京都へ
※地名ミスを訂正しました。(2018年12月23日)
1891(明治24)年5月11日、月曜日、午前8時。
前の夜、殆ど眠れなかった私は、少しよろよろしながら、華族女学校に登校するため、花御殿の敷地の門を出た。
――案ずるな、後は任せよ。
新橋停車場での別れ際、天皇は、こう言ったけれど……。
(案じずに……いられる訳ないでしょうが!)
私は思わず、両手の拳を握り締めた。
「ま、増宮さま、いかがなさいましたか?」
付き添っている侍従さんが、心配そうに私に尋ねる。
「あ、ご、ごめんなさい。何でもないです」
私は慌てて手を振って、ランドセルを背負い直した。このランドセルは、華族女学校の入学祝いとして、伊藤さんが作ってくれたものだ。
花御殿に引っ越したばかりのころ、皇太子殿下が、学習院にランドセルを背負って通学しているのを見つけて、「私も学校に通うようになったら、同じものが欲しいです」と伊藤さんにお願いした。
――前世でも、小学校に上がるときには、あの形のランドセルを背負っていきました。
私が伊藤さんに言うと、
――あの、増宮さま……前世でも女性であったと聞きましたが……?
伊藤さんは困惑しながら私に質問して、更にこう続けた。
――あれは、歩兵の背嚢を模して、この伊藤が作らせまして、皇太子殿下に学習院の入学のお祝いとして献上したものでして……女子が兵隊の背嚢を背負うというのは……。
――そうなんですか?でも、未来の小学生の通学用カバンって、男女問わずあんな形ですよ?
伊藤さんにそう言ったら、更に戸惑っていたけれど……。
とにかく、華族女学校入学の時から、私はランドセルを背負って登校している。和服に女袴という格好でランドセル、と言うのは、合わない感じもあるけれど、両手が自由に使えるので便利だ。
(確か、ニコライ皇太子は、午前中は三井寺に行って、その後、滋賀県庁に行くんだっけ……)
四人乗りの馬車に、ニコライ皇太子、ゲオルギオス王子、そして威仁親王殿下と大山さんが乗り、朝、京都の宿所から三井寺に向かうと勝先生から聞いた。滋賀県の県庁所在地は大津というのは、明治でも平成でも同じだ。ただし、まだ大津は市制を敷いておらず、“大津町”なのだそうだ。
まあ、“大津事件”というからには、起こるとしたら、事件は大津で起こるのだろう。もちろん、“史実”と別の理由でニコライ皇太子が襲われるという可能性もあるから、他の場所でも気は抜けないのだけれど。
しかし、“大津事件”については、“梨花会”の面々に任せると決めたのだ。
今、東京にいる私が、あれこれ思い悩んでもしょうがない。
それなのに、色々考えてしまって、昨夜殆ど眠れなかったのは、私が未熟としか言いようがないのだけれど……。
(できるのは、祈ることだけ、か……)
私は、華族女学校に向かって歩きながら、ため息をついた。
(とりあえず、休み時間は寝ようかな)
少しでも身体を休めておかないといけない。もしかしたら、今日の夕方には、東京に事件発生の第一報が届いて、大騒ぎになってしまうかもしれないのだから。
私はもう一度、ランドセルを背負い直した。
午前中は、平穏に過ぎた。
「内親王殿下たるもの、そんなだらしないことでどうします!」とやかましく言う先生もいるので、授業中は、何とか頑張って起きていた。そして、休み時間に、机に突っ伏した。
いつも休み時間には、同級生たちとはしゃいでいる私が、居眠りしているので、同級生たちは心配そうに私を眺めていた。
「体調が、悪いのではないのですか?」
同級生たちは口々にこう尋ねてくれたけれど、私は笑ってごまかした。まあ、単なる寝不足だからなあ……。
午後の授業が、終わりに近づいたころだろうか。
小使さんが廊下から先生に声を掛け、近づいた先生に、何事か囁いた。
(何だろう?)
眠い頭で考えていると、先生が私の席まで歩いてきた。
「殿下、おうちの方がお呼びです。すぐ帰るように、と」
(?!)
