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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第6章 1891(明治24)年啓蟄~1891(明治24)年立夏
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もう一つの結末

 廊下に面した障子を開けると、すぐそこに、山縣さんと伊藤さんがいた。爺と山田さんもいる。私の姿を見ると、全員が一斉に平伏した。

「もう……みんな、立ってください。そんな風に頭を下げられてしまうと、調子が狂います」

 私はため息をつきながら言った。

「し、しかし……」

 伊藤さんが平伏したまま呟く。

「それに、これから、大兄(おおにい)さまの所に行かないといけないから……ほら、通るのに邪魔ですから、お願いだから立ってください」

「はあ……」

 四人とも、渋々と言った感じで立ち上がった。

「山田さん、このまま、大兄(おおにい)さまの所に行きます。ついてきていただけますか?」

「ま、増宮さま?」

「だって、山田さんも、お母様(おたたさま)と皇太子殿下の、お見舞いの使者でしょう?見舞う相手に会わずに、東京に帰るつもりですか?」

「そ、それは……」

「ほら、大山さんと一緒に、行きますよ。……大山さん、今、大兄(おおにい)さまたちはどちらに?」

「本日は、知恩院と、清水寺を御参拝された後、二条離宮にてご休息される予定です。そろそろ、清水寺から二条離宮に向かわれる頃でしょうか」

 大山さんが、軍服のポケットから懐中時計を取り出して答えた。

「二条離宮?」

「二条城、と申し上げる方が、増宮さまにはわかりやすいでしょうか?」

「!」

 大山さんの言葉に、私は目を見開いた。

「二条城!大政奉還の舞台になったところですね!前世で、見学したことがあります。縄張りは、あまり防御的ではないけれど、二の丸御殿の障壁画が素晴らしくて……あ、そうか、未来に、二の丸御殿は残っているのだから、この時代でも、残っていますよね」

「確かに、そうですね」

 大山さんが、ニコニコしながら頷いた。

「二条城なら、京都御苑の南側から出て、丸太町通を西に歩いて、堀川に沿って南に歩いたら着くはずだけれど……」

「道順を御存じなのですか?!」

 私の言葉に、山田さんが驚きの声をあげる。

「中学の時に修学旅行で行ったし、大学生の時にも3回行ったから、大体の道と距離は覚えています。まあ、道幅や周りの風景は、前世とは違うでしょうけれど……様子を確認しがてら、歩いて行きましょうか」

「御意に」

 大山さんは、私の右手を握ったまま、先に立って、御所の廊下を歩いた。私の侍従さんが、私たちについて行こうとしたのだけれど、御所で待機するように伝えた。御所を出ると、御苑の南側から丸太町通に出て、西に向かって歩き始めた。

「昔の京都には市電が走っていたと、前世で聞いたことがあったけれど……まだ走ってないみたいですね」

 丸太町通を歩きながら、私は大山さんに尋ねた。右手は、大山さんとつないだままだ。

「市電?」

「市内電車。路面にレールを敷いて、その上を電車が走ったそうです。私が生きていたころには、もうバスと地下鉄に置き換わっていましたけれど」

「電車ですか……確か来月には、蹴上(けあげ)に発電所ができると聞いています」

「蹴上?」

「琵琶湖疎水(そすい)の水力を利用して、発電をするそうです」

「琵琶湖疎水……なんとなく、聞いたことがあるような……」

「京都は、維新の動乱と、東京への奠都(てんと)で人口が減り、一気に産業が衰退しまして……知事が、京都の産業振興策として計画したのですよ」

 私の左隣を歩く山田さんが、こう教えてくれる。

「なるほどね。……その発電所の電力を使えば、電車が走れるかもしれませんね」

(“史実”でも、そうだったのかな?)

 考えていると、堀川にぶつかる。南に曲がって少し歩くと、道の両脇に人が沢山並んでいるのが見えた。

「すごい人出ですね」

「ニコライ皇太子を、見物に来たのでしょう」

 大山さんが言った。「もう間もなく、ご到着される旨が伝わっているのでは」

「なるほど。外国の人まで見物して……」

「外国の人?」

「ほら、東大手門の前。どこの国の人かな」

 私の視線の先には、彫りの深い顔立ちの外国人の女性がいた。髪は黒に近い茶色だ。そして、身にまとった洋服は、暗い緑色だった。一瞬、喪服かと思ったほどで、だから余計に彼女の姿が目についた。

(なんか、すごく地味な服装だなあ)

 そう思っていると、彼女は手に下げたバッグから、木で作った箱のようなものを取り出した。

(まさか……!)

