お茶会
1903(明治36)年4月5日日曜日、午後2時。
「さぁ、皆さま、チョコレートを持って参りましたよ」
青山御殿の私の居間。母がチョコレートをたくさん乗せた大皿を持って入って来ると、学習院中等科1年の北白川宮芳之王殿下と、初等科6年の正雄王殿下が歓声を上げた。
「花松さま、いつもありがとうございます」
この7月で幼年学校を卒業する北白川宮成久王殿下が椅子から立ち上がって一礼すると、幼年学校2年の久邇宮鳩彦王殿下と稔彦王殿下、そして学習院中等科3年の北白川宮輝久王殿下と有栖川宮栽仁王殿下も、成久殿下に続いて一斉に立ち上がって、母に頭を下げた。
「皆さま、礼儀正しいですわね。それに凛々しくて」
チョコレートを机の上に置き、私に囁きかける母に、
「そうだね。みんな、学校での成績もいいみたいだしね」
と私も小声で返す。
「章子さん、お婿さんにいかが?」
「な、何言ってんの、母上」
悪戯っぽく笑いかける母を、私は軽く睨み付けた。
「だって、伏見宮の若宮殿下も、徳大寺さまのお嬢さまと来月ご結婚なさるでしょう?でしたら、章子さんも……」
「母上っ……、お願いだから、コーヒーを持ってきて」
なるべく動揺を抑えながら母にお願いすると、軽い笑い声を立てながら母は廊下に出て行った。
(全くもう……)
今日は、名古屋城の模型の修理完了をお祝いするお茶会である。正確に言うと、まだ模型は完成していない。お茶会をした後、出席者全員の立会いの下、屋根の上に金鯱を載せてめでたく作業完了となるのだけれど……。
「姉宮さま、どうしたんですか?」
「なんだかお辛そう……」
幼年学校の制服を着た稔彦殿下と鳩彦殿下が、私に心配の目を向ける。
「あー、ちょっとね……」
白いレースをところどころに使った、ラベンダー色の通常礼装を着た私は、首を伸ばして辺りを見回した。目を閉じると集中して、余計な気配がないかどうか、入念に確認する。
(よし、大山さんの気配なし……。明後日からの行幸の警備の打ち合わせがあって、本当に助かったな)
「……正直、辛いのよ」
顔を上げた私は、隣に座っている輝仁さまを含めた出席者一同を見渡すと、大きなため息をついた。
「だって、これで名古屋城の模型が完成しちゃったら、私はまた、あの部屋に入れなくなっちゃう」
「でも、内国博に行く途中、名古屋城と二条城と大阪城はご覧になったって満宮殿下から聞きましたけど……」
「好きなものはいくらでも見たいのよ」
輝久殿下に私は力強く断言した。
「ああ、心残りだったのは、内国博の愛知県の売店ね。あれ、名古屋城の大天守と小天守の模造建築で……」
私が内国博見学最終日の恨みつらみを、一同にぶつけようとした時、
「章姉上、大山閣下が来た!」
輝仁さまが叫んだ。私は即座に口をつぐみ、姿勢を正して椅子に座り直した。目を閉じて、非常に有能で経験豊富な臣下の気配を探り始める。
(大山さん、どこにいる?まだ打ち合わせのはずじゃ?!でも、大山さんなら不意打ちは日常茶飯事だから、突然現れる可能性はゼロじゃ……あれ?)
