開戦
※章タイトルを変更しました。
1904(明治37)年8月5日金曜日午後17時30分、朝鮮・鎮海湾で訓練中の巡洋艦“日進”。
「あ、あの、新島さん……」
剣道の防具を付けた私は、ふらふらしながらようやく立ち上がった。断じて熱中症ではない。胴を突かれて、その痛みで、甲板に膝を付いただけだ。
「どうしました、増宮殿下!」
私の前には、私と同じように剣道の防具を付けた新島さんが仁王立ちしている。
「この程度で倒れるとは……これでは、立派な医師になれませんぞ!」
「い、いや、医療技術に、剣道の腕は余り関係な……うわっ!」
態勢を整える間も無く、竹刀を構えた新島さんが、私に向かって突進してくる。最初の一撃は何とかいなしたけれど、即座に第2撃が加えられ、面を取られた私は、文字通り吹っ飛ばされた。
(つ、強すぎる……)
現在、第1艦隊と、“日進”が所属している第2艦隊は、ロシア太平洋艦隊との戦いを想定した猛訓練中だ。その訓練の合間、気分転換と戦意高揚の目的で先日行われた剣道大会で、新島さんは“日進”艦内の猛者たちを制して優勝し、私の揮毫を手に入れた。竹内艦長に審判をお願いされたので、新島さんの立ち合いは全て見たけれど、剣の腕は私より少し上くらいだろうと思われた。そこで今日、彼女に手合わせをお願いしたのだ。
ところが、新島さんは、私の想像以上に強かった。自慢ではないけれど、私も一応、警視庁剣道で四級下の免状は持っているのだ。そんじょそこらの男には、簡単に負けない自信はあったのだけれど……新島さんは、その自信を粉々に打ち砕いた。西園寺さんのところに養子にいった八郎さんや、私の剣の師匠である橘歩兵少佐より、新島さんは確実に強い。
「す、少しくらい、手加減してくれても……」
甲板に叩きつけられ、何とか立ち上がった私がこう呟くと、
「お断りいたします」
新島さんはピシャッと返答した。「剣道大会の時は、相手に手加減していました。しかし、殿下は他の将兵とは違います。高貴なご身分なればこそ、他の将兵並みか、それ以上の能力を有している必要がございます。しかし、このご身分に周りが忖度してしまえば、殿下の能力を伸ばす機会が無くなってしまいます。だからこそ、私は殿下に、本気で立ち会わせていただいているのです」
それは、非常に理にかなった理由だ。確かにそうだけれども……。
(要するに、強い相手が、もっと強くなった状態で、私は戦っているってことだよね……)
それを悟った私は、がっくりと頭を垂れた。
日没まで剣道の稽古を続けて、お風呂にさっと入った。身体のあちこちが痛むし、青あざが出来ているけれど、動けないほどのダメージを食らった訳ではない。新島さんは“手加減していない”と言っていたけれど、もしかすると、実は少しは手加減していて、本当はもっと強いのかもしれない。だとすれば恐ろしい話である。
お風呂から上がって寝巻に着替え、医学書を読んでいると、竹内艦長の従兵がやってきて、艦長公室に来て欲しいと告げた。流石に寝巻で艦長室に入るのは失礼なので、制服に着替えたけれど、髪の毛をどうしようかと手が止まってしまった。髪を下ろしたままだったのだ。
「ごめんなさい。大急ぎで髪を結うので待っててくださいって、艦長に伝えてもらっていいですか?」
従兵が艦長に許可を取りに行ってくれている間に、新島さんにお手伝いをお願いして、髪を慌ててシニヨンに結う。何とか格好を整えて、艦長公室に入った時には、午後9時前になっていた。
「殿下に、外交交渉の状況をお伝えしておこうと思いまして」
遅刻をわびる私を許してくれた竹内艦長は、護衛として私についてきてくれた新島さんに退室をお願いするとこう言った。もちろん、部屋の中には艦長と私しかいない。他の将官には隠匿しておきたいから、このような形で私を呼んだのだろう。
