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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第33章 1903(明治36)年小暑~1903(明治36)年寒露
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節子さまの決意(3)

 1903(明治36)年8月16日日曜日、午前10時。

「お身体の具合はいかがですか、節子(さだこ)さん?」

 私と節子さまは、青山御殿の客殿で、急なお客様を迎えていた。お母様(おたたさま)である。葉山の御用邸でお父様(おもうさま)と一緒に避暑をしていたお母様(おたたさま)は、昨日急遽葉山から東京に戻ってきた。18日に帰京する予定のお父様(おもうさま)が、「美子(はるこ)と一緒に東京に戻る」と駄々をこねたのを、宮内大臣の土方(ひじかた)さんと侍従長の徳大寺さんが必死に抑えるという一幕がありながらも、お母様(おたたさま)が青山御殿に来てくれたのは、私の意を受けた我が臣下が、この時代で出しうるトップスピードで、根回しをしてくれたおかげだった。

――残念だけど、今の私だと、冷静な判断が出来ない。

 大山さんが青山御殿への侵入者について報告してくれた後、私は節子さまと大山さんにこう言った。

――私の心情としては、早蕨(さわらび)さん側にかなり肩入れしている。でも、節子さまの抱えている問題を解決するには、冷静に、公平に判断することが必要だと思う。だから、お母様(おたたさま)に話を聞いてもらった方がいいと思うんだ。

――梨花お姉さま……。

 私の右手を、節子さまが掴んだ。

――ありがとうございます、梨花お姉さま……。私のことを、本当に思ってくださって。

――節子さま……。

――梨花お姉さまが側にいてくださって、本当によかった。……私、梨花お姉さまのお言葉に従って、皇后陛下に相談してみます。

――そうだね……。

 頷いた私の手を、節子さまはなかなか放してくれなかったのだけれど……。 

「はい、身体は大丈夫です。梨花お姉さまがよくしてくださるので、食事も少しはできています」

 客殿は、すでに人払いがされている。水色の和服を着た節子さまは、桃色のデイドレス姿のお母様(おたたさま)に一礼した。

「ご事情は、大山どのから大体聞きました。……辛かったですね、節子さん」

「はい……皇后陛下にまでご迷惑を掛けてしまい、本当に申し訳ございません」

「構いませんよ。節子さんは私の娘も同然なのですから」

 お母様(おたたさま)が節子さまに微笑む。

「節子さんがお辛いのは、早蕨どのと万里小路(までのこうじ)どののご意見、どちらに従ったらいいかが分からない、ということかしら」

「はい……」

 節子さまはうつむいた。「お2人とも、私のことを心配されて、たくさん考えてくださっているのが分かるのです。だから、私は皇太子の妃として、どちらの言葉に従えばいいのか、考えれば考えるほど、頭がいっぱいになってしまって……」

「節子さま……」

 私は節子さまの左手を握った。節子さまが悩み過ぎてしまうと、お腹の赤ちゃんにストレスがかかってしまう。それは可能な限り避けたいのだ。

 と、

「節子さんを見ていると、若いころの私を見ている気がします」

お母様(おたたさま)が優しい声で言った。

「入内して、もう30年以上も経ちますが、本当に色々なことがありました。京都から東京に移ったのもそう。西洋式の生活を取り入れて、西洋の服を着るようになったのもそう。増宮さんに言わせると、増宮さんの時代の生活様式に比べるとだいぶ和風なのだそうですが、私の小さいころから見ると、今の生活はだいぶ西洋式になりました」

 そう言えば、転生したと分かったころは、前世の生活と余りにも違う生活に、私はかなり面食らっていた。今は、和服が普段着で、洋服が余所行きの服、というこの時代の感覚にも慣れたけれど、和服に女袴で華族女学校に通学し始めたころは、毎日卒業式に参加しているような気がしていたものだ。

「もちろん、全て西洋式に切り替えてしまえばいいだろう、という人もおりました。頑なに古来からの形式を守るべきだという方もいらっしゃいました。ですが、私とお(かみ)は、一つ一つのことを吟味しながら、必要なものを時代に合うように変えていくようにしたのです。古いものが残っている理由は様々あります。それを知らなければ、全てを新しいものに置き換えてしまった時に支障が生じてしまう……そう考えたから、何を残し、何を変え、何を削って、何を新しく得るか、私たちは一つ一つ吟味しています」

 私と節子さまは、静かに続くお母様(おたたさま)の話を黙って聞いていた。

「節子さんが辛く思っているのは、早蕨どのが言うことも、万里小路どのが言うことも、自分の進むべき道ではないと感じていらっしゃるからです」

 突然のお母様(おたたさま)の言葉に、私は目を丸くした。節子さまを見ると、表情が硬くなっていた。

「すべてを変えることも、全てを頑なに守ることも自分の道ではない。けれど、早蕨どのも万里小路どのも、自分を思ってくれているのがお分かりになるから、お2人を気遣って、ご自分の思う道に進めないのではないかしら」

