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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第32章 1903(明治36)年春分~1903(明治36)年夏至
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いつかドイツに

※会話文ミスを訂正しました。(2020年10月24日)

 1903(明治36)年6月28日午後1時、青山御殿。

『わぁ、これが日本のアサガオね!』

 白い地に、紫や水色のアサガオの花を描いた和服を着て、赤い帯を締めたマリーが、私の寝室に置いてある鏡をのぞいて歓声を上げた。

『すごく綺麗だわ!』

『喜んでもらえてよかった』

 マリーの着物を着付けた私も、ニッコリ笑った。『その和服は、母が縫ったの。私も少し手伝ったけどね。あなたにあげるものだから、このまま公使館に着て帰ってもらってもいいよ』

『本当?!ありがとう、章子!』

 マリーは嬉しそうにお礼を言った。

 虫垂炎の手術を受けたマリーは、先月末に帝大病院を退院した。入院中は私も毎日お見舞いに行ったし、退院してからも、彼女が滞在しているドイツ公使館や青山御殿で、毎日のように会い、色々なことを話した。私が医者になった経緯も、問われるまま、私の前世のことを伏せてマリーに話したけれど、彼女はとても面白がって話を聞いてくれた。

――すごいわ!偽名を使って、変装して学校に通ってたのね!あー、私もドイツに帰ったら、章子の真似をしてみようかしら。

 真顔でマリーがそう言ったので、『やめておく方がいいわよ』と一応彼女を止めておいたけれど……。

 もちろん、私の話だけではなく、医学や科学についても話した。マリーは日本の植物に強い興味を持っていたので、大山さんとも相談して、たまたま日本にいた牧野富太郎さんに、日本の植物について、話を何度かしてもらった。

 日曜日の午前中には、マリーに青山御殿や皇居に来てもらい、日本らしいおもてなしをしてみた。今の時点の日本文化というものを、少しでも彼女に知ってもらいたかったのだ。模型の部屋でお城の模型を見せたこともあったし、お母様(おたたさま)とも相談して、青山御殿から皇居に移築した能舞台で、能と狂言を見てもらったこともある。

 青山御殿の庭園に縁台を出して、野点(のだて)も3回やった。1回目は兄が、2回目は井上さんが、3回目は山縣さんがお茶を点ててくれ、節子さまや輝仁さま、そして大山さん、西郷さん、児玉さんと一緒に、アジサイを眺めながら、お茶とお菓子を楽しんだ。ちなみに、お菓子は3回とも私が選んだ。本当は、その時にお茶を点ててくれる人にお菓子を選んでもらおうと思ったのだけれど、梨花会の皆に強く反対されたのだ。……確かに、井上さんにお菓子を選んでもらったら、出席者の皆が、阿鼻叫喚の地獄に落とされてしまうかもしれない。流石に井上さんも、要人に失礼がないように考慮してくれるとは思うけれど、事故が無いに越したことはないのだ。

 そんなこんなで、時はあっという間に過ぎていき、もう6月の末になってしまった。今日は午前中からマリーに青山御殿へ来てもらい、琴の演奏を一緒に聞いた。輝仁さまは、学習院の同級生たちと新宿の御料地に遊びに行って朝からいなかったので、マリーと私とでゆっくり昼食を取った。昼食の後で、マリーに和服をプレゼントしたところ、『着てみたい』とマリーが言ったので、私がマリーに着付けをした。そして、これから2人でお茶をすれば、マリーと過ごす最後の日曜日が終わる。マリーは今週末、横浜から船に乗ってドイツに帰るのだ。

(そうしたら、マリーには、もう2度と会えなくなるな……)

 そう思った瞬間、

『章子、どうしたの?』

とマリーが私を心配そうに見つめた。

『もうすぐ、マリーと会えなくなっちゃうのが寂しくてね』

『あら、今は大航海時代じゃないのよ。外国まで行くのに何年もかかる訳じゃないわ。日本からドイツまで、2か月あれば着くんじゃない?章子がその気になれば、天皇陛下も、あなたをドイツに行かせてくれるんじゃないかしら』

