顛末
※地の文の呼び方ミスを訂正しました。(2018年12月29日)
※地の文の呼び方ミス、もう一か所を訂正しました。(2019年4月7日)
5月11日、18時、新橋停車場。
私と山田さんを乗せた京都行きの臨時列車は、トラブルなく発車した。
乗客数は、もちろん少ない。私と山田さん、私の侍従さんが2人、そして山田さんの秘書さんたちだけだった。
ロシアの政治犯の情報が入ってきてから、閣内では、事件がどんな結果になっても、山田さんは京都に派遣することを、ほぼ決めていたらしい。犯人の身柄の、ロシアへの引き渡し交渉が、京都で行われる可能性を考えたそうだ。だから、山田さんは旅支度をしっかり整えていて、移動中に仕事を片付けるつもりか、仕事の書類まで列車に持ち込んでいた。
一方、私の京都への派遣が決まったのは、臨時列車の発車2時間前だったので、それを知らされた花御殿では大騒ぎになったらしい。だけど、花松さんが手際よく采配して、新橋停車場に私の荷物と、私に付きそう侍従さんを送り届けてくれた。
――義兄上によろしく伝えるよう。
という、皇太子殿下の伝言も、侍従さんに託してくれた。花松さん、本当に出来る人だなあ……。
山田さんは、列車が発車すると、持ってきた仕事の書類を読み始めた。気になる箇所があるのか、書類に何か、鉛筆で書き込みをしている。
「山田さん」
横浜駅のスイッチバックで一時停車した時、私は熱心に書類を読む山田さんにそっと声を掛けた。この時代、横浜から西に向かう列車は、横浜駅でいったん進行方向を反転させて、西に向かう線路に入り直さないといけない。前世では、絶対そんなこと無かったと思うんだけどなあ……。
「ああ、増宮さま」
山田さんは、書類を膝の上に置いた。
ロングシートの上等車の中には、私と山田さんしかいない。侍従さんや山田さんの秘書さんは、連結された中等車に控えている。
「あまり根を詰めると、血圧が上がっちゃいますよ?」
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
山田さんは微笑して言った。「大丈夫ですよ。切りの良いところまで終えたら、今日はもう寝ます。……増宮さまこそ、あまりお休みになっておられないでしょう?ずいぶんと、お疲れになっていらっしゃるご様子」
「まあ、そうですけれど……これは、私が未熟なせいですから」
“梨花会”のみんなに任せると決めたのに、“大津事件”のことをあれこれ考えてしまって、昨夜眠れなかったからだ。
「それに徹夜は、前世で働いていた時に、慣れてしまって……」
二日連続で当直をして、全く眠れなかった時もあった。そう言えば、私が前世で死んだのも、当直業務で一睡もできなかった直後だ。
すると、山田さんは「無理をしてはいけませんよ、増宮さま」と言った。
「増宮さまの前世の体と、今生の体は違いましょう。それに、増宮さまは、まだ8歳なのですよ。ご自身の体を、過信なさってはいけません。どうぞ、お休みになってください」
「はあ……」
私は渋々頷いた。それを見ると、山田さんはまた、書類に目を落とした。
(休め、と言われてもなあ……)
夜行列車や夜行バスでは、一人一人独立した席だし、リクライニングも効くことが多いから、安心して身体を預けられたのだけれど、前世の都市部の通勤電車のようなロングシートで寝ろと言われても、戸惑ってしまう。
しかも、この時代、日本では寝台車が作られていないらしい。京都まで15時間ほどかかるというから、当然寝台車が連結されているだろうと思っていたのだけれど……。
「あのー……じゃあ、座席の上で、横になっちゃいますよ?」
「構いませんよ。私しかおりませんから、どうぞご存分におくつろぎを。それに、この車内で、一番体を休められるのは、その方法でしょう」
山田さんは言った。私は、編み上げブーツを脱いで、ロングシートの上に横になった。
(なんか……終電の車内の、酔っ払いみたいだなあ……)
そう思うけれど、実際、かなり疲れているので、背に腹は代えられない。しかし、眠気はなかなか訪れてくれなかった。
(どうして、陛下は、私を呼んだんだろう?)
