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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第6章 1891(明治24)年啓蟄~1891(明治24)年立夏
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運動会

 1891(明治24)年、4月25日、土曜日。

「ねえ、ベルツ先生」

 いつもの土曜日のように、花御殿の私の居間で、私はベルツ先生と向かい合っていた。本当なら、私たちの横に、大山さんが座っているはずなのだけれど、今日はいない。ニコライ皇太子を長崎で迎えるため、威仁親王殿下と大隈さんと一緒に、20日に長崎に向かったのだ。

「なんでしょうか、殿下」

 書類を整理していたベルツ先生が、手を止めて、私の方を向く。

「やっぱり抗生物質を、早く作りたいんだけれど……」

 すると、

「またそのお話ですか」

ベルツ先生が苦笑した。

「緒方先生は、滋賀県に行っちゃったのよね……」

 私はため息をつく。春になって、蚊の発生率が上昇しているので、帝国大学衛生学講座の緒方教授は、お弟子さんたちをほぼ全員引き連れて、滋賀県に出張している。マラリア原虫の染色法も、どうやら完成したらしい。

「ハマダラカの中にマラリア原虫を見つけて、論文を書いたら、緒方先生の手が空くかな?」

「確かに空くとは思いますが、アルテミシニンの抽出が間に合えば、緒方先生はそちらの研究もしなければならないでしょう」

「ああ、そうか、そうですよね……」

 ベルツ先生の指摘に、私は頭を抱えた。

 アルテミシニンというのは、漢方で使われる“クソニンジン”という植物に含まれる、マラリアに効果がある物質だ。“史実”では2015年に、この物質を発見した中国の医学者にノーベル生理学・医学賞が授与された。

 ちなみに、この年のノーベル生理学・医学賞は、“イベルメクチン”という糞線虫症の治療薬を発見した、日本人とアイルランド人の研究者にも授与されている。日本国内では、こちらの方が有名だと思う。前世で、研修病院の試験を受けるときに、“面接で聞かれるかもしれないから、一応覚えておこう”と思って頭に叩き込んだ知識が、まさかここで役に立つとは思いもしなかった。だって、前世(へいせい)だと、マラリアは日本国内からは撲滅されているから、一般の医者がアルテミシニンを使う機会なんて滅多にないし……。

「ベルツ先生、アルテミシニンの件は、長井先生には話してくれたんですよね?」

「ええ、植物が見つかり次第、早速抽出に取り掛かってみると言っていました」

「エーテルで抽出できた、と言うところまで覚えていたから、植物が見つかったら、抽出がすぐにできてしまうかもしれませんね。水にも油にも溶けにくいから、薬品として実際に使える形にするのは時間が掛かるだろうけれど……、うーん、でも、そうなると、抗生物質が……」

 ペニシリンが、アオカビが産生する物質から抽出されたことは、流石に覚えている。だから細菌の培養環境と技術さえ整えば、何とかペニシリンは抽出できそうなのだけれど、その技術を持つ人の手が空かないとなると……。

「あとは高峰(たかみね)先生だけれど、いくつも仕事を頼んでしまったから、身体が空かないよね……」

 高峰譲吉(じょうきち)先生。“史実”では、アドレナリンの発見者として知られる。アメリカの会社から誘われて渡米しようとしていたのを、農商務大臣の井上さんにお願いして、必死に止めてもらった。そして、“史実”通りのアドレナリンの抽出と、インスリンの抽出に関する研究をお願いしている。

 彼も、麹菌に関する特許を持っているので、細菌培養に関する技術は持っていて不思議ではないのだけれど、“アドレナリンを抽出するための牛の副腎が、東京より手に入りやすいから”ということで、今は大阪を研究拠点にしている。流石に、細菌培養の技術を習得するために私が大阪に行く、というのは、無理があり過ぎる。

「それに、抗生物質だけじゃなくて、抗結核薬もさっさと開発したいし、血圧や喫煙の習慣が、健康に影響を及ぼすことを、大規模なコホート研究で証明したいし、種痘を押し進めて、天然痘を撲滅したいし、アドレナリンとインスリンだけじゃなくて、他の生体内のホルモンも発見しないといけないし、それからペスト菌とリケッチアを見つけて、レントゲン装置を開発して、血液型を研究して、心電図装置の開発と……」