『そうね、確かにマリーの言う通りかもしれないけど……』

(ドイツは、行きたくない……)

 私は、1か月ほど前の、マリーがまだ帝大病院に入院していたころの出来事を思い出した。

 軍医学校の帰り、帝大病院にお見舞いに行くと、マリーの病室には先客がいた。マリーの旦那さまのループレヒト殿下と、彼の従弟であるゲオルク殿下だ。その時、初めてループレヒト殿下とゲオルク殿下の顔をゆっくり眺めたのだけれど、ゲオルク殿下を見た時……私は思い出してしまったのだ。たった1度だけ出会った、今生で初めての恋の相手のことを。

――フリードリヒ殿下……?!

 生きていたの、という言葉は、目の前の現実にかき消されて、喉から出てこなかった。フリードリヒ殿下とはほとんど似ていないゲオルク殿下は、自分に向かって、自分とは違う名前を呼んだ私を、キョトンとして見つめていた。その様子を見ていたループレヒト殿下が、ゲオルク殿下を促して、2人で一緒にマリーの病室を立ち去ってからも、私の胸の苦しさは消えなかった。

『章子、苦しそう……』

 マリーが、私に右手を伸ばし、私の左手を掴んだ。

『ごめんね、マリー。……恥ずかしい話だけど、私、ドイツには行きたくないんだ』

『そうか……フリードリヒ殿下のこと、思い出しちゃうから?』

『多分ね。お父様(おもうさま)と兄上のそばを離れたくないのもあるけれど……』

 私はため息をついた。『フリードリヒ殿下が亡くなってから、もう6年も経つ。何とか立ち直れたかな、って自分では思っていたけれど、全然だめね。ゲオルク殿下を見た時、フリードリヒ殿下が生き返ったんじゃないかって思ってしまったの。顔も全然似てないのにね』

 ゲオルク殿下は24歳。私と会った時のフリードリヒ殿下と同じ年だ。ただそれだけなのに……、私はゲオルク殿下に、フリードリヒ殿下の面影を見出してしまった。

『そう言ってたわね、病院でも』

 マリーが顔に苦笑いを浮かべる。ゲオルク殿下とループレヒト殿下が病室から去った後、マリーは私に話をするように勧めてくれて、気が付いたら、私はマリーの前で泣いてしまっていた。

『バカみたいだよね、私。もう亡くなってしまっている初恋の人のことが、まだ心から離れないって……』

『本当、罪作りよね、フリードリヒ殿下は。こんなに優しくてかわいい子を、自分が死んでからも思い煩わせるなんて』

『ねぇ、マリー』

 私はマリーを縋るように見つめた。『私、やっぱりおかしいのかな?フリードリヒ殿下のことが心から離れないこの状態で、私、これから、恋ができるのかな……?』

『そう言う風に心配しちゃうわけか、章子は』

『うん。まぁ、別の意味で、恋が出来ない可能性も、結婚が出来ない可能性もあるけどね。結婚相手の候補と目されてる皇族も、不甲斐ない連中ばかりでさ……』

『あなたの別当さんも言ってたわね。お婿さん候補のうち、1人は章子に怯えてるし、もう1人も、章子から逃げるようにして先月結婚したんでしょ?』

『私より、2歳年上の人とね』

 伏見宮(ふしみのみや)邦芳(くにか)王殿下は、5月の下旬に、侍従長……ではない、内大臣兼侍従長の徳大寺さんの娘、治子さまと結婚した。ちなみに、徳大寺さんが内大臣を兼務するようになったのは、一昨年に勝先生が亡くなった直後だけど、徳大寺さんは一切政治に介入せず、黙々と侍従長の職務のみをこなしていた。