そればかり考えてしまう。
“大津事件”の結果は、明らかに変わった。本当は、ニコライ皇太子が負傷するはずだったところが、親王殿下の負傷になった。少なくとも、国際問題になる結果にはならなかった。
だけど、日本にいるかもしれない、ロシアの政治犯の件がある。“史実”で、政治犯脱走事件があったのか、私は全く知らない。けれど、もしかしたら、“史実”で大津事件が発生しなかったら、横浜や東京で、その政治犯がニコライ皇太子を暗殺していたのかもしれない。
でも、そんな予想なら、この私でも考えられるのだから、京都に居る“梨花会”の面々も、とっくに思いついているに違いない。
考えが煮詰まってしまって、起き上がって山田さんに声を掛けようとしたら、山田さんは、座席に横になって眠っていた。起こすのも悪いので、諦めて、また座席に横たわった。
私は目を閉じて、思考の流れるままに任せていた。どうせ今晩も、眠れないだろうと思っていたのだけれど、いつの間にか、意識が落ちていたらしい。
「増宮さま」
山田さんに揺り起こされたときには、既に列車の中に、朝の陽光が差し込んでいた。
「あ……おはようございます。今、どの辺ですか?」
「滋賀県に入ったところですね。起こさずにいたのですが、そろそろ、御朝食になさる方がよろしいかと」
「そうですね……顔を洗ってきます」
私はブーツを履いて、立ち上がった。
身支度を整えて戻って、朝食用のお弁当を食べ始める。シンプルな海苔巻きおにぎりだ。一方、山田さんは、ずっと書類とにらめっこしていた。
「山田さん、すごいですね……」
ようやく朝ご飯を食べ終えた私は、普段と変わらない様子の山田さんに声を掛けた。
「は?」
「大事件が起こっているのに、普段と変わりがないから」
「そうですか。戦場に身を置いていた時間が長かったですから、どんな変事にも、落ち着いて取り掛かれるようになったのかもしれません」
「?」
「戊辰の役、西南の役……特に西南の役は、本当に辛かったですが」
「そうだったんですか……」
山田さんの“史実”での異名は“法典伯”だ。根っからの文官だと思い込んでいたのだけれど、どうやら違うらしい。
(西南戦争か……)
どうも最近、その話をよく聞く。どこかのバカな新聞が、“西郷隆盛が生きている”なんて書いたせいだろうか。
そんなことを考えていると、列車は瀬田川を渡り、逢坂山を越えて、京都に入っていた。
5月12日、午前8時50分。
京都停車場には、爺が迎えに来ていた。
「増宮さま!山田どの!」
「爺!」
プラットホームに立っている爺に、私は駆け寄った。
「来てみたけれど……一体、何があったの?」
「増宮さま……それはおいおい、お話しいたします。御所に御成りを」
「御所に?」
「はい、御所です」
確か、ニコライ皇太子の宿舎は、京都市内にある、常盤ホテルだったはずだけれど……。
ひとまず、爺の指示に従い、山田さんと一緒に、迎えの馬車に乗った。
「何があったの、爺?」
馬車が動き出すと、私は早速爺に尋ねた。
「大兄さまが、負傷されたということは東京で聞きました。怪我はどの程度なの?」
「本当に、ごく軽傷ですよ」
「本当?実は、大兄さまが亡くなってしまっている、なんてことはないよね?」
「増宮さま、それはありません。若宮殿下は、足を打撲されただけでして、今も接伴委員長の御職務を果たされている最中です」
爺は私をなだめるように言った。
「え?」
私は首を傾げた。
親王殿下の怪我が、殆ど問題のないレベルなら、なぜ天皇は、私を呼んだのだろう。
(ますます、何が起こっているのかわからない……)
困惑していると、すぐに馬車が止まった。京都御所に到着したらしい。車寄せから、長い廊下を何回か折れ曲がり、とある障子の前で、爺が跪いた。
「陛下、増宮さまと山田どのが、到着されました」
「うむ。通せ」
「はっ」
(前世の、テレビの時代劇みたいだなあ……)
と思っていると、爺が障子を開けた。10畳ほどの和室の上座に、軍服姿の天皇が正座していた。
「……陛下、お召しにより、参上いたしました」
私は廊下に正座して、頭を下げた。
「ご苦労。入れ」
私は室内に入って、下座に正座した。山田さんも続いて和室に入る。
「ふむ……山田も来たか。何かの因縁、か?」
「そこまでは存じませぬが……」
(因縁?)