「輝仁さま、大山さんの気配がしないよ?」
弟に確認すると、
「バレちゃった」
彼は残念そうな表情になった。
「バレた?輝仁さま、まさかあなた……」
「大山閣下と金子閣下に、もし章姉上のお城の話が止まらなくなりそうだったら、“大山閣下が来る”って言えばいい、って教わったんだ。そう言ったら、章姉上は絶対話を止めるって聞いたから、試してみた」
輝仁さまのネタばらしに、私の口の動きが止まる。お茶会の招待客は全員吹き出して、大笑いしている。……まぁ、当然と言えば当然だ。
「姉宮さまは、本当にお城が好きですよね」
一番早く笑い声を引っ込めた栽仁殿下が言った。「お城の模型を見たり、お城のお話をしたりする時、姉宮さまの目が輝くんです。まるで黒曜石みたいに」
「そ……そうなんだ……」
私は苦笑いを顔に浮かべる。やはり、好きなことを話しているときは、目の色が変わってしまうのだろうか。前に大山さんに、“物事に夢中になりすぎるのはよくない”というようなことも言われたことがあるから、気を付けなければいけない。
「はい、お城のお話をされている姉宮さまは、とても生き生きされています。軍人なら、軍事に関係あることに興味を持つのは普通のこと。姉宮さまがお城に興味をもっていらっしゃるのは当然のことだし、これからそんな女子が増えてくると思います」
輝久殿下の口からは信じがたい台詞が飛び出す。私は思わず目を見張った。人に害を及ぼさない趣味が肯定される。それ自体はとてもいいことだけれど……。
(私の時代でも、女子が城郭鑑賞するって言ったら、男女問わず引かれることが多かった。この時代でなら、なおさらだと思うけど……)
「やっぱり、姉宮さまみたいにご活発な女性って、素敵ですよね」
成久殿下の口からは、更に信じがたい言葉が発せられる。私は一瞬固まった後、
「ど、どうも、ありがとう……」
と返すしかなかった。
(い、一体、どうなっているのでしょうか……)
完全に戸惑っていると、
「理想の女性は、徳川の糸子さまのように淑やかか、増宮さまや皇太子妃殿下のように明朗活発か……それが世の中の流行でございますわねぇ」
コーヒーの入った銀の瓶を持った母が、そう言いながら居間に入ってきた。
「母上?」
「人気絶頂の増宮さまを娶られるのは、果たしてどんな殿方なのかしら。楽しみでしょうがありません」
「母上……コーヒーを置いて、さっさと部屋から出て!」
軽く睨み付けると、母は笑い声を立てながら部屋を出ていく。
(全く、何が人気絶頂よ……)
分からない。私のようなお転婆を妻にして、幸せになれる男がいるのだろうか?まぁ、兄は、私に負けず劣らずお転婆な節子さまと、非常に仲睦まじいけれど……。
ふと、視線が集まっているのに気がつき、私は辺りを見回した。成久殿下をはじめ、招待客の王殿下たちの澄んだ瞳が、全て私に向けられている。
(は、恥ずかしい……)
「あ、ほ、ほら、コーヒーも来たし、チョコレート食べましょ!」
慌てて呼びかけると、王殿下たちは「はい」と素直に返事して、一斉にチョコレートのお皿に手を伸ばした。
みんなで美味しいチョコレートとコーヒーを味わうと、私は輝仁さまにお願いして、本棚から内国博のお土産を出してもらった。
「で、これが、内国博のお土産。私と輝仁さまからね」
「章姉上が選んだんだよ」
輝仁さまの言葉に、懐中時計を見た王殿下たちが一斉に歓声を上げた。
「……そんなに嬉しい?」
尋ねると、「はい、恩賜の銀時計を貰ったみたいに嬉しいです」と稔彦殿下が答える。
「はぁ……」
普段使いすると、金や銀のケースでは、傷ついた時の経済的損失が大きくなると思って、わざとニッケルのケースのものにしたのだ。だから、高級品ではない。それが、軍関係の学校や帝国大学の成績優秀者に与えられる恩賜の銀時計より嬉しいだなんて……。
(そんな、大袈裟な……)
反応できないでいる私をよそに、
「僕たちも、士官学校を卒業するときには、実力で銀時計を勝ち取りたいね」
鳩彦殿下が一同に呼びかけ、それに全員が頷いている。
「あー、そう言えば、君ら、兵科の希望はどうするの?」
妙な雰囲気を打ち砕くため、私が幼年学校に通う3人に問いかけると、
「俺と鳩彦は、歩兵士官学校に進もうと思っているんです」
と稔彦殿下が答え、
「俺は砲兵士官学校に行きます」
成久殿下は力強く答えた。
「うーん、成久殿下に銃の扱い、教えてもらおうかな……」
私が両腕を組むと、
「あー、章姉上、銃は苦手だって言ってたね。大体何だって出来ちゃうのに」
輝仁さまが無邪気に言う。
「大体何だって出来ちゃうっていうのは、ちょっと違うと思うけどね……」
私は軽くため息をつく。3月から軍医学校の軍事訓練で、銃の射撃訓練が始まった。銃を扱うのはもちろん初めてだ。だから、射撃しても、目標に全く命中しないのだ。まぁ、前世ではモデルガンも含めて、銃を触った経験なんてもちろんないから、当たり前のことかもしれない。
「本当は、もっと練習しないといけないし、兄上にも、射撃訓練に付き合え、って言われるんだけど、苦手だから、どうしても気が引けちゃって……」
「じゃあ、俺、銃器の扱いが上手くなったら、姉宮さまに射撃を教えてもいいですか?」
「ああ、もしそれが許されるなら……」
成久殿下にお願いしたいな、と言おうとした瞬間、慣れ親しんだ気配が、私の感覚を突然かき乱した。
(大山さん?!急に気配が濃くなった?!まさか、今までこの辺に潜んでた……?!)
