東朝鮮湾海戦(3)
1904(明治37)年8月14日日曜日午前6時28分、東朝鮮湾の巡洋艦“日進”の司令塔。
敵戦艦“ペレスウェート”の衝角攻撃に備えていた私の耳に、
「ドゴォン」
という、大きな鈍い音が届いた。艦は揺れていないから、この“日進”が敵の砲撃を食らった、という訳ではなさそうだ。けれど、海の底から響くような、低い、大きな音だった。
と、
「おや?」
竹内艦長が、首をひねった。「おかしい。敵が取り舵を切っている。それでは、我が艦から遠ざかってしまうのだが……」
「いや、“おかしい”って……こっちにとってはいいことですよね?!」
私は思わず、竹内艦長にツッコミを入れてしまった。
「もちろんです、殿下。ですが、衝角攻撃ならば、今の角度なら真っ直ぐに進んでくるのが常道。それをなぜ、ここで取り舵を切るのか……」
竹内艦長が真面目に返してくれている最中、
「か、艦長!」
伝声管に取りついていた参謀さんが、裏返った声で叫んだ。
「“ペレスウェート”の後部が爆発しました!魚雷攻撃が命中した模様!」
「何?!魚雷は発射命令を下していないが……どの艦が発射したのだ?!」
叫ぶように確認した艦長に、
「3駆です!到着した3駆と5駆が魚雷を発射しました!3駆先頭の“迅雷”の発射した魚雷が命中したようです!」
参謀さんも大声で答える。
「!」
そういえば、昨日の夜襲に失敗した第3駆逐隊と第5駆逐隊は、午前6時半ごろにこのあたりに到着すると艦長が言っていた。どうやら、それが時間通りに来たようだ。
「あれ?第3駆逐隊の旗艦って、“薄雲”じゃありませんでしたっけ?」
私が確認すると、
「その通りです。恐らく、艦隊運動の都合で、先頭が入れ替わったのでしょう」
竹内艦長がこう教えてくれた。
「というか、この日中に、魚雷って当たるんですか?」
この時代の魚雷の射程距離は短い。確実に当てるためには、目標にうんと近づいて……それこそ、1000mも離れていない所から発射することが勧められる。また、うまく発射できたとしても、魚雷の航跡……走った跡が見えてしまうので、日中は避けられてしまいやすいのだ。だから魚雷を発射するなら、夜間、敵にうんと近づいてからが原則だと、軍医学校の授業で斎藤さんに聞いたのだけれど。
「恐らく、この艦へ衝突することに集中していて、見張りを怠ったのでしょう」
推測を交えつつ、竹内艦長が回答する。「ぶつけられる方もですが、衝角をぶつける方にも、衝角攻撃は相当な衝撃を与えます。衝突に備えて、動かないものに掴まるようにという指示も出されます。ですから、どうしても周囲への警戒はおろそかになりがちです。“迅雷”は、そのスキをうまく突けたのではないでしょうか」
艦長はそう言うと、
「しかし、殿下への迷惑料として日本にやって来た“迅雷”が、殿下の窮地を救うとは、何か因縁めいたものを感じますね」
と微笑した。
「あ、あはは……そ、そうですね……」
私は愛想笑いしようと努力したけれど、唇の両端がどうしても引きつってしまい、うまくいかなかった。数年前、イタリアのトリノ伯とアブルッツィ公が、私と武芸をするか、山城のある山に登るかを巡って決闘騒ぎを起こした。その騒ぎを引き起こしてしまった迷惑料として、国王・ウンベルト一世陛下が日本に譲渡した駆逐艦が“迅雷”なのだけれど、まさかここで、また因縁ができてしまうとは思わなかった。
「とにかく、我々は助かったようです。“ペレスウェート”が、どんどん離れて行きます」
艦長がそう言いながら、右前方を指さした。彼の指し示す先で、“ペレスウェート”は反時計回りの航路を取って進み続けている。このままだと、大破しているロシアの戦艦にぶつかってしまいそうだ。しかし、進路を変える気配がないまま、“ペレスウェート”は全速力で、戦艦にどんどん近づいていく。どうやら、先程の魚雷攻撃で、舵をまたやられてしまったらしい。
「あ゛」
