妊婦と主治医の悪だくみ
1910(明治43)年10月12日水曜日午前10時、有栖川宮家葉山別邸。
「……はい、おしまい。特に異常所見なし」
「ん、そうか」
人払いした居間の中、聴診器の耳管を耳から外した私に微笑みかけたのは、上半身裸になった兄だった。先月の下旬から、工兵演習を見学するために京都に行っていた兄は、東京に戻る途中、この葉山別邸に立ち寄ってくれたのだ。
「すまんな、急に診察を頼んで」
紺色の和服を自分で着付けながら、兄は私に向かって軽く頭を下げた。兄は昨日の夕方に葉山御用邸に入り、そこで1泊した。御用邸から微行で出かけた、という形を取っているので、兄は軍装を着ていない。けれど、出迎えるこちら側としては、公式訪問だろうと微行での訪問だろうと、皇太子が来る、ということには変わりない。だから、訪問を通告されてからは、東條さんをはじめとする別邸の職員一同、兄をもてなすエリアを大掃除したり、美味しいお茶菓子を用意したりと、兄を迎える準備を念入りに進めていた。大山さんも盛岡町の家から手伝いに来てくれたし、“日進”で勤務している栽仁殿下も休みを取り、私と一緒に兄を出迎えてくれた。
ところが、そんなこちら側の苦労を無視するかのように、兄はこの別邸に到着するやいなや、
――章子、俺を診察しろ。
と私に命じ、つかつかと別邸の中へと進んでいってしまった。兄の命令に逆らえるはずもないので、私は兄に居間に入ってもらい、兄の診察を始めたのだけれど……。
「本当にビックリしたよ、兄上」
私は聴診器を診察カバンにしまいながら、兄に抗議を始めた。
「兄上が体調を崩したのかと思って、ものすごく心配した。滅茶苦茶神経を使って……もう、へとへとだよ。妊婦に余り無理をさせないでよね」
「すまん、配慮が足りなかった」
服装を整え終わった兄は、私に深々と一礼した。「ただ、どうしてもお前に診察をして欲しかった」
「そうなの?でも、兄上、侍医さんたちの診察を毎日受けているでしょ?」
「確かにその通りだが、4月までは、梨花も毎月俺を診察してくれていただろう。最後にお前の診察を受けてから、だいぶ時間が経ってしまったから、経過観察に差し障りが出るだろうと思ってな」
(ああ……)
「そうか、確かにそうね。お気遣いありがとう、兄上」
私は兄に向かって頭を下げた。
兄が私の前世のことを知った直後から、兄は月に1回ほど、“自分を診察しろ”と私に命じるようになった。
――梨花は俺の主治医になるのだから、俺の身体の状態を知っていてもらわなければ困る。
それが兄の言い分だった。確かにその通りなので、私は10歳のころから、月に1度、兄の全身を隈なく診察するようになった。兄が節子さまと結婚してからもその慣例は続き、私が最後に兄を診察したのは、私の婚儀の直前、今年の4月のことだ。半年ほど診察が途絶えていたから、兄は私に診察を命じたのだろう。
「……でも、事前に伝えて欲しかったな。そうしたら、こっちもそれなりの準備が出来たのに。この部屋に兄上が入ると思っていなかったから、この部屋、大掃除をしていないのよ」
「俺が来るからと言って、そこまで準備をしなくてもいいのだぞ。俺も微行なのだし」
「そういう訳にもいかないよ。皇太子だということを抜きにしても、兄上は私の大事なお客様だから、失礼なことはしたくないの」
「そうか」
兄は再び私に微笑すると、床の間を背にして座った。私も診察カバンの蓋を閉めると、兄の前に正座する。
「さて、梨花。話がある」
兄は私が座ったのを確かめると口を開いた。普段よりも威厳のある兄の姿に、私の背筋が自然と伸びる。
「……実は、イギリスに行くことになった」
兄から告げられた思いがけない言葉に、私は目を丸くした。
「あ、兄上……本当?!」
眼を見開いたまま訊いた私に、兄は「ああ」と穏やかに頷いた。
「イギリスの国王陛下の戴冠式が、来年の6月にある。それに、俺がお父様の名代で、節子がお母様の名代で参列することになった」