「あの人!」

 私は叫んだ。

「どうなさいました、増宮さま?」

 尋ねる大山さんを、

「東大手門に、油を掛ける気よ!」

私は軽く睨みつけた。

「は……?」

「前世で、そういう事件があったの!お城や神社仏閣に、油を掛けて回った奴がいて!」

 そう言うが早いか、私は、大山さんとつないだ手を振りほどいて、箱を手にした外国人女性に向かって、全速力で駆けた。


「こらあ!そこの異邦人!」

 通りの人ごみを、東大手門に向かってかき分けながら、私は叫んだ。

「手に持った油を、地面に下ろせぇ!」

 人垣の先頭に出ると、英語で叫びながら、通りを全速力で突っ切って女性に近づく。間の距離は、10メートルぐらいだ。大きな声で叫んでいるのだけれど、女性は反応しない。私の英語が下手なのか、それとも、相手に英語が通じないのか。……まあ、どっちだっていい。文化財を汚そうとしている、怪しからん人物なのには変わりないのだから。

「下ろしなさいよ、その油!」

 彼我の距離は、5メートルほどまで詰まって、ようやく女性がこちらを見た。目を丸くしている。だけど、手に持った油の入った箱を、下ろす気配がない。

(こうなったら、実力行使あるのみ!)

「とう!」

 私は女性に体当たりした。女性がよろめく。箱が女性の手から離れ、二条城のお堀の水面に向かって飛んでいく。

「貴重な歴史的文化財に、何をするの!」

 英語で私が叫んだ時、大きな水音がした。数瞬後に、大量の水しぶきが私に掛かる。

(あれ?)

 呆気に取られている私の首に、急に強い力が掛かった。

「?!」

 外国人の女性が、私の首を両手で締めあげている。何事か呟く、その言葉の意味は全く分からないけれど、黙っていれば美人で通りそうな顔が、どす黒い憎悪で染まっていた。明らかに、私に殺意を向けている。

(あ、ヤバい、これ、死ぬ……?)

 そんな思いが脳裏をよぎった瞬間、

「梨花さま!」

大山さんの声が響いた。

(……死ねない!)

 私は渾身の力で、女性の右脚を蹴り上げた。もちろん、“弁慶の泣き所”を狙ってだ。

「……!」 

 私の喉に掛かる力が緩んだ。その隙を見逃さず、私は半歩前に進んで、スカートに包まれた脛を更に蹴り上げた。女性の手が、私の喉から離れる。私はすかさず、後ろに跳んだ。

「増宮さま!」

 着地した私の身体を、山田さんが後ろから抱きかかえた。

 その私の視線の先で、銀色の光が閃いた。

 地面に倒れた洋装の女性の喉元に、軍刀の切っ先が突き付けられている。

 ……大山さんだ。

「大事ありませんか?!」

 山田さんの声に、無言で頷いた私は、大山さんから目を離せなかった。

 確か、天皇(ちち)より、10歳ぐらい上だから、50歳に近いはずなのだけれど……。

(カッコいい……)

 厳しさと鋭さを感じさせる立ち姿は、天皇(ちち)と皇太子殿下の傍らに控えるに相応しい、忠良で武勇に優れた軍人、そのものだった。

 洋装の女性が、両手首を縄で縛られ、私服警官に連れていかれるのを見届けると、大山さんは軍刀を鞘に納め、私の方に歩み寄った。

「ご……ごめんなさい!」

 私は大山さんに、深く頭を下げた。

「つい、頭に血が上って……以後、気を付けます!」

「そうしてください、増宮さま」

 大山さんは、軽くため息をついた。

「しかし、よく見つけられました。これで、皆、胸を撫で下ろせます」

「?」

 大山さんの言葉に、私が首を傾げると、

「では、あの女がそうでしたか」

山田さんが言った。「増宮さまには、政治犯の名前までは、伝えていなかったのですが……」

「はにゃ?」

「ヴェーラ・ニコライエヴナ・フィグネル。シュリッセリブルク要塞から逃亡し、我が国に滞在している可能性のあった、ロシアの先帝の暗殺犯ですよ」

「は?!」

 山田さんの言葉に、私は目を見開いた。

「あの女、文化財を油で汚そうとした人間じゃなくて……暗殺犯?」

「ええ。手に持っていたのも、手投げ爆弾でしょう」

(嘘でしょ……)