『だから、恋をしようにも、適切な相手がいないんだよね。流石に、私を嫌がる相手に恋をするわけにはいかないし、私もそんな奴はまっぴらごめんよ』

『確かに、互いにとって良い結末になるとは思えないわね』

 私の言葉を聞いたマリーが、クスッと笑う。

『もちろん、そんな奴と結婚しても、いい結末には絶対ならないしさぁ……はぁ、どうしたもんだろう』

 私が大きなため息をつくと、『大丈夫よ、章子』とマリーが私の肩を軽く叩いた。

『そんなことを言っている間に、勝手に恋に落ちてるものよ』

『そう……?』

『そうよ』

 マリーは私に笑顔を向ける。髪の色と同じ、ブラウンの瞳が、キラキラ光っていた。

『でもあなたの場合、恋愛成就の最大の障害は、保護者達でしょうね』

『それは間違いないわね……』

 万が一、私が誰かに恋をした場合……梨花会の面々が、その相手をじっくり吟味するのは間違いないだろう。“増宮さまに相応しい相手かどうか試す”などと言いながら、様々な無理難題をその誰かに押し付けるに違いない。そんなことをマリーに言うと、

『章子の教えてくれた“かぐや姫”のお話みたいね』

マリーは楽しそうに言った。

『……無理難題を押し付ける所だけがね』

 私が顔をしかめた時、「失礼します、姉宮さま」と廊下から北白川宮(きたしらかわのみや)成久(なるひさ)王殿下の声がした。

「あ、いけない」

 慌てて障子を開けると、廊下に成久殿下と有栖川宮(ありすがわのみや)栽仁(たねひと)王殿下、それから大山さんが立っている。そういえば、日曜日の午後なのだから、頼れる弟分たちの誰かが、名古屋城の模型を作りにやってくるのだ。今日は成久殿下と栽仁殿下の当番らしい。