身構える私の耳に、
「増宮さま」
大山さんの声が、障子が開く音とともに届いた。
「ご歓談中のところ、失礼致します。そろそろ、名古屋城の模型の仕上げを……おや、いかがいたしましたか、増宮さま」
大山さんが私の顔を覗き込んで、不思議そうな表情をする。私は黙ったまま、口を開かなかった。模型が仕上がる……ということは、私はこの先、当分模型の部屋に立ち入れないということを意味する。不機嫌にならない方がどうかしている。
「それでは皆様、模型のお部屋の方へ。……さ、増宮さま、エスコートさせていただきます」
無情な一言を主君に告げると、大山さんは私を立ち上がらせた。
5分後。
「やっぱこれ、すごいな……」
「ああ」
王殿下たちと一緒に移動した模型の部屋。小さな机の上に載せられた、完成間近となった名古屋城の模型の前で、王殿下たちがわいわい騒いでいた。
「金鯱を屋根に載せたら、完成か……」
人垣から一歩離れたところに立った私は、ポツリと呟いた。
(嬉しいけど、寂しいな……)
栽仁殿下と輝久殿下、それに輝仁さまがわいわい言いながら、模型を作るのを見ているのは、とても面白かった。頼もしい弟分である栽仁殿下と輝久殿下とおしゃべりするのも楽しかったし、城郭の構造についても改めて勉強する機会になって、とても興味深かった。
それに、輝仁さまとも、少し距離が縮まったような気がするのだ。去年の秋に青山御殿に引っ越してきた当初は、若干私に遠慮がちに接していた輝仁さまが、今は私に思いっきりぶつかって来てくれている。名古屋城の模型を直す、というこの共同作業が無ければ、私と輝仁さまの距離は、まだ開いたままだっただろう。
「じゃあ、姉宮さま、……金鯱、取りつけるよ」
栽仁殿下が、小さな金鯱を手に取る。あれが屋根の上に載せられてしまえば、名古屋城の模型は完成して、私のささやかな楽しみも終わる。
「わかった……」
頷いた瞬間、私の感覚に、また何かが引っかかった。数名の人間が、こちらに近づく気配だ。その中には……。
「兄上?」
廊下に顔を出した私の呼びかけに、和装の兄は微笑すると軽く左手を挙げる。右手を動かさなかったのは、迪宮さまの小さな手を握っているからだ。この4月末で満2歳になる迪宮さまは、自分の足で歩けるようになり、兄や節子さま、輔導主任の西郷さんに手を引かれ、青山御殿の方まで散歩に来ることもしばしばだった。
「散歩のついでに、こちらに寄ってみたのだが……ああ、成久たちもいるな。どうした?」
何人かの侍従さんを従え、のんびりと私に尋ねた兄に、成久殿下以下、王殿下たちが一斉に最敬礼する。
「今日、名古屋城の模型が完成するから、そのお祝い……って、迪宮さま?」
水兵服を着て、兄と手をつないだ迪宮さまは、模型の部屋の奥を興味深げに眺めている。無言で一歩、部屋に足を踏み入れた迪宮さまの後ろに、私は慌ててついて歩いた。
王殿下たちに取り囲まれた名古屋城の模型に、兄の手から離れた迪宮さまは真っ直ぐ歩いていく。そして、模型の前にたどり着くと、真ん丸な眼でじっと模型を見つめる。
「これはね、名古屋城の大天守と小天守の模型だよ」
迪宮さまの側で、私は話し始めた。「壊れちゃったから、栽仁殿下と輝久殿下が修理してくれたんだよ。ね、綺麗でしょ、この天守の屋根」
迪宮さまは興味をそそられたようで、右手を伸ばして大天守の最下層の屋根に触れている。その手が急に机の端に掛かり、手前に勢いよく引っ張られた。名古屋城の模型が、土台から迪宮さまの頭に向かって大きく傾く。
「危ないっ!」
私は迪宮さまに覆いかぶさりながら、右手でとっさに障害物を払いのけた。
「迪宮さま、大丈夫?!けがは無い?!」