 思わず脱力した私は、倒れそうになるところを、山田さんに支えられた。

「油じゃなくて……爆弾……それ、知ってたら、体当たりしませんでしたよ……」

 ため息をついた私に、

「しかし、増宮さまの勇気に、ニコライ皇太子も、この国も救われた訳です。増宮さまのご武名が、ますます上がりましょう」

山田さんがニコニコしながら言った。

「それ……医者を目指している人間にとっては、絶対に必要のないものですよね……」

「しかし、(おい)にとっては、誇らしいものです」

 大山さんが微笑した。

「はあ……大山さんがそう言うなら、しょうがないかなあ……。逆らったら怖いし」

「何ですか?」

「な、何でもありません、はい」

 私は慌てて、大山さんに向かって首を横に振った。

「これはこれで……いい主従ですね」

 山田さんがクスリと笑った。


 それから私たちは、二条城に入り、親王殿下に面会した。その流れで、ニコライ皇太子とゲオルギオス王子にも会わざるをえず、“水に濡れているから、短時間にするように”という条件を付けて、彼らに面会した。

 英語が少しなら分かるというので、簡単に英語で自己紹介だけして、後はにっこり笑っておいた。ニコライ皇太子も、ゲオルギオス王子も、握手した手をなかなか離してくれなくて困ったのだけれど、大山さんが、フランス語で彼らに何事か囁くと、二人とも、私を怯えた目で見て、慌てて手を離した。それを聞いていた親王殿下も山田さんも青ざめていたけれど……おい、大山さん、外賓に何を言ったんだ。

 外賓さえいなければ、ゆっくり二条城を見学したかったのだけれど、大山さんに促されて、山田さんと一緒に京都御所に戻った。御所内の一室で濡れた着物を着替えて、昼食をとった後、一人でくつろいでいると、天皇(ちち)に呼ばれた。

「事の次第は、山田から聞いたが……ずいぶんと無茶なことをしたようだな」

 上座に正座した天皇(ちち)が、私に苦笑する。

「あの……それについては、私の早合点からの無謀な行動だったので、申し訳が立ちません」

 私はとにかく、平伏するしかなかった。

「大山がいなかったら、どうなっていたことか……」

(確かになあ……)

 あの、ヴェーラという女性に首を絞められた時、死ぬのではないか、と感じたのだ。けれど、大山さんが私の名前を呼ぶ声が聞こえたから、死ねない、と思って、反撃ができた。

「まあ、よい。以後、無茶な行動は慎め。とはいえ、そなたはこの時代のことをよく知らぬがゆえに、知らず知らずのうちに、無茶をしそうであるから、きちんと橘について武術を修めて、自らを守る術を身につけよ」

「かしこまりました」

 私は頭を下げたまま返答した。

(橘さんの稽古が、更に厳しくなるのか……)

 まあ、“史実”の大隈さんの襲撃事件もあるし、今回、ニコライ皇太子も襲われかけたわけだし、天皇(ちち)の言う通り、武術はきちんと学ぶ方がよさそうだ。

「しかし、ようやった、梨花。予想以上の働きだ」

「え、は、はあ……」

「褒美を……と言いたいところだが、そなたは金に淡白なようだから、朕の手許金をやっても喜ぶまい。何せ、そなたが自由にできる金を、北里に全額つぎ込んでもよいと言ったらしいではないか」

「あ……それなら、お願いが一つあります」

 私は頭を上げた。「北里先生以外にも、日本には優れた医学者が、これからたくさん出てくるはずです。医学以外の理系分野でも。私の時代には、大学だけではなくて、国が研究機関をいくつか作っていました。いずれ、そういう研究機関を作らないといけないと思うので、その時には、陛下にも出資をして欲しいです」

