「ただいま」(1)
1904(明治37)年8月30日火曜日、午後3時。
「はぁぁ?!」
朝鮮・元山港に停泊中の巡洋艦“日進”の艦長室。来客用の椅子に座った私は、眉を思い切りしかめた。
「令旨を出せですって?!」
「はい」
気色ばんだ私に苦笑いを向けたのは、連合艦隊司令部の参謀長である島村速雄大佐だ。彼の他にこの部屋には、“日進”の竹内艦長と新島さん、それから、東朝鮮湾での海戦の後、東郷司令長官の副官になった広瀬武夫少佐がいる。その全員が、私をじっと見つめていた。
「第2艦隊のために、先日、揮毫を書かれたとうかがっておりますが」
穏やかな声で尋ねた島村大佐に、
「はい、……すごく大変でした」
私は正直な感想を伝えた。
私の乗っている“日進”は、16日に元山の攻略が終わった直後、“春日”と一緒に第2戦隊から第1戦隊へと所属が変わった。そして、第2艦隊は、丁汝昌提督が率いる清の艦隊とともに、ロシア太平洋艦隊の本拠地・ウラジオストック港へと出発し、ウラジオストック港にいたロシア巡洋艦“ジキート”を攻撃した後、26日に元山港に戻ってきた。すると、26日の夕方、第2艦隊の上村彦之丞司令官と、加藤友三郎参謀長が、揃って私の所に現れ、
――大変申し訳ないのですが、揮毫を書いていただけないでしょうか。
と、私に頼み込んだのだ。2人とも苦悩の色を顔に浮かべていたので、事情を尋ねてみると、
――実は、“日進”が第1艦隊の所属になった直後から、第2艦隊の士気が大幅に低下致しまして……。
加藤参謀長がため息をつきながらこう答えた。
――その時、“日進”の剣道大会で、増宮殿下の揮毫が商品となったとたん、参加者の士気が上がったという話を聞いたのを思い出して、“一番働きが目覚ましかった分隊に、増宮殿下の揮毫をいただけるよう交渉する”と、上村閣下が布告を出したところ、ようやく士気が元に戻りました。
――約束は果たさねばならん。殿下には大変、大変申し訳ないのだが、揮毫を書いていただきたく……。
――上村閣下!軍医学生に、艦隊の司令官が土下座しないでください!
土下座した上村司令官を私は全力で止めた。私は皇族ではあるけれど、軍隊の序列から言ったら、上村司令官の方が階級は遥かに上なのだ。
――で、一番働きが目覚ましかった分隊って、何人所属していますか?一気に全員分は書けないので、お時間を頂戴することになりますけれど……。
――全員の分を書いていただけるのですか?!
「……それで、分隊、25人全員に贈る揮毫を書き終えたのが昨日の夜です。筆を使うのは久しぶりだったので、本当に疲れました」
私がそう言って両肩を落とすと、
「しかし、全部同じご揮毫だったではないですか」
新島さんが内実をみんなにバラしてしまった。「もう少し、変化をつけてもよろしかったのではないかと思います」
「いいじゃないですか。私の座右の銘ですから」
私は新島さんに言い返した。もちろん揮毫したのは、「上医医国 中医医人 下医医病」である。軍人さんにあげるものなので、もっと勇ましい言葉の方がいいのかなとも思ったのだけれど、揮毫にふさわしい言葉が思いつかなかったのだ。流石に、日本海海戦が起こっていないのに、「皇国の興廃此の一戦にあり」なんて、揮毫するわけにもいかないし……。
「それはお疲れ様でございました」
広瀬少佐が厳めしい顔を緩めた。「しかし、その勢いをもって、令旨をいただけると、我々としては非常にありがたいわけでして」
「はぁ……でも、広瀬少佐、私がみだりに令旨を出してしまうと、よくない場合もあります。今まで何度か令旨を出したこともありますけれど、全部大山閣下に確認した上で出したものです。文面も、全部大山閣下と相談して決めています。令旨を出そうと思って、大山閣下に止められたことも何度かありました」
私は今、かなり疲れている。現在、この“日進”では、先日の海戦で沈没した戦艦“初瀬”に乗っていた負傷者の治療に当たっている。なので、診療の業務量は増えた。
