脚気問題
ご報告です。
第7回ネット小説大賞の「投稿作品ピックアップ」の“読者感想ピックアップ”に、拙作が取り上げられました。
推薦していただいた方、ありがとうございました!これからも精進いたします。
※会話文を一部修正しました。(2019年3月21日)
1890(明治23)年、11月の末の土曜日。
「脚気の件を、何とかしていただきたく!」
黒田さんの言葉に、首を傾げた私に、
「まさか、脚気についてご存じない、という訳ではありますまいな?」
西郷さんが、語気鋭く詰め寄った。
「ええ、ビタミンB1が不足して起こる、ということは知っていますよ」
私が返答すると、
「ですから、その“ビタミン”とやらは、一体何なのですか!」
西郷さんが大声で言った。
「先日、そのことは、弥助どんから聞きました。“脚気は、ビタミンの不足で起こる”と」
「確かに、そんなことを言いましたね」
確か、ベルツ先生と花御殿で初めて会った時だ。感染症の分類の話の中で、脚気の話が出た。ただ、主な話題から大分それるので、「話すのは後日」と答えたのだ。
「弥助どんが、“脚気の件は、また後で話されるようだ”と言ったので、待ったのです。ところが……その後、増宮さまが脚気について、全くお話にならない!」
確かに、感染症のページを読み進めながら、ベルツ先生と話し合ったり、血圧計の試作の相談に乗ったりしていて、脚気の話は全くしていない。
「痺れを切らしまして、了介どんと山縣さんとも話し合い……、ご迷惑かとは思いましたが、本日、参上させていただいた訳です」
「はあ……」
真剣な表情の西郷さんに、私は戸惑った。
「だけど、なぜ脚気ごときで、西郷さんがそんなに一生懸命になるのですか?」
すると、
「脚気ごとき、と仰せられるか!」
山縣さんが私を睨んだ。
「今、脚気は流行しているのです。都市の住民もですが、特に軍隊で。これを解決しないことには、充分な兵力増強は図れない!」
「……はい?」
山縣さんの言葉の意味が、よく分からない。
脚気は、ビタミンB1の欠乏症だ。
前世では、“ジャンクフードしか食べない”とか、“酒しか飲まない”とかいう、偏った食生活を送っている人にしか起こらない。あと、点滴で栄養を取っている人で、適切にビタミンを補給しない人にも起こると、国家試験の勉強の時に覚えた。
(でも……都市部の住民や、兵隊さんって、そんな偏った食生活をしているのかなあ?)
私が考えていると、
「もちろん、タダで、とは申しません。もし協力していただければ、名古屋城の写真を、増宮さまに献上させていただこうかと」
黒田さんが真剣な表情で言った。
何?
「黒田さん、そう簡単に乗せられませんよ。まさか、大天守の遠景写真一枚だけで、事を済まそうと思っていないでしょうね?」
私は慎重に尋ねた。
戦災で焼ける前の名古屋城の写真なら、前世で何回も見たことがある。その程度の報酬で、簡単に言うことを聞く私ではない。
「ふ……増宮さまのお好きなものは、よく存じております。それだけで済ませようなどという、小さな考えはしておりませぬ」
黒田さんが微笑する。
「大天守、小天守の遠景写真だけではございません。現存する全ての建築物の遠景写真。内部は、釘隠しや障壁画に至るまで、写真に収めさせていただきます」
(……!)
