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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第36章 1904(明治37)年小満~1904(明治37)年大暑
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軍医実習生の軍艦生活

 1904(明治37)年6月24日金曜日午前10時30分、対馬近海で艦隊運動訓練中の巡洋艦“日進”の医務室。

「はい、これで完了です」

 水兵さんの右上腕に付いた長さ10㎝の切り傷を縫合し終わった私は、彼に笑顔で告げた。

「ほう、完璧ですね。縫い方も綺麗だ」

 私の縫合を監督していた鈴木軍医長が、ニッコリ笑って頷く。

「……と軍医長もおっしゃってますから、治りも多少早くなると思います」

 患者の水兵さんにこう保証すると、

「いや、そんな……殿下に治していただけるだけでもありがてぇのに……」

水兵さんが涙ぐんだ。

「この傷は、一生の宝物に致します」

「宝物にしなくていいですよ。跡が残らないのが一番ですから」

 私は苦笑しながら彼に答えた。「1週間ぐらいで傷はくっつくと思います。傷がきちんとくっついていたら抜糸します。その時までに傷をどう処置するかは、これから看護兵さんが説明します。……じゃあ、新島さん、説明をよろしくお願いします」

「はい」

 私の処置を介助してくれていた新島さんが、ずいっと前に出た。「では、説明しましょう。こちらへどうぞ」

 新島さんの迫力に押されたのか、少し顔が強張った水兵さんに、「お大事にどうぞ」と決まり文句を投げると、私は軍医長について控室に引っ込んだ。

 巡洋艦“日進”での実習が始まって3週間が経ち、実習にも、軍艦での生活にもようやく慣れてきた。

 港に停泊している時でも、航海をしている時でも、軍艦内で発生した患者は、まずその軍艦に所属している軍医が診察する。この“日進”だと、一日に診察する患者数は30人ぐらいで、土曜日以外は朝食後に、土曜日は昼食後に診察をする。重症者が発生した時は、港に停泊していれば国軍病院に搬送する。病院船も含まれるような大艦隊で移動している時は、その病院船に患者を搬送するけれど、航海中はそんな処置が取れない時もある。だから、軍艦に乗っている軍医は、内科的な診察や治療もさることながら、縫合や簡単な手術などの外科の手技にも習熟していなければならないのだ。この辺は、私の時代の船医や、離島で診療している医者と似たところがあるかもしれない。

「さて、殿下。急患の診察も終わりましたから、水質の検査を致しましょう」

「了解しました、軍医長」

 軍医長にくっついて向かった先は、海水を蒸留して淡水を作る装置のある場所だ。この時代、一部の水雷艇を除いては、各艦にこの装置が備え付けられていて、航海中の飲料水と機関に使う水を作っている。ただ、装置の不具合で、塩分が紛れ込んだり、雑菌が紛れ込んだりすることもある。水は軍艦に乗っている人全員が使うものだから、水質が汚染されていたら、そこから乗員全員に伝染病が広がる可能性もゼロではない。だから、こうやって時々チェックが必要なのだ。

 装置から汲んだ水を控室に持って帰り、軍医長と一緒に水質検査をする。問題ないという結果が出たところで、昼食の時間になった。新島さんと軍医長と一緒に、士官用の食堂に行く。ここは士官の休憩室としても使われていて、私たちが入った時には、先客が何人かいた。

(よかったぁ)

 そう思ったのは、先客たちが私に最敬礼しなかったからだ。実は実習当初、この部屋に入る度に、先客の士官たちが私に向かって最敬礼をした。流石に、実習生に対してそれは過剰な対応ではないかと思ったので、竹内(たけのうち)艦長に相談したのだ。艦長も士官たちに話してくれて、だんだん最敬礼する士官は減って来ていた。