今年の5月上旬に前国王のエドワード7世が亡くなり、今のイギリス国王は、エドワード7世の子、ジョージ5世である。イギリスは日本の同盟国だ。国王の戴冠式と言う非常に重要な行事に、日本から兄夫妻が参列するのは自然な流れである。
「分かった。じゃあ私も、兄上と節子さまについて行く」
私がそう返答すると、
「そういう訳にはいかないだろう」
兄が渋い顔になった。
「何で?!結婚したからと言って、手術の腕は落としていないつもりよ?!」
私が気色ばむと、
「そうではない。俺たちは遅くとも4月には日本を発つ。ドイツやフランス、イタリアなど、ヨーロッパの他の国も訪問することになるから、ひょっとしたら出発は3月に早まるかもしれない。そんな長い旅に、出産直後のお前を連れて行ったら、お前が俺より先に倒れてしまうぞ」
と、兄は私をなだめるように言った。
「うっ……」
私はうつむいてしまった。私の出産予定日は、来年の1月中旬から下旬だ。兄たちの出発時期は、産褥の時期にぶつかってしまう可能性がある。その時期にヨーロッパまでの長い船旅に同行したら、兄の言う通り、私は倒れてしまうかもしれない。
「でも……そうしたら、兄上の身体に何かあったら、どうするの?」
尋ねた私に、
「それは心配するな」
兄は力強く答えた。「ヨーロッパにも医師はいる。万が一、俺の身体を外国人が治療するのが良くないという奴がいたら、令旨を出して黙らせる」
「あ、いや、そうじゃなくてね……」
私は顔を上げ、兄を真正面から見つめた。
「道中が問題だな、と思うの。もし兄上が海の上にいる時に、緊急手術が必要な事態になったら、誰が兄上の手術を執刀するの?」
「高木軍医局長ではダメなのか?」
兄の問いに、
「無理だよ!」
私は首を左右に振った。
「栽仁殿下の手術の時、最終的に執刀したのは私だった。私より経験を積んでいて、手術が上手な先生方が……日本で一番外科手術が上手な東京帝大の外科教授ですら、“臣下が皇族の身体に傷を付けてはいけない”というしきたりを超えられなかったのよ!いずれ、ぶっ壊さないといけないしきたりだけれど、私抜きじゃ、今はまだ、兄上に手術をするのは無理だ……」
「ふむ……」
兄は顔をしかめ、両腕を胸の前で組んだ。
「しかし、東京帝大の外科の教授……確か近藤先生と言った気がするが、栽仁の手術の時、梨花の第1助手を務めたのだろう?昔、お前が、“第1助手は術者と同じぐらい、やることがたくさんある”と言っていたのを覚えているが、第1助手なら、栽仁の身体には触っただろう」
「うん、触った。触ったどころか、創に筋鈎を掛けたり、細い血管を縛ったりしてくれた。でもね、兄上……」
私は栽仁殿下の手術を執刀した時のことを思い出しながら、更に言葉を続けた。
「近藤先生、栽仁殿下の手術の時、身体に針を刺したり、メスを入れたりはしていないの。第1助手が細い血管を処理して、剪刀やメスを使うケースもあるけれど、あの時、近藤先生はメスも剪刀も使っていない。だから、栽仁殿下の身体に傷を付けたという訳ではないの。近藤先生が皇族の手術を執刀するためには、近藤先生に、治療のために、皇族の身体に少しでもいいから傷を付けるという経験をしてもらわないといけないと思う、けれど……」
(そんなの、どうやって経験させればいいの?)
自分で言ったセリフに、私は疑問を抱いてしまった。
誰がいつ、病気になるか、ケガをするかという予測をするのは不可能だ。義父の威仁親王殿下の結核の治療が終わっていなければ、近藤先生に注射をやってもらうという手はあったけれど、治療はとっくに終わっているので、その手段は取れない。もちろん、皇族の誰かにわざとケガをしてもらうなんて論外だ。
ヨーロッパ各国の状況を自分の目で確かめること。そして、ヨーロッパ各国の王室と交友すること。どちらも、兄夫妻のかけがえのない財産になるに違いない。だから絶対に、兄夫妻の渡欧は実現させたいけれど……。
(こんなところでしきたりが邪魔を……。兄上の万が一の時に、医者が対応できないなら、兄上の渡欧自体が取り消しになる……。くそっ、私が妊娠していなければ、私がついて行って万事解決するのに……ん?)