更に、その合間に、“初瀬”乗員の被害についてデータを取りまとめているのだ。生き残った乗員の“初瀬”での持ち場や負傷の程度、そして沈没までに“初瀬”が被った損傷の場所……それらに何らかの傾向があれば、“初瀬”という船の弱点が分かるかもしれない。それが分かれば、今後の戦艦の設計に生かせる可能性もある。そう考えて始めたけれど、データを綺麗に可視化するのにかなり苦労していた。そんな最中だから、令旨を出すなどという面倒なことはしたくない。なので、逃げを打とうと、こう屁理屈をこねてみたのだけれど、
「それはご心配なく」
島村大佐が、私の屁理屈を笑顔で壊し始めた。
「本省には、“士気を上げるためにも、是非令旨を出していただけ”という回答を得ました。青山御殿にも問い合わせたところ、大山閣下も同意されました」
(あう……)
真正面から、完璧な反論がぶつけられてしまった。けれど、どこかに逃げ道はないだろうか。島村大佐の言葉を頭の中で繰り返してから、
「あの……“士気を上げるため”っていうことは、そういう文章を書かないといけないんですよね?私、事実に基づいた文章を書くのは得意ですけれど、そういう類の文章を書くのは、ちょっと苦手で……」
もし、東京にいるならば、文章を書くのが得意な千夏さんに助けを求めている場面である。その点を指摘してみると、
「大丈夫です。秋山大尉に手直しをさせますから。先だっての伊藤閣下への電報も、上手くやったでしょう?」
島村大佐はやはり笑顔のまま、私の逃げ道を完全に封じた。
「ええ、まぁ、確かにそうでしたけど……」
7月はじめに自在丸事件が起こった直後、島村大佐に“伊藤閣下に、何か伝えることはありますか?”と聞かれたので、
――ええと……私を気にしすぎて、国家としての戦略を誤らないでくださいって伝えてください。
とお願いした。数日後、実際に国軍省に発信した電報の文面を見せてもらったら、
――汝、我が身を案ずる余り、国家の大略を誤るなかれ。
……中二病めいた文章になっていたのだ。いや、確かに、意味は合っているし、漢文が得意な兄に同じことをやらせたら、同じ文章が出来てくるのだろうけれど……。
「中二病にまみれた文章を書かないといけないのか……」
うつむいてブツブツ言っていると、
「あの、殿下?“ちゅうにびょう”とは一体なんでしょうか?」
竹内艦長が真顔で私に質問してきた。
「13、4歳で発症して、人によってはこじらせて難治性になることがありますけれど……あの、それより島村参謀長、やっぱり私、令旨を書かないといけませんか?」
最後の悪あがきで、島村参謀長に尋ねてみると、
「ええ。お手伝いは我々が致しますから、殿下」
彼はやはり笑顔でこう答えた。
(うう……やっぱダメか……)
断りたくて断りたくてしょうがない。けれど、私の後ろに控えている新島さんの気配が、心なしか剣呑なものになっているような気がする。私が“断ります”と言った瞬間、新島さんからの教育的指導が飛んでくるのは確実だ。
「分かりました……。だけど、本当に、何を書いたらいいんでしょうか。士気を上げるような、人を励ますような文章って……」
私はため息をついた。「普通に、“これからも頑張ってください”じゃダメでしょうか?」
すると、
「もちろん、それも必要ですが、もう一押し、将兵を励ますような文章がいただければと思います」
広瀬少佐が言った。
「も、もう一押しですか?」
(“お大事にしてください”じゃダメだよな……)
適切な文章が全く思いつかない。考え込んだ私に、
「では、増宮殿下に聞きましょう」
島村参謀長が質問を投げた。
「は、はい」
背筋を伸ばして返事をすると、
「そう固くならずに」
島村参謀長は苦笑して、
「増宮殿下は、人間はどのような時に強くなると思われますか?」
と私に尋ねた。
「強くなる時……ですか?」
想像がつかない。余りにも手掛かりが無さ過ぎて、思考が完全に止まってしまった私に、
「様々な意見があると思いますが、人は何かしら、心によりどころを見つけることが出来れば強くなる……私はこのように考えています」
と、優しい口調で話し始めた。
「誰かを守りたい。己の信念を貫きたい。己の力を、技量を高めたい……。なんでもよいのです。何かしら心に一つ、確固たるものを得ることが出来れば、人は強くなれる。そう私は思うのです」