「“自在丸”撃沈についての交渉のことですね」
「はい。交渉は続いていますが、なかなか先に進まないとのこと。ロシアの中枢部は、日本に誠意ある謝罪と補償をし、更に、朝鮮からもいったん撤退したいと考えているようです」
「ロシアはそこまで考えているのですか」
私にとっては、意外なことだった。もっと朝鮮に固執するかと思っていたのだ。
(元山への巡洋艦の派遣でも、ロシアは世界各国から批判を受けてた。それに、梨花会の面々なら、今回の“自在丸”撃沈の件でも、世界各国の世論を操作して、ロシアに対する批判の声を大きくさせるだろうから……その声が無視できなくなったってことなのかな)
私のところには、“自在丸”撃沈以降の国際情勢の情報は、断片的にしか入って来ていない。梨花会の面々が、特に大山さんと陸奥さんが、今回の件でどのように世界を翻弄しているのか、その全貌がつかめないのだ。
「はい。しかし、ロシアの太平洋艦隊が、自分たちの罪を頑として認めず、話が進まないようです」
竹内艦長はそう言うと、
「殿下はこの状況、どのように考えられますか?」
と私に尋ねた。
「ええと……まさかとは思いますが、私の意見を聞きたいという意味ではないですよね?」
「その意味でございます」
「それはちょっと、いかがなものでしょうか」
私は慎重に答えた。「私は参謀ではありません。変な分析を答えて、かえって艦長を惑わせてしまうのではないかと……」
すると、
「ああ、それについては、御心配には及びませんよ」
竹内艦長は微笑した。
「はい?」
「上村司令官からは、“ご教育の一環であるから、殿下には、艦隊のことでも、国家の方略のことでも、様々に問いを試みるようにと、本省から命令を受けている”と言われております。本来なら上村司令官や加藤参謀長の所に行っていただいて試問となるでしょうが、なかなかそうもいかないようですから、“お前が代わりにやれ”と司令官に命令されました」
(はぅ……)
“日進”は現在、第2艦隊の所属なので、トップの司令官は上村少将になる。その司令官に、とんでもないところから手が回っていたようだ。本省から、ということは、山本さんは確実に関わっているのだろう。他の梨花会の面々が関わっていない保証はどこにもない、というか、喜んで関わっていそうだ。大体、あの人たちは、私を鍛えることに関しては、全く手を抜かないのだから。
「ロシアの中枢が、アレクセーエフを解任すれば、ロシアにとっても日本にとっても、いい結果になりそうですけれど」
大山さんが相手なら、“院の人たちを使って、その辺は手を打っているんでしょ?”と付け加える所だ。ただ、竹内艦長は、中央情報院のことを知らない可能性もある。中央情報院の存在は、可能な限り秘匿しておく方がよいだろう。そう思って、ここまでの回答にとどめた。
「なるほど」
頷いた竹内艦長に、
「アレクセーエフの性格を考えると、自分から“自在丸”撃沈を謝罪したり、総司令官を辞任したりはしないと思います。だから、中央が彼を解任するしかない」
私は更に回答を続けた。「問題は、アレクセーエフが暴走しないかということです。特に、解任を言い渡されたときに、自棄になって、通商破壊をし始めるんじゃないかって……それが心配です。そうなると、極東情勢が更に緊迫の度を増すかもしれません」
「本省もそれを危惧しています。なので、艦隊に連合艦隊を組むようにと指示してきました。明日から連合艦隊編成に変わります」
「!」
竹内艦長の言葉に、私は目を見開いた。連合艦隊。2艦隊以上の常設の艦隊で編成された艦隊のこと……と、参謀本部長の斎藤さんに、軍医学校の授業で教わった。
「編成表をご覧になりますか?とはいえ、今の艦隊と、ほとんど変わりませんが」
「私が見てもいいのですか?」
