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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第7章 1891(明治24)年小満
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要(かなめ)と骨

 1891(明治24)年、6月初め。

 ロシアのニコライ皇太子は、青森港から、ウラジオストックに向かって出航した。

 それを、威仁親王殿下、大山さん、大隈さんが見届け、東京に帰ってきたタイミングで、大津事件の反省会も兼ねつつ、皇居で“梨花会”が開かれた。

「いやー、何とか、無事に終わりましたな」

 黒田総理大臣が、ほっと息をついている。

「私は余り、無事じゃなかったかもしれないんですけど……」

 ニコライ皇太子が東京に来てからのことを思い出して、私はげんなりした。

 本当は、私とニコライ皇太子は、東京で面会する予定はなかったのだ。

 ところが、皇太子殿下がニコライ皇太子に面会した際、先方が“ぜひ、増宮殿下を連れてきてくれ”と懇願したらしい。仮病を使って断ろうと思ったけれど、相手は列強の一角の皇太子だ。申し出に逆らう訳にもいかないので、急遽、皇太子殿下と一緒に、ニコライ皇太子と面会した。

 伊藤さんと大山さんには、洋服を着ていけ、と言われたのだけれど、

――和服で行きます。

私は二人に断言した。なぜですか、と問う二人に、

――虫よけです!和服で、髪も下ろしていけば、先日のように、握手した手を離してくれない、ということはないですから!

 私はこう主張して、和服に女袴、そして下ろした長い黒髪、というスタイルで、ニコライ皇太子に面会しに行った。これで、女袴なしで振袖だったら、完璧な“呪いの市松人形”スタイルだったのだけれど、めったに私の言うことに反対しない花松さんに、渋い顔をされてしまったので、いやいやながら袴は付けていった。

(完璧とはいかなかったけれど……この不細工極まりない市松人形ヘアなら、ニコライ皇太子も嫌がる!)

 作戦の成功を確信していたのだけれど、私の姿を見るや否や、ニコライ皇太子は私の方にすたすた歩み寄り、突然(ひざまず)いて、何やら叫んだ。

――写真……?

 今回のニコライ皇太子来日に備え、フランス語の勉強を始めた皇太子殿下が、こう言って首を傾げた。

――ああ、心霊写真でも撮りたいのでしょうか?

――なんだ、それは?

 殿下と二人でこそこそ話していると、ニコライ皇太子が御付きの人にカメラを持ってこさせた。

――あの、増宮殿下、ニコライ皇太子が、殿下の写真を撮りたいと……。それから、殿下と二人で写真に納まりたいと……。どうやら、殿下のことが大変気に入られたご様子で……。

 通訳さんが、恐る恐る私に告げた。

(はあ?!)

 呆然としているうちに、何枚も私の写真を撮らせたニコライ皇太子は、御付きのカメラマンのカメラを奪い、自分でカメラをいじって私を撮影していた。更に何か口走っていたけれど、私についてきた大山さんに睨まれて、慌てて口を閉じていた。……大山さん、ニコライ皇太子に、京都で何を言ったんだ?

「まあ……、お疲れさまでした、増宮さん」

 お母様(おたたさま)が、クスクス笑った。「しかし、名古屋の離宮に寄れたのは、あなたにとってはよかったでしょう?」

「はい、お母様(おたたさま)、ええ、とても、とてもよかったです……」

 京都から東京への帰路、名古屋離宮――前世(へいせい)でいう名古屋城――で一泊した。

 前世(へいせい)では、名古屋城の本丸御殿も天守閣も再現建築だけれど、この時代は、江戸時代に建築された物が残っている。本丸御殿の障壁画や欄間に施された彫刻など……調度は本当に素晴らしく、心を奪われていたら、天皇(ちち)に叱られた。名古屋城を案内してくれた第三軍管区の司令官が、“大正政変”で首相を辞めた、あの桂太郎本人だったのは、とてもびっくりしたけれど……。

(ああ、でも、濃尾地震で壊れてしまう多聞櫓も見られたし、大天守からの名古屋市街の眺めも、すごく良かったしなあ……)