「殿下、殿下、落ち着いてください」

 指を折りながら喋っていた私を、ベルツ先生が止めた。

「お気持ちはわかります。私も、殿下の考えていらっしゃる、未来の医療がすべて実現したら、どんなに素晴らしいかと思うのですが、人間が同時にやれることには、限界があります。それは、私も殿下も一緒です」

「うーん……」

 渋い顔をする私に、ベルツ先生は一冊の雑誌を差し出した。

「今週届いた、“ドイツ医事週報”です。三浦君の血圧計に関する論文が載っています」

 ベルツ先生は、ドイツ語の雑誌のページをめくって、私に示した。ベルツ先生と三浦先生の名前が載っているのは分かったけれど、他の文章は全く分からない。

「ローマは一日にして成らず、と申します。殿下は未来と比べて、医療が進んでいないと、もどかしく思われるかもしれませんが、殿下の知識で、医療が“史実”より進んでいることは確実です。一つ一つ、過程を経ていかなければ」

「……そうですね」

 微笑したベルツ先生に、私は頷いた。

(焦っても、ダメか……)

 前世の私が死んだ2018年は、今から約130年後だ。“史実”でも、その130年という時間で、医学は試行錯誤をしながら発展してきた。私の知識で、その試行錯誤を多少省くことができるとしても、今の医療のレベルを、“史実”の2018年のレベルに到達させるのは、時間がかかる。今生の私の寿命がどれほどかは分からないけれど、医療のレベルが“史実”の2018年の水準に追いつくのは、間違いなく、私が死んだ後のことだろう。

「にしても……人手は欲しいです。森先生だって、軍の業務の合間を縫って来てくれているから、ずっと拘束している訳にもいかないし……」

 ニワトリの実験は次の段階に進み、ニワトリを白米だけで育てて脚気にしている状態だ。この後、脚気にしたニワトリを2群に分け、玄米、玄米と炭水化物・タンパク質・脂質を同じ組成にした飼料で育て、どうなるか経過を観察する予定だ。飼料の原料は、米粉と牛肉にした。牛肉には、同じ重さの豚肉ほどのビタミンB1は含まれていないはずだから、玄米で育てたニワトリは脚気が治るけれど、飼料で育てたニワトリは、脚気はそんなに改善しないはずだ。

 その実験を進行させている間に、森軍医中佐が、先日の実験に関する論文を書いている。例によって“ドイツ医事週報”に投稿すると言っているけれど、昨年末の号には、北里先生が書いた、破傷風の血清療法についての論文が載ったし、三浦先生の論文も載ったし……、“日本人が筆頭著者の論文が多すぎる”と、編集部に不審に思われてしまうのではないだろうか?

「確かに、森君の負担は大きくなっていますね。森君は、国軍医務部の軍医たちに、この実験結果の説明をして回っているようですから」

「なんて説明しているの?」

「“脚気が細菌で発生するのは間違いだ”と。徐々に、国軍内もその認識が浸透してきたようです」

「まさか……、西郷さん、こうなることまで予測して、“森を切り崩せ”って言ったのかしら?」

 私は首を傾げたけれど、すぐに、

(いや、ありうる話だ)

と思い直した。何せ、“史実”でも元勲に数えられている人間だ。普段はボーっとした感じで、私をからかうことも多いけれど、一流の人物であることは間違いない。

「はあ、どこかに、医学か薬学の知識があって、細菌培養ができて、実験結果もきちんとまとめられる助手さんがいないかなあ……」

 私が呟いた瞬間、外から歓声が聞こえた。

「あの声は?」

 ベルツ先生が私に尋ねる。

「学習院の運動会です。花御殿(ここ)の敷地で、今日やっていて……。名目上、皇太子殿下が主催なんですって……」

 答えた私は、ため息をついた。

 学校の敷地内に広い運動場がないため、学習院の運動会は、花御殿の敷地を借りて毎年やっているそうだ。そのため、名目上、皇太子殿下が運動会を主催するという形を取る。そのことを、花御殿に引っ越してから聞かされた私は、意味がよく分からなかった。自宅の敷地を貸し出して、運動会をやらせるって……前世だったら、どれだけの金持ちのやることなのだろう。