「そ、それは、本丸御殿や……多聞櫓も、ということですか?!」
「もちろんでございます」
黒田さんの答えに、
「ま、マジですかー?!」
私は興奮して立ち上がった。
名古屋城の本丸御殿は、戦災で焼けて、平成時代に再建されている。ただ、全てが一般公開されたのは2018年の6月で、私が前世で死ぬ直前だった。休みが取れたら、絶対行ってやろうと思っていたのだけれど、30連勤ぐらいしていた上に、二日連続当直も当たり前な生活だったので、休みなど取れるわけもなかった。そして、死んでしまった訳だけれど……。
また、名古屋城の多聞櫓は、1891年、つまり来年発生する濃尾地震で壊れて、取り壊された。おそらく、“史実”の通りに濃尾地震は発生するので……。
「す、素晴らしすぎる……。名古屋城の多聞櫓の内部が、写真で見られるなんて……しかも、本丸御殿の中まで……」
あまりの感激で、私は殆ど泣き出しそうになっていた。
「ふむ、昔、名古屋城を保存するように、決定しておいて正解だった。まさかここで役に立つとは」
山縣さんが顎を右手で撫でながら、一人頷いている。
「山縣さん、本当にありがとうございます。もう、私、胸がいっぱいで、どうやってお礼を伝えたらいいか……」
私は山縣さんに、深く頭を下げた。
「来年早々には離宮になってしまうが、今ならまだ国軍のもの。写真は我々の手で、いくらでも撮れます。ご要望があればなんなりと、増宮さま」
「内部の構造や、絵画の筆遣いまで分かるように、できる限り詳細に写真に収めて欲しいです。それで、同じ写真を、4,5部ぐらい焼き増しして、どれがどこの写真って分かるように整理して、1部は私のところ、残りは、各地の図書館か博物館に保存するようにしてもらえれば」
西郷さんの申し出に、私は興奮しながら答えた。
「それはなぜでしょうか?」
首を傾げる大山さんに、「資料になるから」と私は答えた。
「多聞櫓は濃尾地震で壊れます。それに、万が一、名古屋城が焼けてしまった時に、遠景や細部の写真を残しておけば、復元工事をするときに、資料として使えるから……」
「なるほど、将来に備えておく、という訳ですか。……それで増宮さま、俺の要望には応えていただけるのでしょうか?」
「もちろんです、黒田さん。ふふふ……名古屋城の写真がたくさん……」
有頂天にいる私は、快く、黒田さんのリクエストに応えることにした。
その場にいる皆も、ニコニコしながら頷いている。うん、みんな嬉しいなら、それでいいのだ!
「さて。まず“ビタミン”という概念から、説明しないといけないですけれど、みんな、時間はありますか?」
上機嫌の私が口を開くと、
「ま、増宮さま、……まさか、足尾銅山の時のようなことになるのでしょうか?」
山縣さんの表情が強張った。
「ん?ああ、そう言えば、山縣さんが大変な目に遭ったと聞きましたが……」
頷いた黒田さんに、
「“大変な目”ですって?」
私は反論した。「私、“公害病”について、話しただけですよ」
伊香保から東京に戻ってきた後、新聞を読んでいたら、渡良瀬川で洪水が起こった後、稲が立ち枯れる被害が発生したという記事を見つけた。足尾銅山鉱毒事件が、リアルタイムで発生していることを知ったので、山縣さんが花御殿にやって来た時に、足尾銅山鉱毒事件の簡単な経緯や、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、前世で“公害病”と呼ばれている病気について話した。
「しかも、私が知っていることなんて序の口です。専門家が相手だったら、1日中話しても、話が終わりませんよ」
「あ、あれだけで1時間掛かったのに、更にまだ……ですか……」
山縣さんがため息をついている。
「まあ、そちらの方は、特別予算を作って対策を施すことにしましたから、それでご勘弁願いましょう」
黒田さんが苦笑する。
開設されたばかりの議会で、足尾銅山からの排水の金属イオンを、巨大な沈殿池を作って沈殿させた後、排水処理を行う施設を作り、合わせて周辺の植林・治山や、渡良瀬川・利根川の大規模な改修などを行うための特別予算が成立したのは、つい数日前のことだ。
「渡良瀬川の遊水地建設のために、立ち退くことになる人たちには、しっかりと補償をしてくださいね。先祖代々の地を、離れることになるんですから。それから、排煙の脱硫装置の開発も急いでください。排水処理だって、まだ技術が未熟なんだろうから、技術もどんどん開発して」
「補償のことは、勝先生にも言われました。増宮さまの、仰せの通りに致す所存です」
私の言葉に、黒田さんが一礼した。戦国時代や江戸時代の資料を調べ、“足尾銅山の件を解決するには、周辺の河川の治水対策も徹底的に行わないといけない”、と黒田さんや山縣さんに提言したのは勝先生だった。
