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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第6章 1891(明治24)年啓蟄~1891(明治24)年立夏
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事件前夜

※地の文の呼び方ミスを訂正しました。(2018年12月29日)

 1891(明治24)年、4月27日。

 ロシアのニコライ皇太子の乗った軍艦が、長崎に入港した。

 威仁親王殿下と大山さんは、既に長崎に待機していて、ニコライ皇太子と、彼の従弟のゲオルギオス王子を歓待した。ただ、今の時期は、ちょうど復活祭前の大斎(たいさい)で、身を慎まなければいけない、ということで、正式な歓迎行事は5月4日に行うらしい。

「とは言え、ニコライ皇太子、大斎の期間中なのに、お忍びで長崎の街をほっつき歩いてるんだとよ」

 5月3日、日曜日。

 花御殿の応接間で、勝先生がこう言って、緑茶を啜った。

 皇太子殿下は、浜御殿に行啓されたので、今は不在だ。私も殿下に、一緒に浜御殿に行こうと誘われたのだけれど、遠慮させてもらった。浜御殿では、殿下の御学友と一緒に遊ぶと聞いたからだ。

 以前、北白川宮恒久王殿下を戦争ごっこで叩きのめしたのが、いまだに尾を引いているようで、私が戦争ごっこに加わると、相手の男子生徒たちは明らかに嫌がる。それに、剣道でも、同年代の男子と互角に戦えてしまうから、私は同年代の男子から距離を置かれている……というか、怯えられているのだ。だから、殿下の御学友たちのことを考えて、今回の浜御殿行きは辞退した。

――章子を怖がるとは、意気地がない奴らだ。

 皇太子殿下は、そう言って笑うけれど……。

「はあ、お忍びで外出ですか……警備が大変そうですね」

 勝先生の話を聞いた私は、ため息をついた。

「ああ。ニコライ皇太子は、大分楽しんでるみたいだけどよ、こっちの神経がたまったもんじゃねえ」

「ですよね……」

 相槌を打つと、

「聞かねぇのな。警備体制がどうなってるかとか、さ」

勝先生が不思議そうな顔をした。

「“大津事件”に関しては、“梨花会”のみんなに任せると決めましたから……私みたいな未熟者が口出ししたら、かえって事がおかしくなりそうですし」

 私が答えると、

「まあ、そう言わずに聞いとけや、増宮さま」

勝先生はそう言って、更に言葉を続けた。

「ニコライ皇太子には、私服警官がピッタリ張り付いてる。それに、群衆の中にも私服警官が紛れ込んで、それとなく警備してるのさ。5月4日に公式の歓迎式典をやって、5日にご一行が鹿児島に向かう。鹿児島着が6日って言ってたか。そこから神戸に出発する」

「はあ……でも勝先生、私、政治家や官僚になるわけじゃないのに、こんなことを聞いても、一体どうしたらいいか……」

 すると、

「将来、何かの役に立つかもしれねえだろ?」

と、勝先生はニヤニヤする。

「私は、医者になりたいのに?」

「医者だからって、医者の仕事ばかりしてるとは限らねぇだろ?大村益次郎(おおむらますじろう)は、確か医者をやってた時期もあったはずだ」

(ああ……)

 長州征伐と戊辰戦争で活躍した人だ。

(いや、それでも私、女だしな……)

 前世(へいせい)のような女性の閣僚なんてもちろんいないし、女性の役人もいない時代だ。私が将来、政治や軍事に関わる可能性なんて、全くゼロなんだけどなあ……。

 そう考えていると、

「まあ、話を元に戻すけど、若宮殿下と大隈さんは、“八重山”っていう軍艦で、ニコライ皇太子にくっついて鹿児島に行く。大山さんは、“高雄”に乗って神戸に先回りして、神戸からニコライ皇太子に付き添うって段取りだったな」

「あれ?」

 私は首を傾げた。「大山さん、鹿児島にはついて行かないんですか?」

「ああ」

「なんで?大山さんって、鹿児島出身じゃ……」

 そこまで言って、私は気が付いた。

「ごめんなさい……西南戦争の件ですね……」

「そうか、その一件、“史実”でも残ってるんだな」

 勝先生が、珍しくため息をついた。

 西南戦争で、大山さんは従兄である、西郷隆盛と戦うことになった。最後の決戦の時も、政府軍の一員に加わっていたという。

「鹿児島には、西南戦争の後、生涯帰らなかったって、そんなことを資料で読んだ記憶があります。嘘か本当か知らないけれど、“逆賊の身内だから”と言って、総理大臣になることを断ったって……。でも、確かに、大山さんは“史実”で“元老”なのに、総理大臣になっていないんですよね。西郷さんもそうなんですけれど」

「なるほどな。多分、小西郷(しょうさいごう)も、大山さんと同じことを言って、総理大臣にならなかったんだろうな。あいつららしいと言っちゃ、あいつららしいが……」

 勝先生はそう言って、腕を組む。「ただ、今後の総理大臣は、どうなるかね?増宮さまが“授業”の時に言ってたのは、黒田さんの後が山縣さんで、“大津事件”の時の総理大臣は松方さんってことだったが……」