「ああ、慣れないです、この感覚。“殿下”や“宮さま”と言われるのにも、いまだに違和感があるし。大体私は、もともと平民なんですから」

「そうでしたね。でも、それならば、華族女学校では大変なのではないですか?」

「正直、同級生に気後れしてしまいます」

 華族女学校は、華族の女子のために建てられた学校だから、当然、生徒も華族が多い。日本史に出てくる偉人たちの子孫はうじゃうじゃいるし、もちろん、現在の政府の要人の子女も多数通学している。つまり、前世の私の身分では、とても近寄れない方々の集まりなのだ。

「だけど先生たちは、私が皇族だから、はれ物に触るように私を扱うんです。それも嫌で……陛下や大山さんみたいに、間違ったらビシッと叱ってくれる方がありがたいです」

 こう言った私は、「でも、殺気を向けられるのだけは勘弁!」と慌てて付け加えた。

「ふふ……確かに。大山閣下の殺気を思い出すと、今でも震えてしまいます」

 ベルツ先生は苦笑した。

「さて、そろそろ、森君が花御殿に来る頃です。合流して、ニワトリ小屋に行きましょうか」

「了解です、ベルツ先生」

 私たちは椅子から立ちあがって、花御殿の玄関に向かった。


 花御殿の玄関で森軍医中佐と合流して、私たちはニワトリ小屋に向かった。

 最近、ベルツ先生の講義の時は、前半の一時間は2人で話し合い、後半の一時間はニワトリ小屋で、森軍医中佐も交えて、脚気実験について討議するようになっている。とはいえ、討議の中心は森軍医中佐とベルツ先生で、私はニワトリ小屋の掃除を手伝うことの方が多い。

 今日もいつものように、ニワトリ小屋の掃除をしていたのだけれど、箒を掛け終わって、小屋の壁に箒を立てかけようとした時、

「ブー」

変な音がした。

(ん?)

 音がした方向を振り向くと、……なぜかそこには、子豚がいた。

「ねえ、森先生、ベルツ先生……私たち、豚なんて飼っていないわよね?」

「そのはずですね」

 ベルツ先生が答えた瞬間、

「豚はどこだー!」

「捕まえろ!」

遠くから声が聞こえた。

「豚って……これ?」

 私が子豚を指さすと、

「もしかして、“豚追い競争”の子豚では?」

と、森軍医中佐が言った。

「豚……追い……競争?」

「運動会の競技の一つですよ。確か今日は、学習院の運動会と聞きましたが」

「は?」

 私は首を傾げた。前世(へいせい)の運動会の競技種目に、そんなもの、絶対になかった。

「……とにかく、排除します」

 私は竹箒を、両手で握りしめた。

「こら、あっちに行きなさい!」

 箒の先を、子豚の鼻面に近づける。しかし、子豚は逃れようとしないどころか、かえって箒の方に近づいてくる。

「あのね、ニワトリの観察の邪魔だから!」

 箒を激しく動かしてみたけれど、子豚は全く反応を示さない。

「こうなったら……」

 私は箒を捨て、子豚に歩み寄った。子豚の体を抱え上げるぐらいなら、8歳の私の身体でも十分できる、そう思ったのだけれど。

「あれ?」

 子豚が、私の腕の中でつるっと滑って、地面に落ちた。

 私の手から逃れた子豚は、地面に転がると、運動場の方向にトコトコ歩き始める。

「すっごい滑るよ?!」

「……思い出しました、“豚追い競争”の子豚は、確か全身に油が塗ってあって、捕まえにくくしてあるのです」

 森軍医中佐が教えてくれた。

(なにそれ?!)

