脚気実験とインフルエンザ
「さて、ニワトリの実験の様子はどうだ、章子?」
1891(明治24)年、1月26日、月曜日。
学校が終わった帰り、私は馬車で皇居に参内して、表御座所で天皇に面会していた。
今日は、私の満8歳の誕生日なので、誕生日を無事迎えられた報告をしに来たのだ。
「まだ何とも言えません、陛下」
人払いをしたので、表御座所には天皇と私、そして爺しかいない。
「実験を開始して20日は経過したのですけれど、まだ、両群のニワトリに差がみられなくて……」
御料牧場から持ってきてもらったニワトリは、25羽ずつ2つのグループに分け、一群は玄米、もう一群は白米のみで育てている。ニワトリが混じらないように、飼育スペースはきちんと板で仕切った。
「しかし、結果は出るはずなのですよね?」
天皇の傍らに侍している爺が、私に確認する。
「出るはずです。だけど、ここまで変化が無いと、自分の考えに自信がなくなってきてしまって……」
「まあ、もう少し気長に待て。すぐに成ることでもあるまい」
天皇が微笑する。
「はあ……」
「ところでそなた、正月からまた、言いにくいことを言ったようだな」
「!」
役人をリストラしろ、と言ったことだろうか。
「み……未熟な身で、出すぎたことを申しました。お許しください」
私は深々と頭を下げた。
「まあ……“梨花会”の中だけにしておけよ。第一、今日で8歳になる子供が、かような考え方をするなど、常人は信じぬからな」
天皇はそう言って、顔に苦笑を浮かべる。叱られるかと思ったけれど、何とかそれは回避できたようだ。
「しかし、そなたの思い付きのおかげで、政府の人件費が削減できる。山縣も原という有能な次官を得て、少しは胃痛も和らぐとよいが」
ん?
「あの、陛下、今、“原”っておっしゃいました?」
嫌な予感がする。私は頭を上げて、天皇に確認した。
「ああ、確かに言った」
「まさかとは思いますけれど、下の名前、“敬”じゃないですよね?」
「その通りだが」
(ちょっと待てーーーー!!!!!)
私は思わずよろめいて、部屋の壁に手を付いた。
「増宮さま、大丈夫ですか?!」
爺が私に駆け寄って、私の身体を抱きしめて支えてくれる。
「ご、ごめんなさい、爺……あまりにも、びっくりしてしまって、その……」
爺の腕の中で、私は呆然としていた。
「増宮さま、びっくりした、とは……」
「だって、原敬よ?!“平民宰相”の!そんな人が、なんで山縣さんの下で働くことになるの?!それ、“混ぜるな危険”よ、絶対!」
原敬。“史実”では、大正時代に、日本初の本格的な政党内閣を組織した人物として知られる。
「確か、“史実”では、藩閥のトップとして君臨していた、政党嫌いの山縣さんと、争いを繰り広げたはずなのだけれど……そ、そんな人が、山縣さんとやっていけるの?」
「山縣も、最近は政党嫌いではないようだが?」
天皇が言う。「立憲改進党が国会において、内閣の与党として働き、円滑な議事に貢献している。その様を見て、考え方を変えてきているようだ。それは朕も同じだが」
(え……)
私の頭は混乱した。山縣さんが……“史実”で一般的には政党嫌いと評価されている山縣さんが、政党嫌いじゃなくなってきているなんて……。
(わ、訳が分からない……勝先生が言うように、私が一方的な見方で、“史実”の山縣さんを解釈しているだけかもしれないけれど……)
「や、山縣さんの側が良くても、原さんの側でどうなのですか?藩閥政治の権化として、山縣さんを嫌っているのでは……」
頭を軽く振って、更に天皇に尋ねてみたところ、
「原は、井上の姻戚のような立場だと聞いたが?」
こんな言葉が返ってきて、私は更に衝撃を食らった。
「う、ウソですよね?」
「嘘ではない。井上の妻の連れ子を、娶っていたはずだ。その連れ子の父親は中井であるから、長州薩摩、両方につながりがあると言えるな」
「ごめんなさい、……中井さんってどなたですか?」
「出来る方ですが、変わったお人ですよ」
爺が答えてくれた。「確か宴席でしたが、陛下の御前で、西村どのをビール瓶で殴ったこともありましたね」
「あの、“西村どの”って……華族女学校の西村校長?」
「そうですよ」
(に、西村校長、かわいそう……)
爺の答えに、私は力が抜けた。なんで天皇の前で、プロレスの場外乱闘みたいなことをやっているのだろう。
「だけど、奥さんを通じて、薩長とつながりがあるって、歴史が変わったのかな?いや、原さんの奥さんのことなんて、全然知らなかったんだけれど……ちなみに、いつ結婚したかなんてわからないよね、爺?」
「磐梯山の噴火よりは前でしたね。夫婦の仲は、余りよろしくないと聞きます。別居しているとか」
(磐梯山噴火の前に結婚ということは、“史実”でも、同じ人と結婚してたって、ええ?!)