 素晴らしい思い出を反芻していると、

「章子、章子、少し、城のことから頭を離せ」

天皇(ちち)がこう言って、ため息をついた。

「申し訳ありません、陛下。“史実”では、名古屋城は第二次世界大戦の空襲で焼かれて、江戸時代の建物がほとんど残っていないので、つい……」

 私がこう言うと、

「そう言えば、以前、そう言っていたな」

天皇(ちち)が、珍しく、しんみりとした口調で言った。

「でも、第二次世界大戦がなければ、なくならないはずです、陛下」

「そうですな。この国の進路を過たなければ、保護できるはずです」

 山縣さんが、重々しく頷いた。

「そう、そのためにも、我らはまた、知恵を絞らねばなりませんな。増宮さまのお力も借りなければなりません」

 伊藤さんが言った。

「伊藤さん、もう、私の知っている“史実”と、大分歴史が変わってしまって、私が役に立てることは殆どなくなった気がするから、私は医学の方に取り掛かりたくて……」

 私がため息をつくと、

「何をおっしゃる。今年の10月には、濃尾地震が起こるのでしたな」

 伊藤さんが私に反論した。

「足尾銅山の問題もあります。それに、医学やそれに関連する技術の発展を促すことは、我が国の国力向上にもつながります。増宮さまが思い出せていないだけの未来の知識も、まだまだあるはずです。未来に生きていた、というのは、それだけで、計り知れない価値があるのですぞ」

 山縣さんも言った。

「脚気を防ぐためにも、兵食の改革にも、取り組まなければなりますまい。増宮さまとベルツ先生の実験が、大いに力になりましょう」

 西郷さんもこう言って、微笑する。

「まあ、あきらめな、増宮さま。扇の(かなめ)を、今更外す訳にゃいかねぇんだよ」

「扇の……要?勝先生、私が?」

「だって、この会合の名前、増宮さまの名前がついているじゃねぇか」

 勝先生に指摘されて、「あ」と私は声を上げた。

 ……梨花は、私の前世の名前だ。

「ま、分かったら、おとなしく、会合にいてくれや」

「はい……」

 私は、不承不承、頷いた。


 さて、今回の会合では、足尾銅山や利根川治水の対策、海軍力の増強、濃尾地震のことなどが話し合われた。

 海軍関係については、

「増宮さまのおかげです」

と西郷さんにお礼を言われてしまったのだけれど、なぜお礼を言われたのか、私には心当たりが全くなかった。困惑していると、

「ああ……それについては、本日は時間が無いので、また後日ご説明申し上げます」

西郷さんが私を見ながら、ニコニコして言った。私、海軍の軍備関係に口出ししたこと、あったっけ……?

 それから、濃尾地震の対策については、「増宮さまのご了解を得てから進めたいことがございまして……」と山縣さんに言われた。

「私の了解?名古屋城に被害が出るのは諦めていますし、多聞櫓も見せていただいたから、あなたたちの思う通りにやってもらって構わないのですけれど……」

 私がこう答えると、「いや、そのことではなくて」と山縣さんは首を横に振った。

「まあ、それについては、西郷どのと同じく、また後日説明します」

「はあ……」

(何なんだろう、一体?)

従道(じゅうどう)も山縣も、いずれ、きちんと説明してやれよ。また章子が“わからぬ”と表情(かお)で言うておる」

 私が首を傾げていると、天皇(ちち)が苦笑しながら山縣さんに言った。

「承知しております」

 西郷さんと山縣さんが一礼する。

 さらに、今回の“梨花会”では、重要なことが決まった。

 新しいメンバーを迎えることになったのだ。

 原敬(はらたかし)内務次官である。

「間違いなく、磨けば、総理大臣を立派に務められよう。今の時点で、この力量のすさまじさ……、将来が楽しみだな」

 現在の彼の上司である山縣内務大臣が、上機嫌で言った。

 “史実”では山縣さんと原さんは、政争を繰り広げたのだけれど、現時点では、トラブルなく業務をこなしているらしい。“混ぜるな危険”と最初は心配していたのだけれど、どうやらそれは杞憂だったようだ。原さんの“梨花会”入りを、強く推したのも山縣さんである。

