艦隊上層部
1904(明治37)年6月2日火曜日午前9時、太平洋を航行する巡洋艦“日進”の貴賓室。
「いかがですか?」
新島さんの問いかけに、
「ごめんなさい。やっぱり無理そうです……」
ベッドの上に寝ている私は、力なく答えた。こう話している間にも、頭は痛いしめまいもするし、胃のあたりが気持ち悪くて吐きそうだ。
昨日、横須賀を出港した直後は、週末からの胃もたれが続いているくらいで、その他に体調に問題はなかった。ところが、“日進”が外海に出て、波が荒くなった途端、生あくびが出てきた。生唾も出てきたな、と思った瞬間、激しいめまいと吐き気に襲われ、私はその場にしゃがみこんだ。医学的にカッコよく言えば“動揺病”、……要するに、“船酔い”になってしまったのだ。
(ううっ……船を甘く見てた……)
実は、今生で動いている船に乗ったのは、今回が初めてだ。
前世では1度だけ、大きな遊覧船に乗ったことがあるけれど、船酔いしたという記憶はない。それに、大演習や観艦式で軍艦に乗ることもあるお父様と、御学問所の卒業巡航で1か月の航海をした兄は、口を揃えて“船酔いなどしなかった”と言った。だから、私も大丈夫だろう。そう思っていたのだけれど……。
と、部屋のドアをノックする音がして、
「殿下、入ってもよろしいでしょうか」
“日進”の竹内平太郎艦長の声が聞こえた。
「いかがいたしますか、増宮殿下?」
「あ、会います……」
新島さんがベッドのそばから離れる。私はゆっくり身体を起こそうとした。けれど、やはり吐き気がひどくなってしまい、45度ぐらい上体を起こしたところで、動きを一度止めた。
「殿下、ご無理なさらず……」
動きを止めたままの私に、部屋に入ってきた竹内艦長が声を掛ける。
「でも、起きないと失礼ですし……」
こみ上げる吐き気をこらえながら、私はようやく、背をベッドに対して直角にした。
「寝巻のままで、本当に申し訳ないです……。私、本当に情けないですね」
ため息をつくと、「いえいえ、そんなことはありません」と竹内艦長は私を慰めてくれる。
「軍艦に乗る者の、通過儀礼のようなものです。なる者はなります」
「そうですか……」
「張り切っている奴に限って多いのです。前夜、初めての航海で興奮して眠れなかったとか」
(うっ……)
余りにも的確な言葉に、心をえぐられてしまう。その通り、“日進”に乗り込む前夜、神経が昂って、あまり眠れなかったのだ。
(確か、大津事件の時とか、濃尾地震の時とか、フランツ殿下に初めて会った時とかも、眠れなくて睡眠不足だったよな。ううっ、東京に戻ったら大山さんに怒られそう……)
「船酔いにならないためには、平常心も大事なんですね……。醜態をさらして、本当に申し訳ありません、艦長」
やっとの思いで一礼した私に、
「お気になさらず、それより今は休養が大事です」
竹内艦長は優しい声を掛けてくれる。
「紀伊水道に入れば、少しは波も穏やかになります。波が穏やかな間に、船の揺れに慣れてください」
「ありがとうございます、艦長。頑張ります」
……こうして、私の巡洋艦“日進”での実習は、最悪な滑り出しで始まったのだった。
船が紀伊水道に入ると、確かに竹内艦長の言った通り、波が穏やかになり、船の揺れは少なくなった。3日に神戸港に入った頃には船酔いも収まり、4日に神戸を出港した後は、きちんと実習を始めることができた。
第一艦隊と第二艦隊が本拠地にしている佐世保港に、“日進”が入ったのは6日の午後だった。港の倉庫には忙しく人が出入りしており、各種の物資もうず高く積まれている。万が一、朝鮮に何か起これば、ここが最前線の基地になるため、やはり緊張感が漂っていた。
そして、翌日の7日、竹内艦長に連れられ、私は第一艦隊と第二艦隊の首脳部にあいさつしに行った。護衛は新島さんだけである。本当なら、もう少し護衛の兵が付くものらしいけれど、
「今回は微行で……という指示でして」
