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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第6章 1891(明治24)年啓蟄~1891(明治24)年立夏
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ホワイトデーの会合

※地名ミスを訂正しました。(2018年12月23日)

 1891(明治24)年、3月14日、土曜日。

 前世(へいせい)ではホワイトデーと言っていたけれど、この明治時代、もちろんそんな行事はない。

 私も、今日のこの日が「男性がバレンタインデーに貰ったチョコレートのお返しをする日」であると、“梨花会”の面々には言っていない。言った瞬間、“梨花会”の面々が大量に何かを贈ってきそうなので、絶対に言わないことにした。もちろん、バレンタインデーの習慣が前世(へいせい)の日本に存在することも、絶対に言わないと誓っている。……悪かったなあ、“彼氏いない歴=前世の寿命+今生の年齢”で。

 それはともかくとして、私が華族女学校の授業を終えて帰宅すると、

「どうして、こうなった……」

花御殿のニワトリ小屋の中で、森軍医中佐が、両膝と両手を床についてうなだれていた。

 彼の前では、数十日前まで、脚気のような症状で苦しんでいたはずの数羽のニワトリが、元気に歩き回っていた。そのうち一羽が飛び上がって、森軍医中佐の頭の上に止まると、「コケコッコー」と鳴いた。

「そんな……脚気がなぜ、エサを変えただけで治るのだ……?」

 自ら強硬に主張していた学説を、自らが完璧に組み立てたはずの実験で崩されてしまった森軍医中佐は、明らかに打ちひしがれていた。

(これ、前世(へいせい)で言う、“失意体前屈”って奴だよね……)

 私は苦笑した。ここまで見事な“orz”には、前世でも今生でも、お目にかかったことはない。

「まあ、森君……これから、一個一個実験を積み重ねていこう」

 ベルツ先生が、金網の外から、森先生を慰めている。

「ベルツ先生、森先生、……この結果って、米ぬかの中に、脚気を治すような物質があるってことを示唆しているのかしら?」

 私は、何食わぬ顔をして二人に近づき、こう尋ねてみた。

「さあ……それは調べてみないとわかりません。一回、白米で脚気にしてからの方が、効果が分かりやすいかも……」

 森軍医中佐が言った。

(あれ?このセリフ……)

 彼なら、“脚気は細菌で起こる”という説を強硬に主張して、「こんなはずはない!」と実験結果を真っ向から否定してかかると思っていた。けれど、この実験結果を、きちんと評価して分析しているような気がする。

「色々な群を設定する方が、良いかもしれないね、森君」

 ベルツ先生がアドバイスする。

「となると、ニワトリ小屋の仕切りを増やさないといけないですね」

「そうですね、増宮さま。しかし、一度この結果を、論文にまとめなければいけないでしょう。森君がそれをまとめている間に、私の方で、詳しい実験方法を考えましょう」

「わかりました、ベルツ先生。この結果……何とか私で、論文にまとめます。仕方ない、脚気が細菌で起こるというのは、間違いだったのだ。潔く、それを認めなければ」

 森先生のセリフに、私は目を丸くした。

(お……落とした!)

 国軍医務部の中で、“脚気は細菌で発生する”と強硬に主張していた中心人物。その人間に、“脚気が細菌で起こるというのは間違い”と言わせたのだ。

――森を切り崩せば、陸軍出身者も黙り込みましょう。

 西郷さんが、私に脚気の実験を依頼したときにこう言っていたけれど、目標が達成されたことになる。

「それに気が付いたのも、増宮さま、貴女さまのおかげです」

 森先生が立ち上がった。

「はい?」

「我が師、ベルツ先生も認める大天才。そして、お優しく、この世のものとは思えないほど、愛らしく美しい……。増宮さま、貴女さまはこの私の女神(ミューズ)だ」

「森先生、せめて、頭のニワトリを下ろしてから言ってください」

 ツッコミを入れた私は、盛大にため息をついた。全く、どいつもこいつも、なぜこの“呪いの市松人形”が美しいという世迷言をほざくのか……意味が分からない。

 と、

「増宮さま!」

遠くから、花松さんの声がした。

「そろそろ、参内なさる時間ですよ!」

「あ、いけない……!」

 今日は、先月のインフルエンザの時に、両陛下(りょうしん)から見舞いの品をもらったので、そのお礼を申し上げに参内するのだ。それに合わせて、“梨花会”の会合を、久々に両陛下(りょうしん)の御前で開くことになった。多分話題は“大津事件”の対策についてだろう。