私は、事実に追い付こうと、頭をフル回転させていた。
「でも、“平民宰相”よ?その中井さんって人、もちろん士族だろうから、娘さんも士族で……原さんも士族じゃないと、家柄が釣り合わないんじゃないの、爺?」
「平民だが、士族だな」
天皇の言葉の意味が、私にはよく分からなかった。
「陛下……それ、どういうことですか?」
「原は、盛岡藩の家老の家の出身だとか。井上も、そのことが頭に強くあったゆえ、まさか自分の姻戚同然の人間が、章子の言う“平民宰相”だとは思わなかったらしい。だが、原は実家から分籍した時に、平民になっていたとか。そのことや、普段の仕事ぶりを見て、もしやと思い、“梨花会”の面々と相談して、今回の人事を決めたようだな」
(うわあ……)
開いた口が塞がらない。
自分の姻戚同然の人間の中に、“授業”で名前を出した人間がいることに気がつかない井上さんも井上さんだけれど、「山縣の下で原が働く」って……“授業”の時も、山縣さんの個人名は伏せたけど、“原敬は、時の藩閥のトップと争いを繰り広げた”とは話したのに!まあ、原さんの首相就任を、最終的には山縣さんも認めたのだろうから、絶対会わせてはいけない、という感じではないのかもしれないけれど、……でもでも!
「上手くいっているようだぞ?」
天皇が微笑する。「新しい文官試験は、今年から開始することに決まったし、役人の試験も、1割程度の人員を退職させる方向で、最終調整に入ったとのことだ。……まあ、そなたが山縣と原のことを、かように心配せずともよいということだ」
「!」
心の内を見透かしたような天皇の言葉に、私は、体中の血が沸騰するような感覚に襲われた。私は慌てて、天皇に頭を下げた。
「“上下心を一にして、盛に経綸を行うべし”……上下とは何も、役人と臣民の関係だけではない。上司と部下でも同じであろう。今は出自に囚われず、天下に人材を求める時。たとえ、過去に何があったとしても、な」
「は、はぁ……」
私は、ただ恐縮するしかなかった。“五箇条の御誓文”を出した当人に、そんな風に言われてしまったら、反論のしようもない。
「……さて、黒田を待たせているのだ。国会議事堂が燃えてしまったから、どうするか相談せねばならん。話したいことはまだあるが、またの機会にさせてくれ」
天皇が言った。
数日前、建てたばかりの国会議事堂が全焼した。原因は、電気の漏電らしい。ていうか、第1回の議会からこんなんで、大丈夫かな?議事自体は、凄く順調らしいけれど……。
「分かりました。お母様に挨拶して、帰ります」
「そうしてくれ。確か、あんパンを用意したと美子が言っていたぞ」
「それはそれは」
私の顔がほころんだ。あんこを使った食べ物は、大好きだ。あまり食べすぎると太るから、少しだけにしないといけない。でも、小倉トーストを目の前に出されたら、何枚でも食べられる自信がある。
「そなたは、思うことが表情に出やすいな」
天皇が苦笑した。
さて、2月になると、ニワトリ小屋の方に、徐々に変化が出始めた。
二群に分けたニワトリのうち、一群だけに、よろめいたり、動けなくなったりするものが現れたのだ。
重症のものは、呼吸困難を起こして死んでしまった。
症状が出ているのは、当然、すべて、白米で育てていたニワトリだった。
「そんな……」
2月の中旬に入ったころ、帝国大学のベルツ先生の研究室で、死んだニワトリを解剖した森軍医中佐は呆然としていた。
「おかしい。これは絶対におかしい……」
「森先生、何がおかしいのですか?」
頭を抱える森軍医中佐と、ニワトリの死体を見比べながら、私は尋ねた。さすがに花御殿で動物の解剖はできない、というので、ニワトリの死体は帝国大学で解剖することにしたのだ。
「ええと……」
森先生は、頭を軽く振ると、私の方に向き直った。
「増宮さまは、人間での、脚気の所見をご存じでしょうか?」
「はい、重症の場合、頻脈や浮腫が出ると聞いたことがあります。それから、失調性の歩行とか、意識障害も出ると……」