質問すると、竹内艦長は「もちろん」と快く許可してくれる。私は竹内艦長が差し出した紙を受け取ると、ざっと目を通した。
――戦時連合艦隊編成(艇隊・付属特務艦船は除く)――
●第1艦隊
第1戦隊:三笠(旗艦)・朝日・富士・八島・敷島・初瀬・龍田(通報艦)
第3戦隊:浅間(旗艦)・常盤・笠置・吉野
第1駆逐隊:白雲(旗艦)・朝潮・霞・暁
第2駆逐隊:雷(旗艦)・朧・電・曙
第4駆逐隊:速鳥(旗艦)・春雨・村雨・朝霧
●第2艦隊
第2戦隊:出雲(旗艦)・吾妻・春日・八雲・日進・磐手・千早(通報艦)
第4戦隊:対馬(旗艦)・明石・千歳・高砂
第3駆逐隊:薄雲(旗艦)・東雲・漣・迅雷
第5駆逐隊:陽炎(旗艦)・叢雲・夕霧・不知火
●第3艦隊
第5戦隊:厳島(旗艦)・橋立・松島・浪速
第6戦隊:高千穂(旗艦)・須磨・秋津洲・千代田
第7戦隊:扶桑(旗艦)・海門・磐城・鳥海・愛宕・筑紫・摩耶・宇治
注)連合艦隊司令部は第1艦隊・第1戦隊司令部を、第2艦隊司令部は第2戦隊司令部を、第3艦隊司令部は第5戦隊司令部を兼ねる。
(確か、“史実”では起こってる日清戦争が、この時の流れでは無かったから、艦の数や名前も、“史実”の今頃とは変わってるんだよね……)
斎藤さんが軍医学校の授業で言っていたことを思い出す。例えば、アレクセーエフが撃沈したと主張している清の巡洋艦“平遠”は、“史実”なら、日清戦争の時に日本に接収されて、この時期は日本の軍艦として活動していた。また、清の軍艦“鎮遠”も、日清戦争の時に日本の物になっていたのだ。このほか、第4戦隊の旗艦“対馬”も、“史実”では“新高”という、台湾で一番高い山にちなんだ名前だったのだけれど、この時の流れでは日本は台湾を領有していないので、名前が“対馬”になったという経緯がある。ただ、他が“史実”の日露戦争開戦時とどう変わっているか……さっぱり分からない。薬剤名の羅列なら、覚える気も起きるけれど、艦名の羅列だと、頭を通り抜けてしまうようだ。
「ああ、第3駆逐隊は、第2艦隊の所属になったんですね」
表を見て唯一分かった点を挙げると、
「やはり気になりますか、“迅雷”が」
竹内艦長が苦笑した。イタリアのトリノ伯が起こした不穏当な行為に対する詫びの印として贈られてきたこの駆逐艦は、日本の所有する駆逐艦と大きさや速力もほぼ一致していて、航続可能な距離も2000海里と、むしろ日本の駆逐艦よりも優れていた。結果、日本の駆逐艦と隊を組んでも問題ないという判断になり、第3駆逐隊の一員になったのだ。
(けど……“史実”と変わったところって、これだけじゃないんだよね)
実は、日本が発注して、1895年以降に起工した戦艦と巡洋艦は、水面下に取り付けられる体当たり用武装である“衝角”が撤廃されている。これは、“史実”の記憶を持っている斎藤さんの頑張りで変わったことである。
“衝角”を軍艦にぶつけることで、相手の軍艦の破壊や沈没を狙う……古代や中世のヨーロッパにおける海戦では主流の戦法で、いったん廃れたけれど、実は近代に入ったこの時代、見直されていた。1866年にイタリアとオーストリアの間で発生したリッサ海戦や、1879年にチリとアルゼンチンの間で発生したイキケの海戦では、衝角攻撃を受けた軍艦が沈んだそうだ。
けれど、斎藤さんは、梨花会に入る前から、自分に流れ込んだ“史実”の記憶を元にして、上層部に強く衝角の廃止を訴えていたそうだ。
――衝角など、危険極まりない代物です!味方同士で激突してしまえば、大損害になってしまいます!イギリスの“キャンパーダウン”が“ヴィクトリア”を沈めてしまったのは、衝角があったがゆえです!それに、いずれ火砲の射程が伸び、砲弾の威力が増せば、衝角攻撃が出来る間合いに入る前に軍艦が撃沈されます!