「じゃあ、ベルツ先生、森先生、ニワトリのことをよろしくお願いします」

 私は2人に手を振ると、花松さんのいる方向に向かって駆けた。


 馬車に乗って、皇居の車寄せに着くと、ちょうど、東宮賓友(ひんゆう)の有栖川宮威仁親王殿下も到着したばかりの所だった。

「おや、増宮さま」

 親王殿下が、馬車を降りようとする私に手を差し伸べた。今日は、肩章の付いた紺色の軍服を着ている。素直に手を取ると、何かいたずらをして来そうなので、私は彼の手を借りずに、ゆっくり馬車から降りようとした。

 すると、

「まあ、ご遠慮なさらずに。病み上がりでしょう?」

私の足が地面につくかつかないか、というところで、身体が急に持ち上がった。

「だからって、抱っこすることはないでしょう、大兄(おおにい)さま!?」

 親王殿下の腕の中で、私は抗議した。

「ははは、さあ、参りましょうか」

 親王殿下は、私の声を無視して、私を抱きかかえたまま、皇居の中へと歩んでいく。

(もう……この親王殿下は!)

 ムカついた私は、親王殿下の向こう脛を、履いていた編み上げブーツで思いっきり蹴り飛ばした。

「……!」

 親王殿下の足が止まる。いわゆる“弁慶の泣き所”……急所の一つだ。子供の一撃でも、流石にノーダメージでは無かったと見える。少しだけ、親王殿下の腕の力が緩んだ。

「宣戦布告なしに攻撃しますか……?」

「不意打ちなのに、“今から殴ります”なんて声を掛けてどうするの?」

 親王殿下に私がツッコミを入れた瞬間、

「もう、許しません」

親王殿下がきつく私を抱き締めた。

「ちょ?!」

 あっと言う間に、横抱きにされてしまう。これ……“お姫様抱っこ”じゃないか!

「生意気なことをする足は、こうです」

 見上げる私の視線の先で、親王殿下がニヤリと笑う。「落とされたくなかったら、私の首の後ろに、腕を回してください」

「く……」

 私は親王殿下を睨みつけた。

「恐ろしいですね。どんな表情(かお)をなさっても、天女のように美しいとは」

「勝手に言ってなさい」

 私はため息をついた。言われた通りに、左腕を親王殿下の首の後ろに回す。

「ところで、最近、皇太子殿下とは遊ばれないのですか?」

 会議室に向かって歩を進めながら、親王殿下が私に尋ねた。

「ニワトリの世話があるから。勉強のお相手はしていますよ?」

 私がこう返すと、

「皇太子殿下が、寂しがっておられましたよ。“章子は最近、わたしと遊んでくれぬ”と」

親王殿下が微笑した。「ニワトリ小屋に、皇太子殿下も、お友達も近づけていらっしゃらないでしょう」

「弱っていくニワトリを見せるのは、刺激が強いかな、と思って」

 私がニワトリの実験を始めると知った皇太子殿下は、「ニワトリを見せよ」と私に強く希望した。それに、どこで聞きつけたのか、九条節子(さだこ)さまも、「ニワトリを見せてほしい。世話もしてみたい」と私にせがんだ。だけど、そこは固くお断りさせていただいたのだ。