「さすが、よくご存じです。脚気は、細菌が感染することによって発生するので、健康なニワトリの場合、細菌に感染しなければ、エサが白米であろうが、玄米であろうが、脚気が生じてくる。そのはず……そのはずなのですが……」
「実際には、白米で育てたニワトリだけが、歩行や呼吸に異常をきたして、死んでいく。しかも、解剖すると、心肥大があり、末梢神経炎の所見も見られ、人間の脚気と同じような状況が起こっている、ということですね」
「そうなのです……。一体どこが間違っているのか……」
森先生は、また頭を抱えた。
「ということは、仮説が違った、ということですよね、森先生?」
「?」
「つまり、脚気は細菌で発生する、という仮説が否定される。となると、脚気は食べ物の違いで発生する、という仮説を検討する必要がありますよね?」
「い、いやしかし、脚気は細菌で起こるはずなのです。病気というものは大概、細菌感染で起こるはずで……」
「あれ?確かベルツ先生の本に、“痛風は遺伝で起こる”って書いてありましたけれど……」
私の反論に、森軍医中佐が目を見開いた。……まあ、前世の医学では、高尿酸血症の人が、何かのきっかけで痛風になる、ということがわかっているのだけれど。
「た、確かにそうだ……」
「きっと、感染症と思われている病気の中にも、感染症じゃないものがあると思います。今は、分析機器が発展していないから、その病気が、なぜ発生するかわからないだけで……。ねえ先生、私、脚気が食べ物の違いで発生するという仮説を検討したいです。本当にそうなら、すごい大発見ですよ。それがきっと、陛下の大御心にかなうはずです」
私は精いっぱい、ほほ笑んでみた。陛下と飛び切りの笑顔……以前西郷さんに授かった必勝の策だ。
「わ、わかりました……」
森先生が私に最敬礼した。
「ありがとうございます、森先生。これで私も、陛下にきちんと報告ができましゅ……できます」
つい気が緩んだ私は、うっかり、言葉を噛んでしまった。
(ちょっと、こんな時に、カッコ悪い……)
森軍医中佐も反応出来ないで、じっと私を見ている。……また顔が赤い。
「あの、森先生、大丈夫ですか?お熱があるんじゃないの?」
「あ、い、いや、だ、大丈夫です!」
森軍医中佐が、大きく首を横に振った。……いや、セリフ、私以上に噛んでるから。
「本当に?ほら、おでこを触らせてください。今、風邪が流行っているんだし、熱があるんだったら、帰って休まないと」
「で、ですから増宮さま、本当に大丈夫……」
「とかいって、更に顔が赤いのだけど……ほら、おでこをさっさと触らせなさい!」
私がそう言って、森軍医中佐に飛び付いた時、
「ああ、増宮殿下、……森君もここにいましたか」
ベルツ先生が、研究室に入って来た。手に黒い革カバンを下げている。
「どうしたんですか、ベルツ先生?どこかにお出かけ?」
「はい……実は、三条閣下が体調を崩したと言うので、これから往診に」
「三条さまが?!」
私は森軍医中佐から離れ、ベルツ先生に駆け寄った。
「先生、ちょっと耳を貸して」
小声で言うと、ベルツ先生はカバンを一旦床に置き、私を抱っこした。
「先生、私、もう8歳なのに、この格好はちょっと恥ずかしいです」
「しかし、この体勢は、内密の話がしやすいので…」
「じゃあしょうがないけれど、……三条さん、どんな風に具合が悪いの?」
「流行性感冒にかかられた後、気管支炎を併発したようです。肺炎にもなりかかっている兆候が疑われるので、併診してくれと、他の医師から応援の要請がありまして」
「!」
私は目を瞠った。
「流行性感冒って……インフルエンザよね」
前世でも、毎年のように流行する。確か、大正時代にも大流行があったはずだ。ただ、前世では、インフルエンザウイルスの増殖を抑える薬が、何種類も開発されている。耐性ウイルスの発生には、常に気を配らないといけないけれど、そこまで怖い病気ではない。
けれど、今は明治時代だ。抗インフルエンザ薬なんてないし……。
(気管支炎を併発して、肺炎になりかかってるって……ちょっとヤバくない?)