「何かしら、心に一つ、確固たるもの……よりどころになるもの……」
おうむ返しのように呟いた私に、
「そして、今の連合艦隊の場合、それは増宮殿下になっております」
島村参謀長は厳かな声で告げた。
「はぁ?!」
私は思わず、眉を思い切りしかめた。「そこ、お父様や、総理大臣の伊藤閣下になるところですよね?!軍人勅諭にも、“朕と総理大臣とは水魚の如し。汝ら軍人は朕と総理の意を受け、よく国に尽くすべし”ってありますよね?」
私が引用した軍人勅諭の一節は、憲法が制定されたときに手直しされた部分だ。今の時の流れでは、天皇に統帥権があり、天皇が総理大臣に軍隊の指揮権を委譲している。それを受けて書かれた文章である。だから、軍人たるもの、お父様と、現在の総理大臣の伊藤さんに忠義を尽くさなければならないのだけれど……。
「もちろんそうです」
島村参謀長は私に向かって頷いた。「しかし、連合艦隊所属の将兵のうち、天皇陛下、もしくは伊藤閣下と同じ時間、同じ空間を共有したという経験を持つ者はごくわずかです。畏れ多いことですが、彼らは、増宮殿下を通じて、その御父上であらせられる天皇陛下と、増宮殿下の輔導主任を長年務めてこられた伊藤閣下の存在を感じております。そして、増宮殿下のご存在を通じて、天皇陛下と伊藤閣下に忠誠を誓っているのです」
島村参謀長の穏やかな口調には、次第に熱がこもっていった。その熱と、整然とした理論とが、私に反論の隙を与えなかった。
「それは、増宮殿下が、実習の3か月間、この連合艦隊で将兵と苦楽を共にされたからです。高貴な御身であらせられるのにも関わらず、医師として病者の治療に当たり、辛い載炭の作業も進んでおやりになる。先の海戦で、いよいよ敵の砲弾が飛んで来ようかという時も、“軍医学生としての義務を果たさなければならない”とおっしゃって、なかなか司令塔に動かれようとはしなかった。将兵たちは、そんな殿下を尊敬し、親しみを感じているからこそ、天皇陛下と総理大臣のために働こうと士気を奮い立たせられるのです」
「……」
「そんな方が連合艦隊を離れてしまえば、士気の低下は避けられません。しかし、増宮殿下は軍医実習生です。いつまでもこの艦隊に縛り付けておくことはできません」
「その通りですね……」
私はようやく、こう言うことが出来た。「私は国を医す上医になって、兄とお父様を、全力で助けて守りたいと思っています。だから、申し訳ないですけれど、連合艦隊とずっと一緒にいる訳にはいきません。もちろん、連合艦隊が武運に恵まれることは、ずっと祈りますけれど……」
と、
「つまりそれは、殿下の思いは、この連合艦隊と共にあるということでしょうか」
広瀬少佐が私にこう確認した。
「ああ……まぁ、そうなりますかね」
首を縦に振ると、
「それです」
広瀬少佐がニコッと笑った。
「へ?」
「そのことを令旨にお書きください。そうすれば将兵ともに、常に増宮殿下のご存在を感じることができます。万が一、バルト海や黒海にいるロシアの軍艦が、日本海での制海権を取り戻すために回航されてきても、士気が高いまま戦うことができます。士気の高さは、砲弾の命中率や艦隊運動の精密さに、そのまま直結してしまいますから、殿下の令旨は非常に重要です」
そう言いながら、広瀬少佐は机の上に罫紙と鉛筆を出した。
「では、早速草稿を作りましょうか」
「ひ、広瀬少佐?!今からですか?!」
「鉄は熱いうちに打てとも言いますし。さぁ、殿下」
私の質問を完全に無視しながら、広瀬少佐は鉛筆と罫紙を私の方に押し出す。その様子を見守る竹内艦長も島村参謀長も、満面の笑みで私を見つめている。そして新島さんは、
「殿下、まさか、上官である参謀長の命令に従えないとおっしゃるのではないでしょうね?」
……不気味な微笑みを顔に浮かべながら、私を見据えていた。彼女の身体から殺気が放たれているのは、気のせいだろうか?……気のせいだと思いたいのだけれど。
「そ、そんなことはありませんよ、はい……」
覚悟を決めた私は、右手で鉛筆を持った。
※分隊の人数は適当に設定しています。ご了承ください。