「なるほど、お優しいですね。しかし、増宮さまは大丈夫なのですか?ニワトリの解剖にも、立ち会われていると聞きましたが」

「前世で慣れたから平気です」

 学生の時も、研修医になってからも、手術には何度も立ち会わせてもらった。血が流れるような光景には、耐性がついてしまっている。

「前世で、ですか。……増宮さまとこうして話していると、本当に戸惑います。増宮さまが一体お幾つなのか。やはり前世の年齢分を、今のご年齢に足すべきか……」

「だから、水増ししないでください。いい加減にしないと、その口ひげ、引っ張りますよ」

「ははは、それはご勘弁願いたいものですね」

 話しているうちに、会議室の前に到着する。下ろしてほしい、と言う暇もなく、親王殿下は私を抱えたまま、室内に入ってしまった。

「な……」

「増宮さまと……若宮殿下?!」

 すでに到着して、各々の座席についていた“梨花会”の面々が、一斉に私に視線を注いだ。

「な、なんとうらやましい……!」

 松方さんがこう言って愕然とする。

「ほう、絵になりますな。増宮さまの麗しさが、更に引き立つ」

 山縣さんが顎をなでながら、意味不明なことを呟く。

「しかし、抜け駆けはよくないですな、抜け駆けは」

 伊藤さんの声に、「さよう」「その通り」と一同が頷く。

「抜け駆けって……、ちょっと何を言ってるか、わからないのだけれど……」

 私がきょとんとしていると、天皇(ちち)お母様(おたたさま)が、一緒に会議室に入ってきた。

「威仁」

 天皇(ちち)が足を止めて、親王殿下に厳しい視線を向ける。

「章子を下ろせ。いくらそなたでも、それは許さぬ」

「は……失礼いたしました」

 首を垂れる親王殿下を、

「ほら、さっさと下ろしてくださいな、大兄(おおにい)さま!」

私も軽く睨みつけた。親王殿下は、慌てて私の足を床に下ろした。

「あらあら」

 お母様(おたたさま)の顔がほころんだ。「すっかり元気になったようですね、増宮さん」

「はい……お見舞いの品を、ありがとうございました」

 私は両陛下(りょうしん)に向かって、深くお辞儀をした。

 お見舞いの品として両陛下(りょうしん)からいただいたのは、お饅頭だった。ただ、15個もあったので、私はひとつだけいただいて、残りは、ちょうどその場に居合わせた森軍医中佐に、ねぎらいの意味も込めて差し上げた。めちゃくちゃ喜んでいたけれど……森先生って甘党なのかな?

「さて、三条どのは鎌倉に行ってるから、これで全員そろったか」

 内大臣府出仕になったばかりの勝先生が、一座を見回した。三条さんは、今転地療養で鎌倉に滞在しているのだ。

「ですな、では始めましょうか」

 伊藤さんが頷いた。


 さて、“梨花会”の話題は、やはり“大津事件”の対策についてになった。

 ロシア側からは、正式にニコライ皇太子殿下の訪問予定が伝達された。

 それによると、ニコライ皇太子殿下は、従弟のギリシャ王子・ゲオルギオス殿下とともに、長崎にロシアの軍艦で入港した後、鹿児島に行く。その後、神戸に寄港して、そこから陸路で京都へ向かう。京都から大阪、奈良と足を伸ばし、神戸に戻ると、横浜に船で移動し、東京に赴く。東京で様々な公式行事をこなした後、鎌倉、江ノ島、箱根、熱海を観光。そして、鉄道で移動して、日光、仙台、盛岡、青森を訪問し、そこから、ロシアの軍艦に乗り、ウラジオストクへ向かうそうだ。

 ニコライ皇太子殿下は、日本一の湖である、琵琶湖観光を特に希望されたらしい。琵琶湖観光の起点となる町は、琵琶湖畔にある、大津だ。

 つまり、大津事件のフラグは、立ってしまったということになる。

 ニコライ皇太子訪日に関する接伴(せつばん)委員長、つまり、接待役は、有栖川宮威仁親王殿下と決まっている。

 そして、万が一の事態――ニコライ皇太子が犯人に襲われた際に備えて、東宮武官長の大山さんが、副委員長として側に控えることになった。

(ああ、西郷さんの案で、正式に決着がついたんだ)

 私は、去年の秋、大山さんと親王殿下と一緒に、表御座所に天皇(ちち)を訪ねた時のことを思い出した。

――大山は我が師に等しい。

 確か、天皇(ちち)は、このようなことを言った。

 でも、大山さんは、天皇(ちち)よりは年上だけど、年齢差は10歳ぐらいだけのはずだ。

(たった10歳の年齢差で、師ですか……?)

