閑話:1910(明治43)年処暑 夏の魔物たち
※章タイトルを変更しました。(2021年10月18日)
1910(明治43)年8月26日金曜日午前10時、デンマーク王国の首都・コペンハーゲン郊外にあるヴィズウーア城。
「そうか、身ごもったのか……」
居間で英字新聞を読んでいたロシア帝国の先帝・ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフは、その記事に目を通し終わるとこう呟いた。彼の視線の先にある記事の見出しには、“極東の名花、第1子妊娠”と書かれている。日本の天皇の第4皇女で、有栖川宮家の後継者・栽仁王と結婚した章子内親王が妊娠したことが宮内省から発表された……そんな内容の記事だった。
「あの姫も、もうそんな年になったのか……」
初めて彼女の姿を見たのは、今から20年近く前、日本を訪れた時だ。遊んでいて夢中になり、自分に会う直前に池にはまってしまったという彼女は全身ずぶ濡れだった。しかし、そんな格好でも、彼女が類まれな美しさと愛らしさを兼ね備えていることは容易に分かり、彼女こそが自分の運命の女性なのだとニコライは直感した。
それ以後、誕生日などの節目ごとに贈り物をしながら、ニコライは章子内親王が成長し、結婚に問題ない年齢になるのを辛抱強く待った。日本に派遣した公使館員たちが入手して送って来る写真の中の彼女は美しく成長していき、ニコライは政務の合間に、送られてきた写真を眺めながら、花嫁衣裳をまとった彼女が自分に嫁いでくる姿を想像した。
章子内親王は東洋人で、宗教は正教ではない。そのこともあり、ニコライの希望を知ったロシアの皇族や閣僚たちは、ニコライと彼女との結婚に反対した。特に、彼女が医師免許を取ったと分かった際には、母であるマリア皇太后をはじめとする反対派は、彼女との結婚をあきらめるよう、ニコライに強く求めた。しかし、彼は諦めなかった。相応の理由をもって彼女をロシアに来させれば、反対派も態度を変えると信じていた。そして、“相応の理由”を作るため、アレクセーエフの言に乗り、日本と戦争をするという賭けに出たのだが……。
ドアをノックする音が響いた。「入ってよい」とニコライが応じると、ドアが開き、銀のトレイにティーセット一式を載せて捧げ持った男が現れた。1905年の政変で、ニコライとともにこのデンマークに逃れたロシア帝国の元内務大臣、ヴャチェスラフ・コンスタンチノヴィチ・プレーヴェである。他の場所に行くこともできるのに、この男はなぜか自分に付き従い、今ではこの城の執事のようなことをやっている。
「紅茶をお持ちしました、殿下」
かつて内相だった男は軽く頭を下げ、机の上にティーポットやカップを並べる。そして、なかなか堂に入った作法でカップに紅茶を注いだ。
「あの、殿下……。国王陛下から知らせがありまして」
紅茶を注ぎ終わったプレーヴェ元内相は、ニコライに恐る恐る声を掛けた。“国王陛下”というのは、このデンマークの国王・クリスチャン9世で、ニコライにとっては母方の伯父にあたる人物だ。政変で皇帝の地位を追われ、単なる1人の皇族となった甥の居住を認めつつも、しかし、妹でニコライの母親であるマリア皇太后の求めに応じ、クリスチャン9世はニコライがヴィズウーア城から逃げ出さぬよう監視を続けていた。
「……お話してもよろしいでしょうか?」
「それはもしかして、あの姫が身ごもったということかな?」
ニコライが返答すると、プレーヴェは「ご存じだったのですか……」と力無く言った。
「英字新聞に載っていた。あの姫も、そんな年齢になったかと思って、感慨に耽っていたところだった」
黙って自分に頭を下げたプレーヴェに、
「あの姫も幸せそうだ。本当によかったよ」
ニコライは穏やかな声で言った。
「意外です。そのようにおっしゃるとは」
遠慮なしに応じた元内相に、
「私が今更、あの姫に浅ましく執着すると思ったかい?彼女の婚約が決まった時から、私は彼女の結婚を、ずっと心から祝っていたつもりだが」
ニコライは苦笑いを向けた。
「私はあの姫に運命を感じた。しかしあの姫は、ロシアにとって、非常に危険な存在でもあった。あの姫一人を守ろうとして、日本の大臣どもが、いや、日本人全てが団結して、ロシアに全力で立ち向かったのだ。あの姫の眩いばかりの美しさと愛らしさに目がくらみ、一目で恋に落ちてしまった私には、その恐ろしさが全く目に入らなかった。そして、私はロシアの兵隊を徒に死地に追いやり、ロシアは日本と清に敗れ、私は帝位を追われた。私はロシアの歴史上、最も愚かな皇帝になったわけだ」
