「ただいま」(2)
8月31日に元山港を出発して日本に向かうはずだった連合艦隊は、台風で海が荒れたため、出航を延期した。今回は、単なる艦隊の移動ではない。海戦で損傷した“敷島”や、戦利艦として得たロシアの戦艦・巡洋艦などを曳航しながらの移動だ。万が一、それらの艦を無理して曳航して、悪天候のために失ってしまっては一大事である。なので、波風がおさまった9月3日に、連合艦隊は元山港を出発した。途中、鎮海湾で低気圧が通過するのを待ち、佐世保に連合艦隊が到着したのは、9月8日の夕方だった。
そして、1904(明治37)年9月8日木曜日午後5時、佐世保港に到着した戦艦“三笠”の上甲板。
「では、今から増宮殿下に令旨をいただく!」
(うひゃあ……)
軍医学校の真っ白い制服を着て、白い制帽を被り、軍刀を腰に差した私は、艦橋側を背にして1人、上甲板に立っていた。私の両サイドには、東郷司令長官以下、連合艦隊の司令部一同が勢ぞろいしている。もちろん私の前には、連合艦隊各艦の艦長さんがずらっと整列し、その後ろには“三笠”の乗員一同が直立不動の姿勢を取っていた。この何百人もの軍人さんの前で、私は今から、とても恥ずかしいことをしなければいけない。
「よいですか、威厳を保ってお読みください」
私の後ろに控えている新島さんが私に囁く。私は腹をくくり、手にした紙を開くと、書かれた文章を大きな声で読み上げ始めた。
「連合艦隊が露国太平洋艦隊の主力を東朝鮮湾で殲滅せることは、偏に大元帥陛下の御稜威と総理大臣の掌理、連合艦隊将卒一同の奮闘によるものなり」
(なんで、“みんなが頑張ったから戦いに勝ったと思います”が、こんな文章になるんだろう……)
自分で清書した文章を音読しながら、私は内心ため息をついていた。これは、先月の終わりに島村参謀長と広瀬少佐と一緒に草稿を作り、秋山大尉が手直しをした文章だ。もちろん、清書した時も、持つ語彙の全てをフル活用して、頭の中でツッコミを入れまくっていたけれど、改めてこうして声に出してみると、文章の非日常感が浮き彫りになってしまう。普段の私なら、こんな文章は絶対に書かない。
「我、連合艦隊の勇敢なる将卒と行住坐臥を共にせしことを、我が一生の栄誉にせんと思う」
(わ、我……こんな一人称、自分の書く文章で使ったことない……)
しかも、“みんなと一緒に過ごせたことを誇りに思います”が、なぜこんな仰々しいフレーズになってしまうのだろうか。文章を校正した秋山大尉の頭の中が、私は更に分からなくなった。
「この赫々たる戦果に安閑とせず、将卒の一層の奮励努力を望む」
令旨はまだ続く。どう見ても上から目線で書かれた文章にぶつかり、私の口の動きが止まりかけた。だけど、まだ文章が残っている。私は内親王として……お父様の実質的な長女として、そして、内閣総理大臣の伊藤さんの指揮に従う軍医学生として、連合艦隊の士気を鼓舞するために、この令旨を読み上げなければならない。ツッコミを入れまくりたい気持ちを、理論武装して必死になだめながら、私は最後の文章を音声に変えた。
「我が身、“日進”から離れるとも、我が魂は常に連合艦隊と共にあり!」
私が口を閉じると同時に、
「うおおおおおっ!」
“三笠”の船体を震わせるような雄たけびが轟いた。それも、1人だけではない。何人も何十人も……恐らく、艦長たちの後ろに立っていた“三笠”の乗員全てが、歓喜の叫びを上げていた。
「殿下は、増宮殿下の魂は、この連合艦隊とともにいらっしゃるのだぁ!」
「そうだ!我々には殿下がついている!」
「増宮殿下、ばんざい!」
「天皇陛下、万歳!」
「総理大臣閣下、ばんざーい!」
(こ、これで任務達成……かな?)