 少し疑問に思ったけれど、世の中には、自分より年下に、物事を教わることはいくらでもある。天皇(ちち)と大山さんの関係も、そのようなものなのではないだろうか。

 さて、ニコライ皇太子殿下が京都に宿泊している最中、“ニコライ皇太子に、京都御所を案内する”という名目で、天皇(ちち)も京都に滞在する。侍医団の一人として、ベルツ先生を連れて行く。ただし、ベルツ先生は内科が専門なので、帝国大学の外科のスクリバ先生も、天皇(ちち)の侍医として臨時に雇い入れ、京都に連れて行くことになった。

「ベルツ先生はともかく……スクリバ先生自身と、その周辺は大丈夫でしょうな?」

 西郷さんが伊藤さんに尋ねると、

「そりゃ、問題ない。ちゃんと下調べ済みさ」

勝先生がニヤリとした。

「ああ、国際情勢がらみで、不測の事態が発生しないか、ってことかしら、西郷さん?」

 私が聞くと、「流石、察しがいいですな」と西郷さんが頷く。

「察しがいいって……前に勝先生が、“大津事件は別のからくりで起こるかもしれない”って言ってたから、それを思い出しただけですよ」

 私は答えた。「ちなみに、今、ニコライ皇太子を殺して、喜びそうな連中っているのかな?」

「ほう……なかなか鋭い質問ですな」

 伊藤さんが満足げに頷いた。「例えば、“史実”の知識ですと、どのような者がおりますか、増宮さま?」

「正直、思い当たらない、というか、この時代の諸外国の事情は、最低限のことしか知らないんです……。本当に、自分の未熟さを恥じるばかりというか……」

 私は深いため息をついた。人に歴史を教えていながら、歴史の理解が表面的なものでしかないなんて……前世の自分を殴りたくなってしまう。いずれ、歴史の勉強もきちんとしなければならない。

「この近辺の国だと、皇太子を殺そうとする可能性があるのは、朝鮮はないとして、清?」

「朝鮮がない、というのは正しいでしょうが、清もおそらくなかろうかと」

 伊藤さんが答えた。「海防派・塞防(さいぼう)派、どちらもロシアと事は構えたくないでしょう。その思いは、西太后も今の皇帝も同じでしょうな」

「あの、海防とか……なんですか、それ?」

「あ、やっぱり、全然知らねえみてぇだな」

 勝先生が苦笑した。

「大雑把に言えば、清の仮想敵国を、イギリスにするか、ロシアにするかって論争さ。確か、どっちもやるみてぇな話で落ち着いたはずだけどな。まあ、どちら側の人間にしろ、ロシアと事は構えたくないはずさ。だからニコライ皇太子殿下には、手は出さねぇだろう。もちろん、要所要所に目は光らせておくけどな」

「詳しいんですね、勝先生」

「清には、結構伝手(ツテ)が多いのさ」

 勝先生はニヤリとした。

「あとは……“史実”で言うと、ちょっと時代が後の方だけど、ロシア国内の革命勢力?ボリシェヴィキとか?」

「さような名前では無かったと思いますが、今もいることは確かです」

 意外にも、親王殿下が言った。

「確か、“ナロードニキ”と呼ばれていたかと」

「……ごめんなさい、全然知らない」

「ロシアの先帝の、アレクサンドル2世を殺したのも、そ奴らですが」

「あー……」

 そんなことがあったと勉強したような気もするけれど、犯人の素性までは知らない。

「そう言えば、シュリッセリブルク要塞の件は、その後何か続報はありますか、勝先生?」

 大隈さんが言った。

(主流……?)