実は、インフルエンザウイルスの感染だけで、死亡するケースは少ない。問題は、インフルエンザに感染して、体力がなくなったところに、別の細菌やウイルスに感染して、気管支炎や肺炎になることで、そちらの方で死亡する場合があるのだ。
「殿下、あの薬は使ってもよいのでしょうか?」
ベルツ先生が、私の耳元で囁く。
「あの薬?」
「アセチルサリチル酸です。長井先生に合成を依頼しましたが、先日、成功したという連絡をもらいました」
長井先生、というのは、漢方薬の麻黄から、エフェドリンを抽出した薬学博士さんだ。今は、農商務省に所属している。
サリチル酸なら、この時代でも解熱剤として使われているけれど、胃痛の副作用が強い。
でも、それをアセチル化すれば、アセチルサリチル酸……前世でも、解熱剤や、脳梗塞や狭心症の予防薬として、広く使われている薬剤になるのだ。なので、サリチル酸のアセチル化を、ベルツ先生を通じて、去年お願いしていたのだ。
「でも、ベルツ先生。インフルエンザには、アセチルサリチル酸は使えないんです。急性脳症を起こして、重症になることがあるから」
「では、アセトアミノフェンは?長井先生は、そちらも合成しているそうです」
「そっちだったら、大丈夫です。高熱が出て辛かったら、使ってもらえばいいかしら」
こちらも、前世でよく使われる解熱鎮痛剤だ。外国で合成された記録があったということで、特許を日本で買い取ってもらった。医薬品としては、まだ使われていないようで、かなり安値で特許が買えた、と井上さんがちらりと言っていた。
「あと、ベルツ先生、酸素はどうですか?」
「そちらも確か、数日前に試作できたと、山川教授が言っていました。殿下がおっしゃったような、吸入できるような仕組みも整えたと……」
「本当は、抗生物質が欲しい所だけれど……緒方先生はまだ、手が空かないって?」
「今は、マラリア原虫の染色法の開発で、手いっぱいになっているようです。春に向けて準備をするとかで」
緒方正規先生は、帝国大学の衛生学教室の教授だ。ベルツ先生が「マラリアはこの人に頼みましょう」ということで、マラリア原虫の発見を依頼したのが彼だった。だけど、今の日本で、細菌に一番詳しいのは彼なんだよなあ……。抗生物質の開発は、一体いつ依頼できるだろうか?もしかしたら、北里先生が日本に帰ってくるまで待たないといけないかもしれない。
「そうか……あとは、一般的な対症療法で行くしかないですね。ベルツ先生、マスクして、うがいと手洗いは忘れずにね。先生までインフルエンザになってしまったら、どうしようもないから」
「承知しています。では殿下、森君を頼みます」
「頼みます、と言われても、私だけで、森先生を操縦できるかしら?」
「大丈夫です。殿下のおっしゃることなら、森君は絶対に聞きます」
ベルツ先生が断言する。
「はあ……」
森軍医中佐の様子を、恐る恐る伺うと、彼は私の方を、ぼーっと眺めていた。やはり、頬が赤い。
(どう見ても、熱があるようにしか見えないのだけれど……)
「じゃあベルツ先生、三条さんのこと、よろしくお願いします」
「承知しました」
アセトアミノフェンと酸素……。おそらく、“史実”の明治にはない対症療法だ。これで、どこまで三条さんの体力を下支えできるか。
(あとは、祈るしかない、か……)
私は、ため息をついて、瞑目した。
※井上さんの後妻・武子さんが初婚なのか再婚なのか、さまざま説があるようなのですが、再婚説を取りました。というか、大隈さんが、井上さんと武子さん、そして武子さんの元夫の中井弘さんとのドタバタを証言しているからなあ……(出典「大隈侯昔日譚」)
そして、原さんの妻・貞子さんの来歴については、ホームページの『原敬辞典』さんを参照させていただきました。ネタバレ厳禁ですが。
ちなみに、中井さんの「ビール瓶殴打事件」は、どうやら本当にあったことのようです。
原・山縣の歴史上の関係については……諸説あるかと思います。ただ、原さんが暗殺されたときの山縣さんの言葉を考えると、最終的には山縣さんも原さんのことを認めていたんじゃないかと思います。
アセチルサリチル酸、ことアスピリンは、1897年に合成に成功。
アセトアミノフェンは、合成自体には1873年に成功していましたが、広く使われるようになったのは第二次世界大戦後です。