「はい、そうなんですけれど……総理大臣、黒田さんのままですね」

 第1回の帝国議会は、議事堂が火事で燃えたけれど、無事に終了した。“史実”では、内閣が立憲自由党の一部を抱え込んで、国家予算をなんとか成立させていたけれど、立憲改進党と無所属の議員の賛成多数で、国家予算はすんなり成立した。大隈さんが立憲改進党を指揮して、スムーズな国会運営に協力したのがよかったらしい。立憲自由党も、建設的な議論を立憲改進党と戦わせたようだ。……なんか、前世(へいせい)の国会より、まともな気がするぞ。

「“史実”だと、おととしの秋に、黒田さんが総理大臣を辞めるんだったもんな。それがまだもってる……って言っちゃ、失礼だな。閣僚各人の能力や資質に関しちゃ、今の配置が一番合っている。連携さえ上手くいけば、力が発揮できる内閣さ」

 勝先生が、お茶をまた口に含んだ。

「そうですよね」

 黒田さんをはじめとして、伊藤さん、山縣さん、西郷さん、井上さん、松方さんと、“史実”における“元老”が顔を揃え、さらに、“史実”で総理大臣を2度経験した大隈さんと、日本の六法の父とも言うべき山田さん……“梨花会”以外の閣僚も、逓信大臣の後藤象二郎(ごとうしょうじろう)さんに、文部大臣の榎本武揚さんと、“史実”に名を残している人物だ。人選に関しては、これ以上はない、と言ってもいいのかもしれない。

「あ……でも、“大津事件”が起こると、責任を取って辞任する大臣が出る可能性があるから、その後任を考えないといけないのか……」

 私はうつむいた。“史実”では、確か外務大臣が引責辞任したはずだ。

「それについては、ほぼ決定してるさ」

 勝先生が言った。

「外務大臣の後任は、次官の青木周蔵(あおきしゅうぞう)。その後任の外務次官は小次郎(こじろう)

「勝先生ごめんなさい、青木さんは知っていますけれど……」

 青木さんは、“史実”での“大津事件”発生時の外務大臣だ。だけど、小次郎さんって、誰だ……?

 すると、

「ああ、“宗光(むねみつ)”って言った方が、増宮さまには分かりやすいか。陸奥(むつ)宗光」

勝先生がニヤリと笑った。

「ああ、“カミソリ大臣”!」

 陸奥宗光。確か、“史実”の日清戦争の時の外務大臣だった。“史実”で列強の治外法権を撤廃し、更に日清戦争の時、日本に有利になるよう、列強の干渉を巧みに防いだ彼は、その辣腕ゆえに、“カミソリ大臣”とあだ名された。

「カミソリか。あの才子にピッタリな言葉だね。うまく言ったもんだ」

 勝先生は、声をあげて笑った。

「あとは、内務の山縣さんが、警備の責任を問われて引責辞任になった場合だな。原が繰り上がるか、原の上に誰かを持ってくるかだが……」

「原さんって、今何歳でしたっけ?」

「今年で、満で35歳だって聞いた。若すぎるって、文句が出るかもしれねえな。文句が出たら、原は次官のままで、井上さんか松方さんあたりに内務大臣を兼任させるかねえ……まあ、最終的には黒田さんの判断になるけどな」

「はあ……」

 私は曖昧に頷いた。

「しかし、おれとしては、山縣さんを辞めさせたくない。原も辞めさせたくない。あの二人、組ませると恐ろしく仕事ができるんだ。原が、山縣さんのやりたいことを、的確に助けている感じだな」

「それ、未だに信じられないんですよね……」

 勝先生の言葉を聞いた私は、こう言ってため息をついた。

「“史実”では、争った二人だからなあ……」

「まあ、“史実”はそうでも、今は違う訳だ」

 勝先生は言った。「多分、“史実”での原は善玉、山縣は悪玉……増宮さまは、そう覚えたんだろうけどよ」

「よく分かりますね……」

「話を聞いてりゃ、分かるさ」

 勝先生は苦笑した。

「けれど、“史実”の山縣さんが、政党政治を否定したことにも理由があるだろうし、“史実”で政党政治を押し進めた原にも、そうする理由があっただろう。それにな……」

 勝先生は、いったん言葉を切り、お茶を一口飲み下した。

「もし、原が“史実”でやった本格的な政党内閣が、前世の増宮さまが生きていたずっと先の未来で、最低の評価になってごらん?原が大悪人で、山縣が善人……てな評価になるかもしれねぇな」

「ですね……」

 私は頷いた。

「人の評価なんて、一定しなくて、その時々で変わるのか……」

「そうさ、あてにもならねぇ後世の歴史が、狂と言おうが、賊と言おうが、そんなことは構いやしねぇ。だからおれたちは、誠心誠意、今の最善と思われることをするしかねぇのさ」

 そう言って、勝先生は微笑する。

「誠心誠意、か……」

 私は、ため息をついた。

 胸が痛い。

 前世の私は、そんな風には、生きていなかったから。

(今生の私は、どうなんだろう……)

「ん?どうした、増宮さま?」

 勝先生が、私の目をじっと見た。

「ああ……前世のことを、思い返していて……」

 苦笑する私に、

「そうか……。大方、前世の増宮さまは、臆病だったんだろうな」

勝先生はズバッと言った。

(!)