狂奔する数百人の軍人さんを呆然と眺めていると、
「殿下、お顔から覇気が抜けております。しゃっきりなさいませ」
新島さんから小さな声で注意が飛んでくる。私は慌てて、真面目な表情を作り直し、東郷司令長官に歩み寄った。
「東郷閣下、お世話になりました」
右手を上げて肘を張り、しっかりと敬礼をすると、東郷司令長官は答礼を返し、
「令旨をありがとうございました」
と短く言った。
「上村閣下、加藤参謀長、色々と勉強させていただき、ありがとうございました」
「揮毫の件では、ご無理を申し上げてしまい、まことに申し訳ありませんでした」
「ご仁慈に感謝いたします。殿下の揮毫を獲得したのは“八雲”の分隊でしたが、皆、非常に喜んでおりました」
「それは良かったです。頑張った甲斐がありました」
緊張した表情でお礼を言ってくれた上村司令官と加藤参謀長に、私は笑顔で頷いた。
「島村参謀長、広瀬少佐、秋山大尉、お世話になりました」
並んだ3人にこう言って敬礼すると、
「是非、ご宿願を果たされますように。殿下のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」
島村参謀長は答礼した後、私に微笑を向けた。
と、
「ま、増宮殿下っ!令旨をお書きになった紙をいただきたいのですが!」
秋山大尉が横から割り込んできた。
「え?ご自身の所に、草稿があるんじゃないですか?」
私が尋ねると、
「実は……その草稿を紛失してしまいまして」
秋山大尉は、ばつの悪そうな表情になった。
「先ほどの令旨の文は、我ながらなかなかのものに仕上がったと思うのですが、このままでは手元で保存する術が……痛っ!」
「下手な計略はやめろ」
拳骨で秋山大尉の舌の回転を止めたのは、東郷司令長官の副官・広瀬少佐だった。
「単に、殿下の直筆が欲しいだけだろう。……増宮殿下、申し訳ありません。秋山参謀の言うことは忘れてください」
「あ、はい、そうします……」
私は曖昧に頷き返した。本当に、秋山大尉の考えることはよくわからない。せめてその頭脳は、連合艦隊の勝ち戦のために使って欲しいものだ。
「それじゃ、ごきげんよう!」
午後5時30分。“日進”の竹内艦長と鈴木軍医長、そして新島さんとともに“三笠”の艦載艇に乗り込んだ私は、舷側に整列した“三笠”の乗員の皆さんに見送られて“三笠”を退艦し、一路佐世保港の桟橋へと向かったのだった。
「竹内艦長にも、鈴木軍医長にも、本当にこの3か月間お世話になりました。ありがとうございました」
“三笠”の艦載艇の中。私の前に座っている竹内艦長と鈴木軍医長に一礼すると、
「実りある実習になりましたでしょうか?」
竹内艦長がこう尋ねた。
「貴重な経験にはなったと思います」
本当に……本当に貴重な、前世では絶対できない経験になった。出発前には、伊藤さんやお父様に、“万が一戦争になっても、私は戦場から逃げ出すような真似はしたくない。軍医学生として、私以外の人の命を出来る限り救って、絶対生きて帰る”と言っていたけれど、本当に戦争に巻き込まれることになるとは予想していなかった。“医学の実習に行ったら戦争に巻き込まれました”というこの事例が、出来れば日本で最後であることを願うのみである。
「“初瀬”の負傷者の治療も手伝っていただいた上、死傷者の状況も取りまとめていただきまして……感謝の言葉もございません」
「軍医長、ありがとうございます。私、義務を果たしただけなのに……」
負傷者と言っても、沈没しようとする軍艦から脱出できた人たちだから、別の軍艦に引き上げられた後も、問題なく動けるような……例えば、ちょっとした切り傷とか火傷とか、軽傷で済んだ人が多かった。もちろん、夏とは言え、“日進”が救援に駆け付けるまでの3時間ほど、海に浸かっていた人が大半だったので、“日進”に収容した後は、低体温症を防ぐために濡れた服を急いで脱いでもらい、乾いた軍服に着替えてもらった。着替えの時には、身体に爆風や砲弾の破片などによる損傷がないか入念に確認しなければならなかったので、救援の直後はてんてこ舞いだった。
問題は、“初瀬”乗員で亡くなった方だ。引き上げることが出来た遺体の大半は、全身にやけどを負っていたり、心臓や腹部などに大きな損傷を受けていたりした。もっとひどい損傷を受け、身元の確認が大変だった遺体もたくさんあった。……あんなにたくさんの理不尽な死を、いっぺんに見たのは初めてだった。
(それも……日本で最後の事例であって欲しいな。甘いっていうのは、百も承知だけどさ……)
そんなことを考えているうちに、艦載艇は佐世保港の桟橋に近づいていく。6月1日に“日進”に乗り込んで以来、3か月ぶりの陸である。
桟橋がハッキリ見えるようになった時、誰かがそこに立っているのに私は気が付いた。そんなバカな。この大事な時に、……ロシアの情報がたくさん入ってきているであろうこの忙しい時期に、どうして彼がここにいるのだろうか。
「大山さん?!」
艦載艇が桟橋に横付けになると、私は半ば跳ぶようにして桟橋の上に立った。青山御殿での彼の制服である黒いフロックコートを着た大山さんは、私に向かってゆっくりと歩いて来る。どう挨拶したらいいか分からなくなった私は、とっさに軍隊式の敬礼をした。大山さんは足を止め、私に答礼をすると、また私の方に歩いてきた。
「どうなさいましたか……」
訝し気な顔で大山さんが言ったのは、彼が私のすぐそばに立ち止まった時だった。
「い、いや、だって、戦争中だし、……あなた、歩兵大将だから!」
後から思い返すと、答えになっているのかよく分からない言葉を口にすると、
「ですが、青山御殿の別当でございます」
大山さんは真面目な顔で答え、「ですからこうして、お迎えに上がりました」と付け加えた。
「そ、そうだけれど……」
他にもたくさん仕事があるでしょう、と反論しようとした瞬間、大山さんが私の目をのぞき込んだ。優しくて暖かい視線が、私をそっと包み込む。私は反論する気力をなくしてしまった。
「……あなたが来るって、考えてなかったのよ」
私は大山さんの視線から目を外した。「千夏さんか東條さんが迎えに来るだろうって思っていて……」
「そうでしたか」
「……でも、うれしい。あなたが迎えに来てくれて」
私は口元を少しだけ緩めると、大山さんを見つめて、
「ただいま」
と小さな声であいさつした。
大山さんは私の身体を優しく抱き締めると、
「お帰りなさいませ、梨花さま」
耳元でそっと囁き、制帽の上から頭を撫でてくれたのだった。
※私の文章力では、漢文調の文章はこれが限界でした……(白目)