 子豚が歩いて行ったその先で、「いたぞー!」「子豚だ!捕まえろ!」などと叫びながら、学習院の生徒が子豚を捕獲しようとしている。けれど、捕まえようとする手は、子豚に塗ってある油で、ことごとく滑ってしまっていた。

「……いっそ、落とし穴を掘って、子豚を捕まえますか?それとも、銃で狙撃します?」

「増宮さま、落ち着いてください」

「だって、森先生……ニワトリの観察の邪魔ですもん!」

 言っている間に、ようやく、一人の生徒が、子豚を抱え込むことに成功したらしい。彼を中心にして、歓声と爆笑の渦が、参加者に広がっていく。

(てか、なんだよ、この競技……)

 私はため息をついた。

 と、

「なあ、君、知っているか」

「え、何をだい?」

すぐそばから、若い男性二人の声が聞こえた。

 振り向くと、私から5mほど離れたところに、学習院の生徒が二人立っている。皇太子殿下よりも、大分上級の学年だろう。とっさに私は、彼らに見えないように、木の陰に隠れた。

「今度、ロシアの皇太子殿下が、東京にいらっしゃるだろう。その時に、ロシアから、西郷隆盛(さいごうたかもり)が帰ってくるそうだ」

(は?)

「おいおい、嘘だろう。大西郷(だいさいごう)と言えば、西南の役で、官軍に殺されたじゃないか」

「いや、そうでもないらしい。おととし、山縣閣下が、欧州に行っただろう。あの時にロシアで、殺したはずの大西郷に会って、びっくり仰天したらしい」

「本当かい?」

「それに、ロシアの皇太子殿下は、東京に来る前に、鹿児島に寄るらしいが、それがどうも、大西郷の里帰りを兼ねているらしい。陛下もそのことをご存じで、“西郷が帰ってくるならば、西南の役で与えた勲章を、剥がさねばならない”とおっしゃったとか……そう新聞に書いてあった」

「そんなバカな」

 話を聞きながら、

(どこの新聞だよ、そんな適当なデマを書いてるのは!)

私は内心、ブチ切れそうになっていた。

 大西郷、こと西郷隆盛……今の西郷国軍大臣の兄だ。けれど、彼は1877(明治10)年の西南戦争で死んでいるはずだ。名誉回復は、憲法が発布されたときにされたはずだけれど、さすがに、「今も生きている」というのは……。

 そう言えば、私が毎日読んでいる“東京日日新聞”に、「西郷隆盛が生きていると報じている新聞があるが、西郷隆盛が死んだのは間違いない」と何日か前に書いてあった。別の日には、“死せる南洲、沈める畝傍(うねび)を引く”という風刺画も載っていた。畝傍というのは、私が3歳のころに、日本への回航中に沈んだ軍艦のことだと、後日、伊藤さんに聞いた。

 その記事や風刺画を見た時は、何でそんなことが新聞に出るのか、よく分からなかった。だけど、本当にそんなデマを書いている新聞があったとは……。

前世(へいせい)でもそうだったけど……マスコミは、適当なことしか言わないのかな?)

「増宮さま?いかがなさいましたか?」

 ふと振り向くと、森先生が、心配そうに私を見ていた。

「あ、ごめんなさい、先生。……私、小屋掃除の続きをします。1本目の論文に続いて、先生が2本目の論文を仕上げられるように、実験しなくてはね」

 遠くで、運動会の終幕を告げる、軍楽隊の演奏が聞こえる。

 私は、妙な噂のことから頭を離して、ニワトリ小屋の掃除に戻った。

※実はこの運動会開催自体は、史実通りです。検索範囲で、1890年から1893年まで確認できました。

競技種目自体は不明だったので(大正天皇実録には載っている可能性がありますが)、日本最初の運動会と言われる、1874年3月21日の“競闘遊戯(きそいあそび)”の中の競技、「豚追い競争」を入れてみました。

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― 新着の感想 ―
[一言] イベルメクチンこの辺りなんだ···2022年現在駆虫薬をコロナウィルス特効薬と思い込んでオーバードーズする阿呆が出てきたからなぁ···
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