閑話 1890(明治23)年大雪:桂中将の憂鬱
さて、このお話では初の、三人称視点です。
彼の名古屋赴任は、史実より早いですが……。
※濃尾地震で倒壊した多聞櫓の位置に自信が無くなってきたので、一部修正しました。(2018年12月4日追記)
1890(明治23)年、12月。
国軍合同を機に制定された、国軍の軍管区制では、道府県を“軍管区”という、いくつかのグループに分けていた。静岡県・愛知県・三重県・岐阜県は一括して“第三軍管区”と呼ばれており、それを統括する司令部が名古屋城のそばに置かれていた。
その第三軍管区の司令官、桂太郎歩兵中将は、司令官室で、東京から届いた奇妙な命令書に頭を抱えていた。
「“城の写真を撮影しろ”とは、これ如何に……」
しかも、遠景の写真を、ただ撮影するだけではない。名古屋城に現存している、全ての建築物の遠景、そしてその内部構造や調度類、障壁画や襖絵まで撮影して写真帳に整理し、その写真帳を5部、東京に送ること……命令書にはこう書かれていた。
(引っ越しをしなければいけない時に、また面倒な)
名古屋城の本丸御殿や天守を使っていた、第三管区司令部指揮下の歩兵・砲兵部隊は、今年末を期限に名古屋城から移転する。名古屋城の本丸を、離宮とすることが決定したためだ。慌ただしい最中、膨大な量の写真を撮影し、それを焼き増しして整理するのは、かなり手間がかかる仕事になりそうだった。
しかし、命令には従わなければならない。それが軍人だ。
しかも、その命令書には、なぜか西郷国軍大臣のみならず、黒田総理大臣、山縣内務大臣、大山東宮武官長の名前まで連署されていた。異例中の異例である。
(大山閣下まで……)
大山巌東宮武官長は、桂中将が陸軍次官として勤めていた時、陸軍大臣であった。彼の下で、桂中将は大過なく職務をこなしていた。
ところが2年前の夏、突如として、陸軍と海軍を合同させ、新しく“国軍”として一体化させる、という構想が持ち上がった。皆、仰天したのだが、大山陸軍大臣も西郷海軍大臣も賛成、更に、陸軍に多大な影響力を持っている山縣内務大臣も賛成したということで、陸海軍ともに反対する者はいなくなり、急ピッチで統合作業が進んだ。
桂中将も、もちろんその作業に奔走した。彼が陸軍内や海軍の各部署を調整して回ったおかげで、国軍合同が無事成ったと言っても、過言ではない。だが、桂中将自身は、憲法発布と同時に新しい国軍が発足すると、自ら進んで第三軍管区司令官になった。新しい軍の形に、現場に出て慣れておきたい、という思いもあったし、この組織を洗練された形へと改革していくのは、自分よりも、海軍出身の山本権兵衛の方が適しているだろうと考えたのだ。
(しかし、大山閣下はなぜ、東宮武官長にも……)
大山を花御殿付きの武官長とする、という人事が発表された時、国軍全体に衝撃が走った。降格人事だという声は、陸軍出身者から激しく上がったが、
――俺が志願したのだ。かように騒ぐでない。
と、当の大山本人が一喝したので、騒ぎはすぐに収まった。そして、皇太子殿下の住まわれる花御殿に、彼は黙々と出勤し、勤めを果たしているという。
(まあ、大山閣下が良い上司であることは、今も変わらぬが……)
桂中将が、ふっと微笑を漏らしたその時、
「司令官、東京から、児玉参謀本部長がお越しです」
従兵が、部屋の外から声を掛けた。
「源太郎が?」
そう言えば、出張で名古屋に来るという手紙が来ていた。
通してくれ、と声を掛けると、すぐにドアが開いて、
「やあ、しばらくでした、桂さん」
愛嬌のある顔の、小柄な男が姿を現した。国軍の参謀本部長を務める、児玉源太郎歩兵少将だ。
「おう。元気そうだな」
「桂さんこそ」
互いに一通り久闊を叙すと、人払いをして、桂中将と児玉少将は、椅子に掛けた。
「で、参謀本部長がわざわざ出張とは、一体どうしたんだ?」
桂中将が尋ねると、
「いや、各地の軍管区の状況を、一通り視察しておこうと思っただけですよ」
児玉少将はニヤリと笑った。「陸海一体の作戦、演習というものが、どの程度浸透しているかをね」
(なるほどな)
