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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第37章 1904(明治37)年大暑~1904(明治37)年白露
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東朝鮮湾海戦(2)

「やっぱり、すごい音ですね……」

 “日進”の司令塔は、艦首の連装砲のすぐ近くにある。連装砲発射の大きな音に、私は思わず身体を後ろに引いてしまった。この近さで主砲を撃つところに立ち会ったのは初めてだ。

 すると、

「普段は内膅砲(ないとうほう)射撃の訓練が多いですからね」

竹内(たけのうち)艦長がこう答えてくれた。

「そうですね。全部実弾訓練だったら、松方閣下が倒れちゃいますもんね」

 私がこう返すと、司令塔内にいる参謀さんや新島さんがクスクス笑った。

 大砲は、大きな弾を発射できるものほど、一発撃つコストが高くなる。“三笠”などの戦艦に備え付けてある30.5cm砲だと、一発発射するとコストが1000円ほどかかるのだ。この時代の1000円なので、私の時代だと約2000万円になるだろうか。こんなもの、訓練でも際限なく撃っていたら、国家財政は破綻へまっしぐらである。けれど、レーダー射撃なんてことが出来ないこの時代、射撃の精度を上げるには、絶え間ない訓練が必須になる。

 そこで、内膅砲射撃の出番になる。まず、小銃を大砲の砲身の中に入れる。照準は大砲を操作して合わせるけど、標的には小銃の弾を発射する。こうすれば、大砲の弾は発射しなくていいので、コストダウンが図れる上、大砲の操作や照準の合わせ方の訓練はきちんとできる。もちろん、たまには実弾を使った射撃演習もするけれど、対馬や鎮海湾では、この内膅砲射撃訓練がずっと続いていた。

 第2艦隊は、進む方向をだんだん北寄りに変えている。恐らく、先ほど“出雲”から指令があったように、敵艦隊の先頭の進路をふさぐように進んでいるのだろう。今どのくらいの速度なのかを尋ねたら、「現在は17ノット、敵艦隊は14ノット程度」と参謀さんが教えてくれた。“日進”の主砲が狙いを付けている“レトヴィザン”は、“日進”ではなく、第1艦隊の方に狙いを定めているようだ。と、“レトヴィザン”から黒煙が上がった。その隙間から炎の色も見える。

「敵艦に確実に損害を与えています。我が艦だけではなく、“八雲”と“磐手”も狙っていたようですからな。畳みかけましょう」

 竹内艦長が双眼鏡を覗きながら、私に説明してくれる。

「副砲はいかが致しますか。敵駆逐隊が、我が駆逐隊に向かっていき、乱戦の様相ですが」

 参謀さんが艦長に尋ねると、

「乱戦だと援護のしようがない。“レトヴィザン”との距離も8500mになったから、副砲でも狙える範囲だ。射撃可能な砲は全て“レトヴィザン”に向けよ」

彼は力強く命じた。


挿絵(By みてみん)


「“三笠”より入電!敵旗艦“ペレスウェート”、戦列から北方向に離脱!砲撃により舵を故障した模様!ペトロパブロフスク級戦艦が先頭に代わりました!」

 走ってきた伝令さんがこう叫んだのは、戦闘が開始されて20分ほど経った頃のことだ。司令塔内に小さく歓声が上がったけれど、

「舵をやられただけではまだ分からん。確かに、敵の速度は遅くなっているが、油断は禁物だ。とにかく、敵を叩かなければ」

竹内艦長が前方を睨み付けながら言ったので、その場が静まり返った。確かに、彼の言う通りだ。

「本当は戦隊の先頭を叩きたいが、距離があり過ぎる。“レトヴィザン”を狙い続けろ」

 そう艦長が言った瞬間に、また伝令さんがやってきて、「“初瀬”が大破して、列を落伍しました!」と報告した。やはり、敵も簡単には倒されてくれないようだ。と、大音響が北の方角から轟いた。司令塔の窓をそっと覗くと、“レトヴィザン”から物凄い量の黒煙が天に立ち昇っていた。

「これは……敵の機関にでも命中したか」

「敵も砲撃をやめている。搭載艇を下ろし始めました」

 参謀さんたちが双眼鏡を覗き込みながら報告してくれる。搭載艇を下ろした……ということは、その軍艦からの脱出を考えている、ということだ。どうやら、“レトヴィザン”は行動不能に追い込めたようである。

「目標を、“レトヴィザン”の前にいるペトロパブロフスク級戦艦に変更せよ!」

 竹内艦長が命じた時には、そのペトロパブロフスク級戦艦も、他の日本艦からの砲撃を食らい、炎上し始めていた。

 そして、午前6時15分。


挿絵(By みてみん)


「敵の脚が止まってきている感じがします。第1艦隊は、完全に敵の前途を扼しているのではないでしょうか」

 双眼鏡を覗きながら、竹内艦長は言った。既に、3隻残っていた戦艦のうち2隻は炎上して、ほとんど発砲していない。残った1隻に、第2戦隊が砲火を集中させている。その北側に、舵を壊して漂っている“ペレスウェート”、更に巡洋艦隊がいる。巡洋艦隊の先頭の一隻――あの3本マストに2本の煙突は、恐らく“リューリク”だと思うけれど――には、第1艦隊の攻撃が集中したらしく、大破して炎上していた。

 ところが、巡洋艦隊は、ほとんどこちらに攻撃してこない。“リューリク”の代わりに先頭になった4本煙突の“ロシア”は、主砲を第1艦隊に向かって撃っていて、三笠の艦尾の方から黒煙が上がっている。けれど、残りの艦の火砲は、完全に沈黙していた。今なら、味方の戦艦越しではあるけれど、第2艦隊を狙える絶好の位置にいるのに、である。