「ほう?」

「実際に、計画を動かすのは、北里先生が日本に戻るあたりからだと思いますけれど……」

「分かった。その時には、朕も出資しよう」

「ありがとうございます、陛下」

 私はまた、頭を下げた。これなら、北里先生が日本に戻ったら、大きな研究所が作れるはずだ。

「しかし、そなたへの褒美は、それと大山でいいのか?」

 天皇(ちち)の言葉に、私は首をひねった。

「それと大山って……まるで、大山さんをモノのように……」

 すると、

「そなた、大山と、君臣の契りを結んだのではないのか?」

天皇(ちち)が言った。

「へ……?」

「堀河も伊藤も山縣も、威厳のある、立派な姫君ぶりだったと、そなたを褒めちぎっていたが……」

 私は、数時間前に起こったことを思い返して、一つ一つ検証した。

 確か、“私の側からいなくなるな”と、私が大山さんに言って、大山さんが“主君たるもの、軽々しく頭を下げてはいけない”と言って、私が“主君だとか、そんなのわからん”と答えて、そうしたら、大山さんが“ご存じないのならば教えます”と私を上座に座らせて……。

「あ゛」

 私の口から、変な声が出た。

「あれ……そうだったんだ……」

――死のうなどとは、二度と考えるな。この梨花に誓え。よいな。

 数時間前に、軍刀を渡しながら、大山さんに言い放ったセリフが、頭の中に蘇る。

(うわー……)

 私は、大きく項垂れた。

 内親王が、元老を自分の臣下にするなんて……歴史も変わったもいい所だ。

「どうした?」

「いや、あの、こんな結果になるなんて思ってなくて……」

 項垂れたまま、私は言った。「私が生きていた時代は、士農工商なんてとっくに消え去ってるし、封建的な主従関係なんて、小説や、歴史の中のお話でしかない時代だし……」

「ふむ。しかし、今は、武士はいなくなったとしても、君臣の契りは息づいておる時代だな」

 天皇(ちち)が静かに言った。

「だ、大体、私が、陛下を差し置いて、大山さんの主君だなんて……」

「そなた、“我が傍らで、天皇と皇太子に仕えよ”と大山に言うたと聞いた。そなたを通じて、最終的に、大山が国家に尽くすというのであれば、何の問題もない。……朕の師を譲るのだ。大山を、粗略に扱うなよ」

「あ、はい……」

 反射的に答えた私は、諦めの境地に達していた。

 天皇(ちち)の師とも思われた大山さんが私の臣下……どう見ても、臣下の方が、私より、経験も力量も上だ。

「さて、当初の予定通り、明日には京都を発つぞ。名古屋の離宮に一泊して、明後日、東京に戻る。ニコライ皇太子を、16日には東京で迎えなければならないのだ」

「はあ……」

(名古屋かあ……)

 前世の私の故郷だ。京都への移動中にも通過したけれど、寝ていたので気が付かなかった。

「名古屋の離宮って、どこにありましたっけ?」

 私の生きていた時代には、名古屋に離宮はなかった。

 すると、

「名古屋城だが」

天皇(ちち)が答えた。

「へ?」

「名古屋城の本丸と天守が、この一月から離宮になっておる。昨年末まで、第三軍管区が使っていたがな」

「あ!」

――来年早々には離宮になってしまうが、今ならまだ国軍のもの。

 去年の11月、西郷さんがこう言っていたのを、私は思い出した。

「ということは、……濃尾地震で倒壊する多聞櫓が、生で見られる、ということですか?」

「多聞櫓は知らぬが……本丸御殿に泊まるぞ」

(本丸御殿に……泊まる……?!)

「ありがたき……ありがたき幸せ!」

 私は天皇(ちち)に平伏した。

 写真帳だけでも、もう大満足だったのだ。それなのに、生で多聞櫓と本丸御殿が見られるなんて……。

(素晴らしすぎる……転生して、転生してよかった……!)

 一気に幸せの絶頂に駆け上った私の目から、思わず涙がこぼれ落ちた。

「そうか……そう言えば、そなたは城が好物なのであった」

 天皇(ちち)が微笑した。

「ただ、本丸御殿で眠れるようにはしておけ。そなた、大津事件の前夜、殆ど眠れていなかったらしいと山田に聞いたぞ。常に平静を保つよう、修行せよ。よいな」

「あ、はい……、承知いたしました……」

 そっとため息をつきながら返答すると、天皇(ちち)が、声をあげて笑った。

ようやく、女性キャラを出せましたよ……。もちろん、彼女をこれだけで終わらせるつもりはありません。


大津事件編(?)は、あと閑話1話で終わりの予定です。よろしくお付き合いのほどをお願いします。

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