「……わかりました」
私は、さっさと荷物をまとめ、ランドセルを背負った。
校門に急行すると、見覚えのある、フロックコート姿の男性がいた。天皇に仕える侍従長の、徳大寺さんだ。
「増宮殿下!」
私の姿を見つけて、徳大寺さんが駆け寄った。
「徳大寺さん、お久しぶりです。あの、もしかして、私を呼んだのはあなたですか?」
「さようでございます」
徳大寺さんは頷いた。「勝内府がお呼びでございます。大至急、参内するようにとのことで、お迎えに参上いたしました」
「勝先生が?」
私は首を傾げた。
「何があったのですか?」
「馬車の中で、説明いたします。時間が惜しいので」
そう言った徳大寺さんの顔は、緊張していた。
(これ……絶対ただ事じゃない!)
「わかりました」
私は頷いて、徳大寺さんに続いて馬車に乗り込んだ。
「一体、何があったのですか?」
馬車が動き出すと、私は徳大寺さんに尋ねた。
「ロシアの皇太子殿下をご案内中の、威仁親王殿下が、大津にて……」
「殺されたのですか?!」
「い、いいえ、殿下」
徳大寺さんは、首を大きく横に振った。
「暴漢により、傷を負われたとのことです」
(い、生きてる……よかった……)
最悪の想像は当たらず、内心、ほっとした。
「傷の程度は?!」
「軽傷だそうです」
「そうですか……。ニコライ皇太子殿下と、ゲオルギオス殿下は、ご無事ですか?!」
「はい、ご無事です」
私の矢継ぎ早の質問に、徳大寺さんはテキパキと答えた。
(外賓は無事か……それはいいけれど……あれ?)
私は首を傾げた。
これが“史実”の大津事件に相当するのならば、ニコライ皇太子やゲオルギオス王子に被害が及ばなかったのだから、“史実”より良い結果で事件が終わったことになる。親王殿下や大山さんが死ぬ可能性もあったのだけれど、親王殿下の傷も軽いということならば、結果としては、ほぼ最上に近い部類になると思うけれど……。
「徳大寺さん、勝先生は、なぜ私に参内しろと言ったのですか?」
「それが、私にもわからないのです」
徳大寺さんは首を横に振った。「京都から電信が届きまして、それを見た内府が、“増宮殿下を参内させてほしい”とおっしゃいまして……」
「はあ……」
(“史実”での“大津事件”の展開を、確認したいのかな?でも、覚えていることは“梨花会”のみんなには伝えたし……)
考え込んでいると、馬車はいつの間にか皇居に到着していた。慌てて馬車から降りて、殆ど駆け足で、勝先生のいる場所に向かう。
「勝先生!」
表御座所の隣にある、内大臣の控室に飛び込むと、黒いフロックコートをまとった勝先生が、椅子に腰かけて考え込んでいた。その横に、黒田総理大臣、井上農商務大臣、山田司法大臣、西郷国軍大臣、松方大蔵大臣……東京に残っている“梨花会”の閣僚すべてが顔を揃えていた。
「おう、来たか……徳大寺さん、ありがとうな。ちょいと、席を外してもらっていいか?」
勝先生の言葉に、私の後ろにいた徳大寺さんが一礼して、部屋から出ていった。
「徳大寺さんから、大体のことは聞いたけれど……一体、どうしたんですか?」
私が口を開くと、
「ちょっと、よくわかんねぇんだ」
勝先生から、意外な言葉が飛び出した。
「え……?」
(分からないって、一体どういうこと?)