陸軍出身者にしろ、海軍出身者にしろ、国軍が合同したとはいえ、陸のことだけ、海のことだけしか考えられない者はまだまだ多い。
「で、お前さんのことだ。我が管区の様子を、ある程度は見てきたのだろう」
「ご明察。流石桂さんだ。上陸戦演習を、あそこまで見事にこなせる軍は、そうそうありませんな」
「……相変わらず行動が速いな。声を掛けてくれれば、案内したものを」
昨日、渥美半島で上陸戦演習をしたが、おそらくそれを見てきたのだろう。
「戦は陸軍だけでも、海軍だけでも勝てぬ。両方を連携して動かさなければならない。国軍合同までは、どうしても陸と海を、別々に考えざるを得なかったが、今は同時に考えられる。艦隊戦術は、島村に教えを乞うておりますが……いやいや、やはり視野が開けますな。面白くてゾクゾクします」
児玉少将は嬉しそうに笑みをこぼす。あまた人材のいる国軍とはいえ、総合的な作戦を考えさせたら、やはりこの男が一番である。
「お前さんの考えについていくのも、なかなか大変だな」
「ついてきてもらわなければ困りますがね。……ところで桂さん、その命令書は?」
「ああ、これか……。妙な命令でな。見るか?」
桂中将は、手に持った命令書を、児玉少将に見せた。
「ははあ、例のご命令ですか」
内容を確認した児玉少将が、こう言って頷く。
「……何か知っているのか、源太郎」
「命令書を出す、と言っていた頃に、東京を発ってしまったから、その後のことは知らないのですが……。その命令、あの方が絡んでいまして」
「!」
桂中将の表情が強張った。
「まさか……」
「これは、業務上知ってしまったことなので、俺と権兵衛以外には、内密にしてほしいのですが」
「おう、無論だとも」
桂中将が頷いたのを確認して、児玉少将は話し始めた。
「その命令書が出る、という話があった前々日に、西郷閣下と黒田閣下、山縣閣下が連れ立って、花御殿に参上しています。おそらくそこで、何かがあったのかと」
「増宮殿下に……何かを言われた、と?」
「としか、思えませんな」
児玉少将の答えに、桂中将は右手で顎を撫でた。
増宮章子内親王殿下。天皇陛下の第四皇女だが、姉宮の相次ぐ夭折により、実質的には長女である。彼女は今、兄の皇太子殿下と花御殿で同居していた。まだ満7歳であるが、その英明なご性質は、皇太子殿下にも劣らぬと評判である。
「しかし……7歳の内親王殿下が、城の写真を欲しがるだろうか?しかも、こんな大量に?」
「あの内親王殿下なら、ありえるか、と。確か先日、山縣閣下が、萩城の模型を内親王殿下に献上されたとか……それに、恒久王殿下との一件もありますし」
戦ごっこで、彼女が提案した作戦により、恒久王殿下の軍が大敗北を喫したという話は、国軍内で大評判になった。
「その話は、大山閣下にも詳しい経過を聞いた。使い古された作戦だったが……」
「負けたふりをして敵兵を自陣深くおびき寄せ、自陣に有利な地形まで誘い込んだところで総攻撃。撤退する敵兵を背後に迂回させた後詰の軍で、更に打ち破る……。確かにありがちではあります。しかし飛び道具がない戦ごっこでは、十分に有効ですな」
「しかし源太郎、あの時、内親王殿下はまだ6歳。いくら使い古された作戦だとしても、6歳の子供が思いつくか?」
「それが分からんのです」
児玉少将は腕組みした。
「もっと分からないことを教えてやろうか、源太郎。この命令書だがな……“特に本丸御殿と多聞櫓は、可能な限り、詳細に撮影するように”と書かれている」
「何……?」
桂中将の言葉に、児玉少将は眉をしかめた。「本丸御殿はまだわかるが、大天守でも小天守でもなく、多聞櫓を指定したと?」
「ああ。しかも、写真なら1部だけでよいと思うが、“整理して、5部東京に送るように”と言われた」
児玉少将は、大きく息を吐いた。
「本当に分かりませんな。写真を5部も撮って、何になる。保存なさるのですか?」
「保存、か……となると、以前源太郎が言っていたことが、少し現実味を帯びてしまうが……」
「“増宮殿下は、未来の世を見てきた”?」
「さよう」
桂中将は頷いた。「本丸御殿と多聞櫓が、後世失われるのをご存じで、せめて写真に残しておこうと、このようなご命令を発したのかもしれない。複数写真を作らせるのも、後世失われてしまう可能性を、少しでも減らそうとのお考えか……」
