鬱陵島(うつりょうとう)
※またマウス書きの地図を挿入しています。お見苦しいですがご了承ください。
1904(明治37)年8月10日水曜日午後10時、朝鮮・鬱陵島近海に停泊中の巡洋艦“日進”。
「ああっ!その手は読んでなかった……」
士官の休憩室としても利用されている食堂。そこにある大きなテーブルの前の椅子に座った私は、頭を抱えていた。
「それで、こう指されたら銀を上がる。そうすると、向こうが金をここに打っても受けきれるのか。それなのに、私、受け方を間違えて、必敗の手順に飛び込んでしまったんですね……」
「え、これ、そうなんですか?!」
私と将棋で対局して、見事勝ちを収めた中尉さんが、私の説明に顔を青ざめさせた。
「ああ、そうだぞ。お前、もしかして分からずに指してたのか?」
「殿下の一瞬の気の緩みを突いた、素晴らしい詰み手順だと思ったが……読んでなかったとは、ちょっと気が締まらない話だな」
私と中尉さんの対局を見物していた士官さんたちが口々にツッコミを入れると、
「……も、申し訳ありませんでした、殿下!」
中尉さんが私に向かって、深々と頭を下げる。
「あの、お願いですから謝らないでください!将棋で特別扱いされたくないんで!」
私も彼に向かって、負けないくらい深く頭を下げた。
ウラジオストックで、ロシア太平洋艦隊が日本船籍の貨物船2隻を沈めてから数時間経った8月5日の夜遅く、ロシアは日本に対して宣戦を布告した。日本語に訳されたものを読んだけれど、内容は、“我々は清の軍艦を沈めたのに、日本が日本の船が沈められたと言い掛かりを付けてきた。許せねぇ”ということを、外交的な文言を交えながらカッコよく書いてあっただけだった。もっとも、その数時間後、8月6日の午前6時に出された日本からロシアへの宣戦布告も、“こっちは世界各国と仲良くしたいと思ってるのに、そっちが勝手に国交断絶してうちの国民を殺傷してるじゃねぇか。もう武力で分からせてやるからな”ということを、やはり外交的な文言を加えながらカッコよく書いてあっただけだったので、もしかしたら、宣戦布告というものは、元々そういうものなのかもしれない。そして、7時間後の8月6日13時には、清、そして朝鮮が、日本と同じような宣戦布告をロシアに叩きつけたのだった。
その日の夕方、連合艦隊司令部の島村参謀長と秋山参謀は、第4駆逐隊と一緒に朝鮮西岸にある仁川港に向かった。それと同時に、第1艦隊と第2艦隊は日本海にある朝鮮領の島・鬱陵島に向かって出港した。残った第3艦隊は、壱岐・対馬近辺をパトロールしている。
もちろん、鬱陵島に移動した第1・第2艦隊も、警備を怠っている訳ではない。特に、敵の水雷艇や駆逐艦からの夜間の魚雷攻撃には注意しなければならない。また、夜間に密かに敵が設置した機雷に触れてしまって沈没するということも、“史実”の日露戦争ではあったそうだから、日中ももちろん警戒が必要だ。
もし、私の時代のようなレーダー探知機があれば、夜間の警備がものすごく楽になるのだろうな、と思う。けれど、そんな代物はまだ開発できていないから、警備は基本、目視や探照灯で頑張るしかない。けれど、ずっと緊張して気が張り詰めた状態だと、無用な疲労を招くこともある。そこで、開戦と同時に、この“日進”では、平日でも囲碁と将棋で遊んでよいという許可が出た。今まで、囲碁と将棋は、休日しか遊べなかったのだ。なので、開戦以来、休日に一緒に将棋を指している士官さんたちと、こうして毎日対局するようになった。
「しかし、殿下が将棋を指されるとは驚きました」
ギャラリーの士官さんたちにも参加してもらいながら感想戦を終えると、一人の士官さんがこう言った。「失礼ながら、殿下が遊戯をされるという印象が余りありませんで」
「そうかもしれませんね」
私は微笑しながら答えた。「私に将棋を教えてくれたのは、兄と、厚生大臣の原閣下です」
本当は、いつも私に対して偉そうな原さんを“閣下”なんて呼びたくないけれど、軍医学生の立場から考えると、原さんは目上の人間になるのでこう言うしかない。私は不機嫌なのを隠しながら説明を続けた。