(本当は銅山の生産をストップするのが一番いいんだろうけど、銅が主要な輸出品になっているから、国策上できないって言われたし……今の時代のできることって、結果的には少しだけなんだろうけれど、やらないよりは……)
「殿下、その“公害病”の話も興味深いですが、ビタミンについてお話をいただけると」
ベルツ先生が私に言った。
「ごめんなさい。……山縣さんが辛そうな顔をしているから、手短に話します」
そう言って、私はビタミンについて簡単に説明した。ビタミンB1については、少し詳しく説明を加えた。本当はトリカルボン酸(TCA)サイクル……クエン酸回路ともいうけれど、ビタミンB1が重要な役割を果たしている糖代謝の仕組みについて、突っ込んで話をしたかったのだけれど、山縣さんの表情が更に辛そうになったので、やめておいた。
「なるほど……確かにその概念は、まだ医学にはありませんね、殿下。未知の栄養素です」
ベルツ先生が深く頷いた。「それで、ビタミンB1というものは、どのような食物に多く含まれているのでしょうか?」
「そうですね、食べられる部位100gあたりで考えると……多いのは、豚肉、玄米、ウナギ、たらこ、だったかしら。豆や蕎麦もいいのだけれど、大体ゆでて食べるから、ビタミンB1が失われやすいのよね……」
「殿下、なぜ食品をゆでると、ビタミンB1は失われるのですか?」
ベルツ先生の質問に、
「ビタミンB1って、水に溶ける性質があって、加熱にも弱いの」
私は答えた。「だから、ビタミンB1を含んでいる食品をゆでると、そのお湯の中にビタミンが溶けだしてしまいやすいんです。あと、小麦は、脱穀してなければビタミンB1が多かったはず。それから、米ぬかにも、ビタミンB1はたくさん含まれているから、ぬか漬けもいいと思います」
ベルツ先生に説明する私の横で、
「玄米……」
「小麦……」
西郷さんと山縣さんが呟いている。
「では、高木軍医少将の説が、やはり正しかったということか!」
黒田さんが突然叫んだので、私はびっくりして、身体を心持ち後ろに引いた。
「黒田さん……高木さんって一体どなた?」
「ああ、ご存じないですか。軍艦“筑波”で、兵食の試験を行いまして……」
(軍艦“筑波”、兵食……)
「ま、まさか、高木兼寛の実験って、もうやってたんですか?!」
私は呆然とした。
高木兼寛が行った兵食試験は、“根拠に基づく医療”の日本での走りとも、疫学研究の日本での嚆矢ともいわれる。大学の講義で、少しだけ聞いた記憶がある。
「“明治時代”としか聞いていなかったから、もっと先のことかと……。でも確か、“たんぱく質が不足したのが脚気の原因”って言っちゃったから、猛反対を食って、自説を引っ込めざるを得なかったって……」
「そうです。それが……大問題になっておりまして」
西郷さんがため息をついた。
「どうしてですか?」
「ベルツ先生には申し訳ないのですが、高木軍医少将の説に反対したのが、帝国大学の医師と、旧陸軍の軍医たちなのです」
高木軍医少将は、国軍合同の前、海軍に所属していた。明治初年、海軍はイギリスに範を取っていたので、軍医もイギリス医学を学んでいた。臨床を重視するイギリス医学を学んだ高木軍医少将が、軍艦“筑波”で臨床研究を行ったのは、彼にとっては当たり前の発想だったのだろうけれど……。
「理論を重視するドイツ医学を学んでいる帝国大学の医師、そしてドイツに範を取った陸軍出身の軍医は、高木少将を攻撃しました。“たんぱく質の不足”が脚気の原因ではないとわかったことも、その攻撃に拍車を掛けまして……国軍合同の後、医務部だけが、陸軍出身者と海軍出身者に分かれて対立し、ギクシャクしております。児玉や山本や俺も仲裁に入ったのですが、どうにも収まりがつかず……」
西郷さんは私に説明すると、更にため息をついた。
「そんなに大問題になっていたのですか……。あの、ちなみに、兵隊さんたちって、どんなものを食べているんですか?」
「軍艦に乗るものは、海軍の制度を引き継いでおりまして、洋食が給されます。それ以外のものは、基本的に精米6合を現物支給し、副食分は金銭で支給していたはずです」
大山さんが私の質問に答えてくれた。流石、元陸軍大臣だ。
「副食が金銭で……ってなると、もしかして、おかずを食べないでその分を貯金に回す人もいるのかしら?」
「かなりおります」
「あ……」
炭水化物、しかもビタミンB1がほとんど含まれない白米だけを取っていれば、ビタミンB1が不足するのは当たり前だ。
「まさかとは思うけれど、都市部の住人も、同じような食生活をしている人が多いのかな?」
