り、「随行員に故障が出てしまいました」と私に告げた。
「随行員……東郷閣下が皇太子殿下に随行なさる、という話は聞いていますが、まさか、東郷閣下の身に何か?」
私の書き初めを横から覗いていた栽仁殿下が、心配そうな顔で陸奥さんに尋ねる。兄夫妻の渡欧の随行員が誰になるかは聞いていなかったけれど、おそらく東郷さんは、極東戦争で得た世界的な名声によってメンバーに選ばれたのだろう。すると、
「実は、桂殿にも随行してもらおうと考えていたのです」
陸奥さんはこう言い始めた。
「桂殿は新イスラエルの建国前、派遣軍の司令官として治安確保に尽力しましたから、海外での受けもいい。東郷殿と2人並べば、ヨーロッパの国民の熱狂的な歓迎を得られると踏んでいたのですが……」
「そう言えば、桂さん、先月ここに来た時、“胃もたれが何か月も続いている”と言っていたから、胃のバリウム検査を受けるようにと勧めて、三浦先生に検査を手配してもらっていましたけれど、まさか……」
「胃に、腫瘤の影が認められたそうです」
児玉さんが、私が口にしようとした予測を、ほぼ同じような言葉で私に告げた。「胃の出口のところだそうです。明日、こちらにご挨拶に伺ってから、帝大病院に入院すると桂さんから聞きました。4日に、近藤先生の執刀で手術が行われると……」
「そうでしたか……」
私は両肩を落とした。「近藤先生なら、最高の手術ができるけれど……桂さんの手術がうまく行って、“腫瘤の影”が、ガンではないことを祈るしかないですね」
「ですな。しかし、桂さんなら、きっと元気に戻って来るでしょう。“この時期に見つかって助かった。渡欧中に病気で倒れてしまって、皇太子殿下と皇太子妃殿下にご迷惑を掛ける訳にはいかない。しっかりと養生して身体を治してから、国に奉公する”と言っておりましたから」
児玉さんが私を慰めるような調子で言う。確かに、桂さんの言葉の通り、彼が渡欧中に倒れたら大変になってしまう。病気に対して先手を打てたと考えることにしよう。私はそう思った。
「だが、問題は近藤先生ですな」
今まで黙っていた松方さんが、ポツリとつぶやいた。「皇太子殿下が、万が一手術が必要な状況になられた時、近藤先生が皇太子殿下の手術を執刀できるかどうか。……それは、ご渡欧が成功するかどうかにも関わってきます」
すると、
「妃殿下の策が成れば、何とかなると思いますよ」
西園寺さんが明るく言った。「ベルツ先生からも報告を受けましたが、医科大学の中での根回しも順調に進んでいるということです。もちろん、僕も、医科大学の所管官庁の長として、妃殿下の策に全面的に協力させていただきます」
微笑する西園寺さんは、どこか楽しそうだ。元々、冗談や悪戯が好きな人だから、この状況を楽しんでいることは間違いないと思う。
「決め手になる新島八重どのも、妃殿下の出産の際には、国軍から派遣する命令を下します。妃殿下がご自身の身体を張って作るこの機会、妃殿下と皇太子殿下のためにも、最大限に活用させていただきます」
陸奥さんの言葉に、「ならば安心ですな」と松方さんは重々しく頷いた。
と、
「でも章子さん、無理をしたらダメだよ」
横から、栽仁殿下が私の手を握った。
「最初に策のことを聞いた時はビックリした。医者でもある章子さんが、他の先生方とも相談して決めたことだから、大丈夫だと思うけど……でも章子さん、本当に、無理をしたらダメだからね」
そう言った夫の瞳には、珍しく不安げな光が揺れていた。
「分かってる、栽仁殿下。無理はしない」
私は夫の眼を見つめながら、しっかりとその手を握り返した。
※村岡先生の本はもちろん架空のものです。