「節子さま……」

「皇后陛下の、おっしゃる通りです」

 私の呼びかけには答えず、節子さまはうつむいてこう言った。

「古式を頑なに守るのは、世界と対等に付き合おうとしている今、そぐわない点が多々あると思います。けれど、梨花お姉さまのように、しきたりを全て壊すのも違う……。その2つのやり方の中間を、時代と折り合いを付けながら、手探りで進んでいくしかないと、……そう考えています」

「では、そう進めばよろしいのですよ」

 お母様(おたたさま)は節子さまに微笑を向けた。

「早蕨どのの道でも、万里小路どのの道でも、もちろん、私や増宮さんの道でもない、節子さんの道を。無理に他人の真似をする必要はありません。節子さんが進みたい方向に行けばよろしいのです」

「けれど、私はまだ若年です。祖母や母ほども年が離れている皆様方の言葉に従わぬと申し上げるのも……」

「もう既に、2人もお子を挙げられているのです。立派な未来の国母ではないですか」

 お母様(おたたさま)は下を向いたままの節子さまに近づくと、節子さまの右手を、両手で包み込むように握った。

「私も節子さんの力になります。もちろん、増宮さんもそうでしょう?」

「……すごく心配だけどね」

 私は節子さまを見つめた。「万里小路さんが節子さまに意地悪をしないかとか、お腹の赤ちゃんに、ストレスで影響が出ないかとか。……だけど、最終的に決めるのは節子さまだ。私は節子さまが決めた方針に従って、節子さまとお腹の赤ちゃんを守るために、全力で動くよ。必要な医学的な勧告は出させてもらうけどね」

 節子さまの左手を強く握ると、

「ありがとうございます、皇后陛下、梨花お姉さま……」

節子さまは涙声で、けれど力強く頷きながらお礼を言ってくれた。


 1903(明治36)年8月30日日曜日、午前10時半。

「あのさぁ、(ふみ)姉上……」

 花御殿の庭で、呆れたように私を呼ぶ輝仁(てるひと)さまの口を、私は後ろから手で塞いだ。

「こら、そう呼んじゃダメって言ったでしょ。今の私は榎戸(えのきど)千夏(ちなつ)なんだよ」

「分かってるけどさぁ……」

 弟を無視して、私は銀縁の伊達メガネの位置を直した。今の私の格好は、紫の矢羽模様の着物に群青色の女袴だ。髪型も普段のシニヨンではなく、束髪にしている。胸にたくさん詰め物もして、身体のシルエットも千夏さんに近づけた。そう、私は、忠実な乳母子に変装しているのである。

 今日、那須に行っていた兄と迪宮(みちのみや)さま、淳宮(あつのみや)さまは、花御殿に戻って来る。それを出迎えるため、節子さまも40分ほど前に青山御殿を出て、花御殿に帰って行った。節子さまを見送った後、わざわざ変装して花御殿の庭まで私がやって来たのには訳がある。これから、節子さまが花御殿の女官一同を集めて、話をするからだ。話の内容を、節子さまと一緒に考えた私としては、この話に女官さんたちがどんな反応を示すのか、確かめる必要があった。

「いい?もう一度言っておくけれど、私は榎戸千夏。輝仁さまは私と一緒に庭を散歩しているうちに、花御殿の庭に迷い込んだ。花御殿の職員に見つかったら、それで押し通すからね。もし私が花御殿に侵入したってバレたら、万里小路さんを刺激しちゃうから」

「分かったよ……はぁ、何で大山閣下が今日に限っていないんだろう。(ふみ)姉上を止めて欲しかったのに」

「いても同じことをしてたわよ。諦めなさい」

 囁き合っているうちに、首尾よく花御殿の建物の側にたどり着く。女官さんたちが集まっている食堂近くの縁側の下に、私は輝仁さまと一緒に潜り込んだ。

「まずは、私の妊娠のために、皇太子殿下のご出発の直前に皆を慌てさせたこと、申し訳なく思います」

 ちょうど節子さまの話が始まったところのようだ。2人で考えた言葉の冒頭が、床板を震わせて私の耳に届いた。

「幸い、妊娠は順調に経過しています。私について青山御殿に付いてきてくれた者たち、そして、この花御殿の留守居をしてくれた者たち、両方に礼を申します」

 一度、言葉が途切れた。ここまでは順調だ。私はじっと、上の食堂の様子を窺っていた。

「青山御殿にいる間、色々と考えました。私は皇太子殿下の妃として、皇太子殿下を助けなければなりません。そのためには一体何が必要なのか、と」

(ここからが肝心だよね……)

 2人で散々議論したところだ。上手く行くことを祈りながら、私は聞き耳を立てていた。

「そして、思いました。この日本は、世界の国々と対等であると示さなければなりません。ですから、皇室も侮られぬよう、必要である新しいことは取り入れていかなければなりません。しかしながら、そのために、我が国に伝えられているものをすべて無くすということをしてはならない。そうしてしまえば、我が国の歴史を失ってしまいます」