「特に田舎から出てきた者や、下働きをしているような者は、兵士と似たような食事を摂っているかと……」
「それですよ、脚気の原因は!」
大山さんの答えに、私は手を打った。「ビタミンB1が含まれない白米過多の、偏った食生活。大山さん、西郷さん、もしかして、軍艦に乗っている兵隊さんより、陸上勤務の兵隊さんの方が、脚気の発生者が多いんじゃないですか?」
「仰せの通りです……」
西郷さんが一礼した。
「うむ……、徴兵令が出た当時、兵食に“白米1日当たり6合”、と制定したのはわしだったが、それが脚気を生み出していたか……」
山縣さんが額に右手をやり、ため息をついた。
「副食分を金銭で供与することを止めて、おかずをしっかり供給すれば大丈夫。でも、給料が下がったって思われそうだから、兵隊さんの給料も上げられるとベストかな。本当は、主食も麦ごはんや玄米に変えられるといいんだけれど……」
私は腕組みした。「いきなり“麦飯や玄米を食え”と言っても、軍医の皆さんも、帝国大学の医師たちも、納得しないでしょう。何かわかりやすい理由が必要です」
「おっしゃる通りです、殿下。この私自身が、脚気は感染症で起こるはず、と決めてかかっていました。殿下のお話を聞いて、ようやく視野が開けてきた次第でして……」
ベルツ先生がこう言って、うつむいた。
「うーん、実験します?でも、人間を対象にするとなると……どうやったらいいかな……」
大学で、臨床研究に必要な基礎の基礎、のような話は、少しだけ聞いたことがある。けれど、いざ自分で、試験の方法を考えるとなると、全く途方に暮れてしまう。
すると、
「実験動物を使うのは、いかがでしょうか?」
ベルツ先生が言った。
「実験動物ですか……」
私は眉根を寄せた。確かに、ビタミンB1が関与する糖代謝は、酸素を必要とする生物なら行っていることだ。だから、ヒト以外の動物で実験してもよいのだけれど……。
「未来では、実験動物を使うことを、反対する人も、結構いるのですよ。後世、批判されてしまうかもしれませんが……」
「しかし、現時点では必要な手段でしょう、殿下」
「そうね……必要なら、そうするしかないですね」
決めたのだ。
できることはやる。それで後世、大悪人と呼ばれても構わないと。
「となると、実験動物の数をそろえるのと、飼育する施設か……今の日本だと、帝国大学ぐらいにしか、ないんじゃないかしら?」
「確かにありますが、他の研究に使われておりますね」
ベルツ先生がため息をついた。
「国家のためだ。帝国大学に、その施設を、脚気の研究に転用するように命令しても……」
「西郷さん、流石にそれはまずいです。その研究だって、後々、国家のためになる可能性があるのですし」
意気込む西郷さんを、私は慌てて止めた。
「そうなると、あとは牧場で飼える動物にするしかないでしょうか。無理を言えば、御料牧場で何とかできるかもしれませんが、さすがに馬や羊だと、飼料代が嵩みそうですし……」
御料牧場、というのは、千葉県にある、皇室専用の牧場のことである。馬や羊を飼っているそうなのだけれど、私は行ったことがない。
と、
「家畜……ですか。いい考えが」
いきなり、黒田さんがこう言いだした。
「え?」
「ニワトリはどうでしょうか」
「ニワトリ……?」
「榎本どのが飼っておりまして」
黒田さんが言う“榎本どの”は、おそらく榎本武揚さん……今の文部大臣のことだろう。
「あれならば、大きな動物よりは飼料代もかさみませんし、御料牧場でなくても、東京でも飼うことができましょう」
「はあ……」
前世では、自宅でニワトリを飼ったことはないので、イメージがつかない。
「ニワトリの数、たくさん揃えないといけないですよ?それに、飼う場所って……」
「それならば、花御殿の敷地でよろしいではありませんか。伊藤さんには、俺から話しておきます」
大山さんが言った。
「あ、そうね……」
私はあいまいに頷いた。そう言えば、花御殿の敷地が滅茶苦茶広いのを忘れていた。
「そうなると、あとは、ニワトリをどこから持ってくるか、とか、データをどうまとめていくかとか、細かい点を話し合わないといけないけれど……」
私たちは、実験計画の細部を打ち合わせ始めた。
1890(明治23)年、12月の中旬。
「お初にお目にかかります、殿下。軍医中佐の森と申します」
花御殿の応接間で、私はベルツ先生と一緒に、森林太郎軍医中佐と顔合わせをしていた。
これから行う、脚気の動物実験。そのデータをまとめるのに、彼の力を借りることになったのだ。ちなみに彼は、帝国大学を卒業してから、陸軍に入っている。つまり、ベルツ先生の元教え子で――国軍内で、“脚気が細菌で発生する”と主張している、中心的な人物だった。
――そんな人と一緒に実験するって、大丈夫なの?