「ごめん、もうそんな時間だったのか。友達と話してたら、すっかり忘れてたよ」

「バイエルンのマリー妃殿下ですか?」

 私に尋ねる栽仁殿下に、

「うん、もうすぐ、ドイツに帰っちゃうからね」

と答えながら、私はちょっと考え込んだ。マリーと過ごせる最後の日曜日だ。今日ばかりは、お城の模型を見るのより、マリーと話すのを優先したい。

 と、

『章子、そこにいるの、模型を直してくれている子たち?』

マリーが私に声を掛けた。『それなら私、その子たちにあいさつしたいわ』

『わかった。じゃあ、部屋に入ってもらうよ』

 私は成久殿下と栽仁殿下を手招きして、寝室の中に入ってもらった。マリーが和服を着ているのに、2人とも驚いたようだ。初対面の挨拶をして、

『この服、章子が着せてくれたのよ』

というマリーの言葉を通訳すると、成久殿下と栽仁殿下は、私を尊敬のまなざしで見つめた。

「ちょっと、どうしたのよ、2人とも」

「流石、姉宮さまだなぁと思ったので」

 私の訝しげな声に、成久殿下は落ち着いて答える。栽仁殿下も同意するように頷いた。

「ど、どうもありがとう。ま、まぁ、日本文化の紹介に、一役買えたかな」

 褒められたようなので、とりあえずお礼は言っておく。弟分と言えども、彼らも紳士なのだから。

『なんて言ってるの?』

 そう尋ねてきたマリーには、『んーとね、マリーが綺麗だ、だって』と答えておく。立派な淑女を目指す身としては、自分が褒められたとは、マリーに悟らせないのが筋だろう。

 すると、大山さんがマリーの側に寄って、何事かを耳打ちした。

『ああ、なるほどね。それは確かに私には言えないわ』

 マリーは頷いて、大山さんに微笑んでいる。

「大山さん、何か余計なことをマリーに言ったでしょ」

 我が臣下を軽く睨み付けると、「さて、何のことやら」と彼は嘯いて、

「それはそうと、増宮さま」

と強引に話題を変えに掛かった。

「成久王殿下と栽仁王殿下が模型を作られるところを、マリー妃殿下にご覧いただいたらいかがでしょうか?」

「お城の模型なら、マリーにこの間見せたけれど……」

 私の答えを聞かぬまま、大山さんは何事かをマリーに喋る。すると、

『私、模型を作っているのも見たいわ』

とマリーはハッキリ私に告げた。

『わかったよ』

 私はマリーに頷いてから、成久殿下と栽仁殿下に、

「成久殿下、栽仁殿下、模型を作る所、マリーにも見せてあげてもらっていいかな?」

と尋ねた。

「はい」

「もちろんだよ、姉宮さま」

 成久殿下と栽仁殿下が承諾してくれると、

「では、(おい)はその間に、お茶の準備をしておきましょう。マリー妃殿下と王殿下がたの分も含めて」

と大山さんが微笑む。

「ありがとう。じゃあ大山さん、よろしく」

 私は大山さんに笑顔を向けると、マリーを誘って、成久殿下と栽仁殿下について、模型の部屋に向かった。


 成久殿下と栽仁殿下の作業を、マリーは興味深そうに見守っていた。彼女曰く、『ドイツのお城と日本のお城は、構造が全く違うから、日本のお城の模型の中が見られるのはとても面白い』のだそうだ。マリーの言葉は日本語に、栽仁殿下と成久殿下の説明はドイツ語に、適宜私が翻訳した。前世ではあまり身に付いていなかったドイツ語だけれど、今生ではたくさん勉強しているので、読み書きも会話も問題なく出来るようになった。そのおかげで、外国の友人と不自由なく話せるのは、とてもありがたいことである。

 模型の部屋に入って1時間ほど経ったところで、お茶の支度が出来たと大山さんが呼びに来た。人数が多いので、居間ではなく食堂に移動して、ビスケットをつまみ、紅茶を飲みながらお茶会が始まった。通訳をする、ということで、大山さんもマリーの隣に座っていた。

『成久殿下は、幼年学校の最終学年で、栽仁殿下が中学3年生ね。2人とも、章子と年は幾つ離れているの?』

『成久殿下が4歳下で、栽仁殿下がその1歳下かな』

『2人とも、しっかりしてるわね。そう言えば、この間見た時より、模型の組み立てがかなり進んでいたけれど……ずっとこの2人が作業しているの?』

『って訳じゃなくてね……』

 確か、少しややこしい事情だったから、確かめながらマリーに伝えるのがベストだろう。私は成久殿下と栽仁殿下に、「ごめん、模型組み立ての当番を決めた事情、もう一度説明してもらっていい?」と小声で頼んだ。

 4月の初めに、完成寸前だった名古屋城の模型を、私が壊してしまった。そこで、栽仁殿下が父親の威仁(たけひと)親王殿下に指導を受けながら、名古屋城の模型の設計図を改めて完成させ、組み立て作業が始まったのが4月の下旬だ。

「だけど、成久殿下が9月から砲兵士官学校に進学すると、東京から少し離れた習志野という所に引っ越すから、ここに通うのが難しくなるの。だから、8月の終わりまでに模型を仕上げる……ってことになったんだっけ?」

 マリーに説明してから、同じ内容を日本語で成久殿下に確認すると、

「はい、そうです。姉宮さまに、完成した模型を早く見ていただきたいので」

彼はニッコリ笑って頷いた。

「そんなに急がなくてもいいのに。私は、模型の部屋に堂々と私が立ち入れる期間が長くなる方を優先して欲しかったのになぁ」

「大丈夫です。姉宮さまだったら、大山閣下の目を盗んで、いくらでも模型の部屋に立ち入れます」

「……なんでそんな実現不可能な提案をするの?」

 私と成久殿下のやり取りを、大山さんがドイツ語に翻訳してマリーに伝えている。マリーの形のいい唇の端に、微笑が閃いた。

「それにさぁ、何で5人一緒に作業をしないの?」

 ため息をついた私に、

「あの部屋、作業できるところが少ないから、5人一緒に入るのは無理です」

栽仁殿下が少し不機嫌そうに答える。

「だから公平に当番を担当するように、5人全員の予定を合わせて、当番表を作ったんです。人手があればいいってもんじゃないですよ、姉宮さま」

「あー、それはごめん。私も配慮が足りなかった。かえって迷惑かけちゃったね」

 すると、大山さんの通訳を聞いていたマリーが、『5人って?』と私に質問した。

『ああ、この2人と同じ年ごろの皇族が、あと3人いてね。成久殿下の弟の輝久(てるひさ)殿下、それから久邇宮(くにのみや)家に鳩彦(やすひこ)殿下と稔彦(なるひこ)殿下がいる。3人とも、栽仁殿下と同じ歳だよ』