――そりゃあ、しきたり全部を無くせ、とは言わないわよ。

 お母様(おたたさま)のお見舞いが終わった後、節子さまに言ったことを私は思い出した。

――人を助けるのに邪魔なしきたりは壊すけどさ。

――確かに、範子(のりこ)お姉さまを助けていただいた時もそうでした。梨花お姉さまが「全責任を持つから」とおっしゃって、帝国大学の先生方にハッパを掛けたんですから。

 そう言って微笑した節子さまに、私はこう言った。

――大事なのは、そのしきたりがなぜできたか、ということと、そのしきたりをなぜ壊したいか、じゃないかな。その両方を天秤にかけて、しきたりが大事ならしきたりを守る。しきたりを壊す方がいいなら壊す。一つずつ、そうやって考えていくしかないのかも……。

「……ですから私は、皇太子殿下を助けるために、古きを学び、新しきを知ろうと思います。古きものはその存在する理由を学んだ上で、必要なものは残し、不要なものは撤廃する。そして、必要なものを新しく取り入れます。そうして、皇太子殿下を、妃としてお助け申し上げるため、私自身も成長したい。そのためには、早蕨どのと万里小路どのをはじめとする、あなた方の協力が不可欠です。どうかよろしくお願いします」

 節子さまの堂々とした声が途絶えたと同時に、

「かしこまりました!」

「ははっ!」

早蕨さんと万里小路さんの声が私の耳に届いた。両方とも、私が今まで聞いた中で一番大きな声だ。並々ならぬ決意が込められているように私には感じられた。

「……ま、大丈夫じゃないかな、(ふみ)姉上?」

「そうみたいだね」

 その他の女官さんたちが一斉に「かしこまりました」と頭を下げている様子が伝わってきて、私と輝仁さまは微笑を交わし合った。

「じゃあ、青山御殿に戻ろうか、輝仁さま」

「だね。あー、俺、麦湯が飲みたい」

 周囲の様子を窺いながら縁側の下から出ると、建物に沿って慎重に動く。目立たないところまで移動を終え、青山御殿に向かって2人で走り出そうとしたその時。

「だから申し上げたでしょう。増宮さまは、皇太子妃殿下を心配し過ぎていると」

 突然浴びせられた凄まじい殺気に息が詰まり、私は全く動けなくなった。そんなバカな。今日は非番だと何度も確かめたし、今朝だって出勤していなかったのに。

「お、大山閣下?!」

 輝仁さまの叫び声を聞くまでも無く、微笑しながら私たちの前に立ちはだかっているこの人物は、非常に有能で経験豊富な我が臣下、その人で間違いなかった。

「今日は非番なんじゃ?!」

「ふふふ、ですから、東宮大夫の児玉どのを訪ねて花御殿にやって来たのですよ、満宮(みつのみや)さま。午後には、皇太子殿下と一緒に戻りますからね。それまで花御殿で待たせていただこうかと思いまして」

 輝仁さまに答えながら、大山さんは私たちとの距離をジリジリと詰めてくる。

「待っている間に、増宮さまが、満宮さまを連れて花御殿に忍んでいらっしゃると予測していたのですが……予測通りの行動を取られるとは感心しませんよ、増宮さま。予測を裏切っていただきたかったのに」

 ため息をつく大山さんを、

「な、なんのことでしょうか。千夏は、満宮さまのお供で、青山御殿の庭を散歩していただけでございます」

私は千夏さんに似せた声で誤魔化そうとした。

「いや、(ふみ)姉上、声が全然似てない」

「う、うるさいわね!しかもバラしちゃ意味ないでしょうが!必死に胸に詰め物して巨乳に見せかけた努力を無駄にしないでよ!」

 弟の無情なツッコミに抗議していると、

「増宮さまと同じように、皇太子妃殿下も日々、ご成長されているのです。医師として親友として、皇太子妃殿下をご心配されるお気持ちは分かりますが、不安を少し手放されてもよいと思いますよ。これではまた(おい)は、増宮さまによく言って聞かせなければなりません」

大山さんはなおも私に近づいてくる。

(ま、また“ご教育”されるのはいやだし……こうなったら!)

「とぉ!」

 私はとっさに前に飛び出し、大山さんの脇をすり抜けた。もちろん、全速力で走り始める。

(よっしゃ!)

 兄に鍛えられたこの脚力、追いつける人間はほとんどいない。もちろん大山さんも、私の走る速さには追い付けないのだ。

(よし、これでこのまま逃げ切れれば……!)

 心の中でガッツポーズを決めたその時、

(ふみ)姉上、そっちは行っちゃダメだ!」

後ろから、輝仁さまの叫び声が聞こえた。

(は?ここ、青山御殿への最短ルートなのに?)

「そっちは俺が罠を……」

 輝仁さまの言葉が聞こえたと同時に、私の足元の地面が崩れ落ち、私は輝仁さまたちが仕掛けた深さ60cm余りの落とし穴に足を取られて前のめりに倒れてしまったのだった。

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[一言] 文字通りの良い「落ち」でした(笑)。
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