プレーヴェ元内相は、ニコライに頭を下げ続ける。確かに、この前皇帝の懺悔は、デンマークに逃れた時から内容は変わらない。もっと早く、彼が愚かな恋から覚めていれば、とは思うが、事が全て終わった今となっては、どうすることもできない。
「日本人たちも、彼らの神に祈るだろうが、私も私の神に祈ろう。あの姫が元気な子を産んで、子と共に健やかにあらんことを……」
虚空に向かって頭を垂れ、祈る仕草を見せたニコライに一礼すると、プレーヴェは居間を静かに立ち去ったのだった。
ほぼ同時刻、イタリア王国の首都・ローマ。
「なぁ、兄者。本当にこの刀を、あの姫君の子供に贈るのか?」
イタリア国王・ウンベルト1世の甥であるルイージ・アメデーオ・ジュゼッペ・マリーア・フェルディナンド・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=アオスタ……アブルッツィ公という儀礼称号を有する男は、2歳年上の兄、ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア=アオスタに不安そうに尋ねていた。
「いくらあの姫君に子供が生まれるからと言って、その日本刀を贈っていいのか?兄者はその日本刀、小説のタネになるからと、とても大事にしているではないか」
すると、
「私は別に構わぬぞ、ルイージよ」
トリノ伯という儀礼称号を持ち、なおかつ“マリオ”というペンネームも持っているアブルッツィ公の兄は、重々しい口調で答えた。
「もしネタが無くなれば、私とお前が手合わせをすればよいのだ。そうすれば、ネタはいくらでも出て来る。何の心配もいらない」
(それが困るのだ!)
アブルッツィ公は心の中で強く抗議したが、それをそのまま口に出してしまうと、間違いなく決闘騒ぎになってしまうため、ぐっとこらえて、
「いや、この刀、兄者の創作のためにも、兄者が所有している方が絶対にいい。あの姫君の子供の誕生を祝福するためには、その刀を贈るより、俺がヒマラヤの未踏峰に登頂して、その山にあの姫君の子供の名前を付ける方がよいと思うぞ」
と、可能な限り理論立てて提案した。
だがしかし、
「あの武勇優れた、勇気ある姫君の子だぞ?男でも女でも、武勇のある子に成長するに違いない。だからこそ、この私のとっておきで、剣の修業を積んでもらいたいのだ」
トリノ伯は弟の提案を、まったく気にも留めなかった。どこか嬉しそうなトリノ伯の手には、全長80cmほどの日本刀がある。一応手入れはされているようで、刀身は銀色に鈍く輝いていた。
「パリに留学してきた、元はSAMURAIの日本人が、故郷からの学費の仕送りが途絶えてしまったため、泣く泣く売り払ったというこの名刀正宗……だが、伝え聞いたところによると、正宗というのは、日本では美術品として大変な価値があるものだという。確かに、SAMURAIの魂が感じられる品で、私も手放すのが惜しいのだが、かような名刀であるならば、この機会に日本に返す方がよいと思ったのだ」
「まぁ、確かにそれも一理あるな……」
アブルッツィ公は、兄の主張に渋々頷いた。日本の美術品を日本に返却するという目的もあるのならば、自分としては反論する余地がない。それに、自分と兄が手合わせする前に、兄に新しい日本刀をやれば、また兄は小説を書き始めるに決まっているのだ。
「うむ、お前なら分かってくれると思っていたぞ、ルイージよ。では、我々は、この名刀正宗に、姫君と、生まれて来る姫君の子が健康であるようにと願いをこめよう。そして、日本に送り出そうではないか」
……そして、この“正宗”は、後日、在日イタリア大使館から有栖川宮家に贈られたのだが、
「何であのセクハラ野郎と登山マニアは、私でもわかるレベルの正宗の偽物を贈って来たんでしょうか、松方さん……」
「今、欧米では日本刀が大流行しているようです。しかし、海外で売買される日本刀の大半は、粗悪なナマクラだとか。恐らくトリノ伯も、そのような品をつかまされたのでしょう」
「しかし、困りましたな。妃殿下に正宗の偽物を贈るとはとんでもない無礼ですが、イタリア側は全員、この刀が本物の正宗と信じているようですし、下手に指摘すれば外交問題に……」
「良い考えがありますよ、山縣さん。陛下に動いていただければよいのです。最近、“どこかに刀のことを語り合える者はいないだろうか”とおっしゃっておりましたから……」