と竹内艦長が耳打ちしてくれた。仰々しいのが嫌いな私にとっては、もちろん歓迎すべきことである。
第一艦隊の旗艦“三笠”に乗り移り、歩くこと2分ほど、“司令長官室”という札が掲げられた扉を、竹内艦長がノックした。
「司令長官、増宮殿下をお連れしました」
竹内艦長の声に「どうぞ」と中から応答がある。ガチャリと音を立て、開かれた扉の向こうには、私と同じような白い詰襟のジャケットと白いズボンを身に着けた、4人の男性が立っていた。
「初めてご挨拶させていただきます、司令官閣下」
今生の私は皇族だけれど、軍での階級は相手の方が遥かに上だ。私は帽子を取ると、目の前に立つ東郷平八郎海兵中将……第一艦隊司令官に最敬礼した。
「章子と申します。“日進”で8月末まで、実習させていただきます。どうぞよろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
頭を上げると、精悍な顔立ちの初老の男性が、私の視界に入る。上野公園の西郷隆盛さんの銅像の除幕式の時、一度姿は見たことがあるけれど、こうして会うことになるとは、正直考えてもいなかった。
と、
「お久しぶりです、殿下」
東郷中将の隣に立つ大柄な男性が、ニコニコ笑いながら声を掛けた。
「ああ、島村大佐、お久しぶりです!」
私はその人にも、深々と頭を下げた。島村速雄海兵大佐。第一艦隊の参謀長で、児玉さんの師匠でもある。
実は、国軍が合同したばかりの頃、児玉さんは“海のことも知らないといけない”という思いで、島村大佐に師事して、海戦のイロハを教わったのだそうだ。島村大佐は、軍医学校にも来て、私に海戦について何回か講義してくれたけれど、その講義の時には、なぜか毎回児玉さんが現れ、私の隣に座って熱心にノートを取っていた。
――なんで児玉さんがいるんですか?!
私がツッコミを入れると、
――島村の講義は、いつ聞いてもいいですからな。
児玉さんはとても嬉しそうに答えていた。まぁ、児玉さんが島村大佐に師事したことがきっかけになって、国軍の将官たちの間で、旧陸軍・旧海軍の枠にとらわれず、戦術の勉強会や交流会が盛んに行われるようになり、円滑なコミュニケーションの確立に一役買ったそうだから、それはとてもよかったと思うけれど……。
「出来の悪い生徒ですので、どうぞお手柔らかにお願いします」
あの大変だった授業を思い出し、予防線を張るつもりでこう言うと、
「そうご謙遜なさらずとも」
島村さんが苦笑した。
「いや、その……軍医学校の授業の時、大佐が全く意図していない答えをしてしまったなぁ、って……」
小さくなって私は答える。“敵の艦隊をどう止めるか”という問題を、島村大佐に出された私は、
――外交戦を仕掛けて、敵方の石炭の供給を止めさせる……?
という、とんでもない答えを返してしまったのだ。あの時の、島村大佐と児玉さんの呆気にとられたような顔は、忘れたくても忘れられない。
「はっはっは、あの時のことですか」
島村大佐は陽気に笑った。「あれは、増宮殿下の目指されるものと、私の目指すものが違っていたからです。増宮殿下は、戦争の全体をご覧になって、敵味方、双方に犠牲者が出ないような方法で、敵の艦隊の動きを止めようとなさる。私はあくまで、敵の艦隊を攻撃することで、敵の艦隊の動きを止めようとする。しかし、戦争には増宮殿下のような考えをする者も、私のような考えの者も、両方いなければなりません。どちらか一方が欠けては、勝負の駆け引きはできないでしょう」
「お気遣いいただいて、ありがとうございます……」
リップサービスも入っているだろうけれど、優しさが身に染みる。そもそも、あの問題には、“彼我の艦隊同士が遭遇したとして”という大前提があるはずなのだ。それを無視して答えた私が完全に悪い。
(うーん、“孫子”を教わっても、軍事のセンスが上がった訳じゃないなぁ……。一応、軍医になるんだから、ある程度は軍事のこともできるようにならないと……ん?)