天皇と爺のやりとりに、私は首を傾げた。
「さて……本題に入ろう。章子、いや、梨花よ」
天皇が、私の前世の名を呼んだ。
「そなたの世の、大山について……知る限りのことを申せ」
「大山さん……ですか?」
私は天皇に尋ね返した。
「そうだ。……憲法が発布された以降のことでよい。大山が成したことについて、知っていることはあるか?」
「ええと……“元老”には、なっていたはずです。あ、“元老”というのは、“元勲優遇の詔勅”というものを下された人を中心にした、有力政治家の集まりなんですけれど……」
ただ、“元老”は法律で明文化されたものではない。どこまで範囲に含めるかは、諸説あるのだけれど、大体は、伊藤さん、山縣さん、黒田さん、松方さん、井上さん、西郷さん、大山さん、それから西園寺公望さんで、これに桂太郎や、若槻礼次郎を加える説もあったはずだ。
「そう言えば、“元勲優遇の詔勅”、“史実”では、憲法発布の直後ぐらいから出ていたはずですけれど……出ていませんね?」
「下す必要がないからだ。“梨花会”があるからな」
ちょっと待て。
天皇の答えに、私は思わず、体勢を崩しかけた。
(つまり、私の正体を知る人が、元老待遇ってこと?)
後世の歴史家が、“梨花会”のことを知ったら、混乱しそうだ。“元老”ではない勝先生がメンバーに入っているし、爺や親王殿下が、政治の中枢に関わるとは、どう見ても思われないだろうし……。
「話を戻そう。大山は、そなたの世でも、有力な政治家であった、と」
「はい……あと、日露戦争で、現地の陸軍の総司令官にもなったはずです」
「児玉あたりが、作戦を補佐したのでしょうね」
山田さんが言った。
「児玉さんって、今の参謀本部長ですよね?ごめんなさい、ちょっとそこまでは。やっていて、不思議ではないと思うのだけれど」
「そうか……“史実”でそこまでの働きをするならば、当然、総理大臣にもなったのであろうな」
天皇が更に、私に尋ねた。
「いえ……総理大臣には、なっていません」
「なっておらぬ……?何故だ」
「あの……言っていいんですか?」
「構わぬ」
天皇の言葉に、私は一回閉じた口を開いた。
「嘘か本当かは分からないです。けれど、“逆賊の身内だから”と言って、総理大臣になるのを断った、ということを、資料で読んだ記憶があります」
「そうか、わかった」
天皇は腕を組んで、目を閉じた。
「あの……、陛下、なぜ私に、“史実”での大山さんの事績を、話せとおっしゃったのですか?」
私を京都に呼んだのは、天皇だ。そして、会うなり聞かれたのは、“史実”での大山さんの事績だ。それを何故、今聞く必要があるのだろう。
すると、
「辞めると言ったからだ」
天皇は目を閉じたまま言った。
「……は?」
「大山が、今回の事件の責任を取って、一切の官職を辞すと、申し出てきたからだ」
「「はああ?!」」
天皇の言葉に、私と山田さんは、開いた口がふさがらなかった。
「い、一体なぜ?!」
山田さんが叫んだ。
「そうですよ!なんで、大山さんが辞職っていう話になるんですか?!」
私も声を荒げた。
「“史実”の大津事件と違って、ニコライ皇太子ではなくて、大兄さまが負傷する、という形になったから、政治や外交に対するダメージ……じゃない、影響は、はるかに軽く済んだはずですよ?強いて言えば、警備体制に問題が、という話になりますけれど、それなら、山縣さんの責任問題になるでしょう?それがなぜ……」
「増宮さま、落ち着いてください」
爺が横から私をなだめた。
「……増宮さまは、西郷大臣の兄の、西郷隆盛どのが、生きているという噂をご存知でしょうか?」