斎藤さんは、西郷さんをはじめとする国軍上層部にこう意見具申した。そして、“史実”の記憶を持っている私が、“戦艦の体当たり攻撃なんて聞いたことがない”と梨花会の面々に伝えた結果、斎藤さんの意見が採用され、日本の軍艦では衝角が廃止されたのだった。
ただし、1895年以降に起工された艦でも、外国から譲渡されたものには衝角が付いてしまっている。アルゼンチンから購入した“春日”“日進”がそうだ。だから、
――“春日”と“日進”は、危ないモンを付けてるんだから慎重に動け!
艦隊運動の訓練の度に、上村司令官からは、こんな注意が飛んでくるのだそうだ。
「今後、警戒しなければいけないのは、ロシアと朝鮮の国境地帯である豆満江。それから元山へのロシアの兵力の派遣ですか」
「そうなるでしょう」
竹内艦長が頷いた。やはり、国際的な非難を浴びていると言っても、ロシアが最も兵力を移動させやすいのは朝鮮になる。“元山の朝鮮義勇軍を支援する”という名目で、朝鮮に兵力を動かすのが妥当な線だろう。そのうちに清が派兵をやめるようにロシアに申し入れ、清とロシアの交渉が決裂し、国交断絶、戦争に至る……というのが、一番考えやすい開戦へのシナリオだ。
「そうなると、さっさとロシアと清で開戦してくれた方がいいかもしれません。ロシアがのらりくらりと交渉を引き延ばして、その間に朝鮮にどんどん兵を派遣してしまい、いざ開戦となったら、朝鮮に駐留している清軍以上に、朝鮮にいるロシア軍が多い……という可能性もありますし」
清とロシアが開戦してくれれば、清と同盟を結んでいる日本もロシアと戦える。けれど、交渉が長引いている間に、ウラジオストックのドッグでまた軍艦が完成してしまうと厄介だ。
(ウィッテさんが中枢にいたから、“史実”よりロシアの軍艦建造は2年ぐらい遅れてた。それがだんだん取り戻されつつある。時間が経てば経つほど、海軍力の差が縮まっちゃう……)
そうなると、太平洋艦隊が抑えられなくなり、私も日本に帰れなくなってしまう。さて、どうしたものだろうか。そう思った時、部屋の扉がノックされた。竹内艦長が「入りたまえ」と声を上げると、当直番の大尉が現れた。
「“三笠”より至急の通信です」
大尉は何枚かの紙を艦長に渡すと、部屋を出て行った。文章に目を通した竹内艦長が、「殿下」と私を呼んだ。その顔が少し強張っている。
「こちらをご覧いただけますか」
差し出された紙に書かれたカタカナの羅列を目で追う。頭の中で必死に変換した文章は、驚くべき内容だった。
「どういうことですか……ロシアが日本に、“自在丸”の補償の交渉打ち切りと、国交断絶を通告したって……?!」
意味が理解できない。ロシアの仮想敵国は、朝鮮の宗主国である清ではなかったのか。日本との国交断絶を通告したということは……。
(次に来るのは戦争なの?でも、ロシアが日本と戦う理由、この時の流れでどこにあるの……?)
右の手のひらで額を押さえた時、再び扉が激しくノックされた。
「どうした」
艦長が言い終わると同時に扉が乱暴に開かれると、そこには紙を持った当直番の大尉さんが、顔を青ざめさせながら立っていた。
「更に“三笠”から……!」
差し出された紙をひったくるようにして受け取った艦長の横から、私はそっと紙を盗み見た。そこには、“本日20時頃、ウラジオストック港で、日本の貨物船2隻がロシア艦隊に撃沈された。ロシア艦隊は我が方を日本船籍と確認した上で撃沈”と書かれていた。
「ウソでしょ……?!」
(これ……完全に戦争……)
これが、後に“極東戦争”と呼ばれることになる一連の戦いの、私の体験した開幕だった――。
※本文中には触れていませんが、“和泉”も、日清戦争により購入された船なので、拙作では日本海軍には合流していません。
※“キャンパーダウン”が“ヴィクトリア”を沈めた事故は、1893年6月に発生しています。
※一応時差や電信の到達時間を考慮したつもりですが、日時は少しガバっているかもしれません。申し訳ないです。(特に電信の到達はちょっと早すぎるかもしれない)