先月の末、高官たちと実験計画を立てた時に、私が不安を漏らすと、
――大丈夫です。森を切り崩せば、陸軍出身者も黙り込みましょう。それに、森は、権威に弱いですから、恩師のベルツ先生と増宮さまの前では、借りてきた猫のようになるに違いありません。
西郷国軍大臣がこう請け負った。
――ですが、もし森が不満そうな顔になったなら……。
「脚気の動物実験……細菌を感染させるのではなく、白米と玄米、違う飼料でニワトリを育てて……ということですか?脚気は細菌で起こると思うのですが……」
ベルツ先生と私から、実験のあらましを聞き終わった森軍医中佐は、首を傾げながらこう言った。相手を論破したくてたまらないけれど、その相手が、恩師と幼い内親王だから我慢している、という様子が明らかだった。
「まあ、軍務ではなくて、本当に申し訳ありませんけれど、この実験が成功したら、脚気が細菌で発症するという、有力な証拠になる、……と、ベルツ先生がおっしゃっていましたから、……ね、ベルツ先生?」
私に急に話を振られたベルツ先生は、若干慌てたようだったけれど、
「そ、そうだよ、森君。この実験で、脚気が飼料の違いで起こらないことが証明できれば、脚気が食事のせいで起こる、と主張する者も、ある程度納得させることができるだろう。もちろん、動物は、その種類によって飼料が異なるから、傍証にしかならないかもしれないがね。もし、反対する者が出たとしたら、また別の動物を使って、実験すればいいだけの話だよ」
教授っぽい貫録を漂わせながら、こう言った。
「それに、この実験を行うように命じたのはわが父……天皇陛下です」
更に私がこう言うと、森軍医中佐の顔が一気に強張った。
「この花御殿の敷地を使わせるのであるから、直宮の私が、責任もって行うように……と陛下は仰せられました」
「!」
(あ、本当に効いてる……パワーワードすごい)
――この実験は、“天皇陛下”のご命令で、“直宮”の増宮さまが行うのだということを、強調されてください。そうすれば、森は黙り込むでしょう。陛下には、実際にご命令をいただけますよう、俺からお願いしておきます。
“必勝の策です”と西郷さんが教えてくれた言葉が、森軍医中佐にクリティカルヒットしているのが、私にも手に取るようにわかった。
――そして、最後に、とびきりの笑顔で、こう言うのです。
「ベルツ先生から、あなたはとても優秀だと聞いています。どうぞ、この私を助けて、勅令を果たしていただけますよう、お願いいたします」
「わかりました。非才の身ではありますが、殿下のため、全力を尽くしましょう!」
森軍医中佐は力強くこう言ってくれた。……顔がすごく赤いのだけれど、熱でもあるのかな?
ニワトリ小屋の建設には、今月いっぱいかかる。実際に実験がスタートできるのは、年明けからになるだろう。結果が出るのは、いつごろになるだろうか。
私はベルツ先生と顔を見合わせて、いたずらっぽい笑みを交わした。
足尾銅山の件は、書こうか書くまいか迷いましたが、結局書きました。
榎本武揚さんとニワトリの件ですが、彼は“日本家禽協会”という養鶏団体の会長をやっています。
黒田さんもニワトリを飼っていた、という著作もちらほらあるのですが、同年代の逸話集にその話がなくて、泣く泣くこのような設定にしました。
そして、例の人が登場しましたが、章子さま、林太郎=鷗外に、いつ気が付くかねえ……(ニヤニヤ)