何が起こったか分からなかったようで、キョトンとしている迪宮さまを、私はぎゅっと抱き締めた。
「……って、まだ喋れないか。怪我がないか、服も脱がせてちゃんと確かめないと。迪宮さま、ちょっと身体を確認するよ。私の部屋に行こう」
迪宮さまを抱き上げた私に、
「あー、章子?」
兄が恐る恐る声を掛けた。
「何?そこをどいて、兄上。迪宮さまに怪我がないか確認しないと……」
「それはありがたいのだが、その……章子……城の模型が、な……」
硬い表情の兄が、私の後ろの床を指さす。そこには、横倒しになった名古屋城の模型が……いや、正確に言うと、“模型だったもの”があった。床に直撃した屋根はぐしゃぐしゃになり、壁も何か所も破損している。床にも、私の通常礼装の裾にも、屋根瓦のパーツだった木片や、壁の一部だった木片が散乱していた。
(あう……)
私の異変を敏感に感じ取ったのか、腕の中の迪宮さまが泣き出す。
「おー、よしよし、ごめんねー。……そうよね、模型より迪宮さまだもんね」
慌てて迪宮さまを抱き直すと、私は左手で迪宮さまの頭を優しく撫でる。もし、迪宮さまに模型が直撃していたら、怪我をしていたかもしれない。それは医者としても、叔母としても絶対に避けなければならないことだ。
「それはありがたいのだが、章子……お前の顔もひきつっているからなぁ……」
兄が眉を曇らせたところに、
「姉宮さま」
栽仁殿下が私に声を掛けた。
「僕、名古屋城の模型を作り直します」
「栽仁殿下……」
泣いている迪宮さまの頭を撫でながら、私は栽仁殿下に顔を向けた。
「いいの?だって、私、せっかく栽仁殿下が直してくれた模型を壊しちゃったんだから……」
「一からお城の模型を作るのも、僕、やってみたいんです」
栽仁殿下はそう言いながら、私に寄って来る。そして、私の耳元に口を近づけると、
「それで、姉宮さまに、この部屋で僕が模型を作るのを見ていてもらったら、僕も嬉しいし、姉宮さまもこの部屋に、堂々と立ち入れるでしょ?」
と囁いた。
「……!」
(そ、その手があったーーー!)
……落ち着いて考えてみよう。名古屋城の模型は壊れたけれど、他のお城の模型は無事なのだ。栽仁殿下が名古屋城の模型を作っている間、他のお城の模型を見ていれば、この部屋で楽しく過ごすことができる。
(これって……考えようによっては、すごくラッキー?!)
「ありがとう、栽仁殿下……また君に迷惑かけちゃうけど、よろしくね」
私がニッコリ笑うと、
「おい、栽仁、抜け駆けするなよ」
「そうだ、俺も手伝う」
輝久殿下と成久殿下が一歩前に進み出た。
「僕も」
「俺もだよ」
鳩彦殿下と稔彦殿下も声を上げる。
「うん、いいんじゃない?人手が多い方がいいよね、栽仁殿下?」
「え……、あ、はい」
私が尋ねると、栽仁殿下は一瞬戸惑いの表情を見せ、けれどすぐに頷いた。
(あれ?なんか不満そう……?)
「いいのか、章子?……どうなっても知らんぞ、俺は」
兄はそう言って、なぜかニヤリと笑う。
「俺も、どうなっても知りませぬ」
大山さんも、私を見ながらニヤニヤしている。
「ちょっと、2人ともどういうことよ」
問い詰めようとすると、腕の中の迪宮さまの泣き声が、一際大きくなる。私はもう一度迪宮さまを抱き直すと、「迪宮さまの身体、確認するからね!」と兄と大山さんに言い捨て、模型の部屋から出て行ったのだった。
※伏見若宮……実際にはご病弱で結婚せずに亡くなっていますが、拙作の世界線上では病気を発症していない設定にしています。ご了承ください。また、文中で言及できませんでしたが、「徳大寺さま」はもちろん、西園寺さんの実兄である侍従長の徳大寺さんです。徳大寺さんの役職が今どうなっているかも、いずれ書かないといけません。