 食事を受け取って箸を動かしていると、

「昨日の載炭(さいたん)作業は、大変お疲れさまでした」

と軍医長が話しかけた。

「新島どのが大活躍でしたな」

「あれくらいは。米俵を担いでいた昔を思い出しました。ですが、まさか、増宮殿下がおやりになるとは……」

 驚きの目で私を見る新島さんに、

「でも、艦長以外は全員する作業なんですよね?」

と私は聞き返した。

「それは、確かにそうですが……」

 困ったように答えた鈴木軍医長に、

「兄も、数年前に巡航に出た時、載炭作業をしたと言っていましたから、私もやるものだと思っていました」

更にそう返すと、軍医長も新島さんも言葉を失ってしまった。

 昨日の午後、“日進”に横付けした石炭の輸送船から、“日進”の石炭庫に石炭を移し替える“載炭”という作業が行われた。艦長以外の乗員が二手に分かれ、1時間ずつ交代で、大きな袋に入った石炭を、バケツリレーのようにして石炭庫まで運ぶのだ。全部で2時間ほどで終了したけれど、私もそのリレーの一員に加わって、重い石炭袋を隣の人に渡す作業を繰り返した。石炭は袋の中に入っていたとはいえ、作業着代わりに着ていた迷彩服は汚れたし、手も真っ黒になった。それに、細かい石炭の欠片も目に入ってしまった。兄から話を聞いていたので、口元はマスクで覆っていたけれど、私の時代のような粉じん作業用のマスクではないから、粉じんの吸入は完全には防止できなかったかもしれない。

(粉じん作業用のマスクもだけど、ゴーグルも開発しないといけないな。でも、目の所をガラスで作ったら重くなっちゃうから、別の材料を考えないといけないって産技研の人たちが言ってたっけ……。あー、イギリスがさっさと、プラスチックの開発をしてくれないと困るなあ。でもその前に、石炭の積み込みの方法の改善を図らないといけないかな……)

 色々と考えてしまっていると、

「増宮殿下、ちょっとよろしいでしょうか」

横手から、軍医長とは別の人が私に話しかけた。竹内艦長だ。

「はい、何でしょうか」

 立ち上がって答えると、

「実はあさって、剣道大会をする予定になったのですが」

と艦長は言った。

「剣道大会……ですか?」

「はい。それで、増宮殿下に何か一筆書いていただいたものを、優勝賞品にしようかと考えておりまして」

「え゛」

 変な声が出てしまった。一応、小さいころからは書道は練習しているから、華族女学校で人並みの成績が取れるようにはなったけれど、名人という域にはとても達していない。

「私、三条さんや松方さんみたいな立派な字は書けないですよ。女学校時代も、書道は人並みの成績しか取れなかったんですけれど……それで優勝賞品になるんですか?」

「大丈夫です、大丈夫です。実習の記念と思ってくだされば」

「……じゃあ、書かせていただきます」

 私がそう言ったとたん、食堂の雰囲気が一気に殺気立った。

(え……?!)

 思わず身構えると、

「艦長!剣道大会の優勝賞品は、殿下の揮毫なのですね!」

士官の1人が、実に嬉しそうに叫んだ。

「ああ、そうだ」

 竹内艦長が頷くと、

「よっしゃあ!」

「燃えてきたぜ!」

「絶対優勝してやる!」

他の士官たちも雄たけびを上げ、「そうと決まれば練習だ!」と言いながら、部屋から去っていった。

「ありがとうございます。これで、剣道大会も盛り上がりそうです」

 お辞儀する艦長に、

「まぁ、それならいいですけど……」

私は曖昧な笑顔を返したのだった。


 午後からは、射撃訓練が始まった。軍医実習生である私は射撃訓練には参加せず、軍医長と一緒に各所の巡検に出かけた。軍艦では、何百人もの人が共同生活を送っている。軍艦は戦闘する場所でもあり、乗組員の居住場所なのでもある。当然、衛生的に、かつ快適になるように軍艦の管理をしなければ、各種の伝染病がはびこる原因になってしまう。軍艦の居住環境のチェックも、軍艦に所属する軍医のお仕事の一つなのである。

「みんな、経口補水液は飲んでいますね?」

 “日進”の機関室。ここは巡検の時、重点的にチェックしなければならない。軍艦の機関室は、石炭を燃やしているのでとても暑い。ひどい時には、室温が60度近くに上がってしまう……というのは、卒業旅行で軍艦に乗せられ、大山さんと威仁(たけひと)親王殿下に地獄のような鍛錬を課された兄が語っていたことだ。それを聞いて、当時の西郷国軍大臣に、機関科の水分補給に経口補水液を使ってもらうことを私が提案したのは5年前のことだった。その提案が採用されてから、機関科の皆さんが熱中症で昏倒することは少なくなったらしいけれど、とても暑い労働環境が変わったわけではない。機関科の皆さんが熱中症にならないように、厳重に監視しなければいけないのだ。