『へぇ、そうなの。5人そろうと、とても賑やかそうね』

『確かにそうね。輝仁さまの相手をしに、時々この御殿に来てくれるから。でも、成久殿下と栽仁殿下もそうだけど、みんな、頼れる弟分だよ』

『いいじゃない。私も弟が2人いるけれど、やっぱり楽しいわよ』

 大山さんは、今度は私とマリーの会話を、小声で成久殿下と栽仁殿下に伝えている。と、成久殿下と栽仁殿下の顔が、同時に曇った。

「あれ、どうしたの、2人とも?」

 尋ねると、成久殿下と栽仁殿下は同時に「なんでもありません」と答える。けれど、どう見ても、不快を感じているのは明らかだ。

(マリーに構いすぎたから、すねちゃったかな……)

 更に彼らに声を掛けようとすると、

『ねぇ、章子』

マリーがキラキラした目で私を見つめた。

『さっきの話だけどね、私、案外うまく行くんじゃないかと思うの』

『さっきの話って、私が恋愛できるかとか、結婚できるかってこと?』

 私の質問に、

『ええ。……多分ね、意外とすぐそばに、幸せって転がってるんじゃないかなって』

マリーは笑顔で、よく分からない答えを返す。私は、曖昧に頷くしかなかった。

『きっとね、章子が立派な淑女になったら、幸せを掴めるんじゃないかなって、私、そんな気がするの』

『確かに、女性として、色々と足りてないのは自覚してるわ。日本の基準でも、マリーの国の基準でも……』

 戸惑いながらもこう答える。特に、和歌、書道、楽器の演奏など……教養という面から言えば、一般の上流階級の女性より、私が劣っていることはいくつかあるのだ。

『だからね、章子。一緒に幸せを掴む人に飽きられないためにも、章子も自分を磨かなきゃいけないわ。それで、章子が大切な人と結婚できたら、その人と一緒にドイツに来て』

『ドイツに……?』

(でも、ドイツに行ったら、私は……)

 私の不安そうな様子を見て取ったのだろう。マリーは私の左手をしっかり握って言った。

『章子が大切な人と結婚出来たら、フリードリヒ殿下を探さなくて済むかもしれないし……それにもし、探してしまっても、章子の大切な人が、きっと章子を癒してくれるから』

『マリー……』

『フリードリヒ殿下も、きっとそれを望んでいるわ。だって、立ち止まっているのは、女性の新しい道を切り開いていこうとする章子には似合わないもの』

『……!』

 両目から、ぽろっと涙がこぼれ落ちた。

(そう、だよね……)

 思わず目を閉じると、フリードリヒ殿下の素敵な笑顔が、瞼の裏に蘇った。出来ることならば、私と結婚したいと言ってくれていた彼。もう会えないのは分かっているけれど、もし……もし、私の前に現れてくれたら、“立ち止まってはいけない”と言ってくれるのだろうか。いや、……言ってくれるのだろう。

(そう……信じるしか、ないんだよね……)

『ありがとう、マリー』

 私は目を開いた。

『私、頑張る。恋愛は苦手だし、無理に男性とお付き合いなんてしないけど……もし、その機会が来たら、逃げないようにする。それで、もし、恋が上手く行ったら、相手と一緒に、マリーに会いにドイツに行くよ。だって、マリーの経過観察をしないといけないし』

『そうね、是非お願いするわ。……ドイツで待ってるわ、章子』

 視界の中のマリーの笑顔が、涙でぼやける。……気が付けば、泣きじゃくっている私の肩を、マリーが支えてくれていた。

 そして、この時、異国の友の言う通り、私のそばには素敵なものが、春の芽吹きのように顔を出していたのだけれど……、鈍感な私は、それに全く気が付けなかったのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 傍目八目 ついでに先達とくれば恋愛レベルがそりゃ違うよなあ [気になる点] どっかから伏兵が飛んできてもおかしくない作品の作風
[一言] 鈍感娘を攻略出来るのは誰か? 本当、梨花様、鈍過ぎ。まあ、それが良い所でもあるんだけど… ちびっ子共が不憫過ぎて……
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