「だけど、2人とも、本当に容赦ないんです。特に、原閣下なんて本当に容赦なくて」
最近は原さんも、私と平手で将棋を指してくれるようになった。けれど、私が優勢になってくると、必ず長考して、必殺のハメ手を放ってくるのだ。毎度それに引っ掛かる私も成長していないけれど、局面をひっくり返す度にドヤ顔を決めてくる原さんも大人気ないと思う。
「大体、私を教育する人って、皆、容赦ないんです。私と新島さんが剣道しているところ、ご覧になったことありますか?」
将棋仲間に尋ねてみると、
「確かに、あれはすごかったですね……」
一人がそう言って、一瞬身体を震わせた。
「見たのか、お前」
「どうだったんだ?」
仲間の士官たちの質問に、彼は怯えたような目をしながら、
「あの新島どのは、剣道大会の時より明らかに強かった……」
と述懐する。
「なっ?!では、大会の時は本気を出していなかったと?!」
「そんな馬鹿な!あの時も、鬼神が出たかと思ったほどだったのに?!」
一斉に顔を引きつらせた士官さんたちに、
「みんな、あんな調子ですよ。伊藤閣下も大山閣下も」
私はこう付け加えた。
「だから私、勝負はお互い手加減なしでするのが好きなんです。ですからどうぞ、将棋は手加減しないでくださいね」
私の棋力は、恐らくこの集団の平均くらいだ。勝ちも負けも当然両方あるけれど、皆が手加減無しで真剣に指してくれているのが分かる。だからとても楽しいのだ。
と、
「その意気や良しっ!」
突然、食堂の中に大声が響いた。士官さんたちだけではなく、私もビクッと身体を震わせる。食堂の入り口には、私達の話題に上った、鬼神のような人物が仁王立ちしていた。
「もう……ビックリさせないでください、新島さん」
「フッ……私の気配が察知出来ないとは、殿下もまだまだですね」
そう言いながら、新島さんはズカズカと食堂に入ってくる。顔を引きつらせた士官さんたちが、慌てて身を引いて、彼女のために道を空けた。
「兄上と大山さんの気配なら分かりますけど、新島さんの気配はまだちょっと……」
(そう言えば、もう2ヶ月も会ってない……)
答えを新島さんに返した私は、ふとこんなことを思った。私の大切な兄と、私の大切な臣下。こんなに長い間、両者とも顔を見ていないのは初めてのことだ。
(早く会いたいな……そのためには、太平洋艦隊をやっつけないといけないけど)
「さぁ殿下、もう夜も遅いです。明日のためにも休息を取らなければ」
新島さんが相変わらずの太い声で私を促す。残念ながら、今日の将棋はここまでである。
「わかりました。では皆様、ごきげんよう」
余り軍人には似合わない挨拶かな、とも思うけれど、華族女学校時代の習慣がどうしても抜けない。優雅な一礼を残して食堂から出ると、
「艦長がお呼びです」
新島さんが先程とはうってかわって小声で告げた。
(なるほど……)
どうやら今回も、内密な呼び出しらしい。数日前も同じように内密に呼び出されたら、ロシアとの国交断絶の知らせと、ウラジオストックでの日本船籍の船の撃沈の報告が入ったところに出くわしてしまった。今回はそんなトラブルが無いことを祈りたい。そう思いながら、私は艦長公室に向かった。
新島さんには前回と同じく、扉の前で待機するようにお願いしてから、艦長公室のドアをノックする。応答があったのでノブを回して扉を開けると、部屋の中には思わぬ人物がいた。
「加藤参謀長……」
扉を閉めてから、慌てて私が敬礼すると、
「お久しぶりでございます、殿下」
第2艦隊の加藤友三郎参謀長が深々と頭を下げた。
「お久しぶりです。……あの、参謀長?こんな夜分に“日進”にいらっしゃるなんて、何か緊急事態でも発生したんですか?」
数日前の艦長公室での光景が、どうしても頭を過ぎってしまう。何か日本に不利なことが発生したのではないか……と身構えた私に、
「いえいえ、今日は進講に参りましただけでございます」
加藤参謀長は穏やかにほほ笑んだ。
(へ?)