剣呑な雰囲気を感じて、私は視線を動かした。東郷中将の隣に立っている、島村大佐とほぼ同じ身長のがっちりした体格の男性が、私の方を……正確に言うと、私の後ろに控えている新島さんの方を睨みつけていた。新島さんの方でも、敵意の含まれている視線に気が付いたらしい。一歩も退かず、男性を睨み返す。
「おう、おぬし、いつぞや俺たちを侮辱した女子じゃな」
尖った視線の先を新島さんに突きつけながら、男性が大きな声で問いかける。確かこの人は、第二艦隊の司令官の上村彦之丞少将……国軍大臣の山本さんの同郷の友人、つまり、薩摩出身である。
「権兵衛は笑って許しとったが、俺は許さんぞ。薩摩隼人の実力、見せてやろうではないか」
怒りの表情の上村少将はこちらに向かって一歩踏み出すと、
「勝負じゃあ!」
と拳を構える。
「ふっ……望むところっ!」
一方の新島さんも、不敵な笑みを見せながら、前に歩み出る。
「やめなさい、新島さんも上村閣下も!」
私はとっさに叫んだ。「言ったでしょう!出身や過去で人を差別するなと!それが国軍の将兵の、紳士淑女たるものの務めであると!暴力沙汰に及ぶことが、紳士淑女の振る舞いなのですか?!直ちに拳を下ろして……」
暴力行為をやめなさい、と続けようとした時、部屋の空気が妙なのに気が付いた。新島さんも上村少将も、それから竹内艦長も東郷中将も……部屋の中の人間が、全員、私に向かって最敬礼している。
「あ、ああ、ごめんなさい!任官すらしていない身で、遥かに階級が上の方々に、偉そうなことを言ってしまいました!」
慌てて頭を下げると、
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。殿下も新島殿も、どうかお許しください」
上村少将は、大きな身体を折り曲げたまま答えた。
「しかし、流石殿下でございます。権兵衛が褒めたたえているだけのことはある。今の威厳あるお言葉は、非常に素晴らしかった」
「いや、あの、その……」
“威厳がある”、ではなくて、“中二病っぽい”の間違いのような気がする。ただ、この人たちに“中二病”と言っても絶対に分からないだろうから、
「よ、よろしくご指導のほどを……」
私はとりあえず、愛想笑いを顔に浮かべて誤魔化した。
と、
「あの」
上村少将の隣に立つほっそりした男性が、私に声を掛けた。
「ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか」
薄い口髭の、神経質そうな印象のその人は、心配そうな表情で私を見つめている。
「あ、はい、もちろん」
彼に身体を向けると、
「海兵大佐の加藤友三郎と申します。第二艦隊の参謀長を務めております。どうぞお見知りおきを」
加藤友三郎さん……“史実”で総理大臣を務めたその人は、礼儀正しく私に頭を下げた。
実は、この人は、“史実”の大正時代に、海軍大臣を長く務めている。原さんが組閣した時にも海軍大臣を務めていて、
――議論はわたしの方が勝っていたが、あれは頭のいい人だ。わたしの死んだ後総理を務めた、というのも納得だな。
と、私と大山さんしかいない席で、原さんがこう褒めたことがあった。
「殿下、体調はいかがでしょうか?」
その加藤さんは、私をじっと見ている。心から私のことを心配している、という気持ちが、彼の全身から滲み出ていた。
「ご丁寧に、ありがとうございます。情けない姿をさらしてしまいましたけれど、おかげさまで、何とか元気になりました」
「そうですか、それはよかった」
私の返事を聞いた加藤大佐は、ほっと息をつく。表情が明るくなっていくのがハッキリと分かった。
「これから梅雨に入ります。海は荒れがちになりますから、くれぐれもご無理をなさらぬよう」
「お心遣い、ありがとうございます」
(優しい人だなぁ……)
まさに“国軍将兵は紳士淑女たれ”……私が軍医学校に入るにあたって改正された軍人勅諭の一節を体現するような紳士っぷりだ。
(流石、あの原さんが褒める人だよなぁ……)
そう思っていると、廊下が騒がしくなり、勢いよく司令長官室の扉が開かれた。
「増宮殿下っ!」
(げっ)
背中を氷の塊が滑り落ちていくような感覚がした。この声に聞き覚えはある。けれど、後ろを振り向きたくない。わずかに残されている“人違い”という可能性に賭けてみたいけれど、前に立っている加藤大佐の顔も、勇猛果敢な上村少将の表情も強張っている。
「おい、竹内、秘匿しておったんじゃろ?」
「は、はい、ですからわざと、護衛も新島どのだけにしてここまで……」
上村少将が竹内艦長に問いただしている横から、
「無駄です。秋山ならいくら隠匿しても察知します」
島村大佐がこう言った。……ああ、そうか。やっぱりそうなのか。
(厄介な人が出てきた……)
私は覚悟を決めて、後ろを振り向いた。
「お久しぶりでございます!」