「山縣さんが原さんを推薦するというのに、まだ違和感があるのだけれど……これは、私が未熟だからでしょうね……」

 私が苦笑いを顔に浮かべると、山縣さんが一瞬、目を細めた。

「どうしたんですか、山縣さん?」

「いえ……」

 山縣さんは微笑した。「増宮さまの良さを、再確認していたところです」

「は?!」

「ふむ……そのように驚かれた顔も、平生とはまた違った美しさを……」

「だから……あなたの美意識、狂ってるから……」

 私はあきれながらつぶやいた。「で……明日、花御殿に原さんを連れてくるって言いましたっけ?」

「さようでございます」

 山縣さんが一礼した。

「“一刻も早く”とは言っていたけれど……明日は平日だから、学校が終わった後に来てもらっても、皇太子殿下がいらっしゃいますよ。“章子が叱られている”と、皇太子殿下に心配をさせたくはないのですけれど」

「それはご心配なく。明日は近衛師団で、馬術の競技会がありますゆえ、皇太子殿下は学校の授業が終わられた後、そちらをご覧に行啓されます。お帰りが遅くなりますから、花御殿に我々が参上しても差し支えないかと」

(馬術競技会って、…あれ?)

 私は首を傾げた。

 皇太子殿下は、乗馬がお好きだ。なので、私に馬の話も時々してくれる。確かに、馬術競技会が明日近衛師団である、とは殿下も言っていたけれど、“開催が急に決まった”って聞いた気がするんだよなあ……。

(まさか……)

「嫌な予感がする……」

「嫌な予感、とは?」

 伊藤さんが私のつぶやきを拾った。

「あの……その馬術競技会、まさかとは思うけれど、原さんを花御殿に連れていくために、開催するのですか?」

 すると、

「さあて、何のことやら……」

 伊藤さんが、前世(へいせい)のテレビの時代劇に出てくる悪役のようなセリフを発した。西郷さんと大山さんと黒田さんも、ニヤリとする。

「やはり、ご聡明な方とお話しするのは、楽しいですな」

 山縣さんが右手で顎を撫でた。

(うわー……根回し済みか……)

 東宮大夫(いとうさん)東宮武官長(おおやまさん)、そして国軍大臣(さいごうさん)総理大臣(くろださん)……山縣さんの要請を受けた、皇太子殿下の関係者、そして、近衛師団に命令できる人たちが、皇太子殿下を外に連れ出し、その隙に原さんを花御殿に連れていくように、裏で画策した、という訳か。

(原さんを私に会わせるために、ここまでするとは……山縣さん、原さんに相当惚れ込んでるわね……)

「わかりました。諦めるしかなさそうね。明日はよろしくお願いします」

「こちらこそ、増宮さま」

 山縣さんが、満足げに頷いた。


 夕刻になって会議は終わり、私は大山さんと二人、花御殿に戻るために馬車に乗り込んだ。

「あの、大山さん……京都で私が体当たりしたヴェーラさんって、どうするの?」

 馬車が動き始めると、私は向かいの席に座った大山さんに尋ねた。

「は?」

「だから、ヴェーラ・ニコライエヴナ・フィグネルって言いましたっけ、ロシアの要塞から脱走したあの美人さん。新聞にも記事が載っていなかったし、さっきの会合でも話が出なかったから……もしかして、彼女を使って何か仕掛けるの?」

 すると、

「なんと……」

 大山さんが軽くため息をついた。

「誰かに聞かれましたか」

「いいえ、自分で考えました。世間的に、あの事件は無かったことになっているようだから、あなたたちの手で情報操作されているのかな、と」

 ニコライ皇太子の暗殺未遂が発覚したのなら、“史実”の“大津事件”レベルの大騒ぎになるだろう。ところが、そんなことなどなかったかのように、世間はニコライ皇太子を歓迎し、そしてロシアへと送り出した。

「それに……謀略を使って、治外法権の撤廃へ持って行ったあなたたちなら、ロシアの革命勢力と密かにつながりを持って、日本とロシアで戦争が起こった時、その人達にロシア国内を撹乱させるぐらいの謀略(こと)はするかな、と思って……でも、同じことは、他の国だって考えるでしょう。日本にスパイを放ったり、日本の新聞記者を抱きかかえて、フェイクニュース……デマの記事を書かせたりするかもしれない」