「大体の政治犯は捕まった、という情報は入ってきたが……」

 勝先生の答えに、私は首を傾げた。

「勝よ」

 天皇(ちち)が、勝先生に呼びかけた。「章子には、その件、話してないのであろう?“わからぬ”と表情(かお)で訴えておる」

「あ……」

 勝先生が、私の方を慌てて見た。

「そういや、増宮さまには話して無かったな。ロシアの首都の近くに、政治犯を収容する要塞があるんだが、そこが去年のクリスマスに爆破された」

「はあ?」

「革命勢力がやったらしくてな。そこに収容されている政治犯が何人か脱走したんだが……なあ増宮さま、“史実”で、そんな事件ってあったかい?」

「勝先生、ごめんなさい、そんなに詳しく、ロシアの歴史は勉強してないから、あったか無かったかすらも分からないです……」

 私は力なく、首を横に振った。

「そうか……まあいいか、どっちにしろ、やることは変わらねえ」

「あの、勝先生、“やること”って一体何ですか?」

「全国の警備に従事する警察官と軍人への、思想検査ですな。それと、危険思想の持ち主への監視……」

 山縣さんが静かに言った。

「幸い、思想検査に引っかかってくる者は皆無でした。国内の国粋主義者や自由主義者、その他過激思想を持つ者にも、怪しい動きをする者はいません。監視は続けますがな。それから、念には念を入れて、ロシアの革命勢力の息がかかった人間がいないかも、目下調査中です」

(抜かり無さすぎでしょ……)

 山縣さんの答えに、私は口をポカンと開けた。国粋主義者や自由主義者がニコライ皇太子を襲う可能性なんて、全く考えてなかったぞ!

「それから、“史実”の犯人が、ニコライ皇太子を襲う可能性もある訳か……」

 私はため息をついた。

 やはり、“史実”の大津事件の犯人の名前は、思い出せないままだ。しかも、“史実”とは違う筋書きで、ニコライ皇太子が襲われる可能性もゼロではないからなあ……。

大兄(おおにい)さま」

 私は、親王殿下の方に向き直った。

「どうなさいました、増宮さま?」

「さっきみたいに、私を抱いてください」

 私の言葉に、親王殿下のみならず、両陛下(りょうしん)や、他の“梨花会”のメンバーも目を丸くした。

「それは構いませんが……」

 親王殿下が、戸惑いながら答える。

「ありがとうございます。それで、私が手を大兄(おおにい)さまから放せば、私の身体が地面に落ちるから……」

「章子!」

「増宮さま!」

 “地面に頭をぶつけられるよね?”と言い終わらないうちに、天皇(ちち)と大山さんが、同時に叫んだ。

「そなた……自らを傷つけるつもりか!それはならん!」

「陛下のおっしゃる通りでございます。増宮さま……まさかこの大山と交わした約束、お忘れになられましたか?」

 陛下(ちち)の叱責が私に飛び、大山さんは私をギロリと睨みつける。いや……だから大山さん、殺気が出てるから、殺気が!

「ま、まことに申し訳ありませんです、はい」

 パニックになった私は、これ以上ないくらい、深く頭を下げた。

「何が申し訳ないのですか、増宮さま。きちんとおっしゃってごらんなさい」

 大山さんが静かに言う。

 口元は微笑をたたえているけれど、目が全く笑っていない。

「あの、だから、記憶を思い出すために、自分を傷つけることはしません。しないから……お願いだから大山さん、殺気をしまって!マジで怖いから!!!!」

 私の命乞いにも似た叫びは、奥御殿の方まで聞こえたと――後日、お母様(おたたさま)に、クスクス笑いながら、そう言われてしまった。

 その後、国内の警備体制や、万が一事件が発生してしまった時の対応、“梨花会”のメンバーの配置などが話し合われた。

(犯人の名前さえ、思い出せればなあ……)

 話を聞きながら、そっとため息をつくたびに、大山さんの鋭い視線と殺気が私に飛んできた。

「あ、あのだからわかってます大山さん、私、飛び降りたりしないから」

「増宮さま、いかがされました?」

 ぶつぶつ呟きながら震えている私に尋ねる伊藤さんに、

「大丈夫でしょう」

大山さんはすました顔で答えるのだった。

 そうして、全ての話が終わったのは、夜遅くになってからだった。

(大津事件のことは、もう、“梨花会”のみんなに任せよう……)

 花御殿に戻る馬車の中で、深い深いため息をつきながら、私は誓った。

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