「まあ、これ、見てくれや」
勝先生が、一枚の紙を私に渡した。電信のようだ。
「ええと、陛下から、勝先生宛てか……“梨花を寄越せ”……え?」
「大津から、事件発生の第一報が来て、外賓の無事と、犯人確保の連絡が届いたその後に、この電報が届いた。それで、増宮さまも呼んでもらった」
勝先生が、椅子に腰かけたまま、腕を組んだ。
「最初、山田さんに行ってもらおうと思っていたのです」
黒田さんが言った。
「手はず通りなら、外賓が負傷以上の状態になるか、若宮殿下が命を落とされるようなことになれば俺が、若宮殿下がご負傷された場合は井上さん、山田さん、西郷さん、松方さんの誰かが、18時新橋発の臨時列車に乗って、皇后陛下と皇太子殿下の名代として、見舞いに京都に向かう、ということになっておりましたが……」
そう言えば、ホワイトデーの“梨花会”で、そんな話題が出ていた。内務大臣の山縣さんが、見舞い用の臨時列車のダイヤを組ませると言っていた気がする。
「ま、ニコライ皇太子も、ギリシャの王子も無事なら、外交上の事件にはならない。若宮殿下が軽傷だから、山縣さんの方は警備責任を問われちまうかもしれないが、原も含めて、極力、辞任させないようにする。けれど、増宮さまを寄越せってのが、……どうにも、わかんねぇ」
「それは……勝先生やみんなに分からないんだったら、私にも分からないですけれど……」
私は困惑しながら答えた。親王殿下の怪我の治療をするために私を呼ぶ、というのも、京都にはスクリバ先生が待機しているのだから、あり得ない話だし……。
「やはり、シュリッセリブルクの政治犯の件が、絡んでいるのですかな?」
西郷さんが首をひねる。
「え……?」
「ああ、昨年のクリスマスに爆破されたロシアの要塞から逃げ出した政治犯……というより、先帝の暗殺に関わった犯人ですが……脱走した最後の一人が、日本にいる可能性があるという情報が、つい数日前に入りまして」
「は?!」
私は目を見開いた。
「なんで日本に?!」
「当然、ニコライ皇太子を殺害するためでしょう」
山田さんが重々しく言った。
「だったら何も、日本で殺さなくたっていいじゃない!」
「ロシア国内では、先帝の暗殺以降、皇族に対する警備が厳しくなっております。国外の方が、警備の手が緩いと考えたのではないでしょうか。しかも、ニコライ皇太子は、他の国には数日しか滞在しておりませんが、日本には約1か月滞在するのです。そのどこかで、機会をうかがうつもりなのでは」
(うわー……)
山田さんの言葉に、私は頭を抱えた。
ナロードニキ、と言っただろうか。この日本で、ロシアの革命勢力に、ニコライ皇太子が殺されてしまったら……。
「もし、ニコライ皇太子が襲われて、“日本の警備体制が甘い”とか言って、ロシアが日本を非難してきたら、とばっちりもいい所ですね……」
私はため息をついた。
「犯人は捕まったっていうけれど、その犯人が、西郷さんの言った政治犯なのかな?電話が出来れば、まだ状況が分かるのに……」
「電話はまだ、横浜までしか開通してないですからねえ」
井上さんがため息をついた。「増宮さまの世みたいに、どこにいようが自由自在に連絡が付けられれば、本当に楽なんだが」
「ですよね……」
私はため息をついた。前世だったら、電話だけじゃなくて、スマホのアプリでメールもチャットもできるのに……。
「まあ、無いものねだりをしても、仕方がありませんな」
松方さんが言う。
「そうですね……政治犯が絡んでいるにしても、なんで私が陛下に呼ばれたか、意味がわからないけれど、行くしかないですね。お母様もご了承されていますか?」
「もちろんだ。皇后陛下と皇太子殿下の名代で、直宮が見舞いに行くってのは異例だけどな、そんなこと言ってられねぇ」
「ありがとうございます」
私は勝先生に一礼した。「で、新橋発の列車って、今から間に合いそうなのは何時発ですか?ああ、でも、今、現金の持ち合わせがないから、旅費を準備して……」
すると、
「お、おい、増宮さま、……今、自分一人で、普通列車に乗り込むつもりだっただろ?!」
勝先生が慌てて言った。
「へ?前世じゃ、当たり前だったけれど……」
全国の城跡巡りで、長距離列車や夜行列車、夜行バスには何度も乗っている。もちろん、一人でだ。
「あのなあ、増宮さまの生きてた時代と今じゃ、治安や交通事情も違うだろうし、それに、今生の増宮さまの立場ってもんがあるだろうが……」
勝先生がため息をついた。
「臨時列車を仕立てる予定だったんだから、それに山田さんと乗って行け!」
「あ、は、はい、勝先生のご指示に従います」
イライラしている勝先生に、私は慌てて頭を下げた。
「……ったく、普通の姫君じゃ、できねぇ発想だよ」
「それについては、本当に申し訳ないと……」
私はまた頭を下げた。もともと平民だから、身分の違いによる特別扱い、というものに、やはりまだ慣れない。
「ああ、だから!せめて、こういう時ぐらいは、高貴なご身分の姫君らしく、堂々としなって、梨花さま!」
勝先生が、私の前世の名前を呼んだ。
(!)
「わかりました……」
私は、精いっぱい、背筋を伸ばした。
「勝閣下、黒田閣下、……お役目、果たして参ります」
「お願いいたします」
黒田さんが、私に向かって、深々とお辞儀をした。