「し、進講……ですか?」
少し間抜けな声で返すと、
「ええ、上村司令官が、“この機会を逃さずにご進講をするように”と私に命じたものですから」
加藤参謀長はこう答える。
(要するに、梨花会の面々からの“ご教育”って奴か……)
確か、私に対して様々に教育をするように、本省から命令を受けている……上村司令官はそう言っていたと聞いた。つまりは、その教育の一環なのだろう。梨花会の面々は、たとえ戦争の最中でも私を鍛えることを忘れないのだ。
「“この機を逃さず”……と言いますと、先ほどの作戦会議の内容ですか」
竹内艦長が尋ねると、加藤参謀長は「その通りです、竹内君」と頷いた。
「それは大変ありがたいです」
私は参謀長にお辞儀をした。鬱陵島に艦隊が移動した理由や、これからの行動について、自分の頭の中である程度は考えていたけれど、独りよがりな考え方に陥っているだろうから、他の人の考えを聞いておきたいのだ。
「では殿下、こちらへ」
加藤参謀長は、白い紙を来客用の机の上に置くと、机の側にある来客用の椅子を私と竹内艦長に勧めた。
「ところで……作戦会議をなさっていたんですか?」
私は参謀長にまずこう尋ねた。今日、そんなものがあるという話を聞いていなかったのだ。……もっとも、一介の軍医学生に言うべき話ではないだろうけれど。
「はい、仁川に行っていた島村大佐と秋山大尉が戻ってきましたから」
参謀長はニッコリ笑って頷き、
「では、殿下。早速ですが、朝鮮半島を中心とした地図を描いていただけないでしょうか?」
と私に言った。
「早速ですか……」
穏やかな表情はしているけれど、加藤参謀長も容赦がない。
「大雑把でいいですね?私、地図を描くのは得意ではなくて」
「構いませんよ。大体の位置関係が分かれば」
加藤参謀長に言われたので、私は机の上に置かれた白い紙に、極東地域の地図を……本当に大雑把な地図を描いてみた。
「すみません、対馬と壱岐を入れる余裕がなくなっちゃいました。あと、隠岐と佐渡も」
地図を描き終えた私が、加藤参謀長に謝罪すると、
「いえ、これで十分です」
参謀長は微笑して頷いてくれた。
「清とロシアの鉄道路線も描いておられる。流石ですね」
「恐縮です、艦長」
褒めてくれた竹内艦長にお礼を言っていると、
「では、殿下に質問させていただきます。我々の次の攻撃目標は、どこになるでしょうか?」
すぐさま加藤参謀長から質問が飛んできた。
「私なら、元山を攻撃します」
私が慎重に答えると、
「では、根拠をお聞かせいただきましょう」
加藤参謀長は更に質問を重ねた。
「ロシアと日本・清が戦うことになったこの状況で、地上での戦場は3方面に絞られます」
私は地図を見ながら、必死に考え始めた。「まず、ロシアと清の国境地帯です。二つ目が、ロシアと朝鮮の国境である豆満江一帯。3つめが元山の周辺。このうち、最も対応がしやすいのが元山周辺です。面積が小さいですから」
ロシアと清の国境は、清の北東側、合わせて1000kmはある。豆満江沿いの朝鮮・ロシアの国境も、100kmぐらいはあるだろう。しかし、朝鮮義勇軍が占拠しているエリアは、直径10kmもない。
「元山に日本と清に敵対する戦力がいるだけで、私たちはそちらにも兵力を割かなくてはならなくなり、他の2方面に集中できなくなります。だから、陸上のことだけを考えれば、最初の一手は元山を奪還することです」
「ほう。……他にもまだおっしゃりたいことがあるようですね」
加藤参謀長が、私の言葉の意図を敏感にくみ取っている。流石だな、と思いながら、私は口をもう一度開いた。
「問題は、海上のことです。もちろん、元山にはロシアの“ノーウィック”と“ワリャーグ”がいますから、元山を攻める時にその2隻を沈められれば、敵の戦力を削ぐことにはなります。けれど、本当は、太平洋艦隊の本隊をやっつけるのが一番いいことです。そのはずなんですけれど……太平洋艦隊の本隊をどうやったら捕まえられるか、それが分からないんです」
レーダーなんて代物は無い。昨年秋に、世界に存在が公表された飛行器も、高度50mで5kmは飛べるようになったけれど、飛行器のパイロットは開発者チームの1人である二宮さんしかいない。しかも今、日本でたった1台しかない飛行器は、千葉県の習志野にある。朝鮮近海まで持って行くのには、とても時間がかかってしまう。だから、敵の船を見つけるには、目視や、地上からの気球の観測に頼るしかない。朝鮮近海に近づくまで、ロシア艦隊が見つからないという可能性もあるのだ。