「はい、もちろんです」

 機関長が敬礼して答えてくれた。機関室には、経口補水液の入った大きなヤカンがたくさん用意してある。暑いのを我慢しながらヤカンを持ちあげてみると、ちゃんと中身は減っているようだった。

「では、引き続き、熱中症に注意して作業してください」

「承知いたしました」

 機関長の敬礼に、私もしっかり答礼を返す。機関室は、軍艦の心臓のようなところだ。機関科の皆さんの頑張りで、軍艦が生きているのである。

 厨房や糧食庫などもチェックし終わると、一日の終業時刻になった。甲板に直行して、朝に干した洗濯物を取り入れる。火曜日と金曜日は洗濯をする日と決まっているのだ。本当は、士官の私室を担当している従卒さんに洗濯を頼んでもいいのだけれど、下着も含まれる洗濯物を男性の従卒さんに任せる訳にもいかないので、洗濯は石鹸を使って自分でやっている。ただ、全部手洗いなので、それがちょっときつい。私の時代のような洗濯機が出来るのに、どのくらい時間がかかるのだろうか。これも産技研に頑張ってもらいたいところだ。

 洗濯物を畳んで貴賓室のベッド下に収納して、士官用の食堂で夕食を取る。士官たちの話題になっていたのは、今度の寄港地・朝鮮南岸にある鎮海湾のことだ。朝鮮駐留の清軍によって、新しく艦隊停泊地として整備された場所で、日本から対馬を経由して電信用の海底ケーブルも敷設された。

(清軍も、朝鮮の国内が落ち着いてきて、少し余裕が出てきたのかな。もう少ししたら、元山の反乱軍も始末できるかもしれない。鎮海湾に日本の海軍に入ってもらう、っていうのは、元山のロシア巡洋艦に圧力を掛けたいのかな。旅順の清の艦隊より、対馬の日本艦隊の方が鎮海湾に近いところにいるしね)

 梨花会の面々からは、郵便を載せた船が着くたびに手紙が届けられる。その中には朝鮮の動きが書かれたものもあり、先月の末に、朝鮮国内の不穏な動きは、北東部の一部と元山周辺以外は、駐留している清軍によって鎮静化された、という文言があった。鎮海湾への艦隊移動も、その動きが絡んでいるのではないかと思うけれど、正確な情報を待つ方がいい。私は話の輪には加わらず、1人で食事を終えると食器を片付けた。

 貴賓室に戻ると、新島さんがバスタブにお湯を張ってくれていた。張られているお湯は、海水を沸かしたものである。蒸留器が稼働していると言っても、軍艦の中で淡水は貴重なものなので、“日進”では洗面や洗濯に使える淡水の量は規定されていた。ちなみに、お風呂の時は、身体を洗うための淡水のお湯が2リットル使えることになっている。また、“日進”の場合、士官なら入浴は2日に1回なのだけれど、毎日入浴できているのは、私が皇族だから配慮してくれているのだろう。

 寝巻に着替えて部屋に戻ると、新島さんが自分の洗濯物を畳んでいるところだった。この貴賓室は、私と新島さん、2人で使っている。“不埒な士官に、殿下が寝込みを襲われるかもしれない”というのが、彼女の言い分で……確かにその通りなので、新島さんに同居してもらうことにしたのだ。ちなみに、新島さんは天井からハンモックを吊り、そこで寝起きしている。