午前6時33分。“日進”に衝角攻撃を仕掛けようとした戦艦“ペレスウェート”は、大破したロシアのペトロパブロフスク級戦艦の横腹に、その衝角を突き刺した。大きな音がした10数秒後、衝角を食らった戦艦が爆発を起こす。それに火薬が誘爆したのか、“ペレスウェート”でも爆発が立て続けに起こり、戦艦2隻は燃え上がりながら、波間にゆっくりと消えていった。
「やっぱり、衝角って危ないんですね……」
「はい、とても危ない代物です。今のように乱戦に近くなってしまうと、余計に危ないです」
明らかにほっとしたような表情で艦長は答えると、「さて、速度を落としましょう。我が艦だけが戦列から突出してしまっています。少しずつ調整しながら、“磐手”の後ろに付いて、第2戦隊の戦列に復帰します」と言った。
この時点で、“日進”と敵の巡洋艦の先頭“リューリク”とは、4000mほどの距離があった。もちろん、“日進”も“リューリク”も、お互いの砲の射程圏内に入っているけれど、大破した“リューリク”は発砲してこない。その後ろの“ロシア”ともう1隻の巡洋艦も、艦上構造物が滅茶苦茶に壊されていて、こちらに発砲する気配はなかった。残っている4隻の巡洋艦は、“日進”よりも、残された2隻の戦艦に止めを刺そうとしている第3駆逐隊と第5駆逐隊を排除することにしたらしく、“日進”に砲を向けていなかった。本当は、駆逐艦や水雷艇を排除するのは、同じような艦、つまり、駆逐艦と水雷艇の仕事だと思うけれど、ロシア側の駆逐艦・水雷艇は、第1艦隊所属の駆逐隊と乱戦になっているようだ。その戦況がどうなっているのか、ここからはよく見えなかった。
そんな間にも、第1戦隊・第2戦隊から、ロシア巡洋艦隊への猛攻撃は続いた。当然、“日進”も砲撃を続行する。4隻残っている巡洋艦のうち、前の2隻が炎上する。船足が遅くなった。
「竹内艦長、何か、ロシア側の攻撃、ちぐはぐな感じがします……」
竹内艦長に尋ねると、
「ご指摘の通りです。恐らく、旗艦を失い、命令系統に混乱を来しているのでしょう。目標が定まっていない感もあります」
艦長はこう答えてくれた。
「ですが、繰り返しになりますが、こういう時こそ油断は禁物です。乱戦になりつつありますから、先ほどのように、いつの間にか近い位置にいた艦に、衝角攻撃を食らう可能性もあります。気を付けて参りましょう」
「はい、艦長」
厳しい声で付け加えた竹内艦長に、私は敬礼した。
とはいえ、素人目に見ても、海戦の決着はつきつつある。4隻残っていた巡洋艦のうち、炎上している前の2隻は発砲を止めた。最後尾の1隻も炎上している。そして、後ろから2番目、無傷だった5本煙突の艦――恐らく、“アスコリド”だと思うけれど――の動きが、突然ゆっくりになった。
「あれは……白旗です!“アスコリド”が白旗を上げ、機関を停止しました!」
“日進”が“磐手”の後ろに付き、艦隊の列に復帰した時、双眼鏡を覗いていた参謀さんが声を上げた。
「白旗を上げて、機関を停止したということは、もちろん、降伏するということですよね?」
「はい、そうです。……どうやらこれで、決着がついたようです」
竹内艦長はそう言うと、息を大きく吐いた。
もちろん、日本側も無傷ではない。第2戦隊はほとんど無傷だけど、第1戦隊の旗艦“三笠”は、煙突以外の所から煙が上がっている。それに、第1戦隊の最後尾にいた“初瀬”の姿が見えない。大きな損傷を受けて列から外れたか、沈没したか……どちらかだろう。それに“敷島”も、沈没はしていないけれど、煙突ではないところから煙をあげ、攻撃を停止している。ただ、敵の戦艦5隻と巡洋艦7隻は、全て無力化することに成功した。
こうして、極東戦争の最初の海戦“東朝鮮湾海戦”で、連合艦隊は、ロシア太平洋艦隊の目的を阻止することに成功したのだった。
※図の縮尺やら距離やら、色々合っていませんが、どうぞこれでご容赦のほどを……。