(なんか妙だなぁ……)

 そう思っていると、ロシア側の残った1隻の戦艦にも火の手が上がり、次の瞬間、轟音と共に爆発した。火薬庫に火が入ってしまったらしい。爆発の勢いで、船体がバランスを崩し、ゆっくりと海面に横倒しになっていく。海面にマストが叩きつけられたのが、はっきりと見えた。

「沈没する……っ!」

 渦を残しながら、ロシア戦艦の船体は海面に飲み込まれて行く。あの戦艦に乗っていた水兵さんたちは、みんな脱出できたのだろうか。中に、取り残されている人がいるのではないだろうか。司令塔の窓に歩み寄ろうとした私は、足を止めた。新島さんに、右手を強く引っ張られたのだ。

「殿下、お気持ちは分かりますが、救助は後です」

「新島さん……」

「まだ、(いくさ)は終わっておりませぬ。これで戦を止めてしまっては、殿下が守りたいと思うお方も守り抜けませぬぞ」

「っ!」

 新島さんの厳しい声に、私は唇をかみしめた。そうだ。ここにいるロシアの戦艦と巡洋艦を、全て行動不能にしなければ、日本海の制海権は確保できないのだ。制海権が確保できなければ、日本海における物資輸送に影響を及ぼし、日本の国力低下につながり、戦争の勝ちが遠のく結果になる。それでは、兄も、お父様(おもうさま)も守れない。

(甘いな、私は……)

「ここで静かに、(いくさ)の全てを見届けなさいませ、殿下。それが、殿下に課せられた義務でございます」

 うつむいた私の頭に、新島さんの声が降ってくる。その声に、大山さんの声の響きが重なった気がした。

「……わかりました」

 私は姿勢を正した。

 北側には、全く沈黙している戦艦“ペレスウェート”がいる。第1艦隊の砲撃を受けたのか、船体のところどころから煙が上がっている。その後ろにロシアの巡洋艦隊が見える。距離は最初に会敵した時より、かなり縮まっているようだ。巡洋艦隊の先頭、“ロシア”は艦尾から火を噴いており、その後ろの巡洋艦にも、日本艦隊の攻撃が当たっているようだった。

「“ペレスウェート”との距離が3000mもないな。奴に止めを刺す。目標を“ペレスウェート”に変更する」

 竹内艦長がそう言ったとたん、今までこちらに船腹を向けていた“ペレスウェート”が、ゆっくりと回り始めた。甲板を燃やしながらも、艦首が“日進”の船腹の方向に向けられる。そして、そのままこちらに向かって真っすぐ動き始めた。

「“ペレスウェート”が、こちらに向かって突進し始めました!」

 伝声管に取りついていた参謀さんが叫んだ。「距離2000m!突っ込んできます!」

(は?!)

「奴ら、舵が直ったのか!」

 顔を引きつらせながら竹内艦長が叫んだ。「衝角攻撃などやらせるか!かわすぞ!北西に転針!速度20ノット!」

 20ノットは、この“日進”の最高速度である。メートル法に直すと、時速約37km。速度を出している相手と衝突したら、被害は免れないだろう。緊迫する雰囲気の司令塔の中で、

移乗攻撃(アボルダージュ)か。望むところ。乗り込んできた者ども、全て血祭りにあげてやろう」

1人新島さんだけが、こんなことを言いながら、悠然と構えている。

「いや、新島さん、そんなことやれる場合じゃないかもしれないですよ?向かってくる敵と、真正面でぶつかった時の運動エネルギーが、ええと……」

 とっさに計算しようとするけれど、彼我のトン数やらベクトルの方向やら、検討する事項が多すぎる。せめて紙と鉛筆がこの場にあれば、状況を整理できるけれど……。

(いや、とりあえずまず、自分の身の安全を確保して、皆の身の安全を確保する方が先で、ええと……)

「“ペレスウェート”との距離、1500m!」

 混乱する私の思考を、参謀さんの叫びが切り裂いていく。司令塔の窓の隙間からは、甲板上を燃やしながらこちらに向かって突っ込んでくる戦艦“ペレスウェート”の姿が、ハッキリと見えた。

「距離1000mっ!」

(と、とにかく、みんなで助からないと!)

 目を閉じてしまったら、状況が分からなくなってしまう。必死に目を見開く私の耳に、大きな鈍い音が届いた。


挿絵(By みてみん)

※内膅砲は内筒砲とも書く資料もありました(『日露戦役海軍写真朝日の光』(博文館)より)が、アジ歴の日露戦役参加者史談会記録(レファレンスコードC09050719500、C09050720400)を読むと、内膅砲になっていたので、こちらを採用しました。コストに関しては『日露戦役海軍写真朝日の光』の説明を参考にしています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] ロシアの戦略目標は明確ですね。 艦隊を擦り潰しても増宮殿下を拉致出来れば戦略的勝利。 日本艦隊は逆に艦隊全てが無事であっても増宮殿下を護れなければ戦略的敗北。…
[一言] ラー・チャターが盾になってくれています みたいに、前後の艦がフォローに入ってたりして
[気になる点] 図と描写からすると、ペレスウェートはほぼ停止状態から動き始めたのですよね。 とすると、速度が乗るまで時間が結構かかりますし、それまで舵もほぼ効かない状態となります。 ネットで調べたと…
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