贈られた側は、困惑しながらの話し合いの末、最終的な対応をこの国の主権者にゆだねることにした。
その結果、数か月後、トリノ伯とアブルッツィ公の元に、日本刀の鑑賞と鑑定法について、日本の主権者の直筆の手紙が届けられることとなった。その手紙は、日本の主権者が持てる知識のすべてを注ぎ込んで嬉々として書き上げた、日本刀の鑑賞と鑑定法についての非常に長い手紙だった。通訳の助けを借りて手紙を何とか読み切った兄弟は、疲労の余り、数日間ベッドから起き上がれなかったのだった。
ローマでイタリア王族の兄弟が、日本への贈り物について話し合っていたのとほぼ同時刻。
「なるほど、確かに悪い話ではない!」
イタリア南部、ティレニア海の中に浮かぶカプリ島は、風光明媚な島として知られ、イタリア国内、そして国外からも多くの観光客が訪れる場所である。その島の高台に建てられたとある別荘で、上機嫌な大声を上げたのは、夏の休暇をカプリ島で過ごしていたドイツ帝国の皇帝・ヴィルヘルム2世だった。
「ええ、悪い話ではないのですよ、陛下」
皇帝の前で微笑したのは、ブルガリア公のフェルディナントである。1887年にブルガリア公に選出された彼は、現在オスマン帝国の宗主権下にあるブルガリア公国を完全な独立国とするため、そして、独立した暁には、1878年3月のサン・ステファノ条約で定められた広大な領土を得るため、日々策謀を巡らせていた。
「オスマン帝国そのものを解体し、バルカン半島にあるオスマン帝国の領土は我がブルガリアが、そして残りのオスマン帝国の領土はドイツが治める。地中海にしゃしゃり出てきているイギリスも牽制できますから、絶対に悪い話ではないのです」
「それは素敵だな」
皇帝は満足そうに頷いた。イギリスはドイツ帝国の仮想敵国である。
「ロシアとオーストリアにも同じような話を持ちかけました。しかし、ロシアのミハイル2世は、私の誘いに全く乗りませんでした。オーストリアは、“領土や植民地を下手に持ってしまうと、かえって獲得した土地の管理に莫大な資金と手間がかかってしまうから戦争はしない”という、非常に消極的な姿勢でしてな」
「確かにそれは朕も好まぬ。それに、朕の手によって血が流れれば、日本にいるあの美しい女神が悲しまれる。悲しみの余り、その繊細な心を痛めてしまって流産してしまったら、朕はあの女神に何と言って詫びればよいか……」
(またその話か)
フェルディナントはたちまち沈鬱な表情に変わった皇帝を眺めながら、呆れ返っていた。皇帝が日本の章子内親王のことを話しだしたのは、今日はこれで3度目である。あの新しい女は確かに美しいが、今や夫のある身である。その女になぜ皇帝が執着しているのか、フェルディナントには全く分からなかった。
と、
「……しかし、統治能力のない政府が治めている地域の住民は、大変不幸な状況に置かれている」
皇帝はこう言い始めた。
「そして、オスマン帝国の人民は、今、無能な政府によって、苦しみを受けつつある。それを見捨てておくのは人倫に悖るというもの。統治能力のない政府に変わり、その政府が治めていた領土を統治するのは、我がドイツ帝国に課せられた義務なのだ。かの国の女神も、きっとそれを分かってくれよう」
「皇帝陛下のお志、誠にありがたいものと存じます。オスマン帝国の全人民も、きっと心から喜びましょう」
恭しく礼を述べながら、フェルディナントは心の中で皇帝に冷笑を向けていた。この皇帝も、異国の女の歓心を買うために、普段は己の領土欲を封じ込めているが、実際のところは、領土欲はそれで消えるはずもなく、皇帝の心の中でじっとしながら、格好の理屈という出口が出来るのを待っていたのだろう。そして、フェルディナントの言葉でその出口が作られて、領土欲が表に吹き出てきたという訳だ。
「では、今後、こちらも手はず通りに事を進めよう、フェルディナントよ」
「ありがたき幸せでございます、皇帝陛下」
ドイツ帝国の皇帝とブルガリア公は、互いに欲にまみれた笑顔を見せあった。
カプリ島の美しい風景には全くそぐわない夏の魔物たちが、世界に波乱を起こそうとしていた――。
※実際にはヴィズウーア城は、1906年にマリア皇太后とイギリス王妃アレクサンドラが共同購入しています。
※留学生が刀を売り払う……というあたりでは、西園寺さんがそうしていたらしい、という話もあるのですが、ネット上で確認できる同時代の資料で言及するものがなかったので真偽が確認できず、今回は明確には示していません。ご了承ください。