「なるほど、分かりました。そちらはまた後で検討することに致しますが……殿下のおっしゃった通り、我々の次の攻撃目標は元山です」
加藤参謀長が頷いた。「すでに漢城から、清軍5万が出発しています。反乱軍の守っている防御線に到達するのは、15日の夜の予定です」
「連合艦隊と清の艦隊は、それを海上から支援するということですね」
「その通りです、殿下。この鬱陵島から元山までは1日余り……16日払暁に、清軍が攻撃を始める予定です。旅順から回航してきた清の艦隊が鬱陵島に到着するのが、13日の午後。15日の未明には、日清の艦隊が鬱陵島を出発する形になります。しかし、出発が早まることも十分に考えられます」
「……?」
なぜ、出発が早くなるのだろうか。参謀長の言葉に引っかかってしまった私に、
「殿下、逆の立場で考えてみてください」
竹内艦長が助け舟を出してくれた。
「ロシアはこの局面で、どのように考えるでしょうか?」
「ロシアなら……」
そう呟くと、私は両腕を組んだ。「2つ考え方があると思います。一つは、戦線を整理する方向。今の元山は、ロシアの影響力が及んでいると言っても、他の根拠地からは余りに離れて孤立しています。維持をするには、余りにも労力がかかります。だから、元山を引き払ってしまって、清・朝鮮の国境に兵力を集中するという考え方はあります。もう一つは、せっかく得た勢力範囲だから、元山に更に軍事力をつぎ込んでいき、最大限に活用しよう、という考え方です」
「なるほど。アレクセーエフなら、どちらを選ばれると思われますか?」
「アレクセーエフなら……元山に軍事力をつぎ込みそうですね。元山から巡洋艦を引き上げるのは、彼のやったことを否定することになりますから、依怙地になって元山にこだわりそう」
加藤参謀長の質問に私は答えた。「ロシア側でも、当然、こちらが元山を奪還にかかるのは読んでいるでしょうから、そうなると余計に、元山に軍事力をつぎ込みそうですね。可能なら、その前に元山を落としたいし、落とせなくても、元山に増派される軍事力は叩いておきたい……」
そこまで考えて、私はポンと手を叩いた。やっと、先ほどの参謀長の言葉の意味が分かったのだ。
「16日より前に、ロシア側の増派兵力か、もしくは元山からの撤収用の部隊が元山に到着しそうになったら、連合艦隊も出撃するということですね?だから、“出発が早まる可能性がある”と参謀長は……」
「その通りです」
参謀長が頷いた。元山にロシア側が軍事力を増派しようとするなら、清の影響力があり、なおかつ時間がかかる陸路ではなく、海路を選ぶ。レーダーや飛行器という、海路の危険が高まる代物は配備できないのだから。
「ウラジオストックから元山までは、およそ1日半ほどです。鬱陵島から元山が1日余りですから、ウラジオストックを太平洋艦隊が出港したという連絡があってから元山に動いても、敵の兵力増派を阻止できます。ですから、我々は鎮海湾からこちらに移動したのです。もしその連絡が13日の午後より前にある場合は、清の艦隊の到着は待たず、連合艦隊だけで元山に向かうことになります」
竹内艦長が横から付け加えてくれたので、私はようやく鬱陵島への移動の理由を理解できた。鎮海湾からだと、元山まで2日弱かかってしまうのだ。連合艦隊が鎮海湾にいたままなら、ウラジオストックを増派兵力が出港したという連絡をもらってから動いたら、敵に先に元山に入られてしまう。
「我が国の誇る無線の発達は本当に素晴らしい。今や、送受信可能な距離は、1000km、いや、1200kmとなりましたからね。遠隔地の情報も手に取るように分かります」
加藤参謀長が感慨深げに言う。この時の流れでは、無線関係の特許は日本が独占している。通信可能な距離もどんどん伸びていて、日本の汽船は、今やほとんどが無線機を備えているのだ。
「もちろん、正確な情報を得ることはもっと大事です。敵地でも正確な情報を探ってくることのできる中央情報院の存在もあって、この作戦が立てられたわけですが」
「あ……」
加藤参謀長の言葉に、私は思わず、竹内艦長を見てしまった。すると、
「ああ、やはり警戒しておいででしたか」
艦長が苦笑した。「先日の諮問で、ロシアの中枢に対する策をおっしゃったとき、どうも言葉を選ばれているような印象がありましたから」