「新島さん、お先にお風呂をいただきました。お湯が冷めちゃうから、新島さんも早く入ってください」

「いつもすみませんね、殿下」

「変な人が来たら、居留守を使うか撃退しておきます」

「頼みましたよ」

 新島さんが微笑して、貴賓室備え付けの浴室へと消える。1人になった私は、机の上に置いてある手紙の束を手に取った。返事が書けていない手紙が、何通か残っているのだ。

「仕方ない、大山さんからのを片付けるか」

 私は墨を摺り、巻紙を左手に持った。大山さんだけに宛てて書く手紙なら、洋紙の便箋にペンで書いてしまうのだけれど、この手紙はお父様(おもうさま)お母様(おたたさま)も読む可能性が高い。なぜなら、大山さんからの手紙の文面に、お父様(おもうさま)お母様(おたたさま)からの言葉が含まれていたからだ。自分たちが私に直接手紙を出してしまうと、侍従さんを派遣する騒ぎになってしまうから、大山さんに伝言を託したのだろう。

(梨花さまが軍務に追われて、筆を使うことを忘れてしまうのではないかと、皇后陛下はご心配されておられました……なんて書かれちゃったら、筆で書くしかないよなぁ)

 お母様(おたたさま)のように流麗な筆遣いはできない。お母様(おたたさま)の文字と比べると、不格好でゴツゴツした文字だけれど、読みやすさを重視して文章を書いていく。何とか手紙を書き終えると、西郷さんからの手紙を手に取った。兄夫妻の3人の子の輔導主任である西郷さんからの手紙には、かわいらしい3つの手形が同封されていた。もちろん、迪宮(みちのみや)さまと淳宮(あつのみや)さま、そして希宮(まれのみや)さまのものだ。

(可愛いなぁ……)

 私は机の引き出しから、新聞を取り出した。広げると、水分の抜けた四つ葉のクローバーが現れる。迪宮さまがくれた縁起物は、航海の間にきちんと押し花になっていた。

「殿下、お湯をいただきました。バスタブも綺麗にしておきました」

 背後のドアが開いて、寝間着に着替えた新島さんが姿を現した。

「ありがとうございます。いつもすみませんね」

「いえいえ、お湯をいただいているお礼ですよ」

 新島さんはそう言いながら私に近づき、

「おや、増宮殿下が筆をお使いになるなんて、珍しいですね」

と、机を覗き込みながら言った。

「大山さんから手紙が来て……母が、私が筆を使うことから離れていないかと心配している、という文句が書いてあったものですから、心配させないように、返事を筆で書きました」

 そう答えると、

「なるほど、皇后陛下の思し召しなら仕方ありませんね」

新島さんが苦笑した。「剣道大会の賞品も、お書きにならなければいけませんし」

「そうなんですよね……何を書けばいいですかね?なんか、カッコいい言葉はありませんか?」

「殿下が目標とされていることでよいのではないですか?」

「目標ですか……」

 そうなると、これしかなくなってしまう。私は引き出しから色紙を取り出した。これは、“揮毫を求められることもあるでしょうから”と、母が持たせてくれたものだ。それに私は文字を書き付けた。読み下し文を書くよりは、梨花会の面々の揮毫のように、白文で書く方がカッコいいだろう。

「見事な字ですね」

「ありがとうございます。行書よりは、楷書の方が得意なんです。だけど……私が剣道大会に出て優勝したら、この色紙はどうなるんですかね?」

 私はそう言いながら筆を置く。

上医医国じょういはくにをいやす 中医医人ちゅういはひとをいやす 下医医病(かいはやまいをいやす)

 色紙に書かれたその12文字は、やけに角張って、緊張しているように見えた――。

※軍医の業務や軍艦の生活については「明治三十七八年海戦史. 第4巻」(春陽堂.1909年)、また、時代は下りますが「海軍衛生学」(医海時報社.1938年)、アジ歴の「軍艦日課週課規則」(明治44年)などを参考にして、大幅に想像を加えています。ご了承ください。


※水については、「明治三十七八年海戦史」には、大体の大型船には蒸留器が付いていると書いているのですが、“日進”の戦時日誌を見ると、時々飲料水や機関用の水を運搬船から補給してもらっています。(鎮海湾にいる時とか)一応、拙作ではこういう記述にしました。


※また石炭の搭載に関しては、竹ざるを使って移すこともあったようです。「運用術教科書」(軍港堂.1909年)も参考にしました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です。 [一言] ・筆ペンの開発が急がれます(笑)。 ・私だって皇室の方からサインを貰ったら、それこそ末代までの家宝ですよ。 練習艦の優勝賞品というより勲章といった位置づけでし…
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