「はい。学習院の生徒が、運動会の時に話しているのを聞きました。ニコライ皇太子と一緒に、ロシアから帰ってくると……。マスコミも、適当なことを言うと思いましたけれど……」
「暴漢は……大津の街頭を警備していた、津田三蔵という警官は、“おのれ西郷!”と叫びながら、切りかかってきたのです」
「……!」
私の隣に正座した山田さんが、目を見開いた。
昨日、京都から4人乗りの馬車で、ニコライ皇太子、ゲオルギオス王子、親王殿下、大山さんは、琵琶湖観光に出かけた。三井寺に詣でた後、汽船で琵琶湖を遊覧、大津にある県庁舎で昼食をとった。京都に戻るため、馬車に乗り込み、大津市街を走り始めた午後1時半ごろ、事が起こった。
沿道を警備していた一人の警官が、自分の前を馬車が通りかかった瞬間、馬車の車体に飛びついて、馬車の扉を力任せに開けた。開いた扉のすぐそばには、親王殿下と大山さんが座っていた。
犯人は、親王殿下やニコライ皇太子、ゲオルギオス王子には目もくれず、
――おのれ、西郷隆盛!
一声叫んで、抜いたサーベルを大山さんに振り下ろした。
大山さんは動けなかった。
――危ない!
親王殿下が、とっさに犯人を蹴り飛ばし、馬車の車体から落とした。その時に親王殿下は、右の脛を打撲した。
――京都御所と、宮城に打電せよ!私が足をぶつけただけで、全員無事だ、とな!
馬で並走してきた有栖川宮家の執事さんに、親王殿下は命令し、こうして、大津事件発生の第1報が、天皇と勝先生のもとに届けられたのだ。
「……まあ、事件そのものは、日本国内の要人を狙ったもの、として片づけることができました。こちらも、警備の不備をロシア側に詫びましたが、先方は全く気にしておらず、むしろ、若宮殿下の御武勇を称えられました。犯人の津田も捕縛致しました」
爺の説明を聞きながら、私はうつむいていた。
(そうだよ……津田三蔵だよ……)
名前を聞いて、今、思い出した。
“史実”の“大津事件”の犯人は、津田三蔵だ。
「梨花?」
「ごめんなさい、陛下……」
私の目から、涙がポロポロ溢れていた。
「今になって、思い出しました……犯人の名前……私、本当に最低……」
「気にするな。そなたが必死に、犯人の名を思い出そうとしていたのは知っている。自らを傷付けようとしてまで、記憶を思い出そうとするそなたを止めたのは、朕と“梨花会”だ。そなたが責任を感じることはない」
天皇が静かに言った。
「堀河どの、今の話だと、犯人は明らかに、大山さんを大西郷だと思いこんで、襲っているように聞こえますが」
山田さんが爺に尋ねた。
「津田は、精神病歴がありまして……西南の役で、軍功を上げたようです。憲法発布の際の恩赦で、西郷隆盛どのが、陛下に弓を引いた逆賊ではなくなったので、自分の軍功が取り消されるのではないかと、怯えていたようです。そして、今回の西郷隆盛生存の噂により、ますます怯えていた。そんな所に、ロシア皇太子の一行が、西郷隆盛どのと似た背格好の男を連れてきた、それで逆上して犯行に及んだ……そう供述しているようです」
(それは……思想検査で引っかからないわけだ……)
山縣さんは、警察官の中で、共産主義や社会主義思想に染まっているものがいないかをチェックした、と言っていた。西郷隆盛生存の噂に怯えている者がいるということまでは、調査していないはずだ。
「しかし、なぜそれで、大山さんが辞職を願い出るのでしょうか?腑に落ちません」
山田さんが首を捻る。
「そうか……山田には、言ったことが無かったな」
爺ではなく、天皇が絞り出すように呟いた。
「原因の一端は……朕であろう」
「え?」
「朕が、かような言葉を掛けなければ……」
そう言って、天皇は瞑目した。