「そうか……もしかして、行ける?」
自分の左腕を見ながら私が呟くと、
「何がだ?」
と兄が聞いた。
「いや、近藤先生に、皇族の身体に傷を付ける経験をしてもらうのが」
私がこう答えると、兄は私を睨みつけた。
「まさか梨花、わざと自分の身体を傷付けて、それを近藤先生に治療させようというのではないだろうな」
「違う違う、そんなことはしないよ。兄上にも栽仁殿下にも大山さんにも、それからお腹の中の赤ちゃんにも怒られるから」
私は右手を軽く振りながら苦笑した。
「まぁ、私の身体を使うのは間違いないのだけれど」
「おい、ではやはり、お前、自分の身体を傷付けて……」
「だから違うから、落ち着いて話を聞いて、兄上」
腰を浮かしかけた兄を必死に止めながら、私は考えついたことを説明し始めた。
「それで、妃殿下の分娩の時、私の助手として近藤先生を使ってほしいとおっしゃったのですね……」
1910(明治43)年10月14日金曜日午後4時、横須賀国軍病院。人払いをした診察室で、私の診察を終えた吉岡弥生先生は、度肝を抜かれたような表情で言った。
「はい」
私は、弥生先生に微笑してみせた。
「皇族の身体には、たとえ治療のためであっても、臣下が傷を付けてはいけない。その古いしきたりが、皇族を侵襲的な治療から遠ざけてきました。少しずつ、そのしきたりも崩れてきましたけれど、兄とお父様の前には、まだ立ちはだかっています。皇族である私がいれば、しきたりに関係なく、航海中の兄の治療ができますけれど、私が兄の渡欧について行くのは、弥生先生、許可してくださらないでしょう?」
「そうですね、それは許可できません。産褥期に掛かってしまいますもの。皇太子殿下の治療をする前に、妃殿下が倒れてしまうわ」
私の説明に頷いた弥生先生に、
「だから、私以外の医者に、しきたり……というか、心理的な壁を乗り越えてもらうしかないんです。その壁を乗り越えられる可能性が一番高いのが、近藤先生だと思っています。だから、彼に経験を積んでもらうしかないんです。直宮である私に点滴の針を刺して、必要があれば会陰切開をするという経験を。そうすれば、近藤先生も、心理的な壁を乗り越えやすくなると思うんです」
私はそう説明すると、しっかりと彼女を見つめた。
私が一昨日、兄と話していて思いついたのは、私の分娩時の処置を、近藤先生に手伝ってもらえばいいのではないか、ということだった。分娩全体に掛かる時間は数時間から10数時間……時には丸1日以上かかることもある。その間、妊婦は陣痛で食事がとれないことも多いから、点滴で水分とある程度のカロリーを補給することが、この時代でも行われるようになってきた。また、分娩の時には、赤ちゃんを出やすくするために、会陰部を2、3cm、剪刀で切ることがある。近藤先生は外科が専門だから、産婦人科の手術をするのは無理だけれど、分娩時の処置の手伝いならできるはずだ。
と、
「妃殿下は、大胆なことを考えつくのね……」
弥生先生が私に苦笑いを向けた。「東京帝大の教授に“経験を積ませる”なんて、私にはとても言えませんよ。だけど、それなら、何も分娩の時に点滴の針を刺してもらうのではなくて、今からでも妃殿下の身体を使って、点滴の針を刺す練習をしてもらえばいいのではないかしら?」
「弥生先生、それだと近藤先生は、絶対に私に点滴の針を刺してくれません」
私は首を左右に振りながら弥生先生に返答した。「だから、近藤先生を、絶対に逃げられない状況に追い込みたいんです。誰も代わりがいなくて、絶対に点滴の針を刺さないといけない、っていう状況に。そうしたら、近藤先生も、私に点滴の針を刺してくれると思います」
「……仕方ないですね、妃殿下のご提案に従わせていただきましょう」
弥生先生は苦笑いを顔に浮かべたまま頷いた。「確かに、ご分娩の担当医を、ということで、妃殿下からご指名をいただきましたが、万が一、分娩が上手く進まずに、緊急手術が必要な場合、どう対応したらいいか……。絶対に人手が要りますから、人選を妃殿下とベルツ先生に相談しようと思っていたところなんです」
「弥生先生、ベルツ先生も巻き込みましょうよ」
私は身を乗り出しながら恩師に提案した。
「ベルツ先生なら、東京帝大の先生方にも伝手が多いです。だから、緊急手術に必要な人材も集められます」
「その通りですね。ですが殿下、陣痛がいつどのように始まるか、それは全く分かりません。ですから、近藤先生に処置を手伝っていただくにしろ、細かな段取りを決めておかないと……」
こうして、妊婦と主治医は、私抜きでも兄が渡欧できるように、近藤先生に、私の分娩時の処置をしてもらう計画、……と言うよりは、近藤先生にドッキリを仕掛ける計画を立て始めたのだった。