出入口の扉を背にして、私に向かって最敬礼しているのは、第一艦隊参謀の秋山真之海兵大尉だ。騎兵士官学校校長の秋山好古さんの弟で、“史実”の日露戦争で、参謀として活躍した人である。もちろん、この時の流れでも、参謀としては非常に優秀で、国軍が合同してからは、歩兵や騎兵の作戦研究にも手を出しているらしい。国軍の将来を背負って立てる人材という評判も高く、目鼻立ちも整っているという、滅茶苦茶ハイスペックな軍人さんなのだけれど……。
「あ、あの、秋山大尉。私はまだ、任官すらしていないので、最敬礼されるのは、ちょっと……」
ひきつった愛想笑いを浮かべた顔を向けながら、秋山大尉に言ってみると、
「何をおっしゃられますか!」
彼は頭を下げたまま叫んだ。
「“天眼”をお持ちの殿下を、本当は土下座して拝みたいのです!」
(だからそれはやめろ)
私は即座に心の中でツッコミを入れた。実際、軍医学校での彼の担当の授業の時、彼は挨拶するや否や、私に向かって土下座して動かなかったのだ。もちろん授業は始まらず、困った私は校長室に駆け込んだ。結局、校長室から国軍省の山本さんに電話を入れ、参謀本部長の斎藤さんを派遣してもらって、その場をおさめたのだけれど……。
「しかし、参謀本部長に“やめろ”と厳命されてしまったので、仕方なくこうして」
(だめだこりゃ)
秋山大尉のセリフで、私はツッコミを完全に放棄した。本当は、思いっきり蹴飛ばして黙らせたいけれど、それは淑女の振る舞いではないだろう。完全に気圧されてしまっていることも知らず、
「我々が立てる作戦に、増宮殿下の天眼が加われば、作戦は必ずや成功致しましょう」
秋山大尉の演説は続いていた。
「殿下が国軍に入られたのは、まことに我が国にとって喜ばしいことでありまして、天皇陛下の御慧眼もさることながら、男ばかりの社会に自ら入られて、世の女子の模範となろうとする殿下のご胆力も素晴らしい……」
突然、秋山大尉の口の回転が止まった。3方向から、同時に攻撃を食らったのだ。上村少将が右わき腹から、加藤大佐が左わき腹から痛烈なパンチを見舞い、そして後ろに回り込んだ島村大佐が、背中から肘撃ちを入れる。秋山大尉の身体が、床に倒れ込んだ。
「全く、殿下が困っていらっしゃるじゃないか」
憮然とした表情の上村少将の横で、加藤大佐がため息をついている。
「あ、あの、……秋山大尉、生きてますよね?」
一応、医者としての義務感から、秋山大尉を指さして尋ねると、
「大丈夫、大丈夫。手加減してますから。ちょっと連れて行きます」
大柄な島村大佐が後ろから秋山さんの身体を抱え、引きずりながら廊下へと出て行った。
「申し訳ありません、増宮殿下。秋山大尉に会わないように、と配慮はしたつもりだったのですが」
私に頭を下げる竹内艦長に、
「あ、いや、気にしないでください。“日進”にいられるのも、幸運なことだと思っているので」
私も慌てて一礼する。
実は、私が国軍軍医学校に入った当初、艦隊での実習は第一艦隊の旗艦“三笠”で行う予定になっていたそうだ。ところが、“三笠”には、秋山大尉が参謀として乗り込んでいる。このため、梨花会の面々が難色を示し、“三笠”での実習予定はいったん白紙になった。どの艦で実習をするかを検討していた矢先、“日進”に女性用の貴賓室が出来たので、私が“日進”での実習を希望した。それで話が丸く収まった……送別会の時、そんな裏話を聞いて、げんなりしてしまったのだった。
(でもさぁ、結局、梨花会の面々のせい、って気はするけどなぁ)
そう思うのは、参謀本部での私の評判を聞いたからだ。私によって“史実”の知識が伝えられた時、梨花会の面々は、戦争に関係する知識を参謀本部に流し、作戦の研究を命じた。当然、参謀本部の人々は、“どこからそんなことを?”と梨花会の面々に尋ねる。もちろんはぐらかしていたけれど、度重なる追及により、何らかの理由を作らざるを得なくなった。その理由と言うのが、“増宮殿下が予言された”というものだったのだ。
――増宮殿下は磐梯山の噴火を予言された。そして、“もしこのまま手をこまねいていると、このような未来が待っているぞ”とおっしゃったのだ。それを回避するために、諸君らに研究に励んでもらっている。しっかり頼んだぞ。
梨花会の面々の言葉は、国軍内で広まっていた私の武勇伝のこともあり、参謀本部の面々にあっさり信じられてしまった。そうして、“増宮殿下には天眼がある”という話に発展し、秋山大尉のような狂信者が現れてしまったのだ。
(これ、私に前世があるって、秋山大尉に話す方がいいのかなぁ?でも、そうなると、伊藤さんや斎藤さんのことも話さないといけなくなるから……どうしよう……)
ドアを睨みつけたまま、私は考え込んでしまい、
「殿下、お加減が悪いのではないですか?」
優しい加藤大佐を、また心配させてしまったのだった。
※若干登場人物の階級が違っていますが、日清戦争が拙作では発生していないので、少し昇進速度を遅めにしています。