「だが、増宮さまは、華族女学校に通学しておられます。本当に未来の知識があるのならば、わざわざ学校に通わなくても」
「自分で言った考えを、否定するのだな」
「言っていて、自分でも荒唐無稽だと思いまして」
児玉少将は、首を大きく横に振った。
「……源太郎は、増宮殿下に会ったのだろう?」
「正月に、西郷閣下にせがんで、閣下が年始の挨拶をなさるのに、権兵衛と一緒について行きました。恐ろしく美しく、そして愛らしさにあふれるお方でした。本当に、あの武勇伝をお持ちの増宮さまなのかと、我が目を疑いましたな」
「その時の殿下の反応はどうだった?お前の名前を知っていたとか……」
「権兵衛の名前を聞いて、怪訝な顔をなさったが、それ以上は……」
「そうか……」
桂中将はつぶやいた。「本当に未来の知識をお持ちであれば、源太郎や権兵衛の名前ぐらい、知っていてもよさそうだがな」
「何を言われる。本当は、軍人の名前など、後世に残らぬ方がよろしい。その時代が、平和であったという証ですからな」
児玉少将はこう言って苦笑した。
「まあ、未来の知識が無くても、増宮殿下は、不世出の大天才であろうな、源太郎」
「未来の知識があるにしろないにしろ、非常に大切なお方なのは確か。東京にいて、高官の動きや、陛下のご言動を見ていると、それが良くわかります。あのベルツ医師に、医学の話を聞いておられる、という話もある」
「医学か……」
「しかも、森軍医中佐を呼んで、脚気に関する実験をなさるという噂も……近々、勅令が下るとか」
「実験を?殿下は、まだ7歳だぞ?」
「流石に、ベルツ医師が主導するのでしょうが……森を呼ぶとは、何を考えていらっしゃるのか」
児玉少将はそう言って、ため息をついた。
「その口ぶりでは、源太郎は、脚気に関しては高木少将派か」
「当たり前です。きっと、高木の実験には、あ奴自身が知らぬ未知の理が働いているのでしょう。それがまだ明らかになっていないだけ……」
「実は俺もだ。まあ、俺は、副食分の金銭支給を、旨い副食に変えたいだけだがな。鳥羽の水雷隊の飯は旨いぞ。流石、旧海軍由来だけある」
海に面した軍管区には、大型軍艦が配備された鎮守府か、水雷艇が配備された軍港が配置されている。第三軍管区には、沿岸警備を主目的とする水雷隊が、鳥羽軍港に設置されていた。
「森と石黒のせいで、医務部だけが上手くまとまらぬ。桂さんの力をもってしても……」
「それに関しては、力及ばず申し訳なかったな。あいつら、自説に固執しおって……」
国軍合同に関する働きにより、“調整の達人”という異名を奉られた桂中将も、国軍医務部内の対立を収めることはできなかった。その影響で、糧食支給に関する制度も、旧陸軍・旧海軍で分かれたままだ。
「この対立に、増宮さまを巻き込むようなことはしたくないが……、はあ、内親王殿下でなければ、“実験をなさるより、戦術の研究を”と進言したいですな」
「おいおい、何を考えている、源太郎」
「教え甲斐のある、優秀な生徒がいると、俺が更に楽しくなりますので」
「やめておけ。増宮殿下にも、何かお考えがあるのかもしれぬ」
「わかっていますよ」
ニヤリと笑った児玉少将に、桂中将はため息をついた。
「まあ、しかし……増宮殿下に何か事があれば、お役に立たねばならないな、源太郎」
「それは権兵衛も言っておりました。無論、俺もですが」
「それまで、増宮殿下のことは、この3人の秘密、だな……」
桂中将の言葉に、児玉少将は頷いた。
「はあ……そうと決まれば、この変わったご要求にも、応えねばならないな」
(どれだけの数の写真になることやら)
桂中将は、深い深いため息をついた。
児玉源太郎、山本権兵衛、そして桂太郎。
彼らは後に、“国軍三羽烏”と称されることとなる。
そんな彼らが、美しくも愛らしい内親王殿下の秘密に触れるのは、もう少し先の話――。
川上操六さんが国軍合同のあおりで、三羽烏から外れてしまった件について……。
軍管区の分け方や、軍の命令系統については、まだきっちりとは詰めておりません。ご容赦を。