(バレてたか……)
顔に出てしまったらしい。これでは、大山さんが相手なら減点されてしまう。
「申し訳ありません。どの人になら中央情報院のことを言っていいのか、分からなくなって……」
艦長に頭を下げると、
「いえ、当然のお考えだと思います。流石は青山御殿の家主。情報については人一倍気を遣っておられる、と思いながら見ておりました」
彼はこう言って許してくれた。
と、
「竹内君も、中央情報院の一員ですよ」
加藤参謀長が、思いもかけないことを言い始めた。
「へ?」
「竹内君は、“日進”の艦長をする前は、フランスで駐在武官をしておりました。公使館に配置されている駐在武官は、元々、諜報員としての役割も担っておりました。中央情報院が設立されたときに、彼らも院の組織の構成員になったのですよ」
(なるほど……)
2月に大山さんと一緒に初めて艦長に会った時も、大山さんと艦長が知り合いだという話は全くなかったし、2人とも、形式的な挨拶しか交わしていなかった。だから、艦長が中央情報院の一員だとは、全く気が付かなかった。どうやら、この世界、どこに行っても中央情報院の目が光っているらしい。私が小さいころに話した、前世の父親の好物だった諜報機関や工作機関が出てくる映画の話……それがこんなに大事になるとは、あの当時は思いもしなかった。
(このまま歴史が進めば、未来のスパイアクション映画に、CIAとかMI6と一緒に、中央情報院が出てくるようになっちゃうのかなぁ……トリノ伯が知ったら、院の構成員に黒装束を着せそうだけど……)
貴賓室の設計者で、変な日本文化のイメージをバラまいていた犯人のことをふと思い出していると、
「そういう状況ですから、ロシア側に敢えて情報をバラまくことも可能なのです」
加藤参謀長が言った。
「……つまり、16日の元山総攻撃に備え、連合艦隊は元山に16日までに向かう、と。その情報で太平洋艦隊をおびき寄せるわけでしょうか?」
「流石です」
私の答えに、加藤参謀長は満足げに頷いた。「アレクセーエフの性格を考えれば、その情報を聞けば、連合艦隊を撃滅しようとして、彼は必ず全艦隊で出撃してきます。そこを我々が叩く、という訳です」
なるほど、それなら納得が出来る。こちらから、太平洋艦隊が現れる時間と場所を、情報を流すという形で指定してしまえばいいのだ。そうすれば、その時間にその場所に行けば、太平洋艦隊を捕まえられる。
「可能な限り、太平洋艦隊の戦力も減らしておければいいけれど……」
私がそう呟くと、
「ええ、ですから、駆逐隊には夜襲をさせることになりました」
加藤参謀長がにっこり笑った。「明日の夜、第3駆逐隊と第5駆逐隊を、鬱陵島からウラジオストックに出発させます。順調にいけば、13日の夜にウラジオストックに入れるでしょう。近距離に近づかなければ魚雷は当たりませんから、襲撃が失敗に終わる可能性も高いですが、太平洋艦隊に恐怖心を植え付ける効果も期待できます」
「それ、太平洋艦隊が13日の夜より早く出発しちゃったらどうするんですか?」
「その場合は、可能であれば道中で待ち伏せて夜襲を掛けます。ただ、会敵出来ない可能性も高いですから、その場合は、駆逐隊を直ちに元山に向かわせることになるでしょうね。駆逐艦は戦艦や巡洋艦より速いですから、遅れは多少取り戻せるはずです」
「なるほど……もちろん、こちらも夜襲に警戒しないといけないんですよね?」
「はい。警戒は怠っておりませんよ、殿下。もしそんな不埒な輩が出て来ても、返り討ちに致します」
加藤参謀長は微笑している。それを見て、私は背筋が寒くなった。我が臣下が怒っている時にそっくりだったのだ。顔が似ているという訳ではなくて、口元が笑っているのに、目が笑っていない所が。
「と、とにかく、遅くとも15日の未明までには、鬱陵島を発つということですね」
話題を変える必要性を感じた私は、とっさに加藤参謀長に尋ねた。すると、
「はい、その通りです。艦隊同士の戦いが予想されますので、殿下もそのつもりでいてください」
加藤参謀長の眼の色は、穏やかになった。
「了解いたしました、参謀長。軍医学生としての本分を尽くします」
私は加藤参謀長と竹内艦長に向かって、しっかりと敬礼をした。
※各航路の所要時間については、あくまで仮定です。ご了承ください。