 先日の“西郷隆盛が生きている”という記事だって、荒唐無稽な話だったのに、学習院の生徒をはじめ、信じてしまう人がたくさんいた。前世(へいせい)でも、新聞や雑誌が“この薬は体に悪い”と根拠のない記事を書いて、それに惑わされた患者さんたちが、必要な薬をやめてしまったり、新聞や雑誌で宣伝された、科学的な根拠のない健康食品とやらに手を出してかえって身体を壊したりすることは、時々起こっていた。上級医オーベンが、よく嘆いていたものだ。

(それが、もし、“日本に悪意を持つ外国によって作られた記事”になった場合……)

「わかりました。今後、よくよく心得ておきましょう。しかし、そのようなことを、よく思いつかれますな」

「デマ記事については、未来でも、似たようなことを経験していてね。それに、戦国時代なら、自分に有利な噂を敵方に流すなんて、割とよくある手段よ。敵の領地に間者を放って、情報収集したり、後方撹乱をさせたり……」

 すると、大山さんが吹き出した。

「ちょっと……何がおかしいの?私、もしかして、ものすごく間違ったことを言いました?」

 大山さんに抗議すると、「申し訳ありません」と大山さんは頭を軽く下げた。

「未来から来たお方なのに、発想は、戦国の世の軍師と似ておられるので……」

「城郭マニアですからね。戦国時代の合戦や交渉や謀略の知識は、ある程度頭の中に入っているのよ。実生活には、全く役に立たないけれど」

「しかし、必要なことも出て参りましょう」

 大山さんは静かに言った。

「どういうこと……?」

「要が扇の骨をしっかりと止めていなければ、いくら骨が強くとも、扇は用をなしませぬ。骨を止めるために、これから、様々な手段が必要になってまいりましょう」

(え……?)

 さっき、勝先生が言っていた。私は、扇の要だと。

「ちょっと待って、大山さん。骨を止めるために……、“梨花会”をまとめるために、合戦や交渉や謀略の知識が、私に必要になると?」

「もちろん、常に謀略を張り巡らせるようなお方に、なってほしくはありません。ただ、あの席に出ていただく以上、その機微を、少しは知っておかねばならないでしょう」

「大山さん、私は、あなたたちみたいな政治家になりたいんじゃない。私は、医者になりたいのよ?」

「“上医”を目指すのであれば、やはり必要なことであるかと」

(“上医”ね……)

 昨年の夏、伊香保から東京に戻ってきたときに、天皇(ちち)が言った言葉を思い出す。

――どうせ医師になるならば、上医を目指せ。国を(いや)す、上医にな。

 あの言葉の意味は、今も分からないままだ。

 医者が国家に関わるとしたら、衛生政策を立案したり、医療行政に携わったりすることぐらいしか、私は思いつかない。確か、前世(へいせい)では、厚生労働省に“医系技官”として医師の採用枠があったはずだし、各地の保健所などで、医療行政に携わっていた医師もいた。

(でも、それ以外に?国会議員になるなんて、内親王だからあり得ないし……大体、戦国時代の合戦と交渉と謀略の知識をフル活用する医者って……それ、単なる“戦国時代オタクの医者”なんじゃないかな?)

「まずは、何かしらでも、修業を積まれることです」

 私が黙り込んでいると、大山さんはこう言った。「この大山も助力させていただきます、梨花さま」

 私はため息をついて、視線を落とした。

 大山さんに“梨花さま”と呼ばれると、どうも調子が狂う。

 大山さんとは、君臣の契りとやらを結んでしまったのだけれど、明らかに大山さんの方が、経験も力量も私より上だ。しかも“史実”では“元老”の一人で、日露戦争の現地軍の総司令官で、天皇(ちち)にも“我が師”とまで思われて……。

(大体、そんなすごい人の主君として、私は明らかに、ふさわしくないんだけれど……)

「もし梨花さまが、ご自身のことを、(おい)の主君にふさわしくないとお考えならば……なおのこと、少しずつでも、修業を積まれることです」

「?!」

 大山さんの声に、私は目を丸くした。

(考えが読まれた?!)

 うつむいた顔を上げると、大山さんは微笑していた。その優しく、温かい眼差しを受け止めていると、なぜか心が落ち着いていった。

「……あなたの“助力”は、なかなか厳しそうですね。お願いだから、お手柔らかに、ね」

「心得ておりますよ」

 大山さんは頷いた。


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