 私は、顔を真っ赤にした。

 医者を目指すのをやめて、日本史の教師になりたい。

 前世の家族や、大学の同級生たちに、何度言おうと思ったか。

 だけど、できなかった。

 皆に反対されるのが、目に見えていたからだ。

(だけど、結局それって、反対する人たちと戦うのが、怖かっただけなんだよね……)

「まあ、前世は前世、今生は今生だろう」

 勝先生は私に笑いかけた。

「だって、伊香保でこう言ったって聞いたぜ?“どんなに反対されても、医者になりたい”って」

「あ、はい、それは……今もそう思ってます」

 私は頷いた。幸い、勝先生のおかげで、“梨花会”の全員を説得できたから、本当によかったけれど……。

「それに、“害になる宮中のしきたりはぶっ壊す覚悟だ”って、陛下に言ったらしいじゃねえか。ありゃあ、なかなか言えることじゃねぇな」

(?!)

「え、あ、あれはその、逆上したというか、事故というか……その……」

 私はオロオロした。

「でも、今だって、そう思ってるんだろ?」

 勝先生の言葉に、私は黙って頷いた。

 すると勝先生は、私の頭を乱暴になでた。

「頑張んな、増宮さま。未熟だろうと、まだまだ時間はたっぷりあるんだ。おれたちはおれたちで、頑張るからよ」

「はい」

 ニヤリと笑った勝先生に、私も微笑み返した。

 

 5月7日、木曜日。

 天皇(ちち)は、臨時列車で、京都へ出発した。

 供奉を申しつけられた閣僚は、伊藤さんと山縣さんである。

 山縣さんは、警備の責任者として、伊藤さんは、万が一事件が発生したときの対応の司令塔役として、京都入りすることになった。

 天皇(ちち)の侍医として、ベルツ先生と助っ人のスクリバ先生も同行する。

 もちろん、天皇(ちち)の傍らには、爺が控えていた。

 朝、皇太子殿下が、新橋停車場に天皇(ちち)を見送りに行くというので、私もついていくことになった。

お父様(おもうさま)、ご無事の御還御を。お風邪を召されませぬように」

 歩兵少尉の制服を着た皇太子殿下は、新橋停車場の休憩室で、天皇(ちち)に一礼した。

「うむ」

 軍服姿の天皇(ちち)が、微笑して、殿下の頭を優しくなでた。

 その動作は、普段の天皇(ちち)と、全く変わりなかった。

(嘘でしょ……)

 私は、天皇(ちち)の様子を見て、愕然とした。

(“大津事件”があるかもしれないのに……)

 周りをそっと伺うと、伊藤さんも山縣さんも、普段と変わりない様子だった。

(やっぱり、この人たち、修羅場を潜り抜けてるんだ……)

 幕末維新の動乱を生き抜いた“梨花会”の面々。各々が一流の人物で、経験も豊富に積み重ねている。

 ――まだまだ時間はあるんだ。

 そう勝先生は言ったけれど、私が経験を積み重ねても、彼らに追いつくことはできない。

 私はそのことを、強く感じた。

 と、

「章子、章子」

私の隣に立った皇太子殿下が、私の着物の袖を、そっと引いた。

お父様(おもうさま)に、ご挨拶をしないか」

 殿下に囁かれて、私ははっとした。

「陛下……ご無事の御還御を、お祈り申し上げます」

 昨日から、姿見の前に立ち、散々練習したセリフを、私は天皇(ちち)に最敬礼しながら言った。

 天皇(ちち)が、私の前に立って身を屈め、最敬礼したままの私の頭をなでた。

 そして、

「章子、また、表情(かお)に出ておるぞ……」

私の耳元で囁いた。

「?!」

 私の顔が、一気に熱くなった。

「……案ずるな。後は任せよ」

 もう一度、私の頭をなでると、天皇(ちち)はくるり、と踵を返し、臨時列車の待つプラットホームに向かった。伊藤さん、山縣さん、爺が後に続く。

 ニコライ皇太子殿下は、9日には神戸に到着し、京都に入る。10日は、天皇(ちち)の案内で、京都御所を見学し、催し物の見物や会食をする。そして、11日に、琵琶湖遊覧の予定だ。

 万事が上手くいくことを、祈るしかなかった。

※陸奥宗光は“陽之助”と言う方が有名だと思いますが、「海舟先生氷川清話」では“小次郎”と呼ばれていたので、小次郎としました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 考えてみれば明治政府の大物は皆さん人殺しでしょう。討幕派か軍人としてかはともかく。 もちろん私の知らない例外もいるかもしれませんけど。 腹も座っていたでしょうし、いざとなれば味方を切り